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第91話 「実在」

 時間が、止まっていた。



 落ちる石は空中で止まり。


 燃え広がる火は揺れたまま静止し。


 裂け目の黒い歪みさえ、動きを失っている。



「……」


 塔の内部。


 誰も声を出せない。



 新王は、初めて空を見る。



 そこに。



 立っていた。



 形は人に近い。


 だが、人ではない。



 存在感が違う。



 この空間にいるのに。


 この空間の外にいるような違和感。



「……」


 リリアが小さく呟く。


「毎回思いますけど」


「アレンって出るタイミングずるいですよね」


「黙れ」



 神殿長は、膝から崩れ落ちた。



 呼んだ。


 求めた。


 叫んだ。



 だが。



 現れたそれは。


 味方ではない。



「……」


 アレンは、神殿長を見る。



 怒りはない。


 軽蔑もない。



 ただ。



 判断だけがあった。



「……」


 新王は動けない。



 恐怖ではない。



 理解しているのだ。



 これが。


 伝説の中心。


 時代を生んだ存在だと。



「……」


 エルミナが静かに言う。


「彼は冷静です」


 セリスが低く続ける。


「……器がある」


 ノアが笑う。


「好きになってきた」



 アレンは裂け目へ手を向ける。



 黒い歪みが、音もなく縮む。


 捻れた空間が戻る。


 火は静まり。


 塔の軋みも止まる。



 一瞬だった。



「……っ」


 リリアが息を呑む。


「何それ、毎回チート」



 神殿長は震えながら顔を上げる。



 涙。


 歓喜。


 恐怖。



 すべてが混ざった目だった。



 そして叫ぶ。



 自分は忠実だった。


 神を守ろうとした。


 王は神を汚した。


 だから呼んだ。



「……」


 アレンは聞いている。



 最後まで。



 言い訳も。


 信念も。


 全部。



 そして。



「……違うな」



 その一言で、空気が凍る。



「……お前は」


「神を守ったんじゃない」



 一歩近づく。



「……自分の居場所を守っただけだ」



 神殿長の目が見開かれる。



 言葉を失う。



「……っ」


 リリアが小さく言う。


「刺さった……」



 アレンは続ける。



「神の名を使えば、人を動かせる」


「だから使った」



「信仰じゃない」



「支配だ」



 沈黙。



 誰も反論できない。



 神殿長自身も。



 理解していた。



 どこかで。



 アレンが手を上げる。



 神殿長の周囲の空間だけが、わずかに光る。



「……消すんですか?」


 リリアが緊張した声で言う。



 アレンは首を振る。



「……生きろ」



「……え?」



「死ねば、殉教者になる」



 神殿長を見下ろす。



「生きて」


「自分が何を壊したか見ろ」



「それが罰だ」



 エルミナが静かに目を伏せる。


「合理的です」


 セリスが低く言う。


「……最も重い刑」


 ノアが笑う。


「優しいようで残酷」



 新王が、一歩前に出る。



 兵も民もいない。


 ただ二人。



 王と神。



 新王は膝をつかない。


 頭も下げない。



 ただ。



 まっすぐ見る。



「……お」


 リリアが目を丸くする。



 新王は、自分の胸を叩く。


 次に都市の方角を指す。


 最後にアレンを見る。



「……」


「何て?」



 アレンが少し笑う。



「……あれは俺たちの世界だ」


「お前は何者だ」



「強っ!」



 ノアが吹き出す。


「最高」



 アレンは新王を見る。



 神を見てもなお。


 現実を失わない。



 いい王だ。



「……俺か」



 少し考える。



「……管理者だ」



 新王は黙って聞く。



 次に。


 塔を指す。


 裂け目の跡を指す。


 民衆のいる外を指す。



「……」


 エルミナが静かに訳す。


「なら、壊すな」


「見守れ」



「……」


 リリアが息を止める。



 神に対する命令。



 だが。



 アレンは怒らない。



 むしろ。



 少し笑った。



「……言うじゃねぇか」



「……約束はしない」


「でも」



 外を見る。



「……無駄にはしねぇ」



 その時。



 塔の外で、時間が戻った。



 石が落ち。


 火が揺れ。


 人々の声が一気に流れ込む。



 だが。



 誰もが見た。



 塔の頂で。


 光の中に立つ存在を。



「……」


 広場に膝をつく者。


 泣く者。


 逃げる者。


 呆然と立つ者。



 世界は知った。



 神は、物語ではない。



 実在する。



 その夜。



 都市中で語られた。



 王は神と対等に話した。


 神殿長は裁かれた。


 神は怒らなかった。



 話は、もう歪み始めていた。



「……早いですね」


 リリアが呆れる。


 アレンはため息をつく。



「……人の口は止められねぇ」



 新王は高台に立つ。



 空を見る。



 今度は伝説ではない。



 本当にいた。



 それでも。



 彼の視線は都市へ戻る。



 やるべきことは変わらない。



 アレンはその姿を見て、小さく笑った。



「……やっぱ嫌いじゃねぇ」



――第91話 完

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