575話 麻布麻李杏
「誕生日おめでとう、ヒカリ」
三門玲司は剥き出しのナイフを鞄から取り出した。百貨店にいたときに言及していた貨幣やテレカでも、欲しいと思っていたCDでもなく、微塵も欲しいと思っていたものではない物を出された。
一ノ宮耀が真っ先に覚えた感情は困惑だった。
「本気? あの……ずらせばいいってものじゃないんだよ?」
予想を裏切ることと期待を裏切ることを履き違えていないかと、ヒカリはガッカリする。
「かつて俺が常備していたナイフだ。携帯しても罪にはならない」
プレゼントではないのだと微かな期待を抱いていたヒカリにレイジは現実を突きつける。このサバイバルナイフは紛れもなく彼女への誕生日プレゼント。単なるナイフではなく、かつて彼自身が護身用に所持していたものだと告げる。
「不安なときは持つといい。俺はそうしてきた」
レイジは渡した理由を告げる。ヒカリは例の事件を理由に周りの目が怖くなり、不安になっていた。さっきまでいた“同期”の説得もあって信用はできるようになったが、またどこかで恐怖に侵されるか分からない。
それを和らげるために、レイジは刃物を渡す。かつて彼は、それを所持することで乗り越えてきたのだと告げて。
「レイジがこれを使ってきたの?」
「いや、これは新品。俺のはもう使い物にならないから」
受け継ぐわけではない。ナイフというカテゴリーが同じなだけで、このプレゼントにはレイジの積み重ねはない。
「じゃあレイジが持っておきなよ」
「俺の分も買ってある」
自分の分がないのならプレゼントは要らない、と言うヒカリに対し、あらかじめもう一本購入してあると明かす。
反論を失ったヒカリは、余計なことで用意周到なレイジに呆れていた。
「だから俺のことは気にしなくていい」
「そう……ありがとう」
受け取ってレイジが困らないと言うのならと、ヒカリはプレゼントとして受け取った。これが彼からの最後のプレゼントだと思うと心残りがある。
ありがとうの言葉に気持ちがこもっていないことは、レイジにも伝わっていた。
「これでも悩んだ結果だ。今のヒカリに一番必要なのは、心の余裕だから」
嫌がらせで渡したものではないとレイジは弁明する。周りに怯えるヒカリに少しでも安らぎを与えるために、護身用アイテムをあげようと思い至ったのは、悩みに悩んだ結果。本気で考えたプレゼントだと伝えようとする。
「以上だ。また明日、学校で」
「うん……またね」
あまり話を続けていると帰りの電車を逃してしまう。プレゼントを渡して目的を果たしたレイジは帰宅の準備を始めた。翌日でも学校で会えるので、話の続きは教室でもいいからだ。
急ぐのはレイジの都合だけではない。ヒカリも知り合いにプレゼントのお礼を言う予定がある。
そしてナイフは前座ではない。それが本命のプレゼントだと暗に告げるための帰宅準備でもあった。
その現実を受けてヒカリのテンションがさらに下がる。なんだかんだで喜んでもらえると思っていたレイジは、想定と違う結果に困りつつも、他にできることがないのも事実。やむを得ず帰宅した。
「ホント何考えているんだか……」
レイジを見送った後、ヒカリはナイフを手に取った。様々な方向からじっと見ても、至って普通のナイフ。値札は剥がされているが、きっと値は張るのだろう。
三日後に訪れるレイジの誕生日に何を贈ろうか悩んでしまう。しかしそもそも、今日出かけに行っていたときに買って渡す予定だった。自分が途中で黙って帰宅したばかりに予定が台無しになってしまったことを思い返し、自責の念に駆られる。
だが事情は理解してもらえたことから一旦忘れて、プレゼントのお礼を伝えるべくスマホを手に取った。
「緊張するなぁ……」
他に誰もいない部屋の中、ヒカリは同学年の女子たちにメッセージを送ろうとする。ありがとうの感謝の言葉、黙って帰ってごめんの謝罪の言葉。それだけでいいのだが、普段やりとりしない相手なのでなかなか文章が決まらない。
「……送ったら、ちょっと出掛けよう」
慣れない相手にチャットで話しかけると、返信の通知音を聞くのが怖くなる。待つ時間の気晴らしとして、送信してすぐスマホを置いて外出しようと考えた。そして文章を決めてコピーすると、三人に個別に同じメッセージを送った。
まだ昼過ぎ。きっと三人で出掛けている最中だろうから、スマホは見ない。そう自分に言い聞かせたヒカリは、エアコンを消して窓を開け、散歩に出掛ける準備に入った。
そのとき着信音が鳴り、心臓が跳ね上がった。
『はい、一ノ宮です……』
『やっほー』
気の抜けた声で麻布麻李杏が挨拶をする。マリアはヒカリからのチャットに即座に気づき、読んだうえで電話をかけていた。
『今どこ? 私たちの所に来ない?』
『あっ、えっと……実は家で』
帰ってしまったことはもう知れ渡っていると思っていただけに、まだ“同期”と出かけていると思われて場所を聞かれたことに戸惑う。
帰ったなんて話せば怒りを買ってしまわないか不安になるヒカリだが、電話なら顔は合わせなくていいこと、学校が違うので数日は会わないことを踏まえるといくらかはマシと割り切り、自宅にいると明かした。
『もう家? 熱中症とか?』
『あ、うん……ちょっと気分悪くて』
ヒカリは嘘をついた。つくつもりはなかったが、そういうことにしておいた方が自然に納得させられるという考えが頭を過り、帰った理由を体調不良ということにした。
熱中症ではないが、気分が悪かったのは事実なのでまるっきり嘘ではないのだと自分に言い聞かせて。
『そう……私人形だから、人の感覚分からなくて』
『へー』
マリアはヒカリを疑わなかった。そして自身は“ノーツ”で人形の体になれるので、人の病気の感覚を忘れている。
日焼けしても一度人形になって元の体に戻れば肌も元通りになれるという使い道があったりと、ケガや病気に対して効果的な能力だ。
だがヒカリはあまり関心がなく淡白な返事をする。馬鹿は風邪を引かないということわざがあるから、そういう人もいるのだろうと自己解決する。
『そっちは今、どうしてるの?』
『ボウリング場。今半分終わったあたり』
じきに自分の番が回ってくるので長話はできない。そう暗に告げたマリアだが、ヒカリは気づいていない。
『そろそろ私の番が来る。一旦切るわね。お大事に』
『え、はい……一旦?』
聞き返す前に通話は終了させられてしまったが、またかけてくると言い残していたことはヒカリの耳に残っていたので、出掛けるのをやめて着信を待った。
「一ノ宮さんからチャット来てた」
「私もだ。渡せたみたいでよかったわ」
ボウリングが終わりスマホを見て、二人もヒカリから送られたお礼のメッセージに気づいた。
「来ないか誘ったけど、逆方面に向かってた」
「そうなんだ、残念ね」
マリアはヒカリが帰宅したとは告げず、合流ができないことだけ伝えて納得してもらえるよう情報を流す。
「だから前の結果見せるわ」
ヒカリがプレイすると面白い結果になるので、来ると返事が来たらもう一ゲームやる気だったマリアだが、生憎来られないというので何が面白いのかネタを話してしまおうと考えた。
マリアは昔他の友達から送られてきた画像を探して二人に見せた。
「私これ見て爆笑したのよ」
「どれどれ……えっ!? 全部スプリット!?」
丸が付いた6とミスを示すハイフンが交互に並んだ綺麗なスコアボードを撮影した画像。それはヒカリの一度起こった出来事が繰り返される“ノーツ”が遺憾無く発揮された証拠だ。
合計点数としてはボロボロだがある種の芸術と言える表に、驚きと笑いの混ざった声が上がる。
「ちょっとトイレに」
「いってらっしゃい〜」
マリアは今が電話をかけるチャンスと読み、理由を作って二人から離れた。
「マリアちゃんがトイレ?……」
「夢見過ぎよアイリ」
言い訳を真に受けて解釈違いを起こす人をよそに、マリアはスマホを手に持ち静かな場所へ移動した。
『もしもし』
『お待たせ』
お礼のメッセージに対する返信でどこにいるのか尋ねられて返答に困っていたヒカリは、マリアからの電話に応じてしばし現実逃避に走った。
『……やけに早いわね。アイリたちとお話中だったかしら?』
『い、いやそういうわけじゃ、調べ物してて……』
スマホを持っていたがゆえに迅速に出てしまったのがマリアにバレてしまった。だがヒカリは別の理由でスマホを見ていたことにしようとごまかす。
『あんたのボウリングスコア、好評だったわよ』
『あ、そうなの……』
出回っていたとは知らずヒカリは複雑な感情を抱く。笑われても仕方がない結果ではあるが、毎回ボールを変えて試行錯誤した結果だ。本人としては真面目にやっているので、あまり笑いのネタにされたくない気持ちもある。
『朝会ったとき……気を悪くしたのなら謝るわ』
マリアは今朝ヒカリに会ったとき、気を悪くしてしまったのではないかと思った。だから彼女には思っていることを話してほしいと考えた。
『違うの。私が皆を信用していなかっただけ。来月のことで……』
ヒカリが事件のことを打ち明けたことで、マリアは彼女が浮かない顔をしていた理由を察した。
『それなら提案があるわ』
『提案?』
マリアはヒカリの不安を抑えられる手があると告げる。その提案に彼女は食いついた。
『その日……私の体を貸してあげる。隠れてなさい』
事件の日、知り合いが総がかりでヒカリの命を狙い、彼女の“ノーツ”の発動を強制させる。
だから彼女は今まで友達だった人を信用できなくなっている。事件への不安を解消させるには、彼女が狙われないように手を貸せばいい。
自分の体に人の魂を入れられる“ノーツ”を持つマリアならそれができると、彼女自ら提案したのだ。
『あんたの本体は私の家にでも匿っておくとして……』
抜け殻と化したヒカリの肉体は見つからない場所に保管しておかなくてはならないが、“ノーツ”関係なく彼女を匿っておくだけでいいことに気づき、果たして名案だったのかマリアは自分で疑問に思った。
『それ普通に私が隠れるだけと同じじゃん』
『そうよね。やっぱりなんでもないわ』
『でもありがとう。そういうの言ってくれるだけで』
その事実にヒカリも気づいた。解決策ではなかったものの、マリアが自分のために考えてくれていることを実感でき、少し気が楽になる。
『……でもミライの耳を掻い潜れるのはメリットね』
だが普通に隠れるのとマリアに潜るのとでは、サーチ系の“ノーツ”に有効かの観点から後者は差別化できる。
試すのならマリアの案が良いとヒカリは考察した。声には出さなかったが、マリアと協力するとは思われないだろうという点でも敵の裏を突けるとも考えている。
『今度練習してみる?』
『そうだね……お願いします』
だがやってみてボロが出てしまってはおしまいだ。当日は文化祭。毎年違う出し物をやるのもあり、普段と違う行動が多い。
当日まで一か月、マリアの体に入って慣らしておく方が良いと感じたヒカリは、彼女の提案の下、魂を入れて動かす練習をすると決意した。
『ごめん、そろそろ戻らないと心配されるかもだからこの辺で』
『あっうん……ありがとね、色々と……』
とはいえ明日からは学校があり、すぐに話は進められない。今日はここまでで区切りをつけ、マリアは通話を終えて二人の元へ戻ると告げる。
唐突だったがヒカリは受け入れ、最後に改めてプレゼントと相談のお礼を告げた。
マリアは戻りながら高校の“ノーツ“持ち同級生チャットに報告した。事件当日、ヒカリは自分の体に潜ませる。だから自分が目印だと、バラしたのだった。
目的はヒカリを匿うことではなく安心させること。周囲に狙われるプレッシャーから、精神を病んで心を壊してしまう恐れがある。そうならないためのフォローの成果を挙げたが、そのせいで周りを混乱させては本末転倒。だからヒカリに知られず周知させるべく、まずは同級生に明かしたのだ。
メッセージを送るとスマホをしまい、二人の元へ辿り着く。何食わぬ顔で合流し、六月の祝日を満喫するのだった。




