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第87話 「王のいない朝」

 その朝。



 都市は、妙に静かだった。



 市場の声が少ない。


 水路の喧騒もない。


 火は灯っているのに。



 熱がない。



「……何かありましたね」


 リリアが小さく呟く。


 エルミナが静かに目を細める。


「ええ」


「空気が沈んでいます」


 セリスが低く言う。


「……喪失反応」


 ノアが珍しく笑わなかった。



 王が。



 目を閉じていた。



 高台の住居。


 簡素な寝台の上で。



 争いもなく。


 苦痛もなく。



 ただ、眠るように。



「……」


 アレンは何も言わず、その姿を見る。



 最初に越えた者。


 最初に学んだ者。


 最初に治めた者。



 そして。



 最後まで、自分たちで決めろと言った者。



「……終わったか」



 リリアが小さく言う。


「……なんか、胸にきますね」


 エルミナが静かに頷く。


「ええ」


 セリスが低く言う。


「……一時代の終焉」



 昼。



 都市中の者たちが、中央広場へ集まった。



 王の身体は高く組まれた台座に安置され。


 周囲には火が灯る。


 誰も騒がない。


 誰も泣き叫ばない。



 ただ。



 深く頭を垂れていた。



「……国葬ですね」


 リリアが呟く。


 エルミナが言う。


「文明が成熟すると、死もまた儀式化されます」


 セリスが低く続ける。


「……共同体の継承確認」


 ノアが小さく笑う。


「死んでも仕事多いね、王様」



 一人の老個体が前に出る。



 王と同世代。


 最初期を知る者。



 空を指す。


 次に王を指す。


 そして地面を叩く。



「……」


「……何て?」


 リリアが聞く。


 アレンが短く答える。



「……天を見た者は、地を残した」



「……っ」


 リリアが黙る。



 やがて。



 火が高く上がる。



 王の身体は、炎に包まれた。



 都市全体が。


 同時に火を掲げる。



 別れだった。



「……」


 アレンは目を閉じる。



 直接語ったことは、ほとんどない。


 だが。



 確かに通じた相手だった。



 夜。



 そして。



 すぐに始まる。



 政治が。



「……早いですね」


 リリアが顔をしかめる。


 エルミナが静かに言う。


「死後の空白は危険です」


 セリスが低く言う。


「……権力真空」


 ノアが笑う。


「ここから本番」



 三つの勢力が現れた。



 一つ。


 王の近臣たち。


 安定継承を求める官僚派。



 二つ。


 武装集団を率いる守備隊長派。


 力による秩序を主張する者たち。



 三つ。


 若い世代の代表たち。


 古い体制の刷新を叫ぶ改革派。



「……うわ」


「面倒くさ」


 リリアが呟く。


 アレンが鼻で笑う。


「……まともな感想だ」



 広場で議論が始まる。



 官僚派は記録と制度を掲げる。


 守備隊長派は治安と強さを語る。


 改革派は未来と公平を叫ぶ。



 誰も間違っていない。



 だからこそ、まとまらない。



「……」


 エルミナが静かに言う。


「理念の衝突です」


 セリスが低く続ける。


「……正解が複数ある」


 ノアが笑う。


「最高に揉める条件だね」



 数日間。



 都市は揺れた。



 市場は止まりかけ。


 役人は指示待ちになり。


 兵は睨み合う。



 内戦寸前。



「……介入します?」


 リリアが聞く。


 アレンは首を振る。



「……まだだ」



 その時。



 広場の端から。


 一人の若い個体が現れた。



 目立たない服装。


 護衛もいない。



 だが。



 歩き方に迷いがない。



「……誰です?」


 リリアが首をかしげる。


 エルミナが静かに観察する。


「記録係の一人です」


 セリスが低く言う。


「……中枢実務層」


 ノアが笑う。


「地味な本命来たね」



 若者は、中央へ進む。



 そして。



 王の遺した記録板を掲げる。



 そこには。


 晩年の王の印。



 ざわめきが止まる。



「……」


 若者は。



 空を指さない。



 武器も掲げない。



 ただ。



 都市を指した。


 水路を指した。


 市場を指した。


 民衆を指した。



「……?」


 リリアが呟く。


 アレンが小さく笑う。



「……神も王もいらない」


「まず回せ、って言ってる」



「……強っ」



 若者は続ける。



 官僚派へ。


 記録を活かせ。



 守備隊長派へ。


 剣は外へ向けろ。



 改革派へ。


 変えるなら壊すな。



 そして。



 自分の胸を叩く。



 責任は自分が持つ、と。



「……」


 広場が静まり返る。



 誰も、すぐ反論できない。



 現実的すぎた。



「……」


 エルミナが微笑む。


「優秀ですね」


 セリスが低く言う。


「……実務型支配者」


 ノアが笑う。


「一番厄介で強いやつ」



 やがて。



 官僚派が膝をつく。


 守備隊長派が武器を下げる。


 改革派が視線を落とす。



 流れが決まった。



「……決まりましたね」


 リリアが言う。


 アレンは若者を見る。



 あの目は。



 王とは違う。



 空を知らない目だ。



 だが。



 地を見ている。



「……時代だな」



 新しい王が、誕生した。



 神を見ていない王。



 だからこそ。



 神話ではなく、現実で治める者。



 夜。



 若き新王は、一人で高台へ立つ。



 空を見る。



 だが祈らない。



 ただ。



 都市を見下ろす。



「……」


 アレンが小さく笑う。



「……嫌いじゃねぇ」



 時代は変わる。



 伝説の王の時代は終わった。



 ここからは。



 現実の王の時代だ。



――第87話 完

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