第14話 持ち帰れなかったもの
語り手:土壌研究者 松田浩二(44歳)
◇
結果が出たのは、帰ってから四日後だった。
モニターの数値を、三回確認した。
変わらなかった。
机の上に、フィールドノートがある。現地で書いたものだ。
ノートの数値と、モニターの数値を、見比べた。
合わなかった。
◇
土壌研究を始めて二十年になる。
大学で教えながら、フィールド調査を続けている。
専門は、土壌微生物と植物生長の相関だ。
地味な分野だと言われることがある。
地味でいい、と思っている。
土は、派手に動かない。だから、信用できる。
◇
あの町のことを知ったのは、学会の懇親会だった。
農学系の研究者と話していたとき、名前が出た。
「変な土壌データが出てる町がある」
「変な、というのは」
「再現できない。他の地域で同じ条件を作っても、同じ結果が出ない」
話した相手も、詳しくは知らなかった。
ただ、「変だ」とは思っていた。
私も、聞いてすぐに「変だ」と思った。
変なものには、近づきたくなる。それが、この仕事を続けている理由の一つだ。
◇
アポを取るのに、少し時間がかかった。
役場に電話をすると、担当部署に回された。担当者は、丁寧だった。
研究目的での訪問は受け付けている、と言った。
ただし、サンプルの採取については、別途相談が必要だとも言った。
それは了解した上で、行くことにした。
◇
現地に着いたのは、朝だった。海からの風が来ていた。
案内してもらった畑に入ったとき、最初に思ったのは、においのことだ。
土のにおいは、場所によって違う。
あの畑のにおいは、嗅いだことがあるようで、ない。
似ているものを探そうとしたが、見つからなかった。
しゃがんで、土を触った。
質感は、特別おかしくはない。粘土質が強めで、水はけは良くない。
ただ、それだけでは説明のつかないものが、何かあった。
うまく言えない。ただ、そういう感触だった。
◇
持参した簡易測定器で、いくつか数値を取った。
フィールドノートに記録しながら、測定器が壊れているのかと思った。
予想の範囲を、外れていた。外れ方が、大きすぎた。
測定器を確認した。壊れていなかった。
もう一度測った。同じ数値が出た。
◇
午後、町長と話す機会をもらった。
私は、正直に話した。研究者として、あの土壌に強い関心がある。持ち帰って詳しく調べたい。できれば、複数箇所からサンプルを採取させてほしい。
町長は、少し間を置いてから言った。
「サンプルの提供は、今のところお断りしています」
「理由を聞いてもいいですか」
「いくつかあります」
それ以上は、言わなかった。私は食い下がった。
「研究目的です。商業利用はしません。論文に使うだけです」
「分かっています」
「それでも、ですか」
「ええ」
静かな断り方だった。
怒っているわけでも、警戒しているわけでもない。ただ、動かない。
岩に話しかけているような感覚だった。悪い意味ではない。ただ、そういう感じだった。
◇
諦めて、フィールド調査だけで戻ることにした。
最後にもう一度だけ、畑に入らせてもらった。
日が傾いていた。赤土の色が、少し濃くなっていた。
膝をついて、土を触った。朝と同じ感触だった。朝と同じにおいがした。
私は、長いことそこにいた。案内の人間が、少し離れたところで待っていた。
帰り際、長靴の裏を確認した。溝に、土が残っていた。赤みがある。
それを見て、少しだけ迷った。
持ち帰るのは、サンプルの採取とは違う。靴底に残ったものを採取とは言えないとも思った。
迷ったまま、そのまま歩いた。
◇
帰ってから、長靴の溝に残った土を回収した。
ごく少量だ。正式な採取とは呼べない。ただ、分析はできる量だった。
ラボで処理して、数値を待った。
◇
四日後、結果が出た。
現地で測った数値と、ラボで出た数値が、大きく違った。
同じ土から出たものとは、思えなかった。
測定のプロセスを、もう一度確認した。問題はなかった。
機器を確認した。正常だった。
それでも、数値は合わなかった。
考えられる原因を、いくつか書き出した。
輸送中の温度変化。乾燥による組成の変化。採取量が少なすぎたことによる誤差。
どれも、否定はできない。
ただ、どれも、これほど大きな差を説明できるとは思えなかった。差が、大きすぎる。
◇
夜、ラボに一人でいた。
モニターを眺めながら、町長の言葉を思い出した。
「サンプルの提供は、今のところお断りしています」
断った理由を、いくつか想定していた。
情報の保護。競合研究機関への警戒。町の産業上の利益。
どれかだと思っていた。
今は、少し違う気がしている。違う、と言い切れるほどの根拠はない。
ただ、この数値を見てから、何かが引っかかっている。
言葉にすると、こうなる。
あの土は、あそこにあるから、あの土なのかもしれない。
持ち出した時点で、何かが変わる。
だから、町長は断った。断る意味が、あった。
そういうことなのかもしれない。
証明はできない。仮説にもならない。ただ、そういう考えが、頭から離れない。
◇
フィールドノートを閉じた。モニターの電源を落とした。部屋が暗くなった。
あの町は、今頃、静かになっている頃だろう。
畑は、暗くて見えない。ただ、そこにある。
私が何を持ち帰れたのかは、まだ分からない。
数値は、合わなかった。それだけは、確かだ。




