「城下町の市場調査-巡礼編XXⅧ 家政婦体験篇XⅥー」
【さて……どうする、ヴァル?
ファンファーレは既に鳴り響いている。
ここで吠えなければ、男が廃るというものだろう?】
≪……てめぇ≫
【なんだか? 知らんけど~『潤美万譚』らしい。
どうしてだろうな? う~ん?】
≪お前が設えたんだろうが! 何が『う~ん?』だ。
このへそ曲がりめ!≫
【うん、そうだが? 何か問題でも?
君の怒りを神が保証なさるのなら、俺の奇行だって保証されてしかるべきだろう。
どうだ? 気分は──?】
≪お前はカレー好きの吸血鬼の世界から来たのか?≫
【俺はナンカリーにしてくれ。マトン以外は認めんぞ?】
≪……気分だと? ああ、最高に最悪だ。
……全身の皮を剥がされて、心臓を直接握られてる気分だよ。
満足か? へそ曲がりの神様よ。≫
【そうもすぐに折れてしまうと、つまらないな。
酷く滑稽だろう? ……烏骨鶏だけに、な?】
≪………………っ!
お前、マジで……マジで性格悪いな!!≫
【私の性格など、どうでもいいことだ、ヴァル。
俺が捻くれて、拗らせたのは、世界の女性達の方さ。
そんな、彼女達には猛毒など生温い。
むしろ──「もう! どうにでもして!」とでも言って貰わわねば、この宇宙的な捻れは直らない。】
≪……ああ、そうかよ。世界中の女を泣かせるために、俺をこんな姿にしたってわけか≫
【いや、流石に君という毒薬を盛れば、イチコロだろう?
俺は男だ。無駄に『ショタ』という嗜みも齧っているのだ】
≪……。ああ、そうかよ。……なら、とことん盛ってやるよ。その毒をな≫
【かつてな、伺かというデスクトップアプリがあってな?
君には知らない話だったか。悲しいな、ヴァル君はそれを知らぬのだから!】
≪デスクトップアプリだか神の奇行だか知らねぇが、
今、ここに居るのは俺だ。お前が産み落とした、この……『煮込みきれねぇ劇薬』なんだよ!≫
「麗明を知らぬ君が、今、俺の腕の中で新しい光を見せるんだ。
その光こそが麗明であり、鬼籍という輝石である。奇跡を引き合わせ、
飛跡を描け。──お前を撃ち出す。この天蓋球を紡ぎ、描いてみせろ!」
≪……ああ、分かったよ。そこまで言うなら、描ききってやる。
俺が、この歪な『俺』が、どこまで届くか……見てろよ!≫
【大変、結構だ。
男はそうでなければならない……。
それで、覚悟のほどを測らせて貰おうか?】
≪……測るだと? ざけんな、お望み通り……目盛りをブチ壊してやるよ≫
【有無を言わせるつもりはない。
一度しか言わん。ちゃんと考えろ】
≪………………。ああ、分かったよ。……考えたさ。嫌ってほどな。≫
【貴公、左様か?
まぁ、良い……。改めて、尋ねよう。
質問だ。『魔法少女』とは何だい?】
≪…………魔法、少女…………?≫
【では、発射する!
幸運を祈れ、鷲になって来い!!】
≪……ああ! 祈ってろよ、クソ野郎!
最高に「滑稽」で、最高に「猛毒」な……鷲になってやるよ!≫
≪俺は眸を裡貫く星となる。すべてを貫き、
お前の脳天を──“ブチッ”と貫いて、貴様の定め、
メタという天蓋球さえもブチ抜いて、
曳航の軌跡を描いてやる!≫
ヴァルが魔弾(Glandes magicae )となりて、放たれた。
───銀の矢が魔弾となりて、汝なりや?
【さてと、覚悟キメて。撃ち出しますかねぇ……】
─── 最終点火。
夜は、宵淵──。
青白い光が熱せられ、湯気の向こう側で静かに揺れている。
(ヴァルはあれから黙ったままね……。)
私はそんなことばかり考えていた。
フィーネは、エスリンさんやヴィーウィ先輩と何やら話し込んでいる。
アヴェーラはずっとこちらを見ているが、近づいてくる気配はない。
改めて、ヴァルの言葉を思い出いしていた。
『隣に居ていいか』、『どこでも』───。
(……大丈夫かな?)
最近、ヴァルのオーラを感じたり、ふっと途切れたりするようになってきた。
≪………………。≫
湯気の向こう側。オーラがふっと途切れた、その瞬間。
ナーレの視界からヴァルの「青白い光」が消えた(ように見えた)次の刹那──。
(え……? いない……?)
確かに、ずっとそこにヴァルがいたはずなのに、
今はもう、感じられなくなっている。
(どういうことなの……?)
『それは、ナーレ。難しい話ではない』
私は視線を左に動かそうとした。
『──ちょっと待ってくれ。それ以上はいけない』
『それ以上、動かさないで、僕が困る──』
とても、微かな高い声だった。
(えっ?────)
『見てもいい。君に覚悟があるのなら、私は拒まない。選ぶんだ。──いつもと同じように』
私は息を吸い、気持ちを落ち着かせた。
(ヴァル? 貴方なの……?)
『ああ、そうだ。僕だ──いや、私だ』
ゆっくりと、靄の向こうを覗き込み、
彼の姿を探した。
『──そうも、視ないで。
どうしてこうなの?』
其処には見たことは無い少女がいた。
「……ヴァル、なの?」
『そうだよ。できれば、視線は少し上に置いて置いて欲しい』
私は一瞬、視線を下へ向けてしまった。
それに気づいた私は、私の目を手で覆い隠した。
『ナーレ。だから見ないで欲しかったんだ、僕は……』
「貴方がヴァル……?」
『君にとっての……、とは少し違うけどね。
言っただろう? 僕には性別というものがないんだ』
私は改めて、ヴァルの顔へと視線を合わせた。
白いというより、銀色が縁取ったような髪色で、
瞳は青と紫が混ざり合ったような色をしていた。
そして、柔らかな肌をしていて、
一瞬、女性なのかと思った。
しかし、明らかに──
一部は女性ではなかった。
『……ごめん。あまり見ないでくれ』
ヴァルはそう言って、それを隠すように足を組み、
両肩に腕を回して、自分の身体を抱きしめるような姿勢を取った。
『……すまない、ナーレ。
幻滅しただろう。
タイミングが、少しずれてしまったんだ』
「どういうことなの……?」
『説明したい。見られるのは、やはり慣れないな。
君の隣に座らせてほしい。直接触れる形ではなく──』
ヴァルはそれを隠すように、
湯気の向こう側を左右に動きながらこちらへ近づいてきた。
──私は少しだけ、視線を右へ寄せた。
『そんなに、僕を見たいのか?
ずっと一緒だったじゃないか。
──私が、そんなに欲しいのか?』
「そういう意味じゃないの。
確かに……欲しいけど、そうじゃなくて……」
私は湯気の下で、顔を少し赤くした。
『……ごめん。僕も、そういう意味ではなかったんだ。すまない。私は君を導く者なのに──』
そう言って、ヴァルは私の隣に腰を下ろした。
私はヴァルへ視線を流した。
やはり、女性にしか見えない。
柔らかな輪郭、流れるような肢体。
それさえなければ、少女と言っても間違いようがないほどだった。
『……すまない、僕はこういう姿なんだ。
もう少し、そうだな……分かりやすく説明した方がよかった』
そう言って、ヴァルは静かに、私の肩へ頭を預けてきた。
「もう……貴方って、いつもそう──。
私を惑わせるんだから」
『そうだね。いつも、そうだ。
──はじめましてと言うべきかな。
それとも……お久しぶり、だろうか?』
───────。
『……君がずっと求めていた、私との対話だ。
どうして、こうも拗れてしまったんだろうな』
ヴァルの声は低く、
どこか物憂げな瞳をこちらへ向けていた。
「そうね、拗れているのは最初からだったじゃない?
ヴァル……そうね、レッティーナ。貴方はどちらでもあって、どちらでもない。あの頃は、その意味を理解できていなかったわ。」
『とはいえ、今は一瞬だけだ。
これは、本来の状態ではない』
「え……? ずっと一緒じゃないの?」
『条件は整っている。今は、ここに溜まっている“モノ”を借りて、実体化しているだけだ。」
「君にしか見えていない。
他の者には見えていないんだ』
「ちょっと待って……! えっと……」
『つまり、今の私は、君の網膜が剥離しない限り──映り続けるということだ。」
「君と話すには少し良くないタイミングだが……それでも、君と会えてよかった』
ヴァルはそう言って、微笑んだ。
儚げな瞳と唇が、わずかに震えていた。
「また、意地悪を言うの……?
本当に、罪作りなんだから……そうでしょう?」
『だから、言っただろう? 駄目だと。
僕はね、大抵の女性にこのことを守ってもらえないんだ』
「まぁ、言いたいことは分かるわ。
魅力的よ。その林檎を齧りたくなる気持ち、誰だって持つでしょう」
『僕は、叡智と選択を与えられると言ったはずだ。
君は選び取らなければならない。
天界か、人界か──どちらかを……』
「難しいことを言わないでちょうだい。
目と目が触れ合うだけで、孔隙に触れてしまうようなことは……やめて。」
『僕は口しか使っていない。それでも触れるなと言うのは、酷なことなのか? ナーレ』
「口遊むのは小鳥だけでいいのよ?
孔隙へ言葉を投げ込むその仕草が、狂おしいほど罪作りだって……分からないのかしら?」
『ああ──分からない。
永久に、赤ら顔の奥に隠された君の狙いが、
僕には見えないんだ。
その観劇に、身を震わせているのか? 華というものは。」
「──狂おしいほど、人の心を震わせるのだろうか?』
「難しいことは言わないで。『一つの言葉』を言うだよ。難しい話ではないでしょう?」
『僕が、雌蕊と雄蕊が触れ合うように、
ハチドリのように身を寄せるというのか?
──狂おしいほどに?』
『……いや、駄目だ。
ナーレ、それは駄目だ』
「そうやって、もったいぶるのね?
貴方はいつもそう……こういうところで、自信がないのね?」
『僕は、この生を“聖”として、そして“性”として預かる身だ。そのようなことをしてはいけない。羊が惑ってしまうだろう』
「居るわ。貴方の光に焼かれた乙女が、目の前に…」
『……なるほど? 乙女だけに“音女”であったか。
それは、私が盲いていたということだろうか』
「口撃を遊ぶ、そのことが狂おしいのよ。
貴方が、罪づくりだということを」
『……分からない。』
「いいわ。欲しいなら──考えなくていい」
『そうだな……いいだろう。
そんなに欲しいのなら、あえて考えてもやらん。
だがな……この接吻は、高くつくぞ?』
ヴァルは、細く伸びた腕を静かに動かし、
ほっそりした指先を私の頬へそっと沿わせた。
──────。
『……僕はね、こういうのは嫌いだ。
どういうことか、分かるかい?』
「そうね。貴方はずっと、私を導いてきたもの。
だからでしょう?」
『一度だけだ。約束しろ。
貴様の願いは、いずれ破綻する。
予言ではない。選択でもない』
「乙女って、意外と強いのよ。
そうやって──いくつの星を堕としてきたの?」
『…………それを尋ねるのか?
それは、知り得る叡智なのだろうか』
『腕に抱ける者は、唯、ひとりもいなかった。
皆、約束を破った。──どういうことか、改めて味わうがいい、ナーレ』
彼という存在が、私の前に影を落とした。
なめらかな瞳が、静かに私を捉えている。
『……本当に、嫌な光景だ。
自己破綻そのものじゃないか──。
なぜ、求める? ナーレ。
神聖に真性はない。
種は無いんだ。それを分かっているのか?』
そして彼は、静かにその唇を、私の頬へと触れさせた。湯気の向こうで、時間がわずかに止まったように感じられた。
「貴方が、必要なの。それが真性よ」
『……僕はメンターだ。担い手なんだ。
僕には導く使命がある。
──これは、間違っている』
「いいわ、付き合ってあげる。
貴方が節度を守るなら、孔隙を交わしてみせるわ」
『……最初から駄目だと言っただろう。
君の、その滑らかな地層に、もう接吻したじゃないか』
『そうか……僕は君に口撃する。
その意味を理解しているか?」
「えぇ……裸で孔隙を交すってことでしょ?」
『いいや!口撃と口撃だ。君と交してたら、
僕が毀れてしまう。だから赦してくれ。』
「本当に……分かったわ、口撃してあげる」
(どうしてやろうかしら)
ヴァルは少しだけ後ろへ距離を取り、
そのまま座り込んだ。
その仕草は、
どこか少年めいた無防備さを帯びていた。
『僕に勝てると思っているのか?
私の叡智の深さは、君もよく知っているはずだ。
――今からでも取りやめた方が賢明ではないかな?』
ヴァルはいつもの調子で、私を諭すように言った。
「いいわ。一度、叡智勝負ってやってみたかったの」
『いいだろう。君がどれほど賢いのか、見極めてあげよう。だが――手加減はしない。君の時代に合わせるつもりもない』
ヴァルは、静かにそう告げた。
『小手調べだ。君の目の前にイメージを送る。
それを見て、正しいことを言うんだ』
私の視線にイメージが映った。
独りの男性が林檎と袋を高い所から落としている情景が映った。
それをずっとやるのを繰り返している。
五回くらいそれを見せられて、イメージが終わった。
『では、何が分かった?』
「えっと……重さ?」
『違う』
改めて、別のイメージが送られてきた。
今度は外の風景が変わり、夜だというのに、眩く光る夜景が広がっていた。
暗さはあるのに、どこか空気が白んでいるような、不思議な光の満ち方だった。
映像の中では、人々が朱い帯にハサミを入れ、何かを祝福しているようだった。
文字は一切読めない。
人々は腕を広げ、ゆっくり降ろす動作を何度も繰り返している。
≪バン──≫
≪──ザイ≫
切れ切れに、そんな声のようなものだけが聞こえた。
≪――ホン――ハツ――――セン≫
その音だけが、空気の奥から滲むように、ゆっくりと引き伸ばされて聞こえた。
意味は掴めないまま、しかし奇妙に祝祭めいた余韻だけが残っていた。
『では、何が分かった?』
ヴァルは静かに言った。
「……あれは、多分、祝祭か儀式のようなものだと思う。
朱い帯を切るのは、始まりか区切りを意味しているように見えたし、腕を上げ下げしていたのも、祈りか、何かを迎える動作に感じたわ」
少しだけ考えて、続ける。
「『ホンハツセン』……意味は分からないけれど、発音からして、何かの宣言か、式典の合図みたいに聞こえた。
重力の確認でも、単純な物理の実験でもない……もっと文化的な、象徴に近い何か」
『あれは、今から数千の世界のうちの一つに残された、レガシーだ』
ヴァルは、そう静かに告げた。
その声には、どこか遠い時間を見つめるような響きがあった。
『最終問題だ。とっても難しいぞ。
イメージはもっと強くなる。
準備は良いか?』
「……ええ。大丈夫。受けるわ」
少しだけ息を整えて、まっすぐ前を見据える。
イメージが強くなる予感が、静かに胸の奥で広がっていた
『いいだろう。最終問題は――一番長い』
ヴァルの声がそう告げた瞬間、イメージが、ゆっくりと、しかし確かな圧力を持って流れ込んできた。
最初は、何もない白だった。
≪みぃーん、みみー……≫
熱い。ひどく湿った空気の中で、日光が私の内側まで貫くようだった。
私の前に、汗だくの男が立っていた。
『あの?』
「なんだい? お嬢さん、こんな夏場にそんな格好で?」
一拍、沈黙が落ちた。蝉の声だけが、じりじりと肌を焼くように鳴いている。男は私の返事を待っているのか、それともただ暑さに耐えているのか分からない表情で、額の汗を袖で拭った。
……不快ではない。
ただ、少しだけ胸の奥がざわつく。熱気とは別の、小さな影が、静かに呼吸をしているような感覚。
『……涼しい服、のつもりだったんです』
声は、思ったよりも乾いていた。夏の空気に溶けるように。
男は、ふっと目を細めた。困ったようでもあり、少しだけ優しいようでもあった。
「そうか。……無理はしない方がいい。夏は、思ったより人を疲れさせるからね」
その言葉だけが、妙にゆっくりと、
熱の中に落ちていった。
「ニホンの夏は暑いからね。お嬢さんは、ドコの国からここに? 旅行かい?」
男は、四角い箱――のようなもの――
に向かって何かを操作すると、私に、細長いものを差し出してきた。
受け取った瞬間、指先に、ひやりとした感触が走った。
(冷たい……!)
夏の熱が一気に遠ざかるような、不思議な安堵が、皮膚の表面からゆっくりと染み込んでくる。
胸の奥で、小さく息を吐いた。
さっきまで張りついていた空気が、少しだけ軽くなる。
『……ありがとうございます』
声は、ほんの少しだけ、素直になっていた。
「今年は特に暑いな。年々、暑くなっている気がする。
地球温暖化だって言うだろ? バブルが弾けたと思ったら、今度は環境の問題だ。
CO₂だのフロンガスだの……一体、何が空に噴き出しているんだろうな」
男は半ば独り言のように言いながら、また額の汗を拭った。
細長く冷たいものを持ったまま、私は少しだけ考える。
空気は重く、蝉の声は遠く近く、絶えず世界の端を擦っているようだった。
『……世界は、熱くなっているんですね』
そう言った声は、質問というより、確かめるための呟きに近かった。
「あぁ……南極の氷が溶け始めているらしい。海面も上がっているし、フェーン現象だのなんだのと言う。
地球が、少しずつ壊れ始めているんだろうな。
あの太陽だって、数十億年の昔から光り続けている、燃えているガスの塊だ。……いや、もう燃え尽きかけているのかもしれない」
男は、どこか遠くを見るように空を仰いだ。
熱に揺れる陽光は、静かに、しかし確実に降り注いでいる。
私は手の中の冷たさを、そっと握り直した。
胸の奥で、小さな疑問が、熱気とは別の温度で息をしている。
『……壊れるのは、怖いことですか?』
「怖いさ。怖いよ。それはそうだろ?」
男は、少しだけ苦笑した。
「太陽がもしなくなったら、地球は氷に閉ざされる。すべてが凍りついて、音も、匂いも、時間の流れさえも、静かに止まってしまうだろうな」
その言葉は、暑さの中にぽつりと落ちた影のようだった。
蝉の声が、一瞬だけ遠くなる。
私は、手の中の冷たさを握ったまま、空を見上げた。
眩しいほどに熱い光が、まるで何も知らない顔で降り注いでいる。
『……それでも、太陽は、まだ燃えているんですね』
男は、ゆっくりとうなずいた。
「あぁ。まだ、燃えている。
確かに燃え尽きていて、未だに燃え続けている」
そして、少しだけ優しい声で付け加えた。
「怖いものほど、たぶん……まだ、終わっていないんだ」
男は、静かに嗤った。
あまりにも静かな、薄く溶けるような笑いだった。
「ここに水があるだろ? これが揮発するのは、直ぐなんだ。……見ていてね?」
男はしゃがみ込み、地面に水をまいた。
透明な液体が、乾いた土に広がる。じわり、と染み込むところと、表面に薄く膜を残すところとがあった。夏の光を受けて、水面が小さく震えている。
風もないのに、水はゆっくりと形を失っていく。
熱に押し出されるように、空へ、空へと、静かに消えていく。
『……』
言葉が出なかった。
水が、消える。
音もなく、跡もほとんど残さず、世界の温度に溶けていく。
それは少しだけ、怖かった。
男は、私を見ないまま言った。
「暑さってのはな……何かを殺すわけじゃない。
ただ、境界を曖昧にしていくんだ。固いものも、柔らかいものも、同じ場所に連れていく」
水の輪郭が、じわりと薄くなる。
『……消えるのは、怖いです』
ぽつりと、そう言った。
男は、少しだけ間を置いてから、静かに答えた。
「怖いと思えるなら……まだ、消えてはいないさ。」
イメージが終わった。
『では、何が分かった?』
ヴァルは静かに言った。
─────私は『唯、正しい答えを応えなければいけない』誤まりは赦されない。
『小手調べと言ったはずだ、ナーレ。
君は選び取る。どれか一つを。』
『私は叡智と選択を与える。
ナーレ。君は何処までの叡智があるのか、
見留めよう。』
─────『選別の儀』が始まる。
ラブストーリーだ。
私なりの、一度きりの物語。
――これが、最後の言葉。




