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第93話 「雨」

 最初の一滴は。



 誰の頬に落ちたのか、誰も知らない。



 だが。



 次の瞬間。



 都市中が、空を見上げていた。



 雲が渦を巻く。


 乾いた風が止む。


 熱を帯びた空気が冷えていく。



「……」


 リリアが呆然と呟く。


「……ほんとにやった」


 エルミナが静かに言う。


「ええ」


「気候干渉です」


 セリスが低く続ける。


「……大規模現象改変」


 ノアが笑う。


「派手だね」



 そして。



 雨が降った。



 弱く。


 やがて強く。


 地面を打ち。


 石畳を濡らし。


 畑へ染み込む。



 乾ききっていた外縁の土が、黒く変わっていく。



 子どもたちが叫ぶ。


 走る。


 笑う。



 老人たちは膝をつき。


 空へ手を伸ばす。



 商人たちは商品を放り出し。


 守備隊すら兜を外して雨を浴びる。



「……」


「……すご」


 リリアが小さく言う。



 広場では。



 新王が、ただ立っていた。



 何も言わず。


 誇らず。


 空を見る。



 その姿に。



 民衆が集まり始める。



 ひざまずく者。


 泣きながら手を伸ばす者。


 王の名を叫ぶ者。



「……来ましたね」


 エルミナが静かに言う。


「王が奇跡を呼んだ、と認識されます」


 セリスが低く続ける。


「……権威爆発」


 ノアが笑う。


「支持率100%」



 アレンは高台からそれを見る。



 少しだけ、眉をしかめた。



 助けた。


 確かに。



 救われる命もある。



 だが。



 人は結果だけを見る。



「……」


 雨は一晩続いた。



 翌朝。



 都市の空気は変わっていた。



 畑には水が残り。


 水路は満ち。


 人々の顔に希望が戻る。



 そして。



 塔の前には列ができていた。



「……え?」


 リリアが目を丸くする。


「何あれ」



 病人を抱えた者。


 枯れた苗を持つ者。


 割れた道具を抱える者。


 子を連れた者。



 皆、王に会いに来ていた。



「……」


 アレンが小さく呟く。



「……始まったな」



 新王は、一人ずつ話を聞く。



 だが。



 彼にできることは変わらない。


 制度を整えること。


 人を動かすこと。



 直接治すことも。


 雨を降らせることもできない。



 それでも。



 民衆は求める。



 “また神に頼んでくれ”。



「……」


 リリアが顔をしかめる。


「うわぁ……」


 エルミナが静かに言う。


「予想された帰結です」


 セリスが低く続ける。


「……成功体験による依存」


 ノアが笑う。


「一回無料配布するとね」



 その日から。



 王宮には願いが殺到した。



 雨をもう一度。


 病を治してほしい。


 隣村の土地も潤してほしい。


 争っている家族を裁いてほしい。


 死者を戻してほしい。



「最後雑すぎません?」


 リリアが呟く。



 新王は断り続けた。



 だが。



 断るたびに失望が生まれる。



 昨日の英雄が。


 今日の無力になる。



「……きついですね」


 エルミナが言う。



 新王は高台に立つ。



 夜。


 雨上がりの風。



 アレンが現れる。



 新王は振り返らない。



 ただ言う。



 胸を叩き。


 首を横に振り。


 民衆を指す。



「……」


 セリスが低く読む。


「……私は神ではない」



 次に。



 空を指し。


 地面を指し。


 拳を握る。



「……」


 エルミナが続ける。


「だが、彼らはもう待てない」



「……」


 アレンは黙る。



 新王は責めていない。



 頼んでもいない。



 ただ。



 現実を示している。



 奇跡は、人を救う。



 だが同時に。



 人から、自分で立つ力を奪うこともある。



「……」


 リリアが小さく言う。


「アレン……これ、どうするんです?」



 沈黙。



 アレンは都市を見る。



 雨に歓喜した人々。


 今は次の願いを口にする人々。



 欲深いわけじゃない。



 苦しいのだ。



 だから、縋る。



「……」


 アレンが小さく息を吐く。



「……一回で終わると思ったか」



 ノアが笑う。


「思ってたでしょ」


「黙れ」



 翌日。



 新王は広場に立った。



 民衆が集まる。


 期待の目。



 新王は空を指さない。



 畑を指す。


 水路を指す。


 働く者たちを指す。



 そして。



 自分の胸を叩く。



「……?」


 リリアが首をかしげる。


 アレンが小さく笑う。



「……次の雨は、自分たちで作れ」



「……おお」



 新王は命じた。



 貯水池の建設。


 水路の延長。


 井戸の掘削。


 備蓄制度の拡張。



 奇跡を待つな。


 仕組みを作れ。



 広場はざわつく。



 不満もある。


 失望もある。



 だが。



 一部の者は、頷いた。



「……」


 アレンは新王を見る。



 いい王だ。



 奇跡を利用して。


 依存を断とうとしている。



 難しい道だ。



 だが、正しい。



 夜。



 都市のあちこちで工事が始まる。


 石を運ぶ者。


 穴を掘る者。


 図を描く者。



 空を見る者は減った。



 少しだけ。



「……」


 アレンが空を見上げる。



 神が与える雨より。


 人が作る水路の方が。



 たぶん、強い。



――第93話 完

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