表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤土の畑のとなりで ―人口5000人の町に、何かがある―  作者: 泥靴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/32

第25話 言葉にしないまま、使う

語り手:町役場職員 中島勇(32歳)



移住相談の担当になって、三年が経った。


問い合わせの件数は、今年に入ってさらに増えた。

去年の月平均が十四件。今年は、もう二十件を超えている月がある。

一人で対応できる量としては、そろそろ限界に近い。

上司に話したら、「もう少し様子を見よう」と言われた。

様子を見ながら、今日も電話を取っている。



仕事の流れは、だいたい決まっている。


最初の問い合わせは、電話かメールだ。

概要を聞いて、資料を送る。

それで終わる人が半分くらいいる。

残りが、もう少し詳しく聞きたいと連絡してくる。

そこから、本格的な相談になる。


来町して実際に話す段階まで進む人は、さらに絞られる。

そこでこちらが判断する。受け入れるか、お断りするか。


文書化された基準は、今もない。

三年経っても、そこは変わっていない。



先月、一人の男性と面談した。


四十二歳で、都市部でシステムエンジニアをしているという。

リモートワークが可能で、移住後も収入は維持できる。

家族はおらず、一人暮らしだ。

健康状態に問題はない。地域のコミュニティ活動にも参加したいと言っていた。


条件だけ見れば、申し分なかった。


ただ、話していて、少し引っかかるものがあった。

その日は、その「引っかかり」に名前をつけられなかった。



その男性は、頭の良い人だった。


来る前に、この町について相当調べていた。

財政規模のこと、病院の規模のこと、農業生産量のこと。

数字を把握した上で来ていた。


「この町の財政モデルを、論理的に理解したいんです」と言った。

「それが分かれば、ここに来る理由がはっきりする」とも言った。


私は、いつも通りの説明をした。

詳しい内容についてはお答えできる範囲に限りがある、と。


男性は続けた。「その制限は理解しています。ただ、ある程度の仮説は立てていて……」


そこから、しばらく話が続いた。

悪意のある人ではなかった。本当に来たいと思っているのも、伝わった。

ただ、何かが、合わなかった。



面談が終わった後、しばらく考えた。


あの人の何が、合わなかったのか。


条件はよかった。意欲もあった。

礼儀もあって、こちらの説明もきちんと聞いていた。


ただ、あの人はこの町を「解いてから来たい」と思っていた。

分かってから動く、という順番だった。


この町は、たぶん、分からないまま来る人間の方が、長続きする。

分かることに期待せずに、それでも来る人間の方が。


三年かけて感じてきたことを、その夜、初めてそういう形で言葉にした。



結局、その男性には、今回はお断りの連絡をした。


理由の書き方に、毎回悩む。

「受け入れ枠の都合上」という定型文を使うが、本当の理由はそこではない。


本当の理由を文章にする方法が、まだない。

いや、あえて文章にしない方がいい、という気もしている。


「分からないまま来られる人」を基準にする、と書いたとして、

それを読んだ人が「では分からないままで来ます」と言ったとき、

その言葉が本物かどうかは、文書では判定できない。


基準を公開した瞬間に、基準が機能しなくなる。

そういう種類の基準が、この世の中にはある。

この町の移住基準は、たぶんそういうものだ。



町長に、この話をしたことがある。


「断る理由が、うまく説明できなくて」と言ったら、

「説明できなくていい」と言われた。


「ただ、自分の中では分かっておかないといけないと思って」

「それはそうだ」

「今は、少しずつ分かってきている気がします」

「そうか」


それだけだった。

長い会話ではなかったが、確認になった。



受け入れた人たちのことを、ときどき思い出す。


去年受け入れた、リモートワークのデザイナーの女性。

三年前に来た、農業をやりたいという六十代の夫婦。

五年前に来た、この町の出身者の配偶者として移ってきた人。


全員に共通しているのが何かを考えると、うまく言えない。

ただ、話しているとき、この町の「分からなさ」に対して、困っていなかった。


困っていない、というのも正確ではない。

分からないことを、問題だと思っていなかった、という感じだ。


受け入れた人のほとんどが、今もここにいる。



赤土の畑のことを、直接聞いてくる問い合わせ者は、少なくない。


「あの畑は何を作っているんですか」

「農業関連の産業から収益を得ています」

「農業で、このような財政規模は普通じゃないですよね」

「詳しい内容については、お答えできる範囲に限りがあります」


ここで、どう反応するかを見る。

「それはおかしい」「もっと教えてほしい」という方向に行く人と、

「そうなんですね」と受け止めてそこで止まる人がいる。


どちらが多いかというと、前者の方が多い。

当然といえば当然だ。

納得できない方が、普通の反応だ。


ただ、私がここに受け入れたいのは、後者に近い人だ、ということが、今は分かっている。



明文化しない、ということを、最初は「まだできていない」と思っていた。


三年経って、「しない方がいい」という考えに変わってきた。


文字にした基準は、文字を読んだ人間に使われる。

そうなった瞬間、基準の性質が変わる。

このことは、赤土の畑そのものと、少し似ているかもしれない。


持ち出すと変わる。名前をつけると変わる。

そういうものが、この町にはいくつかある気がしている。

移住基準も、そのひとつだと思う。



今日の午後、一件の問い合わせメールが来た。


三十代の女性で、看護師をしているという。

この町の病院での勤務に興味があると書いてあった。

移住を前提にしたいと。


メールの最後に、こんな一文があった。


「詳しいことが全部分からなくても、実際に住んでみないと分からないことがあると思っています。まず話を聞かせてもらえますか」


返信を書いた。

「ぜひお話ししましょう」と。


それだけで十分だと思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ