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第19話 自由研究のこと

語り手:木下蓮(12歳)



 夏休みの自由研究のテーマを、赤土にしようと決めたのは、七月の初めだった。


 決めた瞬間、これしかないと思った。

 あの土のことは、三年前に触ってから、ずっと頭にある。


 ひんやりしていて、やわらかかった。

 下の方が、もっと赤かった。


 それだけしか知らないまま、三年が経った。



 小学四年のとき、大野先生の授業でこの町のことを調べた。

 そのとき作文に書いた。


 「なんで赤いのかは、まだ分からない。でも、また触りたいと思った」


 今も、その気持ちは変わっていない。


 むしろ、大きくなっている。



 自由研究の計画を、ノートに書いた。


 赤土の成分を調べる。色が赤い理由を調べる。なぜあの畑だけ特別なのかを調べる。


 書きながら、どこから始めればいいか考えた。


 まず、土を少し採取して、観察する。

 図書館で土壌の本を借りる。

 できれば、畑に入らせてもらう。


 そこまで書いて、夕飯のときに父に話した。



 父は、箸を持ったまま少し黙った。

 短くはない沈黙だった。


「自由研究、赤土にしようと思って」

「そうか」

「サンプル、少し採れないかな」

「採れない」


 即座だった。


 怒っているわけではない。ただ、動かない感じだった。


「なんで」

「あそこの土は、持ち出せない」

「少しだけでも」

「少しでも、駄目だ」


 それ以上は、話が続かなかった。



 父は、町の施設で赤土の管理に関わる仕事をしている。


 詳しいことは、聞いたことがなかった。

 聞いても、教えてもらえないと思っていた。


 翌日、もう一度聞いた。


「なんで持ち出せないの」

「ルールだから」

「ルールって、誰が決めたの」

「町で決めている」

「なんでそういうルールに」


 父は少し考えてから言った。


「持ち出すと、意味がなくなるから」

「意味がなくなる、ってどういうこと」


 父は答えなかった。


 答えたくないのではなく、うまく言えないのだという感じがした。



 仕方がないので、畑の外から観察することにした。


 柵の外から見る。写真を撮る。色を記録する。

 それだけでも、何かになるかもしれない。


 夏休みに入ってすぐ、ノートと鉛筆と、父に借りたカメラを持って、畑まで歩いた。


 朝だった。光の加減で、土の色が濃く見えた。

 写真を何枚か撮った。

 柵の外から、できるだけ近づいて、色を観察した。


 赤い。


 当たり前だが、赤い。

 三年前に触ったときと、同じ色だ。


 ノートに書いた。


 「赤い。少し暗めの赤。鉄みたいな色。」


 鉄みたいな色、というのは、図書館で借りた本に書いてあった。鉄分が多い土は赤くなる、と。


 ただ、鉄分が多いだけなら、日本にもたくさんあるはずで、なぜここだけ特別なのかは、本には書いていなかった。



 三日間、畑に通った。


 朝と、夕方と、曇りの日と。

 時間帯によって、色の見え方が少し違う。

 夕方は濃くなる。曇りの日は、少し暗くなる。


 ノートに記録して、写真と並べた。

 それなりのものになってきた、と思った。


 ただ、核心が足りない。


 なぜここだけなのか。なぜこの土が特別なのか。

 それが分からないまま、自由研究は完成しない。



 町長に聞きに行こう、と思ったのは、その頃だった。


 三年前、畑で土を触らせてくれたのは、町長だ。


 父に連れて行ってもらって、畑に入って、しゃがんで、触っていいよと言ったのは町長だった。


 あの人なら、教えてくれるかもしれない。


 父に話した。


「町長に話を聞きに行っていいかな」

「何を聞きに」

「自由研究のこと。赤土のこと」


 父はまた少し黙った。


「邪魔になるぞ」

「少しだけでいい。アポ取ればいいかな」

「子供がアポを取るのか」

「子供だから駄目なの」


 父は小さく笑った。


「駄目とは言っていない」


 明確に止められたわけではなかった。

 

それで十分だった。



 役場に電話した。


 少し緊張した。

 受付の人が出た。町長に話を聞きたいこと、自由研究のためであること、小学生であることを、順番に話した。


 少し待たされてから、後で折り返しの電話が来た。


 来週の火曜日の朝、十分だけ時間を取ってもらえると言われた。



 電話を切って、父に報告した。


「アポ取れた」

「そうか」

「火曜日」

「一人で行くか」

「一人で行く」


 父は何も言わなかった。

 止めなかった。


 それでいいと思った。



 火曜日までの間、聞くことをノートに整理した。


 なんで赤いのか。

 なぜここだけなのか。

 持ち出せない理由は何か。

 触ってみて、何が分かったのか。


 書きながら、最後の質問は消した。

 触ったのは俺で、町長ではない。


 代わりに書いた。


 「最初に気づいたのは、いつですか」


 この質問が、一番聞きたいことかもしれないと思った。



 夜、ノートを眺めながら思った。


 父は、持ち出すと意味がなくなる、と言った。

 意味がなくなるということは、あそこにあるから意味があるということだ。

 あそこにあるから、あの土なのだ。


 そう考えると、柵の外から観察しても、サンプルを採っても、本質には届かない気がした。


 届くためには、触るしかない。

 あの土に、また触るしかない。


 三年前に触ったとき、ひんやりしていた。やわらかかった。

 それは、どこかに持っていけるものではなかった。

 あそこにいるときだけ、感じられるものだった。


 父の言った意味が、少しだけ分かった気がした。

 分かった気がしただけで、まだ分かってはいない。


 火曜日に、町長に聞く。



 自由研究のノートの表紙に、タイトルを書いた。


 「赤土のこと――なぜ赤くて、なぜここだけなのか」


 下に、小さく書き足した。


 「まだ分からないことが、たくさんある」


 それが今の自分に書けることの、全部だった。




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