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「ええっ!? この人が!」


ぎょっとしたらしい祐が、驚きを顕にして頬をやられ座り込んでいる、勘違い馬鹿であるアドルフを見つめた。


祐には一応知り合いのことは話してあったので、どんな人物かそれなりに気になってはいるようだったが、まさかこんな残念な男だとは思わなかったのだろう。


諒も正直な話、この男を祐に紹介するのはちょっと躊躇したのだが、裏の世界に首を突っ込むならともかく、真っ当に生きていくには、頼れる(?)知り合いも必要だと判断したのだ。さすがに知り合いが策略家なギルドマスターだけではどうにもならない。


それに、無駄に明るいアドルフがいれば、祐の気分が沈んだ時に盛り上げてくれそうである。ただの陽気な男に見えて、その実意外と人情の機微には敏いのだ。祐は立ち直りが早いので、そうそう気分が沈み続けることはないだろうが。


この店に来るまではアドルフがまだ現役かどうかは分かっていなかったため、祐を紹介する予定は駄目で元々で、諒はその時はその時と考えていた。


特にアドルフと関係を築かなくても、祐は普通に友好的な性格なので、友人もすぐにできそうだし念のためだ。いわば保険のようなものである。


そんなことを考えながら、諒は小声でぶつぶつと「酷い、酷すぎる、魔王の所業だ…」と呟いているアドルフを見た。勿論ばっちり聞こえているが、悪口ごとき全く気にならない。


――それよりもだ。


諒は、にっこりといい笑顔で、しかし氷のような冷たい視線をアドルフに向けた。気温は変わらないのに、何故かだんだん下がる体感温度は、恐るべき諒の殺気である。


そして、地を這うような低い声音で一言。


「……アップルパイは…」


…いつまでもぐずぐず頬が痛いと座り込み、アップルパイを用意しないアドルフに、諒が「彩」を比喩ではなく潰す寸前である。もう既に重力の魔法を使う準備はできあがっていた。


「彩」はたかがアップルパイのために、着々と崩壊の方向に進んでいる。


諒の柔和な笑顔と共に、明らかに聞こえてはいけない、ミシミシと何かが軋む音まで聞こえだした。


…あ、これは真摯に殺る気の目だ。


本能的に運良くその事実に気が付いたアドルフが、冷や汗をだらだらと流し飛び起きる。


「はいっ、すみませんでした、マジですみませんでしたっ!!」


何度も頭を下げつつ、アドルフは大慌てで店の奥にあった貨幣の入った袋を掴み取り、アップルパイを買いに異様なスピードで店を出ていった。


それを確認した諒は、魔法を取り消し、元の穏和な笑みを戻す。


本当は、アドルフも普通と同じ丁寧な扱いをしてもよかったのだが、彼にはもう幼少時代に半分くらい本性を晒していたので、今更だと考えたのだ。


むしろ諒の印象を完璧に「丁寧かつ穏やか」にすると、過去を知るアドルフは混乱するだけだろう。


そうなると、アドルフを急がせる方法的には昔と同じ、アドルフを脅す、という行動が、一番早くて余計な体力がいらないことになる。


「やはり、脅しはいろいろと楽になりますね」


諒はそこまで思ってから、ふわふわと笑って祐に同意を求めてみたが、彼は首を傾げて返した。


「いや、悪いことはやめときましょうよ、怖いですよ」


…挙句、諒を軽く諫めることまでする。言ったところでもう遅いのだが、諒が実際にしたことではなく、なんとなく口に出したことだと思っているらしく、いつものように必死になって止めようとはしなかった。


というか、もう騙されないぞ!という少し張り切った様子まで見受けられる。いつもの「国取り」云々と同じく冗談だと捉えたようだ。


別に理解していないからといって特に問題ないが、諒の予想通り、祐は諒の話の意図するところがよく分かっていなかったらしい。


当然だろう、殺気はアドルフ限定に照準を絞ったのだ。殺気などには割と敏感な祐なので、ちょっと悪寒はしたかもしれないが、まともに食らってはいないため気のせいとやり過ごす程度。


祐から見ると、アドルフは諒に少し低めの声で「アップルパイは?」と聞かれただけで、妙に怯えて飛び出していった謎の人間だ。


それはナタリー視点でもそうだったようで、頻りにお父さんはどうしたのかしらというように首を捻っていた。


そしてこの時、祐とナタリーの中でアドルフの特徴の「親馬鹿」に、もう一つ「変人」のレッテルが貼られた。


そのことに、諒は気付かなかった………わけがなかった。きちんと全て計算済みである。


諒は、アップルパイを買いにいく前アドルフがぐずぐずしていたことに、本当に苛ついていたのだ。


何しろ、アップルパイは諒の一番好きな食べ物である。あまりにもたらたらされると、怒りが募る。


並大抵のことでは動じない諒は、まさかのアップルパイが逆鱗であった。…その復讐がこれだ。


たかがアップルパイ、されどアップルパイ。


アップルパイのせいで、自身の評価が微妙なことになっているなど、現在必死でアップルパイを買いに全力疾走しているアドルフは知る由もなかった。





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