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第88話 「神を見ない王」

 新王の改革は、早かった。



 まず変えたのは、祈りではない。


 神殿でもない。


 裂け目でもない。



 水路だった。



「……そこから行くんですね」


 リリアが呟く。


 都市の中心から外縁へ伸びる水路。


 そこに、個体たちが集まり、石を組み直している。


 エルミナが静かに頷く。


「合理的です」


「水は都市の維持に直結します」


 セリスが低く言う。


「……食料、衛生、防火」


 ノアが笑う。


「地味だけど強いね」


 アレンは新王を見ていた。



 新王は、空を見ない。



 裂け目を見ない。


 神に祈らない。



 ただ。



 地図を見る。


 記録を見る。


 数を見る。



「……徹底してるな」


 アレンが小さく呟く。



 新王は、次に食料管理を変えた。



 保管場所を分散し。


 火災への備えを増やし。


 収穫量を記録させる。



 そして、働く者へ明確な役割を与えた。



「……すごい」


 リリアが目を丸くする。


「街が一気に整ってきてません?」


 エルミナが微笑む。


「ええ」


「制度が機能しています」


 セリスが低く言う。


「……統治能力が高い」


 ノアが肩をすくめる。


「神を見てない分、現実しか見てないんだね」



 その通りだった。



 新王にとって、神は伝説だ。


 裂け目は現象だ。


 信仰は文化だ。



 だが。



 都市を動かすのは、水と火と食料と人。



 そう理解している。



「……嫌いじゃないな」


 アレンが言う。


 リリアがちらりと見る。


「アレン好みですね」


「実務できる奴は好きだ」


「分かりやすいですね」



 だが。



 改革は、必ず反発を生む。



 神殿派。



 かつて塔を守り、神話を語り継いできた者たち。


 彼らの表情は、日に日に険しくなっていた。



「……来ましたね」


 リリアが顔をしかめる。


 神殿の前。


 白い布をまとった者たちが集まっている。


 エルミナが静かに言う。


「不満が蓄積しています」


 セリスが低く続ける。


「……権威低下への反発」


 ノアが笑う。


「神様ビジネス、縮小中」


「言い方」



 新王は、神殿を壊してはいない。


 祈りを禁じてもいない。



 ただ。



 神殿に集まる人員の一部を水路整備へ回した。


 供物の一部を備蓄へ回した。


 儀式の日数を減らし、労働日を増やした。



 それだけだ。



 だが、神殿派にとっては十分だった。



 “神を軽んじている”。



 その言葉は、ゆっくりと広がっていく。



「……あー」


 リリアが苦い顔をする。


「これは面倒ですね」


 エルミナが頷く。


「ええ」


「政策としては合理的ですが、感情への配慮が不足しています」


 セリスが低く言う。


「……支持基盤を削っている」


 ノアが笑う。


「現実派の弱点だね」



 そして。



 ついに、広場で衝突が起きた。



 神殿派の老いた個体が前へ出る。


 王を指す。


 空を指す。


 塔を指す。



 声を張り上げる。



「……何て?」


 リリアが聞く。


 アレンは静かに答える。



「……神を忘れた王に、民は導けない」



 広場がざわめく。



 新王は、すぐには答えない。


 ただ、相手を見る。



 そして。



 水路を指す。


 備蓄庫を指す。


 市場を指す。



「……」


 エルミナが小さく言う。


「民を生かすものを示しています」


 セリスが低く言う。


「……神より生活」


 ノアが笑う。


「強いけど、刺さる相手には刺さらないね」



 神殿派は引かない。



 彼らは言う。



 水は神が与えた。


 火も神が許した。


 裂け目も神の道。


 王はそれを忘れている。



「……」


 アレンは沈黙する。



 間違ってはいない。



 この世界は、確かにアレンたちが作った。


 火も、水も、地も。


 最初はすべて与えたものだ。



 だが。



 今、それを使い、生きているのは彼ら自身だ。



「……難しいですね」


 リリアが呟く。


 エルミナが言う。


「どちらも一部は正しい」


 セリスが頷く。


「……だから争う」



 新王は、最後に空を見た。



 初めて。



 だが、祈りではない。



 確認するように。



 そして、すぐ視線を戻す。



 民衆を指す。


 自分を指す。


 地面を叩く。



「……」


 アレンが小さく笑う。



「……神がいても、飢えるなら意味がない」



 その言葉は、広場を揺らした。



 神殿派は怒る。


 現実派は頷く。


 若い世代は迷う。



 時代は、また割れ始めていた。



 夜。



 新王は一人、記録庫にいた。



 神話の記録。


 初代王の記録。


 裂け目の記録。



 それらを、すべて読んでいる。



「……否定してるわけじゃないんですね」


 リリアが言う。


 エルミナが静かに頷く。


「ええ」


「理解しようとしています」


 セリスが低く言う。


「……信じるのではなく、把握する」



 新王は、記録板に新しい記号を刻んだ。



 神は存在するかもしれない。


 だが、政治は神に任せない。



「……」


 アレンはそれを見て、少しだけ目を細めた。



「……いいじゃねぇか」



 ノアが笑う。


「嬉しそう」


「うるさい」



 だが。



 神殿派も、黙ってはいなかった。



 深夜。



 塔の奥。



 白い布の者たちが集まる。



 古い記録を囲み。


 火を消し。


 暗闇の中で、声を揃える。



「……」


 リリアが顔をしかめる。


「これ、嫌な予感しかしないです」


 エルミナが静かに言う。


「ええ」


「儀式ではありません」


 セリスが低く言う。


「……密議だ」



 老いた神殿派の長が、空を指す。


 次に王を指す。


 そして、首を横に振る。



 神を見ない王は、王ではない。



 その意味が、広がる。



「……来たな」


 アレンが呟く。



 神を否定する王。


 神の名を守る者たち。



 対立は、次の形へ進む。



 かつては神を利用する反乱だった。



 今度は。



 “神を守るための反乱”。



 アレンは空を見上げる。



 自分の存在が。


 また火種になる。



「……ほんと」


 小さく息を吐く。



「……面倒な名前になったな、神ってやつは」



――第88話 完

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