587話 別人なのか
「ルミア、探したぞ」
頼みの綱の三門玲司の姿がなく、無数の敵に迫らせ絶望の淵に沈んだ一ノ宮耀に、明るい声が届いた。だがその声の主はレイジではなく、呼ばれた名前も違うので、ヒカリは戸惑った。
「ルミア、はぐれたら探し回るな。迷子になったからって自力で合流しようと考えなくていいんだよ」
声の主は溜池彼方。そうはっきりと認識したヒカリだが、やはり言っていることは分からない。
だがカナタの到来で、追っ手の攻撃は止まっていた。
「別人なのか?」
「確かに、逃げていたからターゲットって決めつけただけだしな」
追っ手は銃を下ろし、背を向けて去っていく。彼らはレイジの故郷からの侵攻者で、ヒカリのことはよく知らない。加えて今は麻布麻李杏という別人の容姿に変えているのでなおさらだ。
それでも彼らがヒカリを狙っていたのは、文化祭の最中に不自然に逃げ走っていたからだ。
鬼ごっこで鬼が逃げる側を全員把握していないが逃げている人がいればとりあえず追いかけるのと同じ理屈だ。
名前を呼ばれて別人と判明し、人違いと思い込んだのだ。
『話が違うぞカナタ』
『悪いトシ。つい……』
計画にない行動に出たことを、対策班班長からインカムで指摘される。カナタは非を認めるも、反射的に動いてしまったと弁明する。
「立てるか、ルミア」
カナタはヒカリに手を差し伸べる。彼女は足に力が入らないことに加え状況が飲み込めず、リアクションがない。
そこでカナタは手を掴んで引き上げる。
そして二人は歩き出す。少し落ち着いたヒカリは、一番気になっていることを尋ねた。
「ねぇ、ルミアって誰?」
「お前の本名は敵に知られているから」
いつもの苗字呼びでは敵に気づかれてしまう。その防止策だとカナタは答えた。だがなぜその名を選んだのかは言わない。
「架空の人?」
「……ああ」
ヒカリはルミアという名前の人を知らない。誰とも被らないよう選んだのなら、深い理由はなくてもおかしくないので、架空の名前ということに納得した。
だが実は違う。カナタにとって特別な存在だった名前だが、それは明かさない。
「それより、俺から離れるな……」
敵は敵だけではない。侵攻者がヒカリの素性を知らないからごまかせたが、身内相手では通用しない。
危険だからそばにいるよう忠告したその瞬間、知り合いが立ちはだかった。
「話と違うわよ」
「何のことだ?」
坂上未来、ヒカリの同級生だ。レイジの瞳の力を使い果たすには、ヒカリを追い詰めなくてはならない。それを妨害した彼は、裏切り者と見做される。
「俺は麻布を守っただけだ。一ノ宮なんて知らん」
カナタはしらを切った。自分が助けた相手はヒカリではないと。彼女が変装していることがバレてないように振る舞わなくてはならない立場として、素性を暴く発言ができないことを逆手にとった。
「ヒカリの鼓動が聞こえるのよ。どうしてかしらね」
「それは……」
確かにマリアがヒカリに手を貸したことは内緒という体で進めている。だが鼓動を聞く“ノーツ”を持つミライなら正体を見抜くことができる。
そのせいでカナタは反論に困った。
「嘘よ。ヒカリの鼓動なんて覚えていないでしょう」
代わりにヒカリが反論した。確かにマリアの体に入っても着ぐるみを着るのと同じ要領で心臓は自分のものだ。だがヒカリのものと断言するには、普段の彼女の心臓の音を覚えていなくてはならない。
記憶しようとする意思などミライにはない。“ノーツ”があるのを利用して周囲を信じさせ、都合の良いように捏造している。そういうことにしてしまえばいいのだ。
「覚えているわよ、友達だもの」
「向こうはそう思ってないよ。いじめっ子」
ミライはヒカリと長い付き合いだ。人混みから鼓動を聞いて居場所を特定することなど造作もない。
それをアピールするのなら、命を狙う計画に加担するはずがない。そんな奴とは親友ではないとヒカリは冷徹に突き返した。
「聞こえるって言ったでしょ」
ミライは拾っていた拳銃をヒカリに突きつけた。抵抗するのなら急所を撃ち抜くと威嚇して。そして引き金を弾いた。
弾丸が発射されない。それもそのはず、事前に撃ち尽くしていた。本気で撃つ素振りを見せたらヒカリも観念すると読んでの策だったが、期待通りにはならなかった。
「大丈夫か!?」
カナタは実弾が放たれたと思いヒカリを心配する。当たっておらず安堵したが、ミライへの怒りは収まらない。
カナタは“ノーツ”を使って光線を放ち、彼女の持つ銃を破壊した。
「逃げるぞ」
そしてヒカリの手を引いて走り出し、ミライの元から離れることとした。
「逃がさない」
光線が手を掠め、痛みで震え怒ったミライは、カナタたちを野放しにさせまいと鼓動を聞き取り仲間に知らせた。
「逃げるって、どこに!?」
「籠城する。お前の本体はどこだ?」
文化祭当日、校内には普段より大勢いる。隠れる場所はないのにどこを目指すのか。カナタの答えは、場所が割れるのを承知で立て籠ることだった。そしてその場所に最適なのは、ヒカリ自身の体を隠してある場所と判断した。
「案内してくれ」
手を引いていたカナタが今度は自分を引っ張ってもらおうとヒカリに託すが、彼女はカナタの手を払った。
違和感に足が止まり振り返ると、彼女の髪は真っ黒に落ちていた。
元の姿に戻った、わけではない。体格はぱっと見で区別はつかないが、服装は変わっていない。だから髪の色だけが変わった、そう認識したのも束の間、青いドレスまで黒く染まっていく。
何が起きたかカナタには見当がつかないが、誰かに干渉されたことだけは理解できた。この島には不思議な力“ノーツ”を持つ人がいて、さらに今日は同学年の“ノーツ”持ちが会場へ集結している。
起こりうる化学反応は挙げればきりがない。
「しっかりしろ、ルミア!」
意識があるか、カナタは懸命に呼びかける。その名前は間違っており、それが理由かはさておきヒカリは応えない。
「やり直す……死んで、やり直す」
ヒカリは黒いオーラを纏ったまま呟く。紛れもなく彼女の声だが、様子がおかしいのは一目瞭然。
「時を戻すため……」
一日戻すことは、ヒカリには可能だ。一度起こった事象を繰り返す“ノーツ”を持つ彼女は、その命と引き換えに今日をやり直すことができる。カナタに限らず大半の人はループしている自覚がないから、あくまで伝聞の可能性だ。
だがそれを踏まえての独り言には合点がいく。何らかの影響で、閉じ込めていた感情が溢れ出している。カナタにはそう感じられた。
つまり意思の暴走だ。
「目を覚ませルミア! 待て!」
何度も言うが彼女はルミアではない。けれどもカナタは本気で言っている。遊び心などない彼の願いと裏腹に、聞こえないヒカリは走り去ってしまった。
マリアの同級生、蔵前綺星の“ノーツ”。それは触れた物に闇の意思を宿すもの。その力こそ、ヒカリの暴走の元凶だ。
だからアヤセは思い通りに動かしているのではなく、ヒカリの抱える闇の意思に委ねている。どこへ行って何をするか、誰にも分からない。たまたま居合わせた人が、近くの人とどうにかする。
目的はヒカリを殺すこと。それを阻止するレイジに、悪夢の瞳を使い切らせることだ。
「遠慮は要らん。叩きのめせ!」
暴走状態のうちの記憶は、正気に戻ったときにあまり残らない。止むを得ずとはいえ、友達や知り合いに襲われたことを覚えていたら、明日以降の人間関係に響く。
だから暴れているうちに仕留めようという算段だ。誰が担当するかは状況次第。
廊下の勝負。先陣を切った上原千聖は、ヒカリのデザインに合わせた黒い装束へと変身し、雷撃を放つ。
直撃したが、闇の意思で強化されたヒカリは自力で脱出し、ノックアウトまでは至らなかった。しかしその体には痺れが残っており、ヒカリは違和感を覚えた。
「もう一回」
次動こうとしている味方を巻き込まないよう、セインは連続で攻撃すると合図を出してから滑空して迫る。創造したハンマーで、ヒカリを打ちのめしにいった。
威力と引き換えに振りの大きい一撃。ヒカリは避けようとしたが、思うように足が動かせず、棒立ちのまま食らってしまった。
帯電しているヒカリに武器を通して触れたセインに電気が走るが、雷属性を持つ彼女は体質で弾き何ともない。
これでもヒカリはまだ動ける。教室の壁に叩きつけられてもすぐに立ち上がり、セインたちを睨んで警戒している。
「次は私がっ」
ヒカリの反撃が来る、あるいは逃げ出す前に船堀愛姫が追撃する。ペンダントから召喚した黒い竜に、炎のブレスの指示を出す。
壁に張りつけば躱せる隙はある。そう認識していても、やはり足が動かない。ヒカリはまたしても攻撃をまともに受けてしまった。
「また直撃……繰り返す力が悪い方に活きたか」
三人の攻防を観察していた秋葉原秋杜は、ヒカリが攻撃を避けないのではなく避けられないのだと勘づいた。原因は雷撃による麻痺。稀に体が痺れて動けない現象が、彼女の“ノーツ”によって連続で発生した。
「わざと受けてるのではないのですね」
「ああ。だから遠慮は要らない」
ヒカリは狙って追い詰められているのではないと分かれば、警戒する必要はない。一気に勝負をつけてしまおうと、アキトは皆に促した。
そのとき、冷たい水が降ってきた。
「……スプリンクラー?」
雨は降っておらず、そもそもここは屋内だ。炎を感知して防災システムが作動したと考えられたが、それが人為的なものだと確信させるタイミングでカナタが現れた。
「お前の仕業かカナタ」
「三門はどこだ」
腕から放水しながらカナタはまずレイジを探す。見たところここには居ないと分かると、アキトたちに居場所を尋ねた。
「レイジ? どうして?」
「守るためだ、ルミアを」
ヒカリがなぜ暴走したのか、どうすれば収まるのか。心が読めて全員の思惑を把握できるレイジなら、すべて教えてくれるはず。だからカナタはレイジを探す。ヒカリを守るために。
ヒカリを別の名で呼んだ点については、空耳だと受け止めてスルーした。
「一ノ宮と付き合って、助けたいと思わないのか!」
「は? 付き合ってないが……」
「どういうことですか!?」
教えてくれないと悟ったカナタは、ヒカリを連れて逃げることを考えた。アキトはヒカリと交際していたなどと言い触らして、アリスたちの注意を彼に向けさせた隙に、ヒカリを手を引いて駆け抜けた。
「虚言。彼方へ逃げるための罠」
セインは冷静にカナタの思考を読み取り、アリスを落ち着かせる。そしてもちろん、黙って見逃すはずはない。
追われたことに気づいたカナタは、破壊の光線を天井に放つ。光線は空中で止まり、雷雲となって落雷を放つ。アキトたち全員に直撃し、追随を阻んだ。
「上原も動けない……そのための放水か」
ガードが間に合わなかったアキトは、電気系の“ノーツ”を持つ今のセインなら平気だと思い追跡を託したが、彼女も大打撃を受けている。
その理由は、事前に体が濡れて電気が溜まりやすくなっていたせいだと察し、してやられたと反省した。
「まりも、休んでください」
アリスは止むを得ず竜をペンダントに戻す。
一刻も早くレイジを探すべく、麻痺して動きが鈍ったヒカリの手を引いて走るカナタ。だが触れる手に異変を感じた。身に覚えのある、闇に落ちそうな感覚だ。
「一人で逃げろ!」
カナタは近くにいると危害を加えてしまうと察し、ここからしばらく一人で逃げるようヒカリに任せた。
闇に浸食された自分が元に戻ったら、必ず合流すると誓って。




