「面妖で異質! 正社員広告」(In.Ⅰ)
俺は帰宅して、投函ポストに入っていたチラシや新聞をなんとなく取り出した。まだ何か残っていないかと、つい目を凝らす。
どうやら、ポストの奥にまだ一枚、薄っぺらいチラシがあるようだった。
俺は腕を突っ込んで、それを引き抜こうとするが――これがなかなか厄介だ。どんなに引っ張っても抜ける気配がない。何度も挑んでみたが、まったく事態は好転せず。
おかしい。ポストの奥に何かが挟まるような構造なんてないはずなのに――。それだけで、もう十分に面妖だ。
時刻はすでに二十二時を回っており、俺の住むアパートの周囲には街灯の光しかない。人影も、まったく見当たらない。
ここは最寄り駅から三本も奥まった路地にあり、地元民ですらめったに通らない道だ。
もしこの道を知っている地元の人がいたとしても、ここは”爆速で通り抜ける”ための穴場的な道でしかない。
そんな場所でポストと格闘している俺の姿は、どう見ても浮いていただろう。
というより――こんな場面に立ち会った誰もが、チラシがポストの奥に挟まって出てこないという奇妙さよりも、俺自身の方を「異質な存在」として見るに違いなかった。
――でも、それすらも序章にすぎなかった。
やっとの思いで、薄っぺらいチラシをポストから勢いよく引き抜いたその瞬間、バランスを崩して尻もちをついた。痛む尻をさすりながら立ち上がる。
チラシは、街灯に照らされてふわりと舞いながら、地面に落ちた。俺はそれを拾い上げて、愕然とする。
チラシは――面妖で、異質だった。
(……誰だよ。こんな時代錯誤なチラシ作ったやつ……)
それは、まさに衝撃だった。面妖とか、異質とか、そんなレベルじゃない。
俺の中にくすぶっていた、ティーンエイジャーの魂を揺さぶるような奇抜さだった。それは、まるで一種の黄金期。青春そのものだった。
あの頃、嫌ってほど目にしていた。あの時代を生きていた者にとって、それはもう、”幼なじみ”みたいな存在だった。
個人ホームページ、ダイアルアップ接続、ネットゲーム、キリ番記念イラスト、リンクを踏んで彷徨うネットサーフィン――。
あの、どこか熱に侵された、狂おしいほどの”元凶”。それが、今この瞬間、現代に蘇ったのだ。
1989年から眠り続けていたそれが、手を携えて顕現した――そんな感じだった。
仄暗い夜空に張り付いた死の女神が、一瞬だけ俺に微笑んだ気がした。朧げで、眠たげな彼女の瞳が、そっとチラシを見つめていた。
チラシには、サイケデリックな配色で彩られたゴシック体の文字が踊っていた。
「新たな担い手を支え、共に成長しませんか?」
「誰かを救い、皆から称えられる人気の職!」
「弊社はそんなジンザイを求めています」
「職種:ジンザイ派遣管理(移転、派遣)。新たな担い手を育成・管理し、その者を救うお仕事です。
多くの救い手が、あなたを必要としています。」
(なるほど……これは新手の詐欺か?)
この手のやつには、以前も手を焼いた。「サーフレッドは渡してないんです」などと言いながら、その場で宗教的な冊子を差し出してくる“あれ”と、どこか同じ匂いがする。
だが――読み進めていくうちに、俺の心は奇妙な魅力に縛られていった。
「チラシを受け取った人のみ、面談不要!! 即日正社員!!」
(めっ……面談不要!? 即日正社員!?)
(なんだこれ! 渡りに船じゃないか!)
俺は思わず小躍りした。
こんな幸運、そうそう転がっていない。
今日一日、何も良いことがなかったこの俺に、突然差し込んできた歓迎の光だった。
俺はチラシを何度も確認した。
必要事項以外にも、大事なことが抜けていないか、隅から隅まで目を通した。
端の方に「神材派遣管理会社 ユル法人会社」という社名とロゴ、そして住所が記されていた。
俺は裏面にも何か情報があるかとチラシを裏返した――が、そこは白紙だった。
(勤務地、給与、福利厚生……何一つ書かれてない……?)
(履歴書の提出すら記載されてないなんて、そんなのアリかよ……)
何かが胸の奥でざわついていた。
漠然とした、言葉にならない不安――だが、どこか引き寄せられてしまう。
明らかに“臭う”。このチラシ、ただものじゃない。
異様だ。異様なんだが――何が異様なのか、うまく説明できない。
俺はひとりでヘラヘラと笑い始めた。
こんなに馬鹿みたいに楽しいのは、いつぶりだろうか。
(この時代に、よくもまあこんなチラシを……)
(けど、これはすごい! 誰が作ったかは知らないが、この時代にこのパッション……最高だ!)
明らかに地雷。鼻をつくほど香ばしい。
だが俺は――面白半分で、このチラシに書かれた住所へ行ってみることにした。
パッション。それだけで説明がつく、久しぶりの初恋のような高揚。
俺の胸に、失われたティーンエイジャーの幻影が蘇り、心を締め付けた。
(こんな地雷みたいなチラシで、人生が変わるなんて――誰が想像できる?)
(いいじゃないか。たまにはパッションに身を任せたって――罰は当たらねえよな?)
死の天使達が、夜空の向こうで光り輝き、俺の未来に一筋の光を差した。
――だがこのとき、俺はまだ知らなかった。
「そんなはずがない」という常識が、どれほど簡単に壊れてしまうものかを。
人生というものは、時に自分の想像をはるかに超え、空間も時間も超越して姿を変える。
俺にとって、そんなものはただの御伽噺か、幻想小説の話だと――
この時までは、本気でそう思っていた。




