第17話 値段のつかないもの
語り手:企業担当者 藤堂修(50歳)
◇
断られた理由を、帰りの車の中でもう一度考えた。
聞いた。答えも返ってきた。
ただ、意味が分からなかった。
◇
商社に勤めて二十六年になる。
主に国内の農業関連事業の投資と提携を担当してきた。
大きい話も、小さい話も、数えきれないほどやってきた。
断られることも、もちろんある。
ただ、断られ方には、だいたいパターンがある。
条件が合わない。時期が悪い。社内の合意が取れない。
そのどれでもなかった。
◇
この町に目をつけたのは、半年ほど前だ。
調査部門から上がってきたレポートがきっかけだった。
人口規模の割に、生産量が異常だという指摘があった。
財政規模も、説明がつかない水準だった。
何かある、と思った。
何かあるところには、ビジネスがある。
それが、この仕事の基本だ。
◇
アポを取るのに、一ヶ月かかった。
窓口が分かりにくかった。役場に連絡すると、担当部署に回された。
担当者は丁寧だったが、話が前に進まなかった。
三回やりとりして、ようやく町長との面会が取れた。
来る前に、提案書を作った。
共同出資による生産拡大。販路の全国展開。技術のライセンス化。
どれも、相手にとって悪い話ではないはずだった。
◇
町に着いたのは、朝だった。
想像より、静かな町だった。
スーパーがある。病院がある。学校がある。
ただ、どこも、急いでいない。
役場の応接室で待っていると、町長が来た。
五十五歳だと聞いていた。
穏やかな人だった。圧を出してくる感じではない。
ただ、こちらの話を、静かに聞いている。
◇
一時間、話した。
用意してきた資料を使いながら、丁寧に説明した。
生産量の拡大によるスケールメリット。外部資本の導入による設備投資。全国流通に乗せることで得られる利益の試算。
町長は、最後まで聞いた。
途中で遮ることも、メモを取ることも、しなかった。
ただ、聞いていた。
説明が終わると、少し間を置いてから言った。
「ありがとうございます。お断りします」
◇
想定はしていた。最初からうまくいくとは思っていない。
理由を聞いた。そこから交渉に入るつもりだった。
「理由を教えていただけますか」
町長は少し考えてから言った。
「必要がないからです」
私は続けた。
「生産量を増やすことで、収益は大きく改善できます。今の設備では、ポテンシャルの三割も使えていないはずです」
「そうかもしれません」
「それでも、必要がない、と」
「ええ」
間が空いた。私はもう少し踏み込んだ。
「今の収益に満足している、ということですか」
「満足、というより」
町長は少し言葉を選んでから続けた。
「今の量が、適切だと思っています」
「適切、というのは」
「これ以上増やす理由が、今のところない」
◇
私には、その答えの意味が分からなかった。
増やせる。増やせば儲かる。なぜ増やさないのか。
ビジネスの論理では、説明がつかない。
利益を最大化しない選択を、経営判断として取る理由が、見えなかった。
もう一度聞いた。
「町の財政をさらに豊かにする機会です。住民へのメリットも大きい」
「今の住民は、今の水準で困っていません」
「将来的なリスクヘッジという観点では」
「それは、私たちが考えます」
静かな言い方だった。
拒絶、というより、終わり、という感じだった。
◇
帰り際、案内の職員に少しだけ話しかけた。
三十代の、おとなしそうな男だった。
「こういう話、よく来るんですか」
男は少し間を置いてから答えた。
「増えてきてはいます」
「みんな、断られるんですか」
「だいたいは」
「なんで断るか、あなたは分かりますか」
男は少し考えた。
「必要がないからじゃないですか」
町長と同じ言葉だった。
◇
車に乗って、来た道を戻った。
助手席に、使わなかった提案書がある。
必要がない、という言葉を、何度か頭の中で繰り返した。
ビジネスの場で、その言葉を聞くことはある。
ただ、あの言い方は、少し違った。
強がりではない。
突っぱねているわけでもない。
本当に、必要がない、と思っている顔だった。
そういう顔を、長い仕事の中で、あまり見たことがなかった。
◇
会社に戻って、上司に報告する。
断られた。条件の問題ではない。
先方に、外部と組む意思がない。
それだけを言う。
それ以上は、うまく説明できない。
必要がないから断った、という理由を、会社の言葉に直す方法が、今のところ見つからない。
◇
帰りの道で、一度だけ振り返った。
町が、遠くなっていた。
海が見えた。畑が見えた。
あの赤土が、何を生んでいるのかは、結局教えてもらえなかった。
ただ、あの町が何を必要としていないかは、少しだけ分かった気がした。
それが何の役に立つのかは、分からない。
ただ、帰り道ずっと、そのことを考えていた。




