「城下町の市場調査-巡礼編XXⅥ 家政婦体験篇XⅥー」
霧の中で、言葉が波紋となって世界を揺らす。
「う~ん………なんか滑ったなぁ……」
私はその言葉を、灰色の霧に溶けるように吐き出した。
≪ギリシア語は果てしなく、永遠の川のように延びている──
読者の十中八九は、その流れに溺れ、迷子になるだろう≫
文字は空間を漂い、意味は光のかけらのように散らばる。
耳を澄ませば、言葉が静かに囁き、夢の縁をかすめていく──
「ヴァルってさあ、思ったこと、
本当にさ、バチクソに云うよね?」
私は思ったことを、冷たい影のように、静かに意趣返した──この異種に。
声は空気を裂き、時間の縁をかすめ、向こう側の存在を震わせた。
≪お前の意志は、遺志を貫く──
だが、読者達は迷子になるだろう?
お前は余白を切り裂き、幻想をねじ込み過ぎる!≫
声は霧の奥から響き、言葉の刃となって、
静かに俺の胸を貫いた。
迷宮は生きている。
文字は螺旋を描き、行く手を覆う。
読者はその中心を目指して歩くが、道は幾重にも枝分かれし、
出口はどこにも見えない──
そして私はただ、言葉の渦に身を委ね、
創造の神へ投げ飛ばすしかなかった。
(術中は十中八九───!! 雁字搦めだっ!!)
文字はねじれ、空間に散り、霧と影の間で勝手に踊り出す。
流れに身を預け、全てを託す──迷宮は生きている。
ミラーボールの光が霧を裂き、オニュクス・メラスのお立ち台を照らす。
ボディコンに身を包み、ジョリ扇を振るその姿──
偶像崇拝達は、90年代のユーロビートに乗り、
お立ち台で「パラパラ」の幻影を描く。
光は屈折し、踊る影は迷宮の壁に絡まり、
現実と幻が渾然一体となる。
「一体全体何が始まる? 何がハジケル?」
≪それは良かった。弾けて飛んで──≫
90年代の光が弾け、音が宙を裂き、静かに、その始まりの鼓動を刻む。
────全てが弾け、溶けだし、滲み、空間は時代の色彩に侵される。
世紀末が始まり、誰だって身を委ねる。
ミレニアムマジック。
全て泡になって粉々になった。
【確かに、狂ってて、トチ狂ってたな。
サイケデリック・トランスだったよ────】
黎明期の麗明は余りに、
サイケデリック・トランスだった……。
「弾けようぜ!? 今夜だけ、最高に露光してる……
お立ち台で踊り狂うの、怖がってんの居んのか?
居ねぇよな~? おい!?」
男は無駄に我儘なボディにボディコンを纏い、偶像崇拝達と共にビートを掻き鳴らす。
文字は音に呼応して跳ね、渦を巻き、光の波紋となって空間を覆った。
パラパラの動きが、壁や天井に絡み、時間の流れをねじ曲げる。
音は文字に宿り、文字は光に宿り──迷宮は踊り狂う。
ミラーボールが、
ミラージュ・スコールのように光を撒き散らす……。
≪最高にイカレてる───≫
≪最高にトチ狂ってる───≫
俺はお立ち台に立つ神を見た。
淫らに、しかし狂おしく踊る神。
だが、眸は常に冷たく、鋭く、迷宮を見渡すように俺を捉えていた。
文字も、光も、音も、全てがその視線に反応し、
渦を巻き、空間をねじ曲げる。
俺の身体も心も、備え付けの壁も、踊る文字も、
全て──神の視線の中心で揺れ動く。
──常に見られていた。
俺の事を、全てを───
【全てが傅く───全てがっ!!】
この神の周囲で、塑像神までもが狂い咲き──
光も影も、文字も音も、全てが渦となって螺旋を描く。
狂気が孕んで、世界が膨張し始めた。
──神はただ冷たい眸で全てを見渡す。
神は嘲る──
その渦の中心で、全ての光と音、文字と色彩が彼の意志に従い渦巻く。
俺は傅き、平伏した。
全身を迷宮の床に預け、地面に唇を触れさせた瞬間、
渦は俺を抱擁するように螺旋を描き、文字と光が絡まり、時間すら震えた。
──神の嘲りが、音となり、色となり、俺の血潮の中で反響する。
迷宮は静かに、しかし確実に、俺と神を一体化させていた。
【ファンタジーを試行せよ】
その声だけが、渦巻く光と文字の余韻の奥底から、ひそやかに聞こえた……。
耳ではなく、心で感じる言葉。
──世界の破片も、迷宮の壁も、音も色も、
全てがその声に揺れ、ひとときの静寂に包まれる。
最後に残るのは、絶対的な指令でもあり、
希望でもあり、狂気でもある──
──ファンタジーを試行せよ。
───≪Λέων──Πέμπτος Οἶκος≫────
私達はエレベーターホールに着いた。
ここに立つと、この屋敷が「変」という領域を超越しているのが、身体ごと感じられる。
確か、一階はオルトゴーニオン形(ὀρθογώνιον)だったはず。
だが、この階層は──ロムボス型(ῥόμβος)の構造を帯び、空間が微かに歪んでいるように見える。
(あの光る柱のせいなの……?)
淡い光が周囲を包み、遠近感はぼやけ、床も壁も微妙に揺れているように錯覚させる。
──文字通り、空間そのものが迷宮を描き、時間までも波打っている。
私はフィーネを案じる。
彼女の瞳は、白と黒の狭間で揺れ、迷宮の影響を如実に映し出していた。
この屋敷は、彼女の性分を巧みに弄ぶように設計されている。
意図せずとも彼女を試す迷宮の一部となっている。
それとも――
導くお三方が選んだお散歩コースゆえに、空間は歪んでいるのだろうか?
壁も床も、光も文字も、淡く波打ちながら、私達の意志の軌跡を描いているようだ。
──この屋敷は、迷宮そのものが生き、歩く者の選択をねじ曲げるのかもしれない。
「そうでしたわ、私達は昼食もまだでしたわね……」
「お嬢様? そうですね。
これもお嬢様のお願いを試行なさったせいですよ?」
ヴィーウィ先輩とアヴェーラが互いに言い合う声は、
迷宮の壁に淡く反響する。
「それもそうなんだけどさ?
そろそろ、眠いのもあるんだよね」
フィーネは、迷宮の縁に触れるように、本音を漏らした。
「アヴェーラ? フィーネの言うのも仕方ないわ。
私達、ずっと歩いてばかりだわ……」
私は困った顔でアヴェーラに漏らす。
アヴェーラとエスリンさんは立ち止まり、
二人の瞳が、淡く揺れる光の中で絡み合った。
「どういたしましょうか? お嬢様。」
「そうね───」
アヴェーラは、あの「トレードマーク」を淡く光る指先で示した。
空間の渦が、微かに揺れ、文字や光の波紋が彼女の意思に反応するかのようだ。
「ヴィーウィ、準備して?」
その指令が、迷宮の空間を越えて、ヴィーウィ先輩に届いた。
「えっとぉぉ。準備といいましても……
まだ、着いてませんよ?」
ヴィーウィ先輩は、持ち場の手不足を嘆くように、飽きれた声を迷宮の空間に投げた。
文字や光の渦は微かに揺れ、彼女の声に呼応するかのように跳ねる。
「そう──みたいね?
二人とも、もう少し我慢して頂戴?」
彼女の微笑が、光の波紋となって空間に広がる。
しかし確実にその笑みに応えるように揺れた。
私達は角を曲がる。
壁と窓、光る柱──視覚に映るのはそれだけ。
しかし、通路はただ一筋に延びているわけではない。
似たような場所をぐるぐると廻っているような感覚に、心が縛られる。
光は淡く揺れ、柱の光が渦に微かに映り、迷宮は自らの存在をささやくかのようだ。
──角を曲がるたび、空間はわずかに変形し、時間までもねじれる。
同じ場所に戻っているのか、別の場所に来ているのか、感覚は溶け、迷宮はじっと私達を見つめている
「二人とも! 着きましたよ!」
ヴィーウィ先輩は、久しぶりに弾けるような笑顔で声をあげた。
かつて最初に出会ったときのように飛び跳ねることは減り、微かに息を弾ませている。
──迷宮の通路を経て、
光も文字も揺れ続けたこの空間を抜けた証のように、
彼女の声は渦に反響して残る。
(先輩も疲れて、きているみたいね……)
心の片隅でそう感じながら、私は微かに安堵を覚えた。
──迷宮の時間は、少しだけ緩やかに流れを変えたのだ。
あぁ……長かった。
入り口に銘板がぶら下がている。
≪Δωκατεριμόρια──Τραπέζαρια≫
中に入ると、テーブルとイスがあり、
イスが十二脚……ある。
テーブルにまた、文字が刻まれてある。
≪Λοξός Κύκλος≫
よっぽど、初代と二代目という人はここを大切にしていた。
そんな気持ちを刻み込んでくる。
椅子にはそれぞれの意匠がされてある。
どれも見たこともないようなもの。
「席に着いて、二人とも?」
アヴェーラは十番目の椅子に座って、私達に促した。
「はいはい、分かったよ。
クタクタだから。座るって」
フィーネはぶつくさと言って、七番目の椅子に腰かけた。
(私はどれにしようかな?)
──空いている椅子は十脚もある。
≪うーん。フィーネの隣で良いんではないかな?≫
ヴァルが困った私に手を差し伸べる。
(そうだね、相談するにも隣の席がいいわ!)
私は六番目に腰を掛けた。
≪俺も疲れたよ、精神的に……≫
最近──私はヴァルの空気感を感じられるようになった。
正確には、オーラと言うべきか。
ヴァルは十二番目の椅子に陣取り、
その体が椅子に溶けるように伸びているのを、私は微かに感じ取った。
「っさて。第一保護者様は何を彩ってくれるんだ?」
「そうね。出てからのお楽しみ手事かしら♪」
二人は掛け合いをしている。
エスリンさんとヴィーウィ先輩は、
先ほどからずっと食事の準備で忙しそうだ。
(ちょっと手伝った方が良いかな?)
私は二人が会話に夢中になっている間に椅子から降りて、エスリンさんとヴィーウィ先輩を手伝いに様子を見ることにした。
二人はせっせと、五人分の食事の準備をしている……。
「ナーリュ! 君は座ってていいんだよ?」
ヴィーウィ先輩は盛りつけに手を動かしながら、こちらをちらりと確認して言った。
「でも~。忙しそうですし。お皿くらいなら……」
私は、自分にも出来そうなことを口にした。
どうやら、ここにはカートリーが無いらしい。
「ヴィーウィ、少し手伝ってもらいましょう。
ナーレ様も、一応は家政婦体験のために居ますから」
エスリンさんは、パントリー一式をなんとか両手で抱えていた。
ヴィーウィ先輩はちらりと私を見ると、くすっと笑いながら、「分かった、手伝うのね」とこちらにお皿の入った籠を手渡してきた。
私は少し照れくさそうに肩をすくめながら、
籠を手に取り、エスリンさんの隣でそろりと動いた。
エスリンさんは五人分のナイフを拭き、きちんと並べて整えていた。
「これで……完成ですね」
家政婦体験のためだけに用意された素材たちで、なんとか夕食の準備が整った。
どうやら、家政婦さんたちは普段からこのようなものを食べているらしい。
ポタージュのようなスープにパン。
多分、鳥の肉だろうけど……。
明らかに、家政婦用としては贅沢すぎる食事だ。
「なんだか、豪華ですね?」
私は思ったことを、そのままエスリンさんに口にした。
「お嬢様が言うんですよ。家政婦体験でしょ♪
家政婦らしくしたいけど、祝いたいのよ?」
エスリンさんは、アヴェーラのトレードマークを真似しておどけて見せた。
(やっぱり、最初からそうだったんだ……)
私は、導かれるようにしてここに来たのだと、やっと理解できた。
*********
私たち三人は、食堂に戻ってきた。
フィーネは不貞腐れたまま、テーブルにぴたりと張り付いている。
アヴェーラはいつものトレードマークのしぐさをして、退屈そうに時間をつぶしていた。
「お待たせ致しました。お嬢様方」
エスリンさんは恭しくお辞儀をして、アヴェーラに声をかけた。
「あら……ナーレも手伝ってくれたの?
椅子に座ってて良いのよ?」
アヴェーラは、エスリンさんに向かって軽く微笑んだ後、こちらに視線を向けた。
──────────
アヴェーラはそれから黙った。
≪ナーレ、お辞儀してあげなさい。≫
ヴァルがそんなことを言う。
(あっ……そうか)
アヴェーラは私をじっと見つめている。
「大変、お待ちして……申し訳ございません」
少し恭しくお辞儀をし、舌をちらりと出して首を傾げた。
(アヴェーラは徹頭徹尾、
≪乙女の嗜みを求めている──≫)
アヴェーラは私に微笑み返した。
そして、視線を私の頭を飛び越えて向けた。
「それでは、食事にしましょ♪」
ヴィーウィ先輩はやっと元気を取り戻した。
「早くしてくれ……このままだとへばっちゃう」
フィーネはテーブルにぴたりと張り付いたまま、そう告げた。
**********
エスリンさんとヴィーウィ先輩は、アヴェーラとフィーネの前に夕食を並べている。
私は、自分の分をそっと並べた。
やっと、エスリンさんとヴィーウィ先輩が自分の分の夕食をそっと並べ、席に着いた。
エスリンさんとヴィーウィ先輩は、アヴェーラとフィーネの前に夕食を並べている。
私は、自分の分をそっと並べた。
やっと、エスリンさんとヴィーウィ先輩が自分の分の夕食をそっと並べ、席に着いた。
エスリンさんは四番目の席に座り、
ほぼ同時にヴィーウィ先輩が三番目の席に着いた。
「それでは、祈りを」
エスリンさんがそう促す。
どうやら、ここでは食事の前に祈るらしい。
エスリンさんが指を組み、眸を閉じた。
アヴェーラも、ヴィーウィ先輩もそれに倣う。
私たちも、自然とその様子に身を委ねた。
「Hodie tibi, sancte, laudibus plena, iuro;
Hac victa re, vocis tuae sonitu fidem pono;
Spondeoque sacrum, ut maneas divinus in hoc corpore.」
エスリンさんの声が、この≪Δωκατεριμόρια──Τραπέζαρια≫に響き渡った。
その声は高らかに、堂々と空間に満ちた。
アヴェーラはまっすぐに手を組み、瞳を閉じて息を整えている。
ヴィーウィ先輩も肩の力を抜き、静かに呼吸を合わせていた。
私の胸の奥まで、声の振動が届く。
思わず目を閉じ、自然と手を組んでいた。
テーブルの上の蝋燭の炎が、微かに揺れるのを視界の端に感じる。
フィーネは少し眉を寄せているけれど、じっと座って祈りに身を委ねている。
空気が震え、時間がゆっくりと流れていくように思えた──。
「――******!」
エスリンさんが力強く宣誓した。
(また、聞くことができなかった……
その御身の名を。私は、まだその名を聞くことが許されないの?)
≪Deus verecundus, tacitus tremens, resplendet;
Náire, reverenda, cui nullus audet obstare;
Sine pudore procedit, qui recta ad illam venit.≫
ヴァルがそのようなことを口にした。
私は、その意味を理解しようとして戸惑った。
(それは───どういう意味?)
胸の奥がずっともやもやしてくる。
(神様って……何───?)
≪Ἀεί, ἀπὸ τῶν ἀρχαίων ὧν,
βρύει μῶσχος, ἕστηκεν ὁ ὑπάρχων,
ἀπὸ τῶν ἀρχαίων ὧν ἀεί.≫
ヴァルのその言葉だけが、私の胸に届いた。
呼吸が一瞬止まり、胸の奥が微かに震える。
静寂の思いが、この心に深く刻まれて──。
手のひらにうっすらと汗が滲み、背筋を冷たい空気が撫でた。
(貴方と一緒なのね。
貴方と一緒──
私に、共に佇む者──)
────答えは、最初からあった。
視えていないだけで、見えていたんだ……。
身体のすみずみまで、
静寂と納得がゆっくりと私の心に波を立てた──。
──ファンタジーを試行せよ。
男は無駄に我儘な、
そのボディにボディコンを纏い、
偶像崇拝たちと共にビートを掻き鳴らす。
文字は音に呼応して跳ね、
渦を巻き、光の波紋となって空間を覆った。
踊り狂う神の言葉は、真理を裡から貫いた。
至極全うな話をしているのだ。
神は真理と狂気の狭間で、虚偽の踊りを魅せる。
ミラーボールがそれらをヴェールのように纏わせ、
生成された霧が光を帯びて乱射し、反射を繰り返す──。
キャバレーで、
Dancing all night──Tonight, dawn.
踊る影を渦巻かせる。
男も偶像も神も、ビートに身を任せ、
狂気と歓喜の境界線を滑るように舞う──。
文字は音に呼応して跳ね、光の波紋となり、
空間を覆うヴェールのように霧を照らす。
神は名乗ることを放棄している。
私たちは、生涯、その名を聞くことなく、ただ見続ける──。




