592話 可能性はゼロじゃない
放課後、教室に残る三門玲司と一ノ宮耀、そして彼らの様子を見にきた同級生数人。
「体力テスト!? この暑いなか!?」
レイジとヒカリはまだ帰らず、二人で勝負をする気だ。そのテーマは新体力テスト。計八種目行い、記録に応じて一から十の点数がつく。そして総得点に応じてAからEの評価をされる。各ボーダーラインは点数は男女で、評価は年齢で異なる。
生徒・児童は毎年測定する恒例行事だが、思いつきで挑むほど負担は小さくない。とりわけ今は夏休み目前で、夕方でも気温が高い。
「夜の方がいいかもな」
暑さで調子が出せないのでは勝負にならない。かといって日没まで待つのも面倒で、時間をずらさず夜に変えたい。
そんな願いを叶えられる“ノーツ”を持った人がいる。レイジはクラスメイトの淡路小通に目で合図した。
「私の出番ね」
コミチは日頃から溜めていた夜のエネルギーを解放し、高校の敷地内を闇に包んだ。まるで日が沈んだかのように暗くなり、グラウンドはナイター照明で照らされる。
太陽光を遮断したがゆえの暗さ。同時に気温もグッと下がるのだ。
「これでやりやすくなっただろ。お互いに」
「うん。遺伝子が同じだから、全力を出せる時間帯も同じ」
「何言ってるんだ馬鹿者」
遺伝子により朝型か夜型かが決まっているが、所詮は二択。遺伝子が違っても二人に一人は同じタイプになる確率だ。
レイジを運命の相手だと思い込んでいるヒカリは、何かにつけて彼との繋がりを強調する。
周りは聞く耳を持っていないが、聞き流せば真に受けられる恐れがある。変な噂が立ったら困るから、彼は冷たく吐き捨てた。
「いた。今のってコミチちゃんの仕業?」
この教室へ向かう途中、廊下から突如暗転した空が見えた小竹燈夜は、教室に着いて案の定コミチが残っていることに気づき尋ねた。コミチは黙って頷くと用件を聞いた。
「珍しいわね。ここに来るなんて」
「三門君がBランクに来たって聞いたから、挨拶をね」
トウヤもヒカリやコミチ同様Bランクの“ノーツ”持ち。これまでこの高校では三年生でBランクの男子は彼一人だったので、レイジの加入で居心地がよくなったと好意的に受け入れている。
「で、何する気なの?」
「今から二人で勝負するそうよ。体力テストで」
コミチは夜に変えた理由を答えた。ヒカリとレイジで勝負すると聞いたトウヤは、面白そうだから見届けようと考えた。
「じゃあ僕も見学させてもらうよ。後で皆に紹介するときのネタ集めも兼ねて」
レイジが参加したBランクのグループチャットには他校生もいる。ちょうど来週から夏休みということで皆で集まるには好都合。
その際、降格してきた彼はどんな実力を持っているか話すときの材料を、この勝負で集めようとしているわけだ。
「構わないが、こちらからも頼みがある。測定、してもらえるか」
「オッケー」
レイジはトウヤを利用した。人手は足りているとはいえ、上体起こしは足を押さえて測定するので同性で組んだ方が抵抗がない。
それはトウヤも理解しており、二つ返事で了承した。
「ヒカリは私が計測しますね」
他クラスとはいえ同じBランクで親しい小岩詩奈が名乗りを上げた。彼女はこのクラスの友達に会いに訪れていた。ヒカリは相手が誰でも良かったので抵抗なく頷いたが、コミチは役目がなくなってしまった。
「私は何をするの?」
「秘密をバラさなければ何してもいいぞ」
最小限の人手を残して野次馬は帰れ、なんてことは言わない。ただしレイジが決めたルールの都合上、ネタバレをされたら困るのでそれだけは控えてほしいと忠告する。
お互い目につく場所で記録が出るのに何を秘密にするのか、そんな疑問が浮かんできたところで、レイジは勝負の説明を始める。
「トウヤも来たし、改めて説明をしよう。勝負は毎年恒例の新体力テストの得点対決」
記録ではなく得点で競うのは、男女で基準が異なるためだ。
「得点勝負なの」
「おっと、総得点だ。同点の場合は引き分けでいい」
種目ごとに勝敗をつけて勝ち数を競うのではなく、八種目合計して判定するとレイジは補足した。
「長座を除けば女子の方がボーダーが緩いから、あんたが不利じゃないの?」
シイナに迎えにきてもらって帰るつもりだったが勝負と聞いて残ることにしたクラスメイトの西千葉心朱は、得点の基準が男子の方が高い種目ばかりだったことが気になり、分かってて挑む気なのかとレイジに尋ねた。
「分かってる。勝ちを求める男と安定を求める女の差が、平均値の違いに表れていることは」
点数の基準は実際の記録の平均値で決められている。男女で平均値が異なるからボーダーラインも違うことを理解しているレイジは、そのうえで記録ではなく得点で勝負を提案したと答えた。
「つまり記録はあんたの勝ちでも、性別の差で一ノ宮の勝利ってこともあり得るんだ」
「可能性はゼロじゃないな」
そんな結末に向かう気はないが、もし実現したらヒカリは納得するか周りは疑問に思う。
こういう決着をつけて腑に落ちない思いをさせるためにルールを決めたのかと皆は心の中でレイジを怪しんだが、まず気になるのは競う二人の力量、すなわち過去の総得点だ。
「ところで実際、差はどんなもんなの」
「見てみる?」
記録の確認なら誰でもできる。スマホから“ノーツ”名鑑を開き、二人の名前を検索すればプロフィールを見られる。
測定は学校の行事で毎年行なっており、今年度の春の記録が一番新しい。今から三か月前だ。
「三門が六十五点」
「ヒカリは六十六です」
各種目の点数を示した八角形のグラフと、その横に総得点と評価のアルファベットが記載されている。そこから判明した二人の差は、ほぼ無かった。
「僅差じゃないの」
「でも今回はどうだろう」
最近の記録とはいえ、当時と今では状況が違う。レイジの得点とヒカリの裏話がその根拠だ。
「三門君の五十メートル走、今ならもっと点取れるんじゃない?」
コミチはレイジのグラフを指差して考察した。このときの彼は二点だが、悪夢の瞳を失ってからは足が速くなっているので、タイムは縮み得点は伸びる。
「一ノ宮は満遍なく高いわね」
「それは予習した結果です。運動音痴なのを猛特訓で矯正しての好記録、予告なしで出すのは難しいかと」
レイジのように極端に伸び代がある種目はヒカリには無い。もし彼が五十メートル走で五点上げてきたとして、対抗するには満遍なく得点をアップさせなくてはならない。得意種目は十点から上げられないこともあり、想像以上に困難だ。
加えてヒカリは安定してこの記録を出せるわけではない。ハンドボール投げは真っ直ぐ飛ばせず、反復横跳びはラインの踏み損ねを多発する。技術がいる種目に練習なしで臨めば、平均に届かないほど、本来は運動が苦手な少女だ。
だがヒカリは良い記録を出してアピールするために、知り合いの協力を得て一時的に苦手を克服していた。その成果してレイジと互角というわけで、今回のように突発的に測定すればボロが出るというわけだ。
「素直に尊敬するわ、あなたの頑張りは」
点数や評価が低くても誰も文句は言わないのに、下心なくベストを尽くす一心で努力するヒカリを、コミチは評価している。
「頑張らずに良い点だけ取る人なんかよりずっとね」
褒めながら彼女は同じBランクの知り合いが頭に浮かび、その記録を見て苛立っていた。
その少女麻布麻李杏は八十点満点を叩き出しているが、人形のように自在に操られる“ノーツ”を遺憾なく発動し、何の努力もせず一切疲れることなく結果だけ出すマリアよりヒカリはずっと立派だと思っていた。
「とにかく、これだととんでもなく差があるじゃん」
「ヒカリ、止めた方が……」
勝負を決めたのは今日。やるのも今日。特訓する時間を作ってくれない卑怯な手口に乗るのは止めて、違う勝負を考えた方が良いと心配される。
「休み中も疲れて動いてないし」
「いや、それは三門も同じ……じゃなさそうね」
週末にヒカリに電話しても反応がなく、家を訪れてみれば色々あった文化祭の疲れをとるのに専念していたとのこと。
急激な運動に体がついていけない恐れがあるが、それはレイジも同じではないか。
それなら勝算はあると思えたが、彼の表情を見るに、むしろ逆に思える。ヒカリとの勝負は前から考えていて、備えて休みの日に体を慣らしておいたのではないかと。
「どうだかな」
レイジは答えをはぐらかした。真相をぼかすときは大抵、相手の読みが当たっているとき。ヒカリには彼が自分だけ準備万端だと思い込ませて、それでも勝負に乗ってくるか、試している。
そして追い討ちをかけるように、レイジはルール説明を継続する。
「で、ここからが今回きりのルール。お互い事前に選んだ一種目だけ得点を二倍にできる」
単なる体力勝負ではなく、心理的な駆け引きを要する追加ルール。それを聞いたヒカリは、一層乗り気になったものの警戒はしている。
「ふーん……どれを選んだかは秘密にしておくんだよね?」
「そうだ」
少し前にレイジが言っていた、見学者は秘密をバラさないようにという忠告の意図は、今言ったルールにあるとヒカリは予測した。
満点の十点を安定して取れる種目を選んでおけば、通常の配点で勝負するのと何ら変わらない。逆に言えば、選んだ種目で点数を伸ばせなければ大きく不利になるので測定のプレッシャーが大きくなる。
だからヒカリは質問した。レイジが前に言っていた秘密とは、二倍の点数をつける種目のことかと。
彼はすんなり認めた。心を読む力があれば相手の秘密を一方的に暴ける、いわゆるズルができることを自覚して。
「いいよ、それで」
ヒカリは承諾した。要は相手が選んだ種目を予測して、本調子を出せないよう揺さぶりをかければいい。駆け引きなら望むところだと燃えている。
「じゃあ記録シート渡す。種目一つに丸をつけて、測定係に渡して」
レイジは印刷しておいた紙を一枚、ヒカリに手渡した。種目の一覧に、それぞれの結果を記載する表が書かれている。裏面には種目別得点表が載っており、この表に沿って採点する。
挑戦者はあらかじめ表を見てどれだけの記録を出せば良いか確認し、クリアしたらそこで止めるという使い方もある。
丸をつける対象は、得点を倍にする選んだ種目だ。
「もう決めたの?」
レイジはすぐにトウヤに記録シートを預けた。ヒカリはまだ悩んでおり、彼女が決めてから選ぶだろうという読みが外れて驚く。
「……へぇ。そうきたか」
そしてトウヤはシートを見てさらに驚いた。だがルール説明を思い出し、納得した。
「あと今回もシャトルランだから、持久走は選べない」
種目は九つあり、選択制のものがある。これは毎年の測定に則るため、持久走は実施しないので丸もつけられないと告げた。
「選ぶなら前回十点のどちらかでしょ」
「うん……」
普段から安定して満点を取れる種目を選ぶのが合理的だが、ヒカリはレイジが何を選んだか予測することを最優先に考えていた。
足の速さをアピールするなら、あえて前回の得点が最も低い五十メートル走で満点を取る前提で選んでくるだろう。
そこに合わせるか、自分のペースを意識して他を選ぶか。何をどういう意図で選ぼうとレイジには筒抜けだから、間違いなく妨害を受ける。だから最適解を探っている。
「決まらないなら選ばないって手もあるよ」
「いやそれ無駄でしょ」
トウヤは茶化して意見を吹き込んだが、マークシートと同じで選ばないことは損でしかないので一蹴された。
「決めたわ」
ヒカリが選んだ種目は反復横跳び。本番では安定して満点を取れる種目で、測定も三十秒だけだから妨害の影響は受けにくい。加えて二回測定のチャンスがある。それらが決め手となった。
「じゃあ出発だ」
レイジの合図で最初の勝負、握力の測定をしに、一向は体育館へと向かった。




