インターミッション 「この町の、ある一日」
朝の五時、漁船が港を出る。
エンジンの音が、まだ暗い水面に低く響く。
それを聞いている人間は、この時間にはほとんどいない。
波止場の端に、一人の老人が立っているだけだ。
老人は海を見ている。
特に何も考えていない。
ただ、長い習慣がそこに彼を連れてくる。
船が沖に出ると、音が遠くなる。
波の音だけが残る。
◇
六時になると、町が少しずつ動き始める。
スーパーの搬入口に、軽トラックが横付けされる。
野菜の箱が、いくつも降ろされる。
どこで採れたのかは、箱に書いてある。
この町の、この土地だ。
パン屋の煙突から、煙が出始める。
病院の駐車場に、最初の車が入る。
小学校の門が、用務員の手で開けられる。
特別なことは、何も起きていない。
◇
八時の路線バスに、高校生が乗る。
一番後ろの席に、女の子が座る。
窓の外を見ている。
赤土の畑が、朝の光の中に広がっている。
バスが進む。
畑が、少しずつ後ろに流れていく。
女の子は、それを見送るわけでもなく、ただ窓の外を見ている。
◇
午前中、役場に一本の電話が入る。
移住の相談だ。
都市部からの問い合わせが、最近増えている。
担当者は、決まった文句で答える。
「現在、移住受け入れの枠には限りがございまして」
相手は、少し驚いた様子で聞き返す。
「そんな町があるんですね」
担当者は、少しだけ間を置く。
「ええ、まあ」
それ以上は、言わない。
◇
昼過ぎ、畑に人が入る。
膝をついて、土を触る。
何かを確かめている。
記録を取る。
空は晴れている。
風は、海の方から来ている。
悪い意味を持たない風だ。
◇
夕方、子供たちが帰ってくる。
ランドセルを背負って、狭い道を歩く。
何かを話しながら、笑っている。
何を話しているのかは、遠くて聞こえない。
その中に、一人だけ、立ち止まる子がいる。
畑の方を、少しだけ見ている。
それから、また歩き始める。
◇
夜、町は早く静かになる。
明かりが、一つ、また一つと消えていく。
波止場には、誰もいない。
赤土の畑は、暗くて見えない。
ただ、そこにある。
昨日も、そこにあった。
明日も、そこにある。
この町の、ある一日が、終わる。
インターミッションまでお読みいただき、ありがとうございます。
大きな歴史や有名な人物ではなく、名前の残らない人々の仕事や暮らしにも価値がある。
そんなことを考えながら書いています。
ここから先も、町のさまざまな人々の物語が続いていきますので、よろしければ引き続きお付き合いください。




