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こちらは神材派遣管理会社「ユル」でございます。  作者: U-SAN
「街道/廻道(かいどう)、繰路(くりじ)巡路(めぐりじ)」
85/112

「城下町の市場調査-巡礼編XXⅢ 家政婦体験篇Ⅺー」

さぁ! やるわよ、私。


(私がずっとしたかったこと。

 ずっと──……一緒、よね?)


少し不安を抱いた願い。

甘酸っぱくて、純粋な想い。


ずっと三人。

ずっと一緒。


白と黒の鏡が、ぐるぐる回って。

目が追いつかないほどに、ぐるぐると。


鏡合わせにくっついた、その隙間から

アイツの聲が滲み出る。


【あと少し♪ もう一回!】


【もう少し、

 ま~だだよ】


【もうちょっと──……

 もう、何回目?】


狂った調子で、

嘲笑した。


【もうちょっと──……

 もう、何回目?】


【もうちょっと──……

 ま~だだよ。──まだ早い】


【もうちょっと──あと少し♪

 ──もう一回!】


【もう一回!】


【もう一回──!】


「……もう一回!、

 何度でも──、──何度も」


扉絵に激突した神様に、

私達は出会った。


【もう──、良いよ♪】


虹色の扉絵の先に── 

────フィンリーさんは言った。

≪本日の『家政婦体験』は……無事、終了≫


けれど、アヴェーラはこう言っていた。

≪今日の午後は、館の皆さんの身の回りのお世話をさせていただく予定≫


(……どっちが“終わり”で、

 どっちが“これから”なの?)


行事としては幕引き。


でも、アヴェーラの中では――

まだ、役は降ろされていないらしい。


「では、ヴィーウィ先輩♪

 連れ立ってくださいまし」


アヴェーラは不敵な笑みを湛えて、

ヴィーウィ先輩を急かした。


「えっとぉ……」


ヴィーウィ先輩はどうも、

予定外の出来事だったらしい。


視線が、

フィンリーさんとアヴェーラの間を、

右へ、左へと行き来する。


「あのぉ……どう為さいましょうか?」


ヴィーウィ先輩は視線を振るのをやめ、

誰もいない空間へ、その言葉を放った。


……拾う役は、もう決まっていた。


「そうね──。もう昼を越してしまっていますし。

 ティータイム……というのも難しいですわね」


──どうも……どちらも決めきれていないようだった。

互いに譲る気はあるのに、

誰も最初の一歩を踏み出さない。


アヴェーラは、ちらちらとこちらを意識しているし。


ヴィーウィ先輩は、フィンリーさんへと

ちらちら視線を投げていた。


「────そういや。

 確認してなかったんだけどさ?

 今日の午後を終えたとして、俺達どうすんの?」


こういう時のフィーネは、

本当に、助け船を勝手に出してくれる。


アヴェーラは少し、

外の情景へと視線を動かした。


私も外の情景を見るために、

視線を動かす。


(外は少し、雪が強くなっている。

 此処からだと、商家の施設の側面しか見えず。

 どこを切り取っても、真っ白だった。


 ……行き先みたいに)


(私が──

 音頭を執るしか、ない)


「確か──中央広場から、

 別館に繋がっている……んでしょ?」

私は記憶を頼りに、アヴェーラに尋ねた。


「えぇ──。普段なら、

 中央広場から、四阿を経由して、

 家政婦住居である≪別館≫に行けますわ♪」


アヴェーラはいつもの癖をやりつつ、

どこか楽しげに、満足した様子を醸し出した。


(最初から、アヴェーラは≪別館≫に行きたかったらしい。

 ……なのに、

 自分からは、決して言い出さない。


 誰かに言わせる方が、

 ずっと楽しいのかな?)


≪……いいや、ナーレ。

 状況を見なさい。


 曲がりなりにも商家とはいえ、

 立場上、彼女がでしゃばるのは得策ではない。


 ──面倒だとは思うが。

 彼女を立てておけ≫


「えっと──つまり、

 俺達は別館で『御厄介』になる。

 そういうこと?」


フィーネは眉間に皺が寄るほど、

「うーん、うーん」と唸りながら、

それでも要点だけは掴んでいた。


「そうよ──!!」


アヴェーラは腰に腕を組んで、

反り返った。


ヴィーウィ先輩は、今までのやりとりで、

やっと理解したようだ。


……が、

ポーズの件だけは譲れないらしい。


『お嬢様、それは私のポーズです。

 取らないで下さい』


「それでは──

 お嬢様。お二人はここに置いて、

 『私達は≪別館≫に参りましょうか?』」


ヴィーウィ先輩はお父さんとフィンリーさんに

一度だけ視線を送り、

それが合図であるかのように、そう言った。


「そうね。ここでの『先回り』は失敗したから、

 別のことで『先回り』しましょ♪」


……アヴェーラは何を“先回る”つもりなのかは、

あえて言わなかった。


「それでは、お父様、おじさま。

 これにて、失礼いたします。

 ごきげんよう──」


アヴェーラは恭しくお辞儀をした。

その仕草だけは、

どこまでも“お嬢様”だった。


ヴィーウィ先輩はそれに遅れて二人にお辞儀をし、

アヴェーラについていった。


フィーネと私は、少しだけ目配せを交わしてから、


「すいません、フィンリーさん、お父さん! これで!」


慌ただしさを隠しきれないまま、

急いで二人の後を追った。


残された二人の声が、

応接室から遅れて漏れ聞こえてくる。


≪乙女の嗜みってのも、限度がある≫


その言葉が、どちらの口から発せられたものなのか。

それとも、二人の声が重なったのか――

今の私には、到底判断できなかった。


**********


私たちはエントランスホール──

玄関正面の大階段前を横切った。


「アヴェーラ、改めて尋ねるけど、

 別邸にはどう行くの?」


私はアヴェーラを先頭に、来た道を戻っている。


「先程、中央広場のエレベーターで此方に参りましたが、

 ≪別邸≫に今から向かうのでしたら、≪空中通路≫を使いましょう。」


アヴェーラはヴィーウィ先輩越しに、ゆっくりと私を振り返った。

その視線が私の肩越しにほんの一瞬触れ、まるで私の心を測るように揺れた。


彼女の瞳の奥に、わずかな好奇心と遊び心がちらりと光る──

それは微笑みにも似て、しかし確かに警告にもなった。


視線はすぐに前方に戻るが、私の胸にはまだその余韻が残った。

距離は物理的には同じでも、心理的には彼女と私の間に微かな壁が立ったままだった。


「ナーリュ。≪空中通路≫は、そこまで難しい話じゃないよ!

 別邸に向かう通路の屋根部分は、内部が通路になっているの。

 外から見ると屋根だけど、だから皆は≪空中通路≫って呼ぶんだよ!」


ヴィーウィ先輩は私を振り返り、にこやかに説明した。


頭の中でヴィーウィ先輩の言葉を整理する。

アヴェーラの余韻がまだ消えないまま、歩調を合わせて前に進んだ。


中央広場に着くと、二階から一階の家政婦たちが、

右往左往と動き回る様子が見えた。


「あっちよ」

アヴェーラが私達に指差した。自然と視線はそちらに向かう。


ラウンドアバウトのような円形通路は三方向に分かれている。

そのうち二本は、この二階に繋がるための通路と、通路を迂回するための通路だ。


残り一本は──私たちの対面に、小さな遊び場(広場)と一つの扉がある。

その扉は少し奥まって、凹んでいるように見えた。


一階の家政婦たちは中央広場で右往左往と動き回っている。


その上を縫うように、私たちは静かに進んでいく──視線の先には、あの扉が控えている。


「あの扉の向こうが≪空中通路≫。

 その先で、私たちの『お家』に着くんだよ!」

ヴィーウィ先輩はアヴェーラに代わって、にこやかに説明してくれた。


一方、アヴェーラは何も話さず、距離感を保ったまま、私たちの動きを静かに見守っていた。


「アヴェーラ──? また碌な路じゃないんだろ?」

フィーネは、いつもの疑心暗鬼が顔に浮かび始めた。


「フィーネの直観は正しいですわ。

 家政婦たちは≪打ち貫く通路≫と称して通りたがらないようですし」

アヴェーラは、例の癖で落ち着いた口調で返答した。


「えっとぉ、≪打ち貫く通路≫ではなく、

 ≪裡貫く通路≫の間違いです、お嬢様」

ヴィーウィ先輩は、アヴェーラの言葉を軽く訂正した。


≪裡貫く通路──妙だな?≫

ヴァルも同じく、疑問を抱いたらしい。


(どうしたの、ヴァル?)


≪裡貫く通路、ナーレ。

先程、ヴィーウィ先輩は≪空中通路≫のことをきちんと説明した。だが今はどうだ?

何故また、その意味を曖昧にしたのか。≫


(どういうこと……?)


私の頭の中で、言葉がぐるぐると回る。

ヴィーウィ先輩は確かに説明したはずだ──


でも、アヴェーラの言い方や、微妙な反応を見ると、

なんだか全てがもう一度曖昧になったように感じる。


裡貫く通路──その名の意味は理解できるはずなのに、視覚で見ている建物の構造と重ねると、頭の中でどうも噛み合わない。


安心すべきなのか、警戒すべきなのか、

私の判断は揺れていた。


「通路に入ったら、

 各自『カンテラ』を持たないとダメなんだ。

 とっても……遠いから!」


ヴィーウィ先輩は、あまりこの通路を通るのを好まない様子だった。

声の端に、微かに警戒心と面倒くささが混じっているのが分かる。


「今は此処を通るしかないわ。

 一階からの通路を通りたいかしら?」


「いいえ、お嬢様。あちらの通路は今は通れません。死んでしまいます」


ヴィーウィ先輩の声には、ただの忠告以上の緊張感が込められていた。


私の心臓は少し早鐘を打ち、通路の長さと薄暗さが頭の中で映像になった──


これを通り抜けるのか、と思うと、

胸の奥がぞわりとする。


「ナーリュ、フィーユ。さっき、広場の一階からも道があるけど、そちらからでも別邸には行けるの。でも、今の天気じゃ……」

ヴィーウィ先輩は、広場の天井をじっと見上げていた。


広場の天井の一部はブラウン・ガラスであしらわれており、その向こう側で、風が一方向に物凄い勢いで雪を巻き上げているのが見えた。


「今、あちらの通路を通るのは駄目よ。

 左右には壁がないただの通路だもの。

 腰上はブラウン・ガラス製だから、実質的な壁にはなるけど」


「お嬢様、柱と屋根以外はほとんど腰以下しか壁がありません。それに、一部は庭に出るために通路自体が途切れてますしぃ~」


──どうやら、一階の広場に来たときに見た右側の通路は、まさにそんな通路らしい。


「おいおい、どうして、なんでそんな造りにしたんだ?」

フィーネは呆れ果てた声をあげ、思わず両手を軽く広げた。


「それは私が応えた方が宜しいそうですね、

 フィーネ様───?」


(聞き慣れた声が、私たちの後ろから聞こえた)


≪うむ───私にも既視感がある。

 ……もう、声に出した方が良いのだろうか?≫


振り返る間もなく、背後の声が皮膚の奥にじんわりと緊張を走らせる。

フィーネは軽く眉をひそめ、私は思わず呼吸を整えた。


──やはり思った通り、彼女がそこに居た。

予想通り、アヴェーラとヴィーウィ先輩は言葉を噤み、互いの視線だけで状況を確認している。

三人の沈黙と微妙な間が、通路の冷たい空気以上に緊張感を漂わせていた。


「エ───エスリン婦長……」

ヴィーウィ先輩は、自然とその女性をそう称えた。

声には、驚きと敬意、そしてわずかな緊張が混じっていた。


「あら──エスリン。此処に居たのね?」

アヴェーラは、いつものように白を切り、微かに笑みを浮かべながらも、目だけは鋭く相手を見据えていた。


「はい。お嬢様の自室にて、待機しておりました」

エスリンは、いつものように笑顔を崩さず、アヴェーラの応酬に軽やかに答えた。

その笑顔の奥に、ほんのわずかな苛立ちが隠されているのも、私には見逃せなかった。


「エスリンさん、ごめんなさい。いつもの発作なんです」

私はエスリンにそう伝えた。


「大丈夫ですよ、ナーレ様。『いつも』の『発作』ですから」

エスリンは軽くため息をつき、呆れたような、

どうにかならないものかという微妙な空気を漂わせていた。


私はその表情を見て、思わず少し肩の力を抜いた。


「先程のご質問に対して、お答えします、フィーネ様」

エスリンは、いつもの調子で軽くお辞儀した。

その丁寧さに、ナーレの胸の奥で自然と緊張が引き締まる感覚があった。


「オウ──……」


フィーネは勢い余って、思わず変な応答をしてしまった。

慌てた口ぶりに、周囲の空気が少しだけ緩む。

アヴェーラは冷静なまま微かに眉を動かし、私たちの間に漂う緊張感をそっと確認しているようだった。


「嘗ての初代──オリヴァー・モーレイ、つまりご当主様のおじい様ですね。

オリヴァー・モーレイは、空の声を聴きたいと申して、一階の通路を作らせました。

二階の通路は、後にご当主様ご自身が作られたものなのです」


「二階の通路が『裡貫く通路』と呼ばれる所以は、すぐに分かると思います。

カンテラは、扉を開けて入ったすぐ横の棚にありますから」


「それって、入ってからのお楽しみってことかよ……。

お前の一族ってやつは、驚かせるのが好きなのか?」

フィーネはアヴェーラに視線を向け、ちらりとエスリンに戻す。


そのやり取りに、私も思わず息を飲んだ。


「申し訳ございません、フィーネ様。

 これは序の口に過ぎません……。」


「初代──オリヴァー・モーレイは、星を臨みたいと

願い、そのために別邸を造りました。

私たちはこれから、その通路を通って向かうのです」


「エスリン、開けて頂戴──?

 その方が、きっと良いと思うの」


アヴェーラは落ち着いた口調で、しかし微かに強い意志を込めて、エスリンに促した。

エスリンは一瞬視線をアヴェーラに送り、軽く頷く。


その間、私たちの間には一瞬の静寂が漂い、

通路の冷たい空気がより張り詰めたように感じられた。


エスリンさんを先頭に、五人で『裡貫く通路』へ向かった。


円形通路を渡り、小さな遊び場(広場)と一つの扉に繋がる一本の路を歩く。

途中で、なぜか壁際を沿って進むという妙な道だ。

壁越しに、外の冷気がひんやりと伝わってくる。


この一本の路は、通路の壁に基礎がくっついた構造で、

「路」という言葉では表現しきれない。

むしろ、壁から飛び出した端を渡る、と言った方が正しいだろう。


しかも幅は、独り分しかない。

なぜ、こんな危ない路を作ったのだろうか──。

思わずナーレの胸の奥に、緊張と戸惑いが広がる。


≪そもそも、この路自体──。

 急遽作った、というのが正しいのかもしれない。


 もとは一階の通路のみであった。

 しかし……冬になれば、全く通れない絶対の孤島になる。

 ≪別邸≫になるのだ≫


ヴァルが、そんなことを口にした。


(なんで────?)


≪それはだな、ナーレ。

 ──それが浪漫。──だからだ。≫


───やっと、私たちは渡り切った。

意味不明な路を、一歩一歩確かめながら。


冷たい風と雪の余韻が、まだ肌に残る。

心臓は少し落ち着いたけれど、安心できるわけではない。

──この先には、さらに意味不明な場所が待っているらしい。


エスリンさんは、扉の前で立ち止まった。

そして、手にした布で何十回も、丹念に扉の表面を擦る。


擦るたびに微かに木の香りと冷たい金属の感触が伝わってくる。


その仕草には、ただの掃除や清拭ではない、慎重さと儀式めいた意味があることを感じた。


私たちは息をひそめ、エスリンの動きを見守る。

雪と冷気で緊張していた体の力が、さらに背筋に走るようだった。


「大丈夫なんですか? エスリンさん?」

私は、この先を見たいようで、同時に見たくもなかった。


「大丈夫ですよ、ナーレ様。

 ただ──異常に遠いのです」


「誰もが、この凍てつく通路を──

 『空中通路』を通りたがらないのです」


エスリンさんは、そっと、恐ろしいことを口にした。

その声の奥に潜む静かな重みが、私の背筋に冷たい緊張を走らせる。


エスリンさんは危険な扉を開いた。


────確かに、『空中通路』という呼び名は語弊ではない。


屋根の中央部分と、

腰上以上は、ブラウン・ガラス製で覆われている。


腰下は、白く塗装された石で作られた床が、

ずっと向こうまで続いていた。


そこからなだらかに上り、

途中からゆるやかに下っている。


ガラスの向こう側は、全て───

外の景色が広がり、冷気はまったく遮られていなかった。


風がガラスに吹き付け、微かに雪の粒が跳ね返る。

その冷たさが、腰下の石の床を伝い、足先までじんわりと染み込むようだ。


──この通路を歩く者に、寒さだけでなく、

緊張感も押し付けてくる。


カンテラは確かに、入ってすぐ横の棚にある。

十五個のカンテラ──。


この寒い通路で、一つのカンテラだけが手に渡される。


その光は、夜空の下、ガラス越しに広がる真っ暗な空に解き放たれるようだ。


凍える冷気と闇の中で、ほんの小さな光が頼り。

その灯りを頼りに、私たちはこの意味不明な通路を進むしかない──。


≪今日は星が見えないな……≫

ヴァルは独りだけ、悠長な様子だった。


(貴方はいいわね、体がなくて……)

私は、悠長なヴァルに内心で憤った。


≪あぁ──体が無いな。

 ナーレ。私は、ここに居るという実感がまったく得られない≫


その言葉を聞きながら、私は足元の狭い通路と、吹き込む霊気を思い浮かべる。

ヴァルは悠長だが、私には一歩ごとに神経をすり減らす現実がある──。


「早く行きましょう……悠長はしておられません」

エスリンさんが、淡々としかし確実に私たちを急かす。


「エスリンさん、どれくらい歩くんだよ?」

フィーネは、この酷寒の通路で現実的な問いを口にした。


その声が、ひんやりとした空気に微かに反響する。

──通路は長く、幅は独り分。


「フィーネ様……どれくらい……

 蝋燭が一本分……でしょうか……」


その言葉に、私たちは息を飲んだ。

──エスリンさんは、本当に、本当に恐ろしいことを口にしたのだ。


冷たい空気が胸に刺さり、通路の奥に漂う闇の重みが、五人の心を押さえつける。

一歩ごとに、慎重さと緊張が増していくのが分かった。


≪はぁ……はぁ……蝋燭一本だと……?

 長さ115mmくらいの蝋燭一本!?≫

ヴァルは、ようやく現実に戻ってきたようだった。


あんまり聞きたくない話のはずだ。


(それって、どれくらいの時間……?)

 ≪大体、1時間10分くらいだ≫


(イチジカンジップン──??)

ヴァルの言った言葉が、全く頭に入ってこない。


聴いたこともない言葉で、

何を指しているのか全く分からなかった。


五人は、慎重に通路へ足を踏み入れた。

星々は私達を無慈悲に導ていく。

白いヴェールの向こう側で。


手にしたカンテラの炎が、石の床と壁をかすかに照らす。


光は小さく揺れ、影が壁に長く伸びる。

その揺れに、まるで通路自体が呼吸しているかのような錯覚を覚える。


一歩、また一歩──。


白い石床が外界にある雪と混じって、

何処が床石か外の雪なのか………


息をひそめ、足音を最小限に抑え、全神経を床と手元の光に集中させる。


冷たい風が壁の隙間から吹き込み、顔や手を容赦なく打つ。

息を吸うたびに、肺の奥まで冷気が染み渡る。


「……まだ半分も来てないんじゃないか?」

フィーネの小さな声が、緊張の静寂を割った。


──蝋燭はまだ、元気に半分くらい残っていた。


「落ち着いて、フィーネ。 急いでは駄目よ……」


アヴェーラの声は低く、しかし確かな響きでそう告げた。


その声が、狭く冷たい通路に微かに反響する。


「あと少しで、四阿だから……頑張って!!」


ヴィーウィ先輩は、無理に元気を装った声で励ます。

けれど、息遣いと足の震えから、本当は私たちと同じくらい緊張しているのが分かる。


私は、カンテラの小さな光を頼りに、凍てつく通路を慎重に進む。


一歩ごとに冷気が肌を刺し、狭い壁際で足を踏み外さぬよう神経を集中させた。


──あと少しで、四阿。

まだ見えぬ終わりに、心は揺れたままだ。


*********


≪四阿──≫


通路の中間にあるはずのその場所は、

遠く感じられた。


歩き続ける時間と冷気のせいで、

まだ先が見えぬような錯覚に囚われる。


──蝋燭が、ようやく半分を示したその頃、

私たちは≪四阿≫にたどり着いた。


少しの安堵が、心の奥にじんわりと広がる。


しかし、冷たい風と狭い通路は、

まだ私たちを解放しようとはしなかった。


一歩進むごとに、闇と冷気の圧迫が、

再び全身にまとわりつく。


床と屋根の境目には、

ほとんど隙間と呼べるものはない。


石と石の間。

一センチの隙間すらないほどに、

ガラス張りで覆われている。


ここが──

四阿の「屋根」にあたる空間なのだと、

ようやく理解した。


私たちの足元には、

四阿の基礎となる石組みと石畳が透けて見た。


この屋根の端には、

一階の四阿へと降りるための階段があった。

壁に沿うように取り付けられた、細く、頼りない階段。


見下ろすと、

石畳と石の机、椅子。


それが石床と石床の間から、

ガラス越しに歪んで見えた。


──降りようと思えば、今すぐにでも降りられる。

だが、その事実が、かえって足元を不安にさせた。


「今は、おやめになった方がよろしいですよ。

 ナーレ様。――『下』には行けません」


エスリンさんは、

私が階段の方へ向けた視線に気づいていたかのように、低く、はっきりと釘を刺した。


その一言で、

背中に張りついていた冷気が、

さらに一段、重くのしかかる。


私は思わず、

足先を階段から遠ざけるように、一歩引いた。


階段の奥から、

ずっと「ゴォー……ゴォー……」と、

低く、鈍く、誰かの鼾のような音が響いている。


でも、そこに生き物の影は見えない。

それでも、確かに“眠っている何か”がいるように思えてしまう。


(外界の風が壁を沿って、

階段から昇っては、引いて行く。

でも、頭ではソレが何か理解していた。)


(しかし──……。)


《四阿が呼吸しているのさ、

 ナーレ。四阿が胎動している──》

ヴァルがソレを補足した。


──下に行けば、どうなるのか。

考えるまでもなく、直感で分かってしまった。


「誰だよ……こんな通路を考えたやつ……!」


フィーネは、

ぶつける先のない怒りを抱えたまま、

行き場のない苛立ちを吐き出す。


怒鳴りつける相手は、

この世にはもういない。


それが分かっているからこそ、

声だけが虚しく、通路に吸い込まれていった。


四阿の壁にラテン語ではない文字が刻まれていた。


『Ἐνθάδε ὁρῶ τὸν ἄξονα τοῦ κόσμου·

ὁ μὲν ἄγγελος τοῦ βορέου καταδύεται,

ὁ δὲ ἄγγελος τοῦ νότου ἀναβαίνει·


κλίνουσι δὲ ἀλλήλοις

καὶ κύκλον χαράσσουσιν,

καὶ οὕτως περιέρχεται ὁ κόσμος.


— ἔτει πέμπτῳ』

 

≪我はここに世界の軸を視る──≫


ヴァルは、

そこに刻まれていた文字を、

まるで昔から知っていたかのように諳んじた。


風の音に紛れて、

その声だけが、ガラス張りの通路に低く反響する。


(……どうして、そんな言葉を知っているの?)


問いかける前に、

私は背中に、ぞわりとした悪寒を覚えていた。


≪ナーレ。私は、知識と選択を与える神だ。

読めて当たり前だろう。――当然ながら≫


ヴァルの声は、

いつもと変わらぬ軽さだった。


それが、かえって怖かった。


≪どうやら、この予言は真理を突いている。

 この世界の在り方、そのものだ≫


ヴァルは淡々と告げた。

まるで、“知っていた事実を確認しただけ”のような口調で。


それが、私の胸の奥を、ひどくざわつかせた。


「ナーレ。……どうしたのですか?」


アヴェーラは、

ずっと壁の一点を見つめたまま動かない私に、

静かに声を掛けてきた。


その声は、

気遣いのようでもあり、

どこか探るようでもあった。


私は、

慌てて視線を逸らし、

何も考えていないふりをした。


「ううん……なんでもない。

 それより……『此処』って、どういう場所なの?」


私は、ガラス越しに歪んで見える壁の奥をちらりと見やりながら、この空間そのものについて問いかけた。


さっきまで、“何か”を感じ取っていた自分を、

誤魔化すように。


「ここは、見ての通り──四阿の“屋根”ですわ。

 二代目、ヴァーディ・モーレイが造ったものです」


「お嬢様……!

 その方のお名前は、口にしてはなりません」


エスリンさんは、

言葉を遮るように一歩踏み出し、

低く、しかしはっきりと制した。


その声色には、

ただの作法や礼儀ではない、

“触れてはいけない何か”への畏れが滲んでいた。


「よろしいではありませんか。

 もう、その方は荼毘に臥せておられます。

 それに……魂だって──」


「それは……そうですが。

 ですが……」


言いよどむエスリンさんの言葉に、

ヴィーウィ先輩はが苛立ちを隠さず割って入った。


「婦長、いいじゃない!

 あんな……気狂いな方を……」


言い切った瞬間、通路の冷気が、

いっそう鋭くなったような気がした。


「一体、何の話なんですか?

 その……二代目って?」


私は、どうしても気になってしまった。


「二代目、ヴァーディ・モーレイは……その、

 大変、造詣の深いお方だったと。

 そのように、大叔母から聞き及んでおります」


エスリンさんは、

もうこの世にいない人物に向けているとは思えないほど、

畏れ多そうに一礼した。


「話によると……ヴァーディ・モーレイ様は、

 暗い空に奔る光を見ただの、

 この世はすべて“運航している”だの、

 死の女神はその貌を変えて、消えて往くだの……

 そんな言葉を日誌に書きつけていたそうです。


 そして――死ぬ前に、その日誌を、

 この屋敷のどこかに隠した。

 ……そう言われております」


───とても不気味な話を、

私たちは聞いてしまったのかもしれない。


『死の女神はその貌を変えて、消えて往く、だってさ。その爺さん、もう耄碌してるよ。

女神なんて、数えるくらいしかいないじゃないか』


フィーネは指を折りながら、

ぶつぶつと女神の名を連ねていった。


≪あぁ……成程。そういうことか。≫


ヴァルだけが、

私たちの知らない“結論”に辿り着いているようだった。


(……やめてよ。

 そういう言い方、いちばん怖い)


≪ある意味では、怖い話だな。

 ───とても不気味で、

 人の正気を削る類の話だ。

 まだ生きていたら、話してみたかった≫


「……長話が過ぎましたわ。

 早く参りましょう……」


アヴェーラは、

それ以上の言葉を許さないように、そう促した。


エスリンさんは胸の前で静かに十字を切り、

再び、船頭を務める位置へと戻った。


風でガラス達が漣を揺らしていた。


≪……なるほどな。

 “ガラス達”は、そういう意味だったか≫


その言葉だけを残して、ヴァルは黙った。


私はそれ以上、

何も問い返せないまま──

別邸へと、足を速めた……。


視線が床石に注がれる。

其処に不思議なマークがあった。


《◎》それが別邸に向かう途中で形を変えていく。

次に見たのは《✙》──。


その意味はまるで分からなかった──。

虹色の扉絵の先に──

また、出会った。


扉絵に激突した神様に──

また、出会った。


またまた、其処に斃れていた。


【奇異なことを尋ねよう。

 ──君が、何を視たのか?】


謎だけを残して。


虹色の扉絵の先で、

私は再び──

激突した神様と出会った。


《ASC》──。

読者達はナーレ達よりも早く。


別邸の玄関に到着した。

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