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赤土の畑のとなりで ―人口5000人の町に、何かがある―  作者: 泥靴


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第13話 取材ノートと、その余白

語り手:地方紙記者 岸本真理(35歳)



 取材の申し込みは、一週間前にメールで送った。

 返信は翌日来た。


「お越しいただくことは構いません。ただし、お答えできる範囲に限りがあることをご了承ください」


 想定内の文面だった。

 むしろ、断られると思っていたので、来てよかった。



 記者になって十二年になる。


 今は県内を拠点にした地方紙にいる。

 最初の五年は警察と行政の担当だった。

 今は、地域の産業と暮らしを主に書いている。

 派手な仕事ではない。

 それでいいと思っている。


 自分の書くものが、誰かの日常の隣に置かれるのが好きだ。



 この町のことを知ったのは、半年ほど前だ。


 別の取材で県の担当者と話していたとき、名前が出た。


「あそこは少し特殊なんですよね」


 特殊、という言葉の使い方が曖昧だった。


「どういう意味ですか」

「財政の構造が、普通じゃない。でも、詳しいことは私には分からなくて」


 それだけだった。


 そこから少し調べた。

 調べるほど、書けるものが見えてこなかった。

 見えてこないから、来ることにした。



 バスを降りると、海からの風が来た。

 穏やかだった。

 町は、静かだった。

 静か、というのは、人がいない静かさではなく、騒がしくない静かさだ。


 スーパーに人がいた。

 波止場に人がいた。

 畑に人がいた。


 ただ、どこも、急いでいなかった。



 町長とのアポは、午前十時だった。


 役場の応接室に通された。

 待っている間、窓から外を見た。

 遠くに、赤土の畑が見えた。


 予習してきた情報では、あの畑が町の財政の核心にある。

 見た目は、ただの畑だった。



 町長は、時間通りに来た。


 五十五歳だと聞いていた。

 それより少し若く見えた。

 愛想がいい、とは言えない。

 だが、感じが悪いわけでもない。

 ただ、こちらの出方を静かに見ている、という感じがした。


「取材のご趣旨を、改めて聞かせてもらえますか」


 私は用意していた言葉を話した。

 この町の暮らしぶりと、その背景にある産業構造を記事にしたい。


「背景、というのは」

「赤土の畑のことです」


 町長は少しだけ間を置いた。


「あそこについて、お話しできることと、できないことがあります」

「できることだけで構いません」

「それで、記事になりますか」


 正直な問いだと思った。


「やってみます」



 一時間、話を聞いた。


 町の歴史、産業の変遷、住民生活の現状。

 話は丁寧だった。

 説明も、明快だった。

 ただ、核心に近づくたびに、言葉の手触りが変わった。


 明快ではなくなる、のではない。

 ただ、余白が増える。


 私が踏み込もうとする手前で、静かに止まる。

 壁がある、というより、扉がある感じだった。

 扉の向こうを隠しているのではなく、扉を開けても伝わらないと思っている。


 そういう顔だった。



 午後は、町を歩いた。


 住民に話を聞いた。

 誰もが、話しかけると応じてくれた。

 愛想がいい、とは少し違う。

 距離の取り方が、自然だった。


 八十代の老人に、この町の暮らしを聞いた。


「水道代とか、医療費は、かかりませんよね」

「かからんね」

「昔からですか」

「昔はかかった。ある時期からかからんくなった」

「その時期というのは」

「今の町長が戻ってきた頃かな」


 それ以上は、老人も詳しくは知らなかった。



 スーパーに入った。


 野菜が豊富だった。

 値段が安い。


 レジの女性に少し話しかけた。


「野菜、安いですね」

「採れるから」

「この町で」

「そうね。うちの旦那も畑やっとるし」

「あの、赤土の畑とは別に、農家さんが多いんですか」

「ほとんどの家が何かしらやっとるよ」


 赤土の話を出しても、特に反応はなかった。


 あの区画は、この町の人間にとって、農業とは別の何かとして、最初から区別されているのかもしれない。

 聞き方を変えてみた。


「赤土の畑って、何を作ってるか知ってますか」

「さあ。野菜じゃないとは思うけど、詳しくないから」


 嘘をついている感じは、なかった。

 本当に知らないのだと思った。


 知らなくても、困っていない。

 そういう顔だった。



 夕方、畑の近くまで歩いた。

 柵がある。


 中に入れる雰囲気ではなかった。

 遠くから、赤土を見た。


 光の加減で、少し色が濃くなっていた。

 特別なものは、何も見えない。

 見えないのに、この町の財政を支えている。


 それが記事になるかどうか、少し考えた。



 宿に戻って、取材ノートを開いた。

 書いたものを、読み返した。


 事実は揃っている。

 人口、財政規模、産業構成、住民の声。

 書けることは、十分にある。

 ただ、核心がない。


 核心というのは、「なぜこの町だけがこうなのか」という問いへの答えだ。

 その答えを、誰も持っていなかった。


 正確には、持っているが、言葉にできない形でしか持っていない。



 記者として、書けないものに当たることは、たまにある。


 情報が足りないから書けない。

 確認が取れないから書けない。

 そういう「書けない」には、慣れている。


 今回は、少し違う。

 情報は、ある程度ある。

 確認も、できる範囲でした。


 それでも書けないのは、つなぐ言葉が手元にないからだ。

 事実と事実の間に入るべき言葉が、まだない。



 この町の豊かさは、書ける。

 住民の表情も、書ける。

 財政の仕組みも、輪郭だけなら書ける。


 ただ、それを書いても、ここに来る前に想像できたものと、大して変わらない記事になる。


 来てよかったのかどうか、まだ分からない。

 来なければ、分からなかったことがある。


 ただ、それが何なのかを、言葉にできていない。

 言葉にできないものを、記事にはできない。



 窓を少し開けた。


 海からの風が入ってきた。


 朝と同じ風だ。

 穏やかだった。


 悪い意味がない風だ、と、昼間に誰かが言っていた。

 この町には、悪い意味を持たないものが、いくつかある気がした。


 それが何なのかも、まだ言葉にならない。

 ただ、それを書きたいとは思っている。


 書けるかどうかは、別の話だ。


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