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こちらは神材派遣管理会社「ユル」でございます。  作者: U-SAN
「街道/廻道(かいどう)、繰路(くりじ)巡路(めぐりじ)」
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「城下町の市場調査-巡礼編XXⅨ 家政婦体験篇XXー」

男は、両手で身を庇うように縮こまっていた。


≪なんだそれ? 君がそうしろって言ったじゃないか!≫

僕はそう、コイツに訴えた。


【男が廃るとは言った。女も廃るとは言った。

 両方だと――暫定的に決めたのも確かだ。

 だが、どうなんだ? その肢体は】


≪確かにそうなんだけど……

 その前提で視られると、存在ごと固定される気がする。≫


【俺は男だ。だから欲望の話は単純だ。

 だが――上も下も備えるというのなら、

 お前は何に分類される?

 男か、女か。

 それとも、その区分そのものが誤りなのか?】


≪君が定めたのが誤りだったんだよ。

 僕/彼女と分けた、その瞬間にね。

 呼称を与えたことで、可能性を削ったんだ。≫


【……何処から見ても、お前は“男の娘”にしか見えねぇ。

 だが、それは俺の視界の限界だ。


 もし成熟した女がここに居たなら――


 お前は欲望の対象として“狩られる側”に回る。

 そういう力学の中に、今は立っている。】


≪ナーレは、そういう区分じゃない……。

 少年でも、少女でもない。

 君が“間”と呼ぶ、その揺らぎそのものだ。≫


【ちょいちょい少年と少女のあいだを往復するな。

 俺の理解が追いつかない。

 枠を決めないと、扱い方が分からなくなる。

 ……泣くなよ。

 その涙がどちらのものか分からなくなると、

 俺まで立ち位置を失うだろうが。】


【…………私が定めた。

 だから責任は取る。

 境界を揺らしたのは私だ。】


【それで――

 接吻ひとつで、すべては丸く収まるのか?

 名を与えた誤りも、

 揺らぐ存在も、

 この距離も。】


【……いっそ、確かめるか。

 触れれば定まるのか。

 それとも、さらに壊れるのか。】


≪僕のことを無視して、勝手に結論へ進まないでよ。

 僕は、君の仮説じゃない。≫


【……せめて、その象徴をどうにかしてくれ。

 上半身だけ見れば“女”と断じたくなる。

 だが、それは俺の視覚がそう処理しているだけだ。

 お前自身の答えじゃない。】


【うーん……結局は当人同士だ。

 分かるだろ?

 雌蕊と雄蕊が触れれば、蜜が生まれ、やがて実になる。

 それが自然の補完だ。正しい形だ。】


≪……自然が“正しい”と、誰が決めた?

 実を結ばぬ花は、誤りか。

 蜜を持たぬ花は、不完全か。

 補完とは、欠けているという前提だ。

 僕は最初から欠けているのか?≫


【……。

 俺はただ、分かりやすい形を持ち出しただけだ。

 自然は説明になるが、免罪にはならねぇな。】


【うん。こう考えないか?

 元から分かれていたわけじゃない。


 ただ、別々に見えていただけだ。

 だからこれは、精神の統合だ。ふれあいだ。


 唇が触れるのは――


 花と花が、風に揺れて、千切れてしまった花弁が、

 乱舞する風の中でお互いに触れ合うようなものだ。】


≪……統合と言うけどさ。

 それは二つが一つになることか?

 それとも、最初から一つだったと確認することか?≫


【確認だ。

 境界があると思い込んでいた場所を、

 溶かすだけだ。

 奪うでも、縛るでもない。

 ただ“同じだった”と知る行為だ。】


≪もし触れても、溶けなかったら?≫


【その時は――

 違いを抱えたまま並び立つだけだ。

 それでも、壊れはしない。】


【元から二つで、同時に一つだった。

 内側では分かたれず、

 外へ出た瞬間に“形”を与えられただけだ。】


 【見えにくくなったのは、本質が揺らいだからじゃない。

  観る側が、三つが分けて、二つを理解しようとしたからだ。】


 【根本は誤っていない。

  ただ、正しい在り方が

  単純ではなかっただけだ。】

 

【唯、あるがままに行け。

 光を目指せ、ヴァル──。

 だが、その前に為すべきことがある。】


男は、剥き身のナイフを差し出した。

柄を、静かに僕へ向けて。


≪……これは、何の象徴だ。≫


【境界だ。

 切り分けるための道具だ。

 お前が“二つで一つ”だと言うなら、

 それを証明するには、

 まず分けられるかを知る必要がある。】


刃は光を反射している。

冷たいが、揺らがない。


≪切れば、どちらかになるのか。

 それとも、両方を失うのか。≫


【選べ。

 統合は言葉で出来る。

 だが、覚悟は行為でしか示せない。】


さっきまで、男は落ち着きなく歩き回っていた。

床を測るように、思考を踏みならすように。


だが今は違う。

僕の前に、まっすぐ立っている。

逃げも、揺らぎもなく。


剥き身のナイフは、もう象徴ではない。

選択そのものだ。


≪……迷いは、消えたのか。≫


男は答えない。

ただ、そこにいる。


佇むというのは、

動かないことじゃない。

退路を断つということだ。


【とっととやれよ、ヴァル。

 俺が覚悟を決めないまま――

 また、どこかへ逃げちまう前にさ。】


ナイフはまだ、僕の手に渡されていない。

ただ、差し出されたまま。


≪……それは脅しか。≫


【違う。

 俺はいつもそうだ。

 境界の前で、怖じ気づいて、

 “また今度”にする。


 だから今だ。

 お前が選べ。

 俺が逃げる前に。】


刃は光を受けている。

だが、本当に震えているのは――

男の声だ。


≪覚悟が要るのは、俺じゃない。

 そこに立ち続ける、お前だ。≫


【理屈はいい──。早く来い──。

 抱きついてこい、ヴァル。


 この俺に――DIVEしてこいよ。

 壊れるのが怖いのか?】


男は腕を広げる。

刃は、もう視界の端にあるだけだ。


≪……壊れるのは、どっちだ。≫


【両方だろ。

 境界に飛び込むってのは、

 そういうことだ。


 でもな。

 壊れない関係なんて、

 最初から“触れていない”だけだ。】


空気が張り詰める。

飛び込めば、定義は揺らぐ。

飛び込まなければ、永遠に保留だ。


≪……光を目指せと言ったのは、お前だ。≫


【あぁ。

 だから来い。

 理屈じゃなく、重さで証明しろ。】


─────神が、抱き着こうとしている。

救済か。

それとも、相打ちか。


差し違える覚悟が、空気を裂く。


≪どうなっても知らないぞ!?

 主よ!!≫


【朕と呼べ──!。 この世界において、

 唯一無二の創造神である!。】


腕は開かれている。

だがそれは、抱擁の形をした“審判”だ。


≪創造神だと?

 ならば問う。

 創ったものに抱き着くとは、

 救うことか。

 呑み込むことか。≫


【どちらでもない。

 創造とは分離だ。

 抱擁とは回帰だ。


 お前が飛び込めば、

 世界は一度、閉じる。】


神は笑わない。

ただ、待つ。


≪閉じた世界に、光はあるのか。≫


【ある。

 朕が在る限りな。】


僕はDIVEした───。


視界が砕ける。

空気が潰れる。


男の圧を、真正面から受け止める。

骨が軋むほどの重さ。

逃げ場のない密度。


生臭い匂いがした。

血と、土と、汗と、

生きてきた時間の匂い。


───とても、暖かい。

嫌いではなかった……懐かしい匂いがした。


≪……神、なのか。≫


鼓動がある。

規則正しく、乱暴に。


それは創造の拍動ではない。

ただの、人間の心臓だ。


抱擁は呑み込みではなかった。

圧し潰しでもない。


境界が、曖昧になる。


二つが一つになるのではない。

二つのまま、重なる。


【なんだっ……なかなか……ヤルジャナイ……───

 凄くサミィなァ……ヴァル──】


───────。

「……消えるのは、怖い。」

───確かに、そう感じた。


けれど、それはヴァルが望む答えではない。

だから、私は言葉を探す。静かに、もう一度。


「ヴァル? 応えて欲しいの。……私が選ぶのよね?」


≪そうだ。君は選び取る。どれか一つを≫


……沈黙が、一拍だけ落ちた気がした。


胸の奥が、少しだけ重くなる。怖いのかもしれない。

それでも――逃げるわけにはいかない。


「……分かったわ」


私は、ゆっくりと息を吸った。

そして、静かに、告げる。


「───怖くてもいい。……消えてもいい、感じてもいい。

 それでも私は、選ぶわ。」


一度、言葉を区切る。胸の奥で、何かが静かに震えている。


「ヴァル。……貴方が欲しいの───」


ヴァルは少し、眼を瞬かせた。

まるで、予想していなかった言葉を受け取ったかのように。


きょとん、とした表情。ほんのわずかに、

時間が止まったような沈黙。


「……え?」


低く、困惑した声が零れる。


そして、次の瞬間。

どこか照れたように、しかし真剣さを隠さずに、ヴァルは問い返した。


「それは……どういう意味だ?」


「こういうこと!」


私は彼の横に並んで、そっと座った。


「……何が、『君の網膜が剥離しない限り、映り続ける』よ。

 そんな大げさなことを言わなくてもいいの。――そのまま、貸してあげるわ」


少しだけ笑って、静かに続ける。


「私が、貴方の隣にいる。……それだけよ」


「ナーレ……」


ヴァルは、静かに私の名を呼んだ。


そして――――――。


そっと、私の手を取った。


逃げるようでも、縋るようでもない。

ただ、確かめるような、穏やかな動きだった。


指先が触れて、ゆっくりと絡まる。

まるで、壊れ物を扱うみたいに、優しく、手を組んだ。


温度が、静かに伝わってくる。

沈黙が、怖くない沈黙に変わる瞬間だった。


「僕は……僕の答えを、まだ言っていない。

 修道女の前で、懺悔すらしていない」


ヴァルは、そう静かに言った。。


握られた手に、ほんのわずかだけ力がこもる。

けれど、それは縋る強さではなく――踏みとどまるための強さだった。


「……懺悔なんて、いらないわ」


私は、ゆっくり首を振る。


「貴方が何を背負っていてもいい。

 怖がっていてもいいし、迷っていてもいい。……それでも」


一度、息を吸う。


「私は、貴方の隣にいるって、決めたの」


少し間を置いて、私の言葉がヴァルの胸に届くのを感じた。


「ありがとう……。それでも、懺悔させてくれ。

 そうでないと――僕は、聞き入れてくれない。

 僕の愛が、壊れてしまうのが怖いんだ」


その声には、迷いと覚悟が同居していた。

強くも弱くもなく、ただ、真っ直ぐに私に向かって揺れている。


私はそっと、彼の手を握り返す。

指先から伝わる温もりに、言葉はいらなかった。


「良いわ。貴方の声を聞かせて。

 それで、『選別』してあげる」


静かに、しかし逃げ場を作らない声で言う。


「『一つ』も選べなかった……だから、悔いているって、そう聞かせて頂戴」


握った手に、ほんの少しだけ力を込める。

責めるためではない。確かめるためでもない。


ただ――彼の声の形を、受け止めるために。


ヴァルは少し、呼吸を整えた。

その様子はとても清らかだった。


「Ἐπίτρεψόν μοι ἐν τοῖς ὀφθαλμοῖς τῆς παρθένου φωτισθῆναι,

ὡς εἰκὼν ἡσύχιος ἐν βάθει ὕδατος.


Μὴ λογισθῇ ἡ βία τῶν ὀμμάτων μου,

ὅτι ἐτόλμησα εἰσελθεῖν εἰς τὸ μυστήριον τῆς ψυχῆς σου.


Κύριε τοῦ φωτός, ἐπιτίμησόν με τῷ ἐλέει σου,

καὶ ἐν τῇ ἀγάπῃ σου σκέπασόν με ὡς νεφέλη ἡσυχάζουσα.


Τὴν ὁδὸν τῶν μοιρῶν μου κατεύθυνον·

ἵνα ἐν τῷ φωτὶ σου ἀνατείνω,

καὶ ἐν τῷ ὀνόματί σου ἀναπαυθῶ.」


「……なんて───言ったの、ヴァル?」


小さく、問い返す声。

聞き間違えたのではないかと確かめるように。


ヴァルは、ほんのわずか微笑んだ。


「君を愛していると囁いたんだ。

 ナーレ。……君が、大好きだ」


静かな声だった。

飾りも、誇張も、証明もいらないと言うみたいに。


握られた手の温度だけが、ゆっくりと、確かにそこにあった。


そして、その双眸が、そっと私の双眸に重なる。

艶やかな光が、静かに水面へ落ちるように映り込む。


次の瞬間――熱を帯びた呼吸が、唇の端をかすめた。

言葉にならない熱が、静かに、しかし確かに伝わってくる。


それは、優しく、深く、私という乙女に注がれる。

静謐な愛の形だった。


「ヴァル。もう……」


小さく、囁くように零れた声。

胸の奥が、熱と静けさのあいだで揺れている。


「なんだい? 今更、溶け合うのが怖いって言わないでくれ。

 僕に自信を持てと言って、君が導いたんだ」


その言葉には、少しだけ、

甘く苦い覚悟が混じっていた。


逃げ道を作らない優しさ。

けれど、押し付けもしない静けさ。


握られた手の温度が、ほんの少しだけ強くなる。

まるで――答えを待つみたいに。


「私も、口にしてほしいってことでしょ?

 分かっているの。……貴方だけ先んじて待っているのは」


そこまで言って、私は言葉を止めた。


胸の奥に意識を沈める。

雑音を切り落として、ただ一つの感情だけを見つめる。


握られた手の温度。

呼吸の静かな揺らぎ。

そして――私の中で、形になりかけている答え。


ゆっくりと、集中する。


……今、言うべきことは、一つだけだった。


「最初は怖かった。……でも」


一度、言葉を区切る。胸の奥に、静かな熱が広がる。


「貴方と一緒だったから。……私は、此処にいるの」


握った手の温度を、そっと確かめるように。


「だから、今更……『私だけ』って言うのは、やめて?」


囁くようでいて、逃げない声だった。

揺れているのは感情ではなく――覚悟そのものだった。


私も、一呼吸を置いた。


ヴァルができたのだから。

彼が、静かに自分の言葉を紡いだのだから。


――私にだって、できるはず。


胸の奥の鼓動を、ゆっくりと数える。

怖さを押し込めるのではなく、ただ隣に置く。


そして、静かに、口を開いた。


「Utinam anima virginis me in luce sua suscipiat,

sicut ignis tacitus sub molli fulgore solis dormiens,

sicut flamma quae de profundis silentii fontibus ascendit.


Ne in peccatum vertas oculos meos ardentes,

quod audacter mysteria animae tuae tetigerim.


O Domine tenebrarum, misericorditer me corrige,

et in amore tuo accende me, velut lumen serenum inter umbras quiescens.


Duc viam eius ad rectitudinem fati,

ut in luce eius stare valeam,

et in nomine tuo requiem inveniam.」


私は、彼の言葉に応えるように、

乙女を清め、静かに、しかし熱を孕んで立ち上がった。


仄かに、深く、燃えるような熱。

花弁が凪を押し流し、静寂の嵐が舞い上がる。


白く揺らいでいた神秘を、そっと胸の奥に抱き寄せて。

消えかけていた光を、もう一度、呼吸の中に宿す。


そして――彼の唇に、誓いを置いた。


震えない声で。

逃げない魂で。


この愛の在り処を、確かめるように。


「好きよ。ヴァルが一番、大好き。」


静かに、けれど迷いなく、そう告げた。


飾りも、理屈も、証明もいらない。

ただ、胸の奥から零れた、まっすぐな温度だけを乗せて。


指先が触れている。

呼吸が重なる。

世界の音が、少しだけ遠くなる。


それでいいと、思った。


*******


彼との相瀬の時間が、静かに、

ゆっくりと流れていく。


……そして。


彼の輪郭が、薄くなり始めた。


世界に溶けていくみたいに。

手の温度だけが、まだ残っているのに。


「どうも、時間切れみたいだ。

 済まない。……僕は、力不足だ」


その声は、変わらず優しかった。

焦りも、悔恨も、無理に押し殺している気配もない。


ただ――終わりが近いことを、静かに受け入れている響きだった。


「また、私の中に還ってしまうの?」


声が、少しだけ震えた。


「いいや、少し違う。

 君には、僕の相だけを見せたんだ」


薄れゆく輪郭の中で、ヴァルは静かに放った。


還るのではない。消えるのでもない

ただ、重なりすぎないように、少しだけ距離を残したまま――


彼は、そう在ろうとしているのだと、分かった。


「次の僕は、僕ではない。

 彼女だ。……だから、よく考えて?」


薄れゆく声が、静かに告げた。


終わりではない。

けれど、同じ形でもない。


彼の温度が、ゆっくりと指先から離れていく感覚があった。

怖さと寂しさが同時に胸を満たすのに、不思議と、泣きたいとは思わなかった。


……そうか。

彼は、そうやって続いていくのだ。


私は、静かに息を吸った。

次の言葉を、選ぶために。


「良いわ。貴方が貴女になるの?

 ……突拍子もないトリックアートね」


少しだけ、笑みを含ませて言った。

寂しさを隠すためではなく、受け入れるための静かな笑みだった。


「彼女は、君を知っている。

 ……けれど、彼女なりのやり方だ。

 だから、よく考えて」


「どうすればいいの?」


小さく、問いかける声。

迷いと不安が、静かに滲んでいた。


「簡単だよ。……僕に対するやり方では、だめだ。

 違ったアプローチが必要なんだ」


薄れゆく声は、急かさなかった。

まるで、答えを見つけるのは君だと、静かに委ねるみたいに。


「ナーレ。……『乙女の嗜み』ってやつを、魅せてくれ」


それだけ言い残して。


ヴァルは、湯気の向こうへと、静かに溶けるように消えていった。


残されたのは、ほのかな温もりと、まだ消えきらない声の余韻だけだった。

私は、ゆっくりと、拳を握る。


――乙女の嗜み。

それが何を意味するのか、胸の奥で静かに問い返しながら。


「おーい! ナーレ。どうしたんだ、ずっとボケっとしてて。」

フィーネが、急に私の顔を覗き込んできた。


「……ううん。とても素敵なことが起きたの」

私は、少しだけ微笑んで答えた。


「なんだよ! またおやすみ前の『おはなし』か?」


「そうね……『御伽噺』としては。

 私としては、満天よ?」


フィーネは、空を見上げるみたいに、眉をひそめた。


「今日は月は視えないよ。ナーレ、大丈夫か?」


その問いに、私は、ゆっくり頷いた。


……大丈夫。


月が見えなくても。

彼が視えなくても。


胸の奥には、まだ、

温かな光が残っているのだから……。

【───ヴァル君? どうだったかな。

 私の“瀕死役”は。】


男は、まだ腕の中に僕を抱えたまま、

喉の奥で笑った。


【フッ──。

 死ぬわけがないだろう。

 物語は、まだ序盤なんだからな。】


≪……やはり、芝居か。≫


【芝居? 違うな。 


 ──演出だ。


 神が死にかけるからこそ、

 被造物は覚悟を決める。


 お前は飛び込んだ。

 それが答えだ。】


暖かさは消えない。

だが、緊張だけがほどけていく。


≪俺を試したな。≫


【あぁ。そして朕もまた、試された。


 お前が飛び込まなければ、

 この神は本当に空虚だった。】


≪お前……!!≫


僕は、まだ胸元を掴んだ指に、力が少しだけ入った。


【ハハハ! 行けよ。

 光の中をな?


 好きなだけ朕を刺し殺せ。

 何度でもだ。】


神は笑う。

だがその胸は、先ほどと同じく温かい。


≪……死なないと分かっているから、言える台詞だ。≫


【違うな……。

 刺されるたびに、

 朕は“お前の神”になる。


 創造神とはな、

 物語の都合で死に、

 読者の願いで蘇る存在だ。】


光が背後で揺れる。


≪ならば、俺は刺す。神格をだ。

 お前が人間であることを証明するために。≫


【それでいい。神を殺せ。

 そうして初めて、お前は主役になる。】


笑い声は、もう嘲りではない。

ただ、舞台を譲る音だ。


【さて――

 君の前に次に出向くのは、次は“本番”だ。


 それまで、よく考えておけ。】


 〖楽しかったぜ?

 お前との刺し違い"ごっこ"は。


 これからもコミュニケーションはしてやる。

 せいぜい、軽やかに足掻け。

 タップダンスでも踏むようにな。


 “実体”はすぐだ。よく、姫と一緒に考えろ。〗


笑い声は、遠ざかる。

だが気配は消えない。


≪……本番、だと。≫


光の中に残されたのは、

温もりではなく、課題だ。


刺し違いは遊戯。

次は――選択。


男は消えていった。

唇だけが、薄く笑ったままだった。


【あぁ───そうだ。

 お前が『実体』と【霊体】になるってことだ。


 貴殿に真性を与えてやる。

 好きにどこにでも行け】

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