第13話 取材ノートと、その余白
語り手:地方紙記者 岸本真理(35歳)
◇
取材の申し込みは、一週間前にメールで送った。
返信は翌日来た。
「お越しいただくことは構いません。ただし、お答えできる範囲に限りがあることをご了承ください」
想定内の文面だった。
むしろ、断られると思っていたので、来てよかった。
◇
記者になって十二年になる。
今は県内を拠点にした地方紙にいる。
最初の五年は警察と行政の担当だった。
今は、地域の産業と暮らしを主に書いている。
派手な仕事ではない。
それでいいと思っている。
自分の書くものが、誰かの日常の隣に置かれるのが好きだ。
◇
この町のことを知ったのは、半年ほど前だ。
別の取材で県の担当者と話していたとき、名前が出た。
「あそこは少し特殊なんですよね」
特殊、という言葉の使い方が曖昧だった。
「どういう意味ですか」
「財政の構造が、普通じゃない。でも、詳しいことは私には分からなくて」
それだけだった。
そこから少し調べた。
調べるほど、書けるものが見えてこなかった。
見えてこないから、来ることにした。
◇
バスを降りると、海からの風が来た。
穏やかだった。
町は、静かだった。
静か、というのは、人がいない静かさではなく、騒がしくない静かさだ。
スーパーに人がいた。
波止場に人がいた。
畑に人がいた。
ただ、どこも、急いでいなかった。
◇
町長とのアポは、午前十時だった。
役場の応接室に通された。
待っている間、窓から外を見た。
遠くに、赤土の畑が見えた。
予習してきた情報では、あの畑が町の財政の核心にある。
見た目は、ただの畑だった。
◇
町長は、時間通りに来た。
五十五歳だと聞いていた。
それより少し若く見えた。
愛想がいい、とは言えない。
だが、感じが悪いわけでもない。
ただ、こちらの出方を静かに見ている、という感じがした。
「取材のご趣旨を、改めて聞かせてもらえますか」
私は用意していた言葉を話した。
この町の暮らしぶりと、その背景にある産業構造を記事にしたい。
「背景、というのは」
「赤土の畑のことです」
町長は少しだけ間を置いた。
「あそこについて、お話しできることと、できないことがあります」
「できることだけで構いません」
「それで、記事になりますか」
正直な問いだと思った。
「やってみます」
◇
一時間、話を聞いた。
町の歴史、産業の変遷、住民生活の現状。
話は丁寧だった。
説明も、明快だった。
ただ、核心に近づくたびに、言葉の手触りが変わった。
明快ではなくなる、のではない。
ただ、余白が増える。
私が踏み込もうとする手前で、静かに止まる。
壁がある、というより、扉がある感じだった。
扉の向こうを隠しているのではなく、扉を開けても伝わらないと思っている。
そういう顔だった。
◇
午後は、町を歩いた。
住民に話を聞いた。
誰もが、話しかけると応じてくれた。
愛想がいい、とは少し違う。
距離の取り方が、自然だった。
八十代の老人に、この町の暮らしを聞いた。
「水道代とか、医療費は、かかりませんよね」
「かからんね」
「昔からですか」
「昔はかかった。ある時期からかからんくなった」
「その時期というのは」
「今の町長が戻ってきた頃かな」
それ以上は、老人も詳しくは知らなかった。
◇
スーパーに入った。
野菜が豊富だった。
値段が安い。
レジの女性に少し話しかけた。
「野菜、安いですね」
「採れるから」
「この町で」
「そうね。うちの旦那も畑やっとるし」
「あの、赤土の畑とは別に、農家さんが多いんですか」
「ほとんどの家が何かしらやっとるよ」
赤土の話を出しても、特に反応はなかった。
あの区画は、この町の人間にとって、農業とは別の何かとして、最初から区別されているのかもしれない。
聞き方を変えてみた。
「赤土の畑って、何を作ってるか知ってますか」
「さあ。野菜じゃないとは思うけど、詳しくないから」
嘘をついている感じは、なかった。
本当に知らないのだと思った。
知らなくても、困っていない。
そういう顔だった。
◇
夕方、畑の近くまで歩いた。
柵がある。
中に入れる雰囲気ではなかった。
遠くから、赤土を見た。
光の加減で、少し色が濃くなっていた。
特別なものは、何も見えない。
見えないのに、この町の財政を支えている。
それが記事になるかどうか、少し考えた。
◇
宿に戻って、取材ノートを開いた。
書いたものを、読み返した。
事実は揃っている。
人口、財政規模、産業構成、住民の声。
書けることは、十分にある。
ただ、核心がない。
核心というのは、「なぜこの町だけがこうなのか」という問いへの答えだ。
その答えを、誰も持っていなかった。
正確には、持っているが、言葉にできない形でしか持っていない。
◇
記者として、書けないものに当たることは、たまにある。
情報が足りないから書けない。
確認が取れないから書けない。
そういう「書けない」には、慣れている。
今回は、少し違う。
情報は、ある程度ある。
確認も、できる範囲でした。
それでも書けないのは、つなぐ言葉が手元にないからだ。
事実と事実の間に入るべき言葉が、まだない。
◇
この町の豊かさは、書ける。
住民の表情も、書ける。
財政の仕組みも、輪郭だけなら書ける。
ただ、それを書いても、ここに来る前に想像できたものと、大して変わらない記事になる。
来てよかったのかどうか、まだ分からない。
来なければ、分からなかったことがある。
ただ、それが何なのかを、言葉にできていない。
言葉にできないものを、記事にはできない。
◇
窓を少し開けた。
海からの風が入ってきた。
朝と同じ風だ。
穏やかだった。
悪い意味がない風だ、と、昼間に誰かが言っていた。
この町には、悪い意味を持たないものが、いくつかある気がした。
それが何なのかも、まだ言葉にならない。
ただ、それを書きたいとは思っている。
書けるかどうかは、別の話だ。




