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第89話 「使う者、使われる者」

 火種は、消えていなかった。



 むしろ。



 見えない場所で、よく燃えていた。



 都市の表通りは平穏だった。


 市場は開き。


 水路は流れ。


 役人は記録を取り続ける。



 新王の改革は成果を出している。



 飢えは減り。


 治安は保たれ。


 住居は増えた。



「……普通に有能なんですよね」


 リリアが呟く。


 エルミナが静かに頷く。


「ええ」


「統治成績は優秀です」


 セリスが低く言う。


「……支持率は高い」


 ノアが笑う。


「でも人は数字だけじゃ動かない」



 その通りだった。



 夜。



 塔の地下。



 神殿派は集まっていた。


 白い布。


 灯りを落とした部屋。


 囁く声。



「……完全に地下組織ですね」


 リリアが顔をしかめる。


 エルミナが静かに言う。


「ええ」


「弾圧されていないのに地下化するのは、思想運動の典型です」


 セリスが低く続ける。


「……被害者意識の演出」


 ノアが笑う。


「上手いね」



 老いた神殿長が前へ出る。



 空を指す。


 塔を指す。


 王宮を指す。



 そして。



 拳を握る。



「……何て?」


 リリアが聞く。


 アレンが淡々と答える。



「……神の家を取り戻せ、だ」



「うわぁ……」



 塔は、今や行政機能も担っている。


 記録庫。


 会議所。


 備蓄管理。



 神殿派にとって、それは屈辱だった。



 聖地が、役所になった。



「……なるほど」


 エルミナが言う。


「象徴の奪還運動ですね」


 セリスが低く言う。


「……場所は権威」


 ノアが笑う。


「人類ずっと同じことしてる」



 数日後。



 都市の壁に記号が刻まれ始めた。



 白い円。


 裂けた線。


 塔の印。



「……落書き?」


 リリアが言う。


 エルミナが首を振る。


「宣伝です」


 セリスが低く言う。


「……シンボル政治」



 若者たちが、それを真似する。


 意味も深く知らぬまま。


 格好よさで。


 反体制の印として。



「……最悪ですね」


 リリアが呟く。


 アレンが鼻で笑う。



「思想が流行になると、厄介だ」



 新王も、黙ってはいなかった。



 記録庫。


 側近たちが集まる。



 税収。


 労働力。


 治安維持。


 神殿派の動向。



 すべて報告される。



 新王は静かに聞き。


 やがて。



 塔を指した。



「……?」


 リリアが首をかしげる。


 エルミナが目を細める。


「……使いますね」


 セリスが低く言う。


「……ついに」


 ノアが笑う。


「来たね」



 翌日。



 都市中央。



 塔の前に民衆が集められる。



 新王が立つ。



 その背後には。


 初代王の記録板。


 裂け目に関する古文書。


 神話の象徴。



「……え?」


 リリアが驚く。


「使うんですか?」


 アレンが小さく笑う。



「学んだんだろ」



 新王は。



 空を指す。



 次に。


 初代王の印を示す。



 そして。


 民衆を指す。



「……」


 エルミナが静かに言う。


「神を否定しない」


「初代も否定しない」


「その継承者として自分を置いています」


 セリスが低く続ける。


「……権威の再接続」


 ノアが笑う。


「うまい」



 新王はさらに続ける。



 水路を指す。


 備蓄庫を指す。


 子どもたちを指す。



 “神の恵みを守るのが政治だ”。



「……」


 リリアが目を見開く。


「うわ……強い」



 神殿派の主張を。


 正面から否定しない。



 奪う。



 意味ごと。



「……」


 アレンが静かに言う。



「……王になったな」



 広場は沸く。



 神を信じる者も。


 現実を重んじる者も。



 両方が乗れる言葉だった。



 神殿派は焦る。



 夜。



 地下集会。


 老いた神殿長は怒り狂う。



 王は神を汚した。


 神を道具にした。



「……ブーメランですね」


 リリアが言う。


 ノアが吹き出す。


「ほんとそれ」



 だが。



 怒りは危険だった。



 理屈を失った運動は。



 過激化する。



 数日後。



 水路の一部が破壊された。



 市場で役人が襲われた。


 備蓄倉庫に火が投げ込まれる。



「……来ましたね」


 エルミナが言う。


 セリスが低く続ける。


「……テロ段階」


 ノアが笑わない。



 新王は、広場に立つ。



 怒りの民衆。


 不安。


 報復を求める声。



 誰もが、神殿派の処罰を望んでいた。



「……どうするんですかね」


 リリアが小さく言う。



 新王は。



 塔を指す。


 次に、牢を指す。


 最後に、地面を叩く。



「……?」


 アレンが小さく笑う。



「……神は裁かない」


「法で裁く、だ」



「……っ」


 リリアが息を呑む。


 エルミナが微笑む。


「見事です」


 セリスが低く言う。


「……統治の完成形」


 ノアが笑う。



 神の名で処刑しない。


 怒りで私刑もしない。



 制度で裁く。



 その瞬間。



 都市は一段階進んだ。



 信仰国家でもなく。


 暴君国家でもなく。



 “法の国家”へ。



 アレンは空を見る。



 自分の名はまた使われた。



 だが。



 今度は少し違う。



 彼らが。


 自分たちで意味を選び始めている。



「……悪くねぇ」



 ノアが笑う。


「嬉しそう」


「うるせぇ」



 しかし。



 地下で逃げ延びた神殿長は。



 なお笑っていた。



 まだ終わっていない。


 王が神を使うなら。



 “本物の神”を呼べばいい。



「……」


 アレンの目が、わずかに細くなる。



 嫌な予感だけは。



 よく当たる。



――第89話 完

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