第19話 自由研究のこと
語り手:木下蓮(12歳)
◇
夏休みの自由研究のテーマを、赤土にしようと決めたのは、七月の初めだった。
決めた瞬間、これしかないと思った。
あの土のことは、三年前に触ってから、ずっと頭にある。
ひんやりしていて、やわらかかった。
下の方が、もっと赤かった。
それだけしか知らないまま、三年が経った。
◇
小学四年のとき、大野先生の授業でこの町のことを調べた。
そのとき作文に書いた。
「なんで赤いのかは、まだ分からない。でも、また触りたいと思った」
今も、その気持ちは変わっていない。
むしろ、大きくなっている。
◇
自由研究の計画を、ノートに書いた。
赤土の成分を調べる。色が赤い理由を調べる。なぜあの畑だけ特別なのかを調べる。
書きながら、どこから始めればいいか考えた。
まず、土を少し採取して、観察する。
図書館で土壌の本を借りる。
できれば、畑に入らせてもらう。
そこまで書いて、夕飯のときに父に話した。
◇
父は、箸を持ったまま少し黙った。
短くはない沈黙だった。
「自由研究、赤土にしようと思って」
「そうか」
「サンプル、少し採れないかな」
「採れない」
即座だった。
怒っているわけではない。ただ、動かない感じだった。
「なんで」
「あそこの土は、持ち出せない」
「少しだけでも」
「少しでも、駄目だ」
それ以上は、話が続かなかった。
◇
父は、町の施設で赤土の管理に関わる仕事をしている。
詳しいことは、聞いたことがなかった。
聞いても、教えてもらえないと思っていた。
翌日、もう一度聞いた。
「なんで持ち出せないの」
「ルールだから」
「ルールって、誰が決めたの」
「町で決めている」
「なんでそういうルールに」
父は少し考えてから言った。
「持ち出すと、意味がなくなるから」
「意味がなくなる、ってどういうこと」
父は答えなかった。
答えたくないのではなく、うまく言えないのだという感じがした。
◇
仕方がないので、畑の外から観察することにした。
柵の外から見る。写真を撮る。色を記録する。
それだけでも、何かになるかもしれない。
夏休みに入ってすぐ、ノートと鉛筆と、父に借りたカメラを持って、畑まで歩いた。
朝だった。光の加減で、土の色が濃く見えた。
写真を何枚か撮った。
柵の外から、できるだけ近づいて、色を観察した。
赤い。
当たり前だが、赤い。
三年前に触ったときと、同じ色だ。
ノートに書いた。
「赤い。少し暗めの赤。鉄みたいな色。」
鉄みたいな色、というのは、図書館で借りた本に書いてあった。鉄分が多い土は赤くなる、と。
ただ、鉄分が多いだけなら、日本にもたくさんあるはずで、なぜここだけ特別なのかは、本には書いていなかった。
◇
三日間、畑に通った。
朝と、夕方と、曇りの日と。
時間帯によって、色の見え方が少し違う。
夕方は濃くなる。曇りの日は、少し暗くなる。
ノートに記録して、写真と並べた。
それなりのものになってきた、と思った。
ただ、核心が足りない。
なぜここだけなのか。なぜこの土が特別なのか。
それが分からないまま、自由研究は完成しない。
◇
町長に聞きに行こう、と思ったのは、その頃だった。
三年前、畑で土を触らせてくれたのは、町長だ。
父に連れて行ってもらって、畑に入って、しゃがんで、触っていいよと言ったのは町長だった。
あの人なら、教えてくれるかもしれない。
父に話した。
「町長に話を聞きに行っていいかな」
「何を聞きに」
「自由研究のこと。赤土のこと」
父はまた少し黙った。
「邪魔になるぞ」
「少しだけでいい。アポ取ればいいかな」
「子供がアポを取るのか」
「子供だから駄目なの」
父は小さく笑った。
「駄目とは言っていない」
明確に止められたわけではなかった。
それで十分だった。
◇
役場に電話した。
少し緊張した。
受付の人が出た。町長に話を聞きたいこと、自由研究のためであること、小学生であることを、順番に話した。
少し待たされてから、後で折り返しの電話が来た。
来週の火曜日の朝、十分だけ時間を取ってもらえると言われた。
◇
電話を切って、父に報告した。
「アポ取れた」
「そうか」
「火曜日」
「一人で行くか」
「一人で行く」
父は何も言わなかった。
止めなかった。
それでいいと思った。
◇
火曜日までの間、聞くことをノートに整理した。
なんで赤いのか。
なぜここだけなのか。
持ち出せない理由は何か。
触ってみて、何が分かったのか。
書きながら、最後の質問は消した。
触ったのは俺で、町長ではない。
代わりに書いた。
「最初に気づいたのは、いつですか」
この質問が、一番聞きたいことかもしれないと思った。
◇
夜、ノートを眺めながら思った。
父は、持ち出すと意味がなくなる、と言った。
意味がなくなるということは、あそこにあるから意味があるということだ。
あそこにあるから、あの土なのだ。
そう考えると、柵の外から観察しても、サンプルを採っても、本質には届かない気がした。
届くためには、触るしかない。
あの土に、また触るしかない。
三年前に触ったとき、ひんやりしていた。やわらかかった。
それは、どこかに持っていけるものではなかった。
あそこにいるときだけ、感じられるものだった。
父の言った意味が、少しだけ分かった気がした。
分かった気がしただけで、まだ分かってはいない。
火曜日に、町長に聞く。
◇
自由研究のノートの表紙に、タイトルを書いた。
「赤土のこと――なぜ赤くて、なぜここだけなのか」
下に、小さく書き足した。
「まだ分からないことが、たくさんある」
それが今の自分に書けることの、全部だった。




