2-5 もうひとつの預言
膝をついて髪を掻き毟り叫んだのは誰だった。
どうして妹が死ぬ必要があった。
この国に何が起こった。
考えることも出来ずにライゼは『彼』の絶望した気持ちに喰われ、心を闇に散り散りにさせて我を失った。喰われるとはこういうことなのだ。
絶望。悲観。自棄。失意。
心が壊れる。
「おい! 何してる!」
ライゼの肩が揺さぶられる。しかし彼は闇に怯え、手を払いのけた。
「しっかりしろよ!」
「ステルラ……ステルラが……」
王が呟くその名に青年は思いきり顔を顰め、塔を見上げた。
「なんでその名前を……」
虚ろな瞳は見上げた。
「ステルラ……俺の妹……」
「お前のじゃない! オレの妹だ! 何を視た!?」
「どうして……死んでしまった……? あんなに、あんな……」
「預言がそうさせた!」
未だ悪夢の中に取り残されたように呆然と虚ろでいるライゼにブルタールは怒鳴りつけながら、この国に伝わるもうひとつの預言を吐き捨てた。
「この国はもうすぐ滅ぶ」
国の成り立ちは神話の通りだとされている。
神と竜と人間。
争いと裏切りと追放。断罪から贖罪。そして復活と祝福。
しかしもうひとつの預言はこの国の滅びを示していた。
建国から千年と一の日。神の加護により豊かな土壌と澄んだ水、戦のない土地に暮らす者たちへの加護が失われる。王は消え、家々は崩れ去り、人々は闇と焔に覆われ、その役目を終えることとなる。
「それが滅びの預言……?」
「そうだ。千と一日がいつかわかるか。明日だ」
「だが、それだけでは滅ぶなんて確証はないだろう? 預言なんて解釈でどうとでもなる」
「もうずっと前から『兆し』があったんだよ」
一番最初は黒い雨が降った。一度きりの雨だったからその時はそれが始まりだとは誰も気づかなかった。
でも今度は町中の泉が赤く染まった。民も国王もおかしいと思い始める。調査はしたが、原因は不明。数日すれば色は戻った。そんな調子で数年が過ぎて民も不可解な現象に慣れてきてしまった矢先だった。
民がおかしくなった。誰も働かなくなった。働き者だった町長も、皆に温かいスープを作るのが生き甲斐だった店主も、いつの間にか家から出てこなくなったのだ。
町が生きるのをやめてしまえば国は滅ぶ。国王は何とかしようとした。家々を一軒ずつ周り、話を聞こうとして――全くの無駄だった、とブルタールは悔しそうに唇を噛んだ。
民は国王など見えていなかった。長き歴史を持つ国の民であることを誇っていたはずの彼らが自らの国の王を忘れた。自失してまるで夢の中に籠ってしまったかのようにどこか遠くを眺めて薄ら笑みを浮かべている。
亡霊になった彼らを国王は必死に助けようと騎士たちを派遣し、世話をし、生かそうとした。
しかし繋ぎ止めようとした生命はゆるやかに死に向かう。それに伴って更なる変化が起こった。民が竜化したのだ。いいや、“闇”になった、と言ったほうが伝わるだろうか。血の実験も行なわれていない。封印の扉も開かれていない。なのに“闇”が溢れ始めた。
“闇”は人を喰らう。まだ夢心地でいた人間までも喰らって“闇”へと引き摺り込んだ。
もう昼間の町には人と呼べるものはいない。夜になると“闇”が徘徊を始める。朧な人型だけがこの町の民だ。
それでも城は守られていた。石棺と『門』があるからだ。神は彼らだけは守った。
ここまで一気に話したブルタールは忌々しげにライゼを睨みつける。
こんなものを守るだけの国。民を守るべき王だけが守られ、民がいなくなった上辺だけの国に何の意味がある。
国王は理性をなくさなかった数少ない民を城に避難させた。
しかし“闇”や夢が浸食せずとも内部に異変を来たすのは時間の問題だった。閉鎖された空間。食料調達も十分ではない。緊張と苛立ちに支配される。夜になれば外では“闇”が蠢く。不安。恐怖。
そして預言。
どうせ滅ぶ。いつしか誰もがそれを当然のこととした。城は荒れた。食料を巡り争い、民が騎士を殺してしまう事件までもが起こった。そんな頃だったか。もうどこもかしこも限界だったのだ。
「あの子は滅ぶ運命だとしか思えなくなったんだ。ステルラは優しい子だった。だから世界に絶望してしまった。オレが、オレがもっと早く預言なんか覆していれば……」
ライゼが視た、町を喰らう“闇”は、あれは過去にあったことなのだ。突如として現われた“闇”は民を喰らい、“闇”に引き入れた。
まざまざと光景を思い出し吐き気がするのを何とかこらえる。
ステルラに起こったことも、きっと事実なのだ。
「……滅ぼさせはしない」
言った瞬間、熱い拳がライゼの頬にめり込んだ。地面に転がされる。
「ふざけるな! お前が現われたりしたから預言が妄想だったなんて言えなくなるだろ! ずっとあんなものは昔話の血迷った風習でしかないと思ってたのに! お前、何で今さら出てきたんだよ! ステルラが生きてる時になんで……なんで助けてくれなかった!!」
どうにもならなかったことだとブルタールとてわかっている。ライゼだってどうにかできるものならしたい。この国が病んでしまう前になぜ目覚めなかった。誰が残酷を作り出している。
「……すまない」
「謝るな! 謝るなよ!」
うなだれる王に駆けてきた男はもう一度彼を殴るのかと思った。胸倉を掴まれる。やりたいのならやればいい。それでも気なんか済むはずがない。心に入り込んでしまったみたいにライゼにもこの男の気持ちが痛いほどに理解できた。まるで自分に起こったことのようだ。息苦しくて堪らなかった。誰かに八つ当たりしたいというブルタールの気持ちは至極真っ当だ。
だから何も言わなかった。
歯を食いしばって待った。
頬に生温かいものが落ちた。
――え?
刹那、ステルラの血飛沫かと錯覚して、身体が嫌な反応をした。
だけど見上げると青年の真っ赤な目とかち合う。落ちてきたのは涙だ。
ライゼは手を伸ばして流れ落ちる雫に触れようとした。
だけど遮るように降ってきたのは心底意外そうな驚きと困惑に満ちた言葉だった。
「なんであんたが泣く」
「泣いてるのはお前だろう……?」
ブルタールは掴みかかっていた胸倉を乱暴に放した。興がそがれたとでもいうように背を向け、おそらく涙を拭っている。
ライゼはまだ先程の“夢”が生々しく頭にこびりついていて何かをする気になれずに沈み込んでいた。
「おい」
不満げな男が戻ってきた。まだ何か言い足りないのかと見上げればやはり睨みつけられてしまう。
「王のくせに恥かしげもなく泣くな!」
「……泣いたのはお前だろう」
思い切り舌打ちをしたブルタールは胸ポケットからハンカチを取り出し、ライゼの顔面に投げつけた。
「やる! さっさと拭いたらいくぞ」
何を拭くというのか。顔に張りついたハンカチを取って、しかし濡れている。頬を撫でるとすでに冷えた涙の痕をさらに熱い雫がなぞっていく。
「涙が、止まらないようだ」
「ああ、もう! なんなんだあんたは! あの変わった従者はどこにいったんだ。なんでオレがこんなことを」
文句を言いつつ、ライゼからハンカチを奪い乱暴に王の顔を拭い始めた。ライゼはライゼでされるがままだ。
「ほら、もういいだろ。いつまでもこんなところにいても仕方ない。立て!」
擦れて真っ赤になった鼻を晒すライゼはブルタールが嫌そうに差し出した手を、どことなく嬉しそうに掴み取る。
力強く引き上げられるそれは、あの痛ましい過去を経験しながらも立ち続けた男の強さなのだろう。
「何にやにやしてる! 気持ち悪いな!」
「いや、すまない」
王と元王候補は“闇”に飲まれたままの町中を歩いていた。暗い闇の中からは時折背筋が寒くなるような音がした。ブルタールはそれを奥歯を噛み締めて聞いていたし、ライゼとて胸が痛んで仕方がなかった。
しかしこれは過去だと割り切るしかない。これからのために二人はこの“闇”から目を背けず進んでいる。
それにライゼは少し嬉しかった。
依然として刺々しい態度ではあったが、不審者に対するよそよそしさが軟化したような気がする。というよりも王に対しているという遠慮がなくなった。その理由は大半がライゼが憎らしいから、なのだがこの際理由などどうでもよかった。
やれ王だ、なんだと無意味に持ち上げられ続けるのはやはり居心地が悪いのだ。
この男がどんなに口が悪くてつっけんどんでもそれが本来の姿ならいいと思えた。
「それでお前はどうして俺を見つけられた?」
「思い上がるな阿呆め! たまたま通りかかっただけだ。そうしたらあんなところで絶叫している我らが王がいるじゃないか。最悪だ。見捨ててやろうかと思った」
「そうだな。ありがとう」
「何がだ!」
「さて。お前もここにいるなら他の三人もどこかにいるんだろう。早く見つけてやらねば」
ライゼに過去を視せていた時は襲ってはこなかった“闇”が今は遠慮なく襲ってくるのだ。ブルタールに聞けばここにきた時から襲われたというので、あとの三人も危険だと考えるべきだ。
言った傍から“闇”が二人の目の前に立ち塞がった。
「ほら。あんたの出番だ」
「よし、下がっていろ!」
ブルタールの嫌味にも特に何も思わず、剣を抜いたらど突かれた。
「本当になんなんだあんたは! もっと王らしくするとかしろよ!」
「なんでだよ。王とか思ってないだろお前」
「そうだけど! もっとこう偉そうなやつがくると思うだろうが普通は。なんでこんなやつなんだ」
「いいから。ほら、くるぞ」
まったく通じない嫌味にブルタールはむしゃくしゃしながら腰に佩いていた剣を抜いた。
「そもそもあれは人間なんだぞ。お前にやれるのか!」
一瞬ライゼの気配が重く鋭くなる。脅かすつもりはなかった。でも言われずとも決めたことだ。重い覚悟が殺気として纏われた。
今までのライゼからは予想しなかったあまりに鋭い気配にブルタールは息を飲んでから強がりを見せた。
「覚悟があるならいい!」
「……まったくお前たちは本当に勝手だな」
何も知らなかった男に覚悟を強いる。
「どっちがだ!」
突然現われた男に国の存亡を左右される。
どちらにとっても迷惑極まりない事態だ。
そして彼らの民はもうそんなことを気にすることはない。
黒く歪んだ影を伸ばして全てを“闇”に染めようとしていた。




