574話 暑いでしょ
呼び鈴が鳴り、玄関を出る一ノ宮耀。彼女を呼んだのは、さっきまで一緒に出かけていたメンバーの一部。千葉春菜と三門玲司だった。
二人の表情はどこか冷たい。ヒカリは二人の雰囲気の理由を自覚している。
「……上がって」
まだ六月半ばだが、昼過ぎで気温は高く外で立ち話は大変だ。さっと済む用事ではないと分かっているから、ヒカリは二人を家に招いた。
「八積さんは」
「帰ったわ。あなたの家とは逆方面だし、巻き込むのは申し訳ないから」
「誕生日会は、終わりにした」
出掛けていたメンバーはもう一人いた。だがその一人は百貨店を基点にヒカリとは反対の方角に住んでおり、移動だけで三時間のロスになる。迷惑になるからここには同行せず、二人の出発をもって解散している。
ヒカリが黙って帰ってしまったことで、“同期”による最後の誕生日会が中断という形で終わってしまったのだ。
「でもハルナも……」
「私は言いたいことがあるから! 家が遠いとか関係ないのっ」
その理屈ではハルナもヒカリの家を経由して帰るのは完全な遠回りであり、負担がかかってしまうのだが、彼女に会いたがっているのだから距離を理由に躊躇うことはないと反論する。
ヒカリは部屋のエアコンをつけ、お茶を用意してハルナたちに渡す。
「つけてなかったの? 暑いでしょ」
「私は平気。風入ってくるし」
部屋にはヒカリ一人しか居なかったから我慢できていたと話す。幸い風が心地よかったが、エアコンをつけたので窓を閉め始める。
「それに、さっきまで脱いでたし」
ヒカリは帰宅した後にシャワーを浴びていた。当初着ていた服は汗で濡れており、今日はもう出掛ける気はないから洗濯機に入れ下着で過ごしていた。
そこでインターホンが鳴り急遽服を着たので、今朝とは違う服を着ているのだ。
「そ、そう……それで着替えたのね」
いくら事実とはいえ、異性の前ではしたない話をする様にハルナは困惑する。だがここにいる男が心を読む“ノーツ”を持つレイジであり、実態を見抜かれていると分かったうえで言っているのだと思えると、若干納得させられた。
「言ってくれたら準備しておいたのに」
「でもレイジが言ったのよ。予告したら籠城されるかもって」
ヒカリにとってハルナたちが来たのは想定外。あらかじめ連絡があれば、飲み物や室温など歓迎の準備を整えておけたのに、と要望を告げる。
連絡の件は来る途中にレイジと相談しており、責められるのを恐れて鍵をかけられたら無駄骨に終わるという彼の言い分を尊重し、アポイントメントなしでの訪問を決行したのだ。
「それはそうかも」
「仕方ない子ね……」
ごもっともだ、とヒカリは答える。レイジが来るとどこへ逃げても見つかってしまうから閉じこもるしか抵抗の術はない。
玄関を開けて二人を見た瞬間、もう逃げ場はないと諦めてあっさり招く素振りを見せたが、事前に鍵を閉めたうえでモニターで相手を確かめておけばよかったと後悔している。
「そろそろいいだろう」
「そうね。涼んできたし、話を聞かせてもらうわよ、ヒカリ」
雑談をしているうちにエアコンが効いてきた。ハルナたちの汗もひいたところで、いよいよ本題に突入する。
「といっても、なんで帰ったかはレイジから聞いている。自分を狙う人に会うのが怖くなったのだって」
ヒカリは怯えるように帰っていった。来月の今頃、レイジを狙って彼の故郷から連中が乗り込んでくる。だが悪夢の瞳を持つ彼に殺意は打ち消されてしまうから、直接仕留めるのではない。
事件の起こる一日が永久に繰り返される。レイジをタイムリープに閉じ込めて精神的に破壊する。そのために一度起こった事象を繰り返す“ノーツ”を持つヒカリの命が狙われる。
ここまでの段階では、この島の知り合いたちは二人の護衛に協力的だった。
レイジは運命を変えて未来へ進むために瞳の力を使う。その力を使い果たせば、彼目掛けて赤い光が降って補充される。
なら尽きて光が降ってきたときに注入を阻止すればレイジは力を失った体になれるのではないか、という発想が生まれたことで、流れは大きく変わった。
味方は敵と結託し、レイジに力を使切らせるために、ヒカリを狙う実質的な共同作戦を立て始めたのだ。とはいえ敵はこのことを知らない。知っているのは、彼らを狙う計画がすでにこの島の“ノーツ”持ちの高校三年生、百人以上にリークされていることだけだ。
事件当日は総がかりでヒカリを狙い、庇うレイジの力がゼロになるのを待つ。その日だけは、同級生も友達も、レイジ以外皆ヒカリの敵になる。その事実にヒカリは周囲の目が怖くなり、外出先でこれ以上出会す前に、一人帰宅を決意したのだ。
「帰ろうとしたことはレイジには知られている。だから呼び止めてくれるのを待っていたけど、連絡が来なかったから帰ってしまったってことも」
誰にも伝えず帰ったら、迷子になったり事件に遭っていたりしていないか心配をかけてしまう。だがレイジがいればその心配はない。場所も状況も察知できるから。
だから黙って帰ろうとしても、察知したレイジが止めてくれる。呼び止められたら戻る気ではいたし、何もなければ合意を得られたと見做せる。どう転んでもヒカリにとっては問題にならない。今の状況だって、知ってて止めなかったレイジが悪いと主張できてしまう。
「どうして止めなかったかは私はもう聞いたわ」
「えっ……」
レイジの真意について、ハルナはヒカリの家まで来る途中に彼に尋ねて聞いていた。今から彼女にも明かすよう彼に合図を出すが、ヒカリが真っ先に感じたことはどうして最初が自分ではないのかという疑問だった。
「聞かれたから答えただけだ」
そんなヒカリの思考を読み取ったレイジは思い過ごしだと説得する。ハルナの方が大事だからとか私情による差ではない。聞かれたから答え、ヒカリには聞かれなかったから黙っていた。たったそれだけの違いだと告げる。
「俺が呼び止めて出掛けを継続して、ヒカリが嫌な気持ちになる出来事に遭ったら……ってことにはなりたくなくて」
レイジは責任を押しつけられたくないから、ヒカリ自身の意思で戻ってきてほしかったと明かす。現にその願いが叶うまで後一歩のところまで来ていた。
「連絡を寄越さないのは、それができない状況にある……そう思わせる気だったんだ」
ヒカリはレイジがその願いをどう実現させるか予想がついていた。帰ろうとしていると知っていて止めに来ない。その理由は、止めにいける状況下にいないからだと考えられる。
レイジがスマホを使えないピンチに陥っている。そう疑えば、ヒカリは彼の安否を確認しに引き返してくる。そこで何食わぬ顔で出迎えるという算段をしていた。そうすれば彼女の意思で戻ってこさせることができ、何かあっても彼女はレイジを責められない。
それこそがレイジの狙いだということには、ヒカリはとうに気づいていた。だから彼の作戦に乗るまいと、帰る足を止めなかったのだ。
「ってことは、私の勝ちだよね」
レイジの思い通りに動かず自分の目的を果たしたという意味で、ヒカリは彼に対し勝利宣言をする。心が読める彼を相手に心理戦で上回ったのだから、勝ちと捉えて図に乗った。
「……そんなことで嬉しい?」
ハルナは低い声で真っ直ぐ目を見て呟いた。結果としてヒカリのせいで最後の集いは打ち切りという最悪の結末を迎えた。それなのにのうのうと自惚れている彼女に苛立つ。
「だいたいハルナが悪いんだよ。例年通りホームパーティーにしないから」
ハルナの視線と感情を察知したヒカリは、自分も彼女に対してぶつけたい不満があることを思い返して言い返した。それはそもそもの発端である今日の出来事、出かけの予定を立てたことへの不満だ。
「外に出たせいで、あんな人たちに会ったんだよ! あんな……私の敵になる人にっ」
ヒカリが帰りたいと思ってしまったきっかけは、街で偶然出会った知り合いが怖く見えたこと。一度あったらまたあるかもしれない。島の各地を巡ると、行く先々で色々な人に出会すことになる。
先月までは友達だった人もいる。だが来月には結託して自分の命を狙ってくる。それは周知の事実。
だからいつも通り接しているように見えても、内心は敵意を向けていると思うと気が休まらない。
ヒカリは不安に耐えきれなかった末に、イベントを発案したハルナに怒りの矛先を向けたのだ。なお彼女も敵の一員だ。そして唯一味方だと信じているレイジこそ、二人が狙われる状況を作った元凶だということをヒカリは知らない。
「違う! 確かにその日はそうだけど……でもそれだけ! その日までは今まで通りの友達よ」
「そんなことない! そう見えないからっ」
ヒカリが周囲に怯えていることをレイジは知っていた。だからこそ、事件に関する話や感情は忘れ、誕生日会を楽しんでほしかった。
ヒカリはこのまま思い詰めてではプレッシャーに押し潰され、心を壊してしまう。だから日常を感じてもらい、乗り越えてほしい。それがレイジが今日のイベントに願った思いだ。
だから去年までと同じ会にしようとは提案せず、ハルナの意見に乗った。
けれどもそれが裏目に出た。それは周囲のせいでなく、ヒカリの思い込みによって。
「これでも敵にしか見えない!?」
ハルナは鞄からピンク色の袋を取り出してヒカリに差し出した。感情が昂っているが扱いは慎重で、しっかり両手で渡す。
中身が見えず不審に思いながらもヒカリは受け取りリボンを解いた。中からはポータブル扇風機、机に置いたり片手で持ち運べたりできる、充電式の小型の扇風機だ。
それより一回り大きい人形も入っている。
「これは……」
「ヒカリのためにあの三人が選んでくれたの。カスタマイズまでしてくれて」
百貨店で会った三人の同学年の女子。今日が誕生日のヒカリを呼ばず、誕生日がもうすぐ仲間で集まっていた三人だ。
せっかく会ったのだからプレゼントを渡そうと提案してくれて、各自で購入して装飾し、リボンのついた扇風機を人形に持たせて使えるように工夫してくれたのだった。
「本当は直接渡す気だったけど、あなたが帰ってしまったから……帰ったことは黙っておいたわ」
「そうだったんだ……」
ヒカリは考えを改めた。グループの輪が乱されるから除け者にされていたが、それは親しいとまではいかないだけで、手の込んだプレゼントを用意してくれるくらいには嫌われていないのだと実感する。
「嬉しいな……後でお礼言っておこう」
直接会うことは当面ないが、スマホでいつでもメッセージを送信できる。ヒカリは二人が帰って落ち着いたら、それぞれに礼を送ろうと決めた。
「皆、事件のことなんてまったく考えてなかったわ。考えるなって、私が言ってもダメだろうけど……そんな思い詰めなくていいはずよ」
本当は現地で伝えて、ヒカリの心が晴れてお出かけを継続させたかった。だが気持ちを伝えることが目的でありそのための会だったので、最悪中断されても思いが伝わればそれでいい。
そんなハルナの願いは叶い、ヒカリは周囲の視線の捉え方に変化が表れた。
「さて、時間的にちょうど良いし私はこの辺でお暇します」
「俺はあと三十分だ」
ヒカリのメンタルケアは済み、今から出発すれば帰りの電車に待たずに乗れると分かり、ハルナは帰宅する。一方で反対方面のレイジは彼女に合わせて出ると待ちぼうけを食らってしまう。
「今日はありがとう」
「ええ、それじゃあまたねっ」
玄関でハルナを見送り、ヒカリとレイジの二人になった。
「じゃあ俺も」
ハルナと一緒に行くとなるとヒカリの嫉妬を買ってしまう。レイジは僅かに時間をずらし、今から帰路につくことを呟いた。
「もう? 駅暑いよ?」
しかしヒカリは呼び止める。結局今出たところで三十分くらい待たないと電車は来ないし、ハルナに追いつかないようゆっくり歩こうものなら待ち時間の代わりに歩く時間が長くなる。
もう少し涼んでから出発した方が楽なのでは、という健康面から真っ当な意見を出された。
だが呼び止める理由はもう一つある。それについてはレイジに気づいてほしいので自分からは言わない。
「そうだったな。渡す物がある」
レイジは家の中へ、部屋へと引き返す。今日しかできないことのために。




