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第10話 最初に気づいたのは

語り手:町長 村上誠一(55歳)



 土曜日の午後は、たいてい畑に来る。


 用事があるときも、ないときも。

 ここに来ると、考えがまとまる。

 昔からそうだった。



 視察の対応が、先週あった。


 今回は、省庁ではなく民間の研究機関だった。

 三人来た。

 三人とも、優秀そうな顔をしていた。


 一通り案内して、分析棟を見せて、数字を渡した。

 詳しい説明は、しなかった。

 説明しても、たぶん伝わらない。


 帰り際、一人が言った。


「なぜ、ここだけなんでしょう」


 私は少し考えてから、答えた。


「それは、私にも分かりません」


 本当のことだ。



 しゃがんで、土を触った。


 ひんやりしている。

 やわらかい。


 この感触は、子供の頃から変わらない。


 最初にここに来たのは、いつだったか。


 正確な年は、覚えていない。

 まだ小学生だったはずだ。


 畑の端の、誰も使わない区画だった。

 水はけが悪く、何も育たないと言われていた。

 父も「放っておけ」と言っていた。


 それでも、土の色が少し気になった。

 ほんのわずかに、赤みが違った。


 それだけだった。

 それだけのことだった。



 柵の外に、人影が見えた。


 父親と、小さな子供だった。


 子供が、じっと畑を見ていた。


 立ち上がって、柵のところまで歩いた。


「見に来たの」


 父親が頭を下げた。

 子供は、こちらをまっすぐ見ていた。


「触ってみる?」



 子供は、すぐに手を伸ばした。


 迷わなかった。


 指で少し掘って、下の層を見た。


「下の方が赤いね」


 私は、その言葉を聞いて、少しだけ止まった。


 同じことを、昔、思った。


 何年前のことか。

 四十年以上、前のことだ。


「よく気づいたね」


 そう言うのが、精一杯だった。



 父親と子供が帰っていくのを、柵の内側から見ていた。


 子供が、歩きながら手のひらを見ていた。


 その後ろ姿が、少しだけ昔の自分に似ていた。


 似ていない、とも言える。

 あの頃の私は、もっと一人だった。


 それでも、土を触ったときの顔は、同じだったと思う。



 あの子が、これからどうなるかは分からない。


 研究者になるかもしれない。

 ならないかもしれない。

 この町を出るかもしれない。

 出ないかもしれない。


 どうなっても、それでいいと思っている。


 ただ、今日、あの土を触った。

 それだけのことが、何かになることが、ある。


 私がそうだったからではない。

 そういうことが、あるのだということを、知っているからだ。



 夕方が近づいて、光の角度が変わった。


 赤土の色が、少し濃くなった。


 この色を、最初に見たのはいつだったか。


 何十年も経って、今も同じ場所に立っている。


 町は、変わった。

 変わっていない部分の方が、多い。


 海があって、山があって、畑がある。

 派手なものは、何もない。


 ただ、昔と一つだけ違うことがある。


 あの赤土が、値段を持った。



 値段を持つ前も、土はそこにあった。


 誰もが見ていた。

 誰もが知っていた。

 誰も、気にしなかった。


 私だけが、気にした。


 なぜ気にしたのかは、今でもよく分からない。


 ただ、少しだけ色が違って見えた。

 それだけのことだ。



 価値は、最初からそこにあった。


 誰も気づかなかっただけだ。


 そういうことが、まだどこかにあるのだろうと思っている。


 この町の中にも、この町の外にも。


 私が気づいていないものが、まだある。


 それは、少し怖いことでもあるし、少し楽しいことでもある。



 暗くなる前に、帰ることにした。


 土についた手を、軽くはたいた。


 赤い土が、少し舞った。


 畑を一度だけ見てから、歩き始めた。


 明日も、ここは変わらずある。


 それだけで、十分だと思っている。

第10話までお付き合いいただき、ありがとうございます。


町の人々の日常を追いながら、少しずつ全体像が見えてくる構成を目指しています。


派手な事件は少ない作品ですが、この町や人々に興味を持っていただけたなら幸いです。


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