第8話 放っておけ、と言った
語り手:先代町長 村上正夫(現町長の父、81歳)
◇
町長を辞めたのは、もう六年になる。
辞めた理由は、飽きたからだ。
他に理由はない。
周囲は困っていた。
だが、困らせるつもりもなかった。
ただ、飽きた。
それだけだった。
◇
今は、家にいることが多い。
畑を少しいじる。
散歩をする。
茶を飲む。
息子が町長になってから、役場には行っていない。
行く理由がない。
あいつの邪魔をすることもない。
それが、筋だと思っている。
◇
息子が土をいじり始めたのは、小学生の頃だった。
畑の端に、誰も使わない区画があった。
水はけが悪く、何を植えても育たない。
代々、そういう土地だった。
ある日、そこに息子がいた。
何をしているのか、聞いた。
「分からん。でも、育ちが違う」
そう言った。
意味が分からなかった。
ただ、本気の顔だった。
「好きにしろ」
そう言って、その場を離れた。
◇
それからも、息子はそこに通い続けた。
雨の日も行っていた。
記録を取っていた。
子供なりに、何かを書き留めていた。
家内は心配していた。
「あの子、友達と遊ばんのよ」
「ほっとけ」
私はそう言った。
心配していなかった、というと嘘になる。
ただ、止める理由も見当たらなかった。
あの目をした子供を、止められる親がいるとは思えなかった。
◇
学校では変わり者だと言われていたらしい。
本人から聞いたわけではない。
近所の人間から、そういう話が来た。
気にしなかった。
変わり者で困ることは、たいしてない。
変わり者でなくて困ることの方が、長い目で見れば多い。
そう思っていた。
◇
高校を出て、東北の大学に行くと言い出したとき、反対しなかった。
農学がやりたいと言った。
なぜ農学なのかは、聞かなかった。
どうせ、あの赤土の話だと思ったからだ。
「行ってこい」
それだけ言った。
家内はもう少し何か言いたそうだったが、私が先に言ってしまった。
◇
大学院まで行くと聞いたのは、卒業が近くなった頃だった。
北海道に行くと言った。
「そこでなければならないのか」
「そこの方が深く掘れる」
深く掘れる、という言い方が、あいつらしかった。
「行ってこい」
また同じことを言った。
家内は、今度は何も言わなかった。
諦めたのか、納得したのか、どちらかだったと思う。
◇
帰省するたびに、少しだけ話した。
研究の話は、正直なところよく分からなかった。
土の成分だとか、微生物の働きだとか。
ただ、顔を見ていれば分かることがある。
あいつは、ずっと同じ方向を向いていた。
子供の頃から、一度もぶれていなかった。
それだけで、十分だと思っていた。
◇
大学院を出て戻ってきたとき、私はまだ町長だった。
「どうだった」
「使える」
それだけ言った。
少しだけ笑った。
自分でも、なぜ笑ったのかはよく分からない。
「なら、やれ」
そう言った。
細かいことは聞かなかった。
あいつが「使える」と言うなら、そうなのだろうと思った。
子供の頃からそういう男だったし、今もそうだった。
◇
最初の数年は、町の中でも半信半疑だったと思う。
あの捨て地が、何かになるとは誰も思っていなかった。
私も、完全に信じていたかというと、正直なところ分からない。
ただ、あいつを信じていた。
結果が出始めたのは、それから少し後だった。
数値として出た。
金額として出た。
外から人が来るようになった。
私は町長だったが、細かいことは息子に任せていた。
あいつの方が、よく分かっていたからだ。
◇
私が飽きた、と言い出したのは、その頃だ。
理由を説明しろと言われれば、難しい。
ただ、自分の役割が終わったような気がした。
正確に言えば、自分の出番ではなくなった、という感じだ。
あとはあいつがやればいい。
私がいると、邪魔になる。
そう思った。
◇
後継の話になって、息子の名前が出た。
私は何も言わなかった。
言う必要がなかった。
町の人間が「あんたしかおらん」と言い始めた。
息子は少し困った顔をしていた。
私は、何も言わなかった。
断る理由はない、ということだけは分かっていたからだ。
◇
今は、散歩のついでに畑の近くを通ることがある。
あの捨て地の区画が、今どうなっているかは、遠目に見れば分かる。
人が入っている。
何かが育っている。
管理されている。
私には、詳しいことは分からない。
今も、分からないままだ。
ただ、あそこが捨て地だと思っていた頃のことを、よく覚えている。
◇
息子が子供の頃に言った言葉を、今でも時々思い出す。
「分からん。でも、育ちが違う」
あのとき私は「好きにしろ」と言った。
止めなくてよかったと思っている。
だが、それは結果が出たからではない。
あの目をした人間を、止めるべきではなかった。
結果がどうなっていたとしても、そう思う。
◇
夕方、縁側に座って茶を飲む。
遠くに、畑が見える。
赤い土が、夕方の光で少し暗くなっている。
あの土のことを、私は何も知らなかった。
七十年以上、隣にいたのに。
息子は知っていた。
小学生の頃から、何かを見ていた。
親として、誇らしいかと聞かれれば、そうかもしれない。
ただ、それよりも先に思うことがある。
あの捨て地に、最初に気づいたのは、あいつだった。
私ではなかった。
そういうことが、あるのだ。
茶が、少し冷めていた。




