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第8話 放っておけ、と言った

語り手:先代町長 村上正夫(現町長の父、81歳)



 町長を辞めたのは、もう六年になる。


 辞めた理由は、飽きたからだ。

 他に理由はない。


 周囲は困っていた。

 だが、困らせるつもりもなかった。

 ただ、飽きた。

 それだけだった。



 今は、家にいることが多い。


 畑を少しいじる。

 散歩をする。

 茶を飲む。


 息子が町長になってから、役場には行っていない。

 行く理由がない。

 あいつの邪魔をすることもない。


 それが、筋だと思っている。



 息子が土をいじり始めたのは、小学生の頃だった。


 畑の端に、誰も使わない区画があった。

 水はけが悪く、何を植えても育たない。

 代々、そういう土地だった。


 ある日、そこに息子がいた。


 何をしているのか、聞いた。


「分からん。でも、育ちが違う」


 そう言った。


 意味が分からなかった。

 ただ、本気の顔だった。


「好きにしろ」


 そう言って、その場を離れた。



 それからも、息子はそこに通い続けた。


 雨の日も行っていた。

 記録を取っていた。

 子供なりに、何かを書き留めていた。


 家内は心配していた。


「あの子、友達と遊ばんのよ」


「ほっとけ」


 私はそう言った。


 心配していなかった、というと嘘になる。

 ただ、止める理由も見当たらなかった。


 あの目をした子供を、止められる親がいるとは思えなかった。



 学校では変わり者だと言われていたらしい。


 本人から聞いたわけではない。

 近所の人間から、そういう話が来た。


 気にしなかった。


 変わり者で困ることは、たいしてない。

 変わり者でなくて困ることの方が、長い目で見れば多い。


 そう思っていた。



 高校を出て、東北の大学に行くと言い出したとき、反対しなかった。


 農学がやりたいと言った。


 なぜ農学なのかは、聞かなかった。

 どうせ、あの赤土の話だと思ったからだ。


「行ってこい」


 それだけ言った。


 家内はもう少し何か言いたそうだったが、私が先に言ってしまった。



 大学院まで行くと聞いたのは、卒業が近くなった頃だった。


 北海道に行くと言った。


「そこでなければならないのか」


「そこの方が深く掘れる」


 深く掘れる、という言い方が、あいつらしかった。


「行ってこい」


 また同じことを言った。


 家内は、今度は何も言わなかった。

 諦めたのか、納得したのか、どちらかだったと思う。



 帰省するたびに、少しだけ話した。


 研究の話は、正直なところよく分からなかった。

 土の成分だとか、微生物の働きだとか。


 ただ、顔を見ていれば分かることがある。


 あいつは、ずっと同じ方向を向いていた。

 子供の頃から、一度もぶれていなかった。


 それだけで、十分だと思っていた。



 大学院を出て戻ってきたとき、私はまだ町長だった。


「どうだった」


「使える」


 それだけ言った。


 少しだけ笑った。

 自分でも、なぜ笑ったのかはよく分からない。


「なら、やれ」


 そう言った。


 細かいことは聞かなかった。

 あいつが「使える」と言うなら、そうなのだろうと思った。

 子供の頃からそういう男だったし、今もそうだった。



 最初の数年は、町の中でも半信半疑だったと思う。


 あの捨て地が、何かになるとは誰も思っていなかった。

 私も、完全に信じていたかというと、正直なところ分からない。


 ただ、あいつを信じていた。


 結果が出始めたのは、それから少し後だった。


 数値として出た。

 金額として出た。

 外から人が来るようになった。


 私は町長だったが、細かいことは息子に任せていた。

 あいつの方が、よく分かっていたからだ。



 私が飽きた、と言い出したのは、その頃だ。


 理由を説明しろと言われれば、難しい。


 ただ、自分の役割が終わったような気がした。

 正確に言えば、自分の出番ではなくなった、という感じだ。


 あとはあいつがやればいい。

 私がいると、邪魔になる。


 そう思った。



 後継の話になって、息子の名前が出た。


 私は何も言わなかった。

 言う必要がなかった。


 町の人間が「あんたしかおらん」と言い始めた。

 息子は少し困った顔をしていた。


 私は、何も言わなかった。


 断る理由はない、ということだけは分かっていたからだ。



 今は、散歩のついでに畑の近くを通ることがある。


 あの捨て地の区画が、今どうなっているかは、遠目に見れば分かる。


 人が入っている。

 何かが育っている。

 管理されている。


 私には、詳しいことは分からない。

 今も、分からないままだ。


 ただ、あそこが捨て地だと思っていた頃のことを、よく覚えている。



 息子が子供の頃に言った言葉を、今でも時々思い出す。


「分からん。でも、育ちが違う」


 あのとき私は「好きにしろ」と言った。


 止めなくてよかったと思っている。

 だが、それは結果が出たからではない。


 あの目をした人間を、止めるべきではなかった。

 結果がどうなっていたとしても、そう思う。



 夕方、縁側に座って茶を飲む。


 遠くに、畑が見える。

 赤い土が、夕方の光で少し暗くなっている。


 あの土のことを、私は何も知らなかった。

 七十年以上、隣にいたのに。


 息子は知っていた。

 小学生の頃から、何かを見ていた。


 親として、誇らしいかと聞かれれば、そうかもしれない。


 ただ、それよりも先に思うことがある。


 あの捨て地に、最初に気づいたのは、あいつだった。

 私ではなかった。


 そういうことが、あるのだ。


 茶が、少し冷めていた。


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