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2-7 敬虔なる神のしもべ



 瞬間的に剣を抜こうと時計に手を伸ばす。

 だがそれはブルタールによってとどめられた。

「兄上! 何言ってるんだ。こいつは預言の!」

「預言なんて覆すんじゃなかったのかい」

「それは……そうだが」

 何も死ねとは思わない。ブルタールは困惑したまま一触即発な二人の間に割って入る。

「殴らせろと言われるくらいは覚悟したんだがな。まさか死ねとは。悪いがそれをしては国を救えなくなる。だから断る」

 クヴァールは唐突に笑い出した。それも声を押さえることなく。雰囲気が雰囲気だ。ライゼとブルタールは唖然とし、また警戒を強める。

「冗談ですよ」

 と言われても、そうは思えなくなった二人は無言のまま険しい表情を解けないでいる。

「この状況で過ぎた冗談でしたね、すみません。さて、シャオムはまだ見つかっていないのですか?」

 踵を返した兄の肩を掴んだ弟は乱暴に振り向かせる。

「兄上! 今のは本当に冗談なのか!」

「当たり前だろう?」

「だが!」

「お前らしくもない」

 ブルタールは黙ったまま兄の言葉を待っている。ライゼは警戒を解かないまま見守った。クヴァールの真意はまるで読めない。冗談が過ぎたと言ったけれど、あれが冗談だったとは思えない。鋭い殺気を確かに感じた。

「あんなに預言を嫌っていたお前が、預言を体現している王にほだされたのか?」

「それはっ……」

 今度はライゼが割って入る。

「それは違う。ブルタールは国を想ってのことだ。国を救いたい、俺たちが楽園を目指すのはこの一心だろう」

「国を救いたい、か。お前はいつもそうだな」

 これはブルタールへの言葉だ。吐き捨てた兄は動揺を隠せない弟を置いて今度こそ身を翻した。

「……兄上はオレがあんたを排さないことが気に入らないんだ」

「よくわからない。俺といるのはただの利害の一致だろう。兄貴は弟を取られてふて腐れたのか?」

「逆だ。オレが兄上を排そうとしたことを知ってるって意味だよ」

「何? 排そうとしたってまさかお前、兄貴を殺そうとしたのか?」

 王位継承権争いにおいて兄弟が互いを邪魔に思うことなどありきたりな話ではある。彼らは腹違いの兄弟らしいし、そういう仲には複雑なものもある。だから別段驚愕することでもないが、過去のブルタールがクヴァールを慕っていた様子を視たあとでは驚きたくもなる。

「そうじゃないけど、結果としては王位簒奪を狙ったようなものだ」

「本意ではないって顔だな」

「そうかな」

 伏せた視線からは自嘲が零れ落ちたように見えた。

「確かに王位が欲しかったわけじゃない。でも力が欲しかった。兄上はオレを政治から遠ざけようとしていたからな。大した権限も与えられず、国を動かす直接的な力がなかったんだ。どうしてもそれに堪えられなくなった」

「なるほど。それでどうなった」

「どうにも。国は荒れてるし、父上が亡くなって、あんたがきた。簒奪も何もあったもんじゃなくなった」

「そうか……」

「これで良かったのかもしれない。オレは玉座から兄上を引きずり下ろさなくて済んだ。――ただし、あんたが国を救ってくれなきゃ意味がない」

「わかっている」

 兎にも角にも、早くあと二人見つけて先に進まねばならない。



 執務室を出るとそこはどうやら神殿だった。見下ろす美しい女神が下々に手を差し伸べている像が奉られている。その足元には一頭の竜の像が従えられていた。

 竜は頭を垂れ、翼を折り畳み、尾を巻き、なんだかライゼには居心地悪そうに見えた。それに美しき宝石と喩えられる金の瞳はしっかりと閉じられていた。

 雄大な躯を縮こまらせ、自由な翼を羽ばたかせ飛び立つことも赦されず、世界を視ることすら叶わない神の愛玩動物。

 憐れだとしか思えず、竜である男は息苦しさに襟を開いた。

「兄上がいない」

 神殿を見回してもライゼとブルタールしかいない。勝手にいってしまうからだと文句のひとつも言ってやりたい。

「この試練は一体何なんだろうな。力を試されているわけでもない。勝手にいなくなられてしまうとどうにもならない」

 ここにくるまでの試練は少なくとも何かを試されていると思えるものだった。力や知能、忍耐など。

 今は過去を視せられているだけだ。

 意味がないとは思わないが、どういうことなのだろう。

 何も起こらない神殿の中で、次の行き先がわからず立ち尽くしていると、女神が見つめる先の扉が開いた。白い光が差し込み、現われたのは司祭のシャオムだった。

「無事だったか!」

 駆け寄るライゼを無視してシャオムは祭壇へと向かった。正しく言えば無視したのではなく、彼女もまた過去なのだ。

 司祭は白い裾を引きずりながら赤い絨毯を進み、祭壇の前へ跪いた。祝詞を述べ、宙に何か文字を書くような仕草をし、手を組み祈りを捧げている。

 敬虔なる神のしもべ。彼らはそうやっていつか赦される日を夢見て生きてきた。

 竜の子を守り、断罪の娘を擁しながら。

 ライゼには理解しようもない行いだ。いつやってくるかも知れぬ約束を待ち続ける。そこにどんな意味があったのだろう。

 ――意味なんてなかったのかもしれない。

 滅びを目前にして人間たちは抗い始め、また諦観し、今までの平穏がいかに幸せなことであったか実感する。神に守られた幸せがあまりにも当然すぎたのだ。待っているだけでもたらされる平穏に慣れてしまった。

 だから見放された時に怒る。手のひらを返したように信仰を揺るがす。

 意味などなかった。

 シャオムは祈りを捧げ終えると立ち上がった。こちらに戻ってくるかと思えば、祭壇の奥の柱の影に隠されるように作られた扉の前に立った。そこで胸元から金色の鍵を取り出し、中へと消えていった。

 二人は後を追った。扉の先は狭い通路だ。細く長く続く。それに暗い。ランプも持たずに足早に進んでいく女は、いつもここに通っていただろうことを窺わせる。その証拠に初めて通るライゼは壁に何度もぶつかりそうになるし、足元が不安だ。すぐ後ろを歩くブルタールとて、この通路のことは知らなかったようだ。階段が地下へと延々と続いている。ライゼが階段につまずきそうになり立ち止まると後ろから背中に頭突きをされて舌打ちされた。

「オレはあの女、嫌いだ。得体が知れない」

 などと文句も言い出す始末だ。

「予想でしかないが、お前神官たちも敵に回したんじゃないか」

 闇から無言の肯定が返ってきた。このブルタールという男、かなり革新的に国家に手を入れたのだろう。それでは古いしきたりを重んじる神職に嫌われるのは当然だ。

「そういうのは上手くやらないといつか足を掬われるぞ」

「うるさいな。わかったような口を利くな」

「そうだな」

「簡単に肯定するなよ!」

「なんなんだ。わがままだな」

 後ろから当てつけのような溜息が聞こえてくる。何が気に入らないんだ。と思っていたら答えらしき問いが投げかけられた。

「あんたやっぱり王なのか」

「いや?」

 ライゼは正しく回答するすべを持たない。闇の中で呆れられたのがわかった。

「覚えてないくせに。なのに無駄に飲み込みが早いし、現状に対応できすぎてると自分で思わないのか。普通はこんな目に遭ったら泣いて逃げ出したっておかしくない」

「すでに泣いたのはお前も承知だと思うが」

「それ自分で言うのかよ……。しかもそういう意味じゃねえよ」

 そこでまたライゼが唐突に立ち止まる。ブルタールがぶつかり、文句を言うも彼は黙ってしまったまま動かない。

「どうしたんだよ」

「この先に何があるんだろう。すごく嫌な感じがする」

「嫌な感じ? 特に何も感じないが」

「実はこの通路に入った時から変な感じがしていたんだが、どんどん強くなる。シャオムは何をしてるんだ。そもそも城に王族が知らない場所があるなんていいのか?」

「よくないけど知らないものは知らない。オレは王じゃないから伝えられてないこともあるのかもしれない」

「なるほど」

 王家に一子相伝の秘密があることもままある。王から王へと伝わる秘密。そこに司祭が関わっている理由は不明だが、ここから先を視ていけばわかる。

 気が進まないライゼを押しやるようにブルタールが先を促す。

 とうとう暗く狭い通路の終着点に着いた。開け放たれている扉から光が差し込み、眩しさに目を閉じて開けると、部屋の中のシャオムが金属製の大きな扉の前にいた。

 石造りの城にそぐわない、まるで古の魔法技術を駆使した精巧な造りの扉だ。この国の技術では到底製造不可能だと思う。ライゼは漠然とそう識っていた。でもブルタールは驚きのあまり言葉を失っている。そうなってしまうほどに技術力が違っていた。

 彼を驚かせたのは、その異様で風変わりな扉をシャオムが開いたことのほうが大きかったのだろう。

 司祭は胸元から再び鍵を取り出した。鍵穴は扉には見当たらない。金属の平面的な扉には入り組んだ紋様が蔓を這わせるように浮かんでいて、遠目から眺めればそれが竜を抱く女神を表現しているとわかる。

 女神の右手の部分に鍵を嵌める。鍵が杖となり、張り巡らされた茨が黄金に光る。それはまるで天上から降り注ぐ雷だ。

 シャオムは自分が嵌めていた指輪を外す。金色の指輪だ。それを竜の穴の開いた目に嵌めた。金の瞳が瞬くように輝き、全体が光り出す。浮かび上がる模様は魔法陣になっていて金から赤へと色を変えて、重々しい音を立てて扉が開き始める。彼女は慣れた様子で扉が開くのを待ち、中に入っていってしまう。

 王と王子は顔を見合わせて、暗黙のままシャオムを追う。この時、ライゼは全身が粟立つ感覚を味わい、入りたくないと強く願った。

 だがそうもいかない。ぞくりと背筋に冷たいものが走るのを我慢し、扉の中に滑り込む。

 ひんやりとした空気が満ちていた。薄暗い部屋の中は炎を灯すランプではなく、魔法由来の蛍光灯が蒼白い光を放っている。

 誰かがごくりと喉を鳴らした。自分とブルタールしかいないのだ。王子殿下のほうは明かりに照らされた硝子ポッドの中身を覗き、後退りして後ろにもあるポッドにぶつかり蒼白になっている。

 何本も立ち並ぶ緑色の液体が満ちたポッドを眺めて息を飲んだのはライゼだった。彼らが言葉を失うのも無理はない。目の前の光景は到底信じられない、否、信じたくはないものだ。

 円柱型のポッドの中で硬質な光が水中を揺らめいて、人間のようなものを照らし出した。歪な翼が生えた、所々黒い肌がめくれている子供。爪が異様に鋭い女。真っ黒な肌に白い髪の男。

「なんなんだよ、これ!」

 たまらず叫んだブルタールの声が虚しく反響した。


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