「幻術騎士、招集の命により開城を求める。」
俺の主な仕事は、医療訪問販売と回収業務による営業である。
専ら販売が担当で、回収に関しては管理スタッフの仕事となる。
果たして、うまくいくだろうか……。
いつも通りにこなせるかどうか、今はもう不明だ。
今なお、カウントダウンは明滅しながら、「私をよく見て頂戴!」と唸り続けていた。
そして今、インターホンの釦によって、開戦の鬨が告げられたのだ。
俺はインターホンを押すと同時に、営業モードのスイッチを入れた。
無血開城の要求に応じ、老婆が玄関扉を弱々しく開けた。
ドアチェーン越しに、老婆は俺を見据えてきた。
「汝、名を申せ!」
老婆は覇気を含んだ声でそう尋ねたが、瞳は潤み、内心ほっとしているようにも見えた。
「我が名は幻術騎士である!
王の招集により、猊下に参上した!」
幻術騎士は道化のような笑みを張り付かせ、銀の全鎖鎧――フルメイルに身を包んでいた。
ぎこちなくも恭しく一礼する。
「汝のことは、王より聞き及んでおる。開城するゆえ、待つがよい――」
老婆はそう言って、玄関をそっと閉じると、ドアチェーンを外すために動き出した。
無血開城の狼煙が上がる。老婆の鬨の声が、吊り橋をゆっくりと開かせる。
俺は老婆に導かれ、王の間――謁見の間へと進み、栄誉を受けることとなる。
だが幻術騎士は、王の謁見よりも、この老婆に対して一抹の不安を抱いていた。
王よりも巫女――。時代を超えて、彼女たちは未来を正鵠に捉える力を持つ存在だ。
王の間に到着すると、王は豪奢とは名ばかりの椅子に鎮座していた。
「待っておったぞ、幻術騎士よ!
貴公からの見上げ話を、心より楽しみにしておった!」
王は期待と不安をないまぜにした表情で俺に手招きする。
「そなた、もっと近う寄れ。」
威厳ある声で王が言い、にんまりと笑みを浮かべる。
幻術騎士は毅然とした足取りで、ゆっくりと王のもとへ歩を進めた。
「王よ、ご覧ください。」
幻術騎士は銀の酒杯、玻璃製の花瓶、いバーラト・ガナラージャ(インド)製の絨毯を並べ、旅の苦節と感嘆を語った。
「ほほう……そなた、騎士でありながら行商人のようだな。
で、どの商品が良いのだ?」
王は羨望と戯画のような笑みを浮かべて俺に問う。
「そうですね。
銀の酒杯は、あなた様の健康を保つもの。悪鬼の姿を眼前に映し出すことも可能です。」
俺は嫋やかな手つきで酒杯をくるくると回してみせる。
「こちらの花瓶は、花を活けると、どれほど遠くの出来事でも、細部にわたって見通せるようになります。」
そう言って、水と花を花瓶に供えると、花瓶の中に朧げながらも何かが映りはじめた。
映し出されたのは、遠い異国の情景のようだった。
「そして、王よ!
この絨毯は、どこにでも――望む場所へと貴方を導く魔法が宿っています!」
俺は絨毯を指さし、上に乗って楽な姿勢を取る。絨毯はゆっくりと浮遊を始めた。
「絨毯よ! 我が呼び立てに従い、ゆっくりと旋回せよ。ここは王の御前ぞ!」
命じると、絨毯は安全な高さまで上昇し、王の眼前で円を描くように旋回した。
床に近づく前に、俺はさっと降りて王を見やる。
絨毯は王の目の前に降り立ち、まるで招いているかのように待っていた。
「王よ、ぜひお乗りあそばされてはいかがでしょうか?」
「うむ、ならば試してみよう。」
王は恐る恐る絨毯に乗る。一瞬、絨毯が硬直したかに見えたが、やがてふわりと動き出す。
王は、翻筋斗を打つように喜びを表現した。
「これは気に入った! ぜひ所望する! いくらするのだ?」
王は息を切らしながら、ずいずいと俺に近づいてくる。
「それはですね――」
俺が言いかけたその時だった。
悪鬼に赤子を奪われた山姥のように、老齢の巫女が飛び出し、王と俺の間に割って入った。
「王よ、国の財政が危ううございます。
この巫女の一念、鑑みてご購入はお控え願えませぬか。」
巫女は手にした最強のカードを俺にちらつかせながら、静かに交渉を始める。
「そうだな……」
王は顎髭を撫でつつ、俺と絨毯を怪訝そうに睨む。
「そうです!」
間髪入れず、俺は言った。そして二番目に強いカードを切る。
「国庫に余裕がなければ定額払い。期間を定めての支払いも可能でございます!」
なんと甘美な響きだろう。
この響きは、歴史上の覇王ですら惑わす魔力を帯びている。
「本来であれば金貨三十枚のところ、月々の定額払いであれば銀貨五枚で済みます。」
この提案は実に魅力的に響く。
しかし、描かれるタペストリーには“戯画たる悲惨”しかない。
終わりなき狩りか、終わりなき収穫か。どちらかしか選ぶことはできない。
王は唸っていたが、ついに巫女が俺に凄みを利かせてきた。
巫女は、最後のカードを俺に手渡したのである。
「お帰りなされ、騎士様。王は常に独りであり、私もまた王に添い遂げる所存です。」
「これは失礼しました、巫女殿。そうであれば、これらは必要なきものでございました。
あなた方はもはや、そのような危険や希望を孕む些事を望んではおられぬようですね。」
「申し訳ありませんね。」
巫女は未来を占うような瞳で、俺をじっと見つめた。
王と巫女、そして俺は、同じ場所に立ちながらも、果たして望むべき場所へ辿り着けるのか。
それは誰にも分からない。
ただ、ただ、お互いがそれとなく告げる“その時”を数えるだけ。
いつか帰ることだけを知っている、“定命の旅”なのだから。
「では、また楽しみにしております。」
俺はそそくさと玄関を出た。
外はすっかり夕闇に彩られていた。
街灯という街灯、住居群は、眠りからようやく目を覚まそうとしていた。
大地に張り巡らされた路地、そこに立つ戸建て群、そして遠くに臨むマンション群――
それらすべてが、夕闇に溶けて漆黒の兵たちになっていた。
漆黒の兵たちは地球に傅き、今、地球が意志をもって顎を開いた。
天は紅く血に染まり、降参の旗がゆっくりと地平の向こうに消えていく。
やがて天は紫がかり、青へと転じ、全てがこの天蓋球に塗り潰されていった。
そして死の世界へと導かれる。
死の女神、死の天使たち(アンゲリカエ)が曳航の時を告げる。
煌々と、すべての定命たちに囁き始めた。
――今日中に案件を取らねばならないというのに、
何ひとつ成果を得られぬまま、現在に至っていた。
「はぁ……こりゃ詰んだな。」
俺ははそう独りごち、自らの未来を、この天蓋に描かれた天使達に委ねるしかなかった――。