第10話 最初に気づいたのは
語り手:町長 村上誠一(55歳)
◇
土曜日の午後は、たいてい畑に来る。
用事があるときも、ないときも。
ここに来ると、考えがまとまる。
昔からそうだった。
◇
視察の対応が、先週あった。
今回は、省庁ではなく民間の研究機関だった。
三人来た。
三人とも、優秀そうな顔をしていた。
一通り案内して、分析棟を見せて、数字を渡した。
詳しい説明は、しなかった。
説明しても、たぶん伝わらない。
帰り際、一人が言った。
「なぜ、ここだけなんでしょう」
私は少し考えてから、答えた。
「それは、私にも分かりません」
本当のことだ。
◇
しゃがんで、土を触った。
ひんやりしている。
やわらかい。
この感触は、子供の頃から変わらない。
最初にここに来たのは、いつだったか。
正確な年は、覚えていない。
まだ小学生だったはずだ。
畑の端の、誰も使わない区画だった。
水はけが悪く、何も育たないと言われていた。
父も「放っておけ」と言っていた。
それでも、土の色が少し気になった。
ほんのわずかに、赤みが違った。
それだけだった。
それだけのことだった。
◇
柵の外に、人影が見えた。
父親と、小さな子供だった。
子供が、じっと畑を見ていた。
立ち上がって、柵のところまで歩いた。
「見に来たの」
父親が頭を下げた。
子供は、こちらをまっすぐ見ていた。
「触ってみる?」
◇
子供は、すぐに手を伸ばした。
迷わなかった。
指で少し掘って、下の層を見た。
「下の方が赤いね」
私は、その言葉を聞いて、少しだけ止まった。
同じことを、昔、思った。
何年前のことか。
四十年以上、前のことだ。
「よく気づいたね」
そう言うのが、精一杯だった。
◇
父親と子供が帰っていくのを、柵の内側から見ていた。
子供が、歩きながら手のひらを見ていた。
その後ろ姿が、少しだけ昔の自分に似ていた。
似ていない、とも言える。
あの頃の私は、もっと一人だった。
それでも、土を触ったときの顔は、同じだったと思う。
◇
あの子が、これからどうなるかは分からない。
研究者になるかもしれない。
ならないかもしれない。
この町を出るかもしれない。
出ないかもしれない。
どうなっても、それでいいと思っている。
ただ、今日、あの土を触った。
それだけのことが、何かになることが、ある。
私がそうだったからではない。
そういうことが、あるのだということを、知っているからだ。
◇
夕方が近づいて、光の角度が変わった。
赤土の色が、少し濃くなった。
この色を、最初に見たのはいつだったか。
何十年も経って、今も同じ場所に立っている。
町は、変わった。
変わっていない部分の方が、多い。
海があって、山があって、畑がある。
派手なものは、何もない。
ただ、昔と一つだけ違うことがある。
あの赤土が、値段を持った。
◇
値段を持つ前も、土はそこにあった。
誰もが見ていた。
誰もが知っていた。
誰も、気にしなかった。
私だけが、気にした。
なぜ気にしたのかは、今でもよく分からない。
ただ、少しだけ色が違って見えた。
それだけのことだ。
◇
価値は、最初からそこにあった。
誰も気づかなかっただけだ。
そういうことが、まだどこかにあるのだろうと思っている。
この町の中にも、この町の外にも。
私が気づいていないものが、まだある。
それは、少し怖いことでもあるし、少し楽しいことでもある。
◇
暗くなる前に、帰ることにした。
土についた手を、軽くはたいた。
赤い土が、少し舞った。
畑を一度だけ見てから、歩き始めた。
明日も、ここは変わらずある。
それだけで、十分だと思っている。
第10話までお付き合いいただき、ありがとうございます。
町の人々の日常を追いながら、少しずつ全体像が見えてくる構成を目指しています。
派手な事件は少ない作品ですが、この町や人々に興味を持っていただけたなら幸いです。
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