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第14話 持ち帰れなかったもの

語り手:土壌研究者 松田浩二(44歳)



 結果が出たのは、帰ってから四日後だった。

 モニターの数値を、三回確認した。

 変わらなかった。


 机の上に、フィールドノートがある。現地で書いたものだ。

 ノートの数値と、モニターの数値を、見比べた。


 合わなかった。



 土壌研究を始めて二十年になる。

 大学で教えながら、フィールド調査を続けている。

 専門は、土壌微生物と植物生長の相関だ。


 地味な分野だと言われることがある。

 地味でいい、と思っている。

 土は、派手に動かない。だから、信用できる。



 あの町のことを知ったのは、学会の懇親会だった。

 農学系の研究者と話していたとき、名前が出た。


「変な土壌データが出てる町がある」

「変な、というのは」

「再現できない。他の地域で同じ条件を作っても、同じ結果が出ない」


 話した相手も、詳しくは知らなかった。

 ただ、「変だ」とは思っていた。


 私も、聞いてすぐに「変だ」と思った。

 変なものには、近づきたくなる。それが、この仕事を続けている理由の一つだ。



 アポを取るのに、少し時間がかかった。

 役場に電話をすると、担当部署に回された。担当者は、丁寧だった。

 研究目的での訪問は受け付けている、と言った。

 ただし、サンプルの採取については、別途相談が必要だとも言った。

 それは了解した上で、行くことにした。



 現地に着いたのは、朝だった。海からの風が来ていた。

 案内してもらった畑に入ったとき、最初に思ったのは、においのことだ。


 土のにおいは、場所によって違う。

 あの畑のにおいは、嗅いだことがあるようで、ない。

 似ているものを探そうとしたが、見つからなかった。


 しゃがんで、土を触った。

 質感は、特別おかしくはない。粘土質が強めで、水はけは良くない。

 ただ、それだけでは説明のつかないものが、何かあった。

 うまく言えない。ただ、そういう感触だった。



 持参した簡易測定器で、いくつか数値を取った。

 フィールドノートに記録しながら、測定器が壊れているのかと思った。

 予想の範囲を、外れていた。外れ方が、大きすぎた。

 測定器を確認した。壊れていなかった。


 もう一度測った。同じ数値が出た。



 午後、町長と話す機会をもらった。

 私は、正直に話した。研究者として、あの土壌に強い関心がある。持ち帰って詳しく調べたい。できれば、複数箇所からサンプルを採取させてほしい。


 町長は、少し間を置いてから言った。


「サンプルの提供は、今のところお断りしています」

「理由を聞いてもいいですか」

「いくつかあります」


 それ以上は、言わなかった。私は食い下がった。


「研究目的です。商業利用はしません。論文に使うだけです」

「分かっています」

「それでも、ですか」

「ええ」


 静かな断り方だった。

 怒っているわけでも、警戒しているわけでもない。ただ、動かない。

 岩に話しかけているような感覚だった。悪い意味ではない。ただ、そういう感じだった。



 諦めて、フィールド調査だけで戻ることにした。

 最後にもう一度だけ、畑に入らせてもらった。


 日が傾いていた。赤土の色が、少し濃くなっていた。

 膝をついて、土を触った。朝と同じ感触だった。朝と同じにおいがした。

 私は、長いことそこにいた。案内の人間が、少し離れたところで待っていた。


 帰り際、長靴の裏を確認した。溝に、土が残っていた。赤みがある。

 それを見て、少しだけ迷った。

 持ち帰るのは、サンプルの採取とは違う。靴底に残ったものを採取とは言えないとも思った。


 迷ったまま、そのまま歩いた。



 帰ってから、長靴の溝に残った土を回収した。

 ごく少量だ。正式な採取とは呼べない。ただ、分析はできる量だった。

 ラボで処理して、数値を待った。



 四日後、結果が出た。

 現地で測った数値と、ラボで出た数値が、大きく違った。

 同じ土から出たものとは、思えなかった。


 測定のプロセスを、もう一度確認した。問題はなかった。

 機器を確認した。正常だった。

 それでも、数値は合わなかった。


 考えられる原因を、いくつか書き出した。

 輸送中の温度変化。乾燥による組成の変化。採取量が少なすぎたことによる誤差。

 どれも、否定はできない。

 ただ、どれも、これほど大きな差を説明できるとは思えなかった。差が、大きすぎる。



 夜、ラボに一人でいた。

 モニターを眺めながら、町長の言葉を思い出した。


「サンプルの提供は、今のところお断りしています」


 断った理由を、いくつか想定していた。

 情報の保護。競合研究機関への警戒。町の産業上の利益。


 どれかだと思っていた。

 今は、少し違う気がしている。違う、と言い切れるほどの根拠はない。

 ただ、この数値を見てから、何かが引っかかっている。


 言葉にすると、こうなる。

 あの土は、あそこにあるから、あの土なのかもしれない。

 持ち出した時点で、何かが変わる。


 だから、町長は断った。断る意味が、あった。

 そういうことなのかもしれない。

 証明はできない。仮説にもならない。ただ、そういう考えが、頭から離れない。



 フィールドノートを閉じた。モニターの電源を落とした。部屋が暗くなった。


 あの町は、今頃、静かになっている頃だろう。

 畑は、暗くて見えない。ただ、そこにある。


 私が何を持ち帰れたのかは、まだ分からない。

 数値は、合わなかった。それだけは、確かだ。


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