2-6 遠い日の夢
何度斬っても嫌なものだった。黒い影でしかないような“闇”は、しかし息絶える瞬間に人間を垣間見せる。霧散する影は断末魔を上げないかわりに赤黒い血を噴き出した。
頬を濡らしたそれを腕で拭ったライゼは隣で同じように気難しい表情をしている男を見やった。ブルタールの剣の腕は確かだ。竜滅の剣でもないのに“闇”を一刀両断している。
「つーかあんたのほうがそのでっかい剣に振り回されてたからな」
そうなのだ。まだいまいち使いこなせない。しかしあれにはこの剣のほうが効果的だ。
一度赤毛にしたように殴りかかってみたのだが、殴った手応えはあったものの振り切った腕に影が纏わりついて、結局ブルタールに助けて貰った。散々罵倒されたのは言うまでもない。
「俺の剣だとウーアは言ってたんだけどな」
「千年も寝てれば鈍るだろ」
「本当にそうなのかな」
「知るか」
皆は本当にライゼがあんな石棺で千年も寝ていたと思っているのだろうか。そもそも千年も中身を確認しないのもどうかと思ったが、言うとブルタールの嫌味が百倍になって返ってくるから黙っていた。
それに二人は先程からずっと戦いっ放しだ。“闇”の数が減らないどころか増えている。そんな時に考え事をしているのだから、やはりそれなりに剣は使えているのだろう。
剣に振り回されているものの身体に馴染んでいないと言えば嘘になる。強いて言えば、やはりライゼが“闇”を斬りたくないと思っていることが問題なのかもしれない。
「なあ。ブルタールはどうやって俺を見つけたんだ」
「はあ? さっき言っただろうが。たまたまだよ、いくら若作り千歳越えのジジイだからってボケたのか?」
「千歳ジジイ……。そうではなくて、この“闇”の中よくあそこまで辿り着いたな」
「気がついたらあそこにいたんだよ。鐘の音が聞こえて」
「鐘の音か……」
確かにライゼも鐘を聞いて「行かなければ」と思った。おそらくあれはライゼを呼んでいた。今回はなぜだかは知らないが過去を視せたがっている。
そして塔にはブルタールの強い想いがあった。彼の過去にブルタール自身が引き寄せられ、それをライゼが垣間見たのだとしたら。
まずウーアを想った。彼女の戦力と謎めいた知識が必要だからだ。
「ウーア! どこにいる! 応えろ!」
「あんた従者がいないとダメなのか。あの子何者なんだ」
「馬鹿! 違う!」
「馬鹿……だと……?」
「ああ、いや、な? ついだよ、つい」
呼びかけに反応して浮かび上がったのは影しかなかった。人型を取って揺らめいているのをブルタールが容赦なく斬り裂いた。
「やはり俺ではダメか」
ウーアのことを何も知らない。何かしらの想いや記憶が反応してくれるかと思ったのだが、ライゼでは誰のことも呼べそうになかった。
「ブルタール、三人のうち誰でもいいから強く呼んでみてくれ」
「はあ? そんなことしてどうなるんだよ。オレは散々兄上を呼んだが出てこなかった」
「忌まわしい過去とかないのか。ここは多分そういう場所なんだ」
視なければならない。つらくて悲しいこの国のことをライゼは識らねばならない。
「仕方ないな、わかったよ」
「よし、頼む」
ライゼはブルタールの腕を掴んだ。
「何すんだ、気持ち悪い!」
「……ひとりでどこかに飛ばされたら、またはぐれるだろ」
嫌いなのはわかるが、何度も悪態をつかれて傷つかないわけでもないのだが。
「クソが……さっさと呼ぶ」
もう文句を言う弟殿下に何も言うまい。彼が集中していられるようにライゼは剣を掲げ“闇”を遠ざけた。
「兄上! どこにおられる! 無事なら返事をして下さい!」
なるほど。国王である兄にはきちんとしているらしい。ウーアの話では仲が悪く、派閥で城は二分されているのかとも思ったが、真偽はどうなのか。
何度か呼んだものの変化はない。予想は外れたのかもしれない。ブルタールも苛立ちを隠せず、とうとう舌打ちをして叫んだ。
「クヴァール兄さん! どこに居やがる! さっさと出てきやがれ!!」
ああ……。どうしてこの殿下はこんなに口が悪いのだろう。普段はあんなに優雅な雰囲気を纏っているのに、それが精神的負担をもたらしているのか。ステルラが知ったら悲しむ。
そんなことを考えていたライゼの鼻腔に甘い香りが漂った。白い花びらが視界に散る。
きた。
二度目の変化には驚くことなく、新たに広がる景色を眺めた。
白い丘だ。花が咲き乱れている。遠くにはフルゲオクルスの城が望めた。町の外の丘に遠乗りにきていた子供が二人。馬に草を食ませながら兄弟が城を眺めていた。
また目の前で悲惨なことが起きるのではないかと子供たちを警戒していると、腕を掴んだままでいたブルタールが一歩前に出た。
「あれはオレと兄上だ」
青年は遥か遠くの眩しいものを見守るように、懐かしさと、それに苦々しさを交ぜたような目をしていた。
過去の少年は今では考えられないような笑みを顔中に広げ、嬉しそうに城を指差した。それを大人になった、かつては少年だった男は吐き捨ててしまいそうに見守っている。
「兄さんが王になったらオレは立派に兄さんを支える宰相になるよ! そうして一緒にこの国を守っていこうな!」
ブルタールよりも幾分大人びているクヴァール少年は答えず、ただ微笑んで弟の頭を撫でた。
子供の頃の夢。大人になればそれが簡単には叶わないことだと気づいてしまう。
素直な少年が語る夢はどれもこれも国を真っ直ぐに想っていた。神を信じ、神の国であることを誇りにし、疑うことを知らぬ民と同じく。
きっと苦渋を味わっても彼の本質は変わっていない。いつだって、あの頃から国を想っていた。だからこんなに苦しそうに理想だけしか知らない少年を睨みつける。もうあの頃のように理想ばかりを追えないことを痛いほど理解しているから。
「兄上……」
ブルタールが呟くと場面が変わった。城の中だ。兄の執務室で大人になった二人は対峙していた。
「どうして兄さんはそう内向的なんだ! いいか、腐った果実は早く捨てなきゃ全てが腐る。そうなってからじゃ遅い!」
「……お前は少し改革的すぎるんだよ。やり方が乱暴なんだ。果実が腐っただけなら捨ててしまえばいいが、人はそうもいかない。無意味に切り捨てれば歪みが生じる」
「じゃあ腐敗を放っておくのか! しきたりや伝統ばかり重んじてこの国はどうなってる! 大臣たちは好き勝手やってるし、神官どもは神事にかこつけて」
「ブルタール」
静かな兄の声が激昂する弟を諫める。だがブルタールは収まらない。
「偉くなったら国を良くするって約束したじゃないか!」
「改革するには相応の器量が必要なんだ。父上とて現状は理解している。やたらに手を入れたら内乱が起こる」
「放っておいた結果だろ! 大臣や神官が力を持ちすぎた! 内乱が起きるというなら力で屈させてしまえばいい!」
「……そんなに言うならやってみればいい」
「な……どうして! 二人で力を合わせてやるんじゃないのかよ!」
弟は兄を慕っていた。聡明で落ち着いていて王としての自覚を持っているのだと。
だけど本当は何もしない不抜けなのでは。
小さく首を振って諦観に沈んでいる兄の様子に、かつて「共に」と約束した気持ちを捨てた。いいや、あれは約束なんかじゃなかった。勝手にブルタールが期待して夢見ていただけだ。
弟は忌々しげに睨みつけてから、兄を諦めて出ていった。決別したのだ。
だからこの時に兄が呟いた言葉を知らなかった。
クヴァールは重圧に押し潰されてしまいそうな顔をして、疲れの滲む目頭を揉みながら「私はお前が羨ましいよ」と床に吐き捨てた。
「兄上……」
知ることのできなかった兄の本心に心中は複雑に揺らぎ、でももう戻れない。
いつから彼を「兄上」としか呼ばなくなった。決別して、自分で城の情勢を弄るようになってからだ。時に兄が言ったように歪みに反発され自らの立ち位置を危うくさせたが、ブルタールは器量のある男だった。力だけでは押さえられないことを知り、政治と策謀の仕方を学んだ。
彼の周りは清廉な者が集まり、力を持った。国を動かすための信頼を勝ち取った。
何もしない兄とは違う。やればできるじゃないか。
「だがステルラは死んだ」
過去の兄を眺める二人の後ろから現実のクヴァールが過去と同じ苦渋を押し込んだ声で割り込んだ。
「お前に何ができた? 国を綺麗にした? 腐った人間を排除した? でも預言は覆らない」
「なんだと! そうやってまたやる前から諦めてるじゃないか! 兄上はいつもそうだ! どうして希望を持たない!」
「希望? そんなもの、この国のどこにあったことがある」
ブルタールはライゼの胸倉を掴んで揺さぶった。
「こいつがいるだろ! そのためにきたんだ!」
「私の王位を奪いに?」
「なっ……それは」
言葉に詰まってライゼを見上げる弟に、王となれと誓約させられた男は静かに言う。
「俺は王位などいらない。俺が気にいらないのなら、この国に平穏が戻った暁には国を出ていこう」
「お前!」
「いいんだ。俺は自分が何か知りたいだけだ。お前たちの国を巻き込みたいわけじゃない。……今起こっていることが俺のせいであるなら、本当に申し訳なく思う。だから俺はできることに全力を尽くす。やれることがあるなら遠慮なく言ってくれ」
クヴァールの目はブルタールの熱意ある目とは違う。もうずっと昔から諦観している。いつから? 弟にはわからない。兄が何を考えているかなんて見えていなかったのだ。なのに「共に」なんてよく言ったものだ。相手を理解したつもりで自分の理想を押しつけていた。
今からでも歩み寄れるだろうか。そう思えるのがブルタールの前を向くことのできる強さだ。
兄に強さはなかった。
「では陛下に申し上げたいことがございます」
「構わない。何でも言ってくれ」
微笑むクヴァールの目に狂気が燻るのをライゼは感じ取った。ブルタールのような猫被りだけの笑みじゃない。長年積み上げ、蓄積してきた経験。
言い換えれば、溜めに溜めた鬱屈した気持ち。誰にも明かすことのできない闇。
ひんやりとした殺気とも言えぬ視線が貫いた。
「死んで下さりますか、王よ」




