542話 一対一
「……兄貴の声がした」
昔の三門玲司は心の声を聞いて独り言を呟く。自作飛行機の墜落事故を両親に話して、死んだ兄を引き渡してから一時間後のこと。
不思議なことに、遠くから兄の心の声が聞こえたのだ。
確かに兄は死んでいた。未来から来た自分が連れてきた人は、時の石を使って特定の人の時間を巻き戻すことができ、そのおかげで彼は怪我した直後、元の体に戻されたので痛みを感じない。
だが落ちた時点で命も落としていた兄は手の施しようがない。そのため死んだものだと思っていた。
しかし兄の声がする。死んだのは彼らの思い込み。生きていても気絶していれば心の声は聞こえないため、実は生きていた。そう考えられた。
じきに会える。そう確定し安心した昔のレイジの元へ、今の彼が再びやってきた。
「また来たのか」
「……そういうことか」
今のレイジは、なぜ兄の声がしたのかからくりを見抜いた。だがそれを昔の自分に伝えることはできない。心の鍵のせいだ。
だから彼は事実を伝えるのは諦め、目的を果たすことに専念した。
「お前がこの街を出て行く未来をまだ変えられていないんだ」
「だから殺しにきたんだな」
昔のレイジはサバイバルナイフを抜く。愛用している銃刀法違反にかからない護身用の武器だが、今の彼はそれを失っている。
同じ能力を持った者が相手でも、武器がある分、昔の彼が有利だ。
しかし今のレイジには仲間がいる。彼とともにワープしてきた同級生の上原千聖。武器の不足は彼女が補う。
レイジが過去の自分に望むことは一つ。高校入学前にセインたちのいる島へ行かせないこと。
そうすることで、今から二か月後に起こる事件の原因を消し去り、全滅の未来を回避する。
それができたら、殺せなくても問題ない。だが甘く見ていると運命は変えられないから、殺す覚悟で挑みにきた。
それからお互いに会話がない。心が読める者同士、テレパシーで通じ合える。
セイン以外の仲間は置いてきたこと。彼らは過去に干渉することに反対し、襲撃事件の手がかりを探ることで解決しようとしていること。
唯一来たセインはレイジが些細なことでは死なないと信じており、だから今の彼に協力すると進言したこと。
一方で昔のレイジは、今の彼を殺そうとしている。彼が過去から帰れなければ、事件は起こらないと考えたからだ。
お互いに意思は決まっている。合図も前触れもなく、静かに勝負が始まった。
躊躇なくナイフを突き出す昔のレイジ。今の彼は右側に体を傾けて回避する。右手に持ったナイフは、左側には届きにくい。
一手目で読みを上回れた昔の彼は、その判断が今の彼自身の閃きでないことを理解した。
セイン。彼女の思考に今の彼が合わせた。
最初、今のレイジは突き出してきた手を払おうとしていた。だが昔の彼の動きを見たセインが、自分ならここで右に飛ぶと思ったことで、今の彼は急遽行動を変更した。
無事回避に成功した今の彼は、力いっぱい足を振り、蹴り倒そうとする。高校生と小学生、体格の差を利用した、力任せの作戦だ。
だが昔の彼は身軽で、見てから跳んで足に乗り、肩を経由して今の彼の頭上へ飛んだ。
それを見たセインは反射的に変身し、炎を放ち昔の彼を丸焦げにした。空気を蹴ることはできない。飛んでいては回避できない昔の彼は、大ダメージを受けつつも受け身をとって堪えた。
「咄嗟の判断からの行動が早いな、あんた……」
昔のレイジはセインの厄介さを認めた。あらかじめ複数のパターンを考えているのではなく、相手の動きを見るまでは何も考えず、常に後手に回りながらも相手の上をいく。
つまるところ、レイジが一番苦手とする相手だ。それも生まれきっての才能ではなく、事前の読みが読まれるから無駄になると理解して身につけた実力。彼と関わって、彼を超えるために鍛えた思考力、判断力。それがセインの力の根底にあるもの。
加えて彼女としてのベスト判断を今の彼がとってくるだけというわけではなく、さっきの炎のように、彼にできないことを彼女がやってくる。
そんな彼女にすべてを委ねる今のレイジは、さっき勝負したときの何倍も厄介な相手だ。
「好きにしろ、の指示でここまで動けるとは」
「俺もビックリだ」
セインとの共闘が事前に練られた策だったなら、それを読んで昔のレイジは彼女の動きを警戒して立ち回れた。
だがそうはいかなかった。今までの動きは全部セインのアドリブで、読みようがない。
だから昔の彼が立て直した作戦は、速攻で相手を仕留めること。それに味方がどれだけ強力であっても、本人の弱点がなくなることはない。
さっきのジャンプで確信した。今の彼は高い所が苦手で、他人が飛ぶだけでヒヤッとしてしまう欠点を持っていることに。
昔のレイジはナイフを一本、高く放り投げ同時に今の彼に接近する。ナイフを二本持っていることはセインは覚えていない。狙い通り、意識が頭上のナイフに向いたのを確かめて、懐から出したもう一本を彼女の顔へ投げつけた。
額の端を掠めていったナイフ。直撃させるつもりはなく、脅かしのためなので狙い通りの軌道。そして突如襲ってきた刃物に彼女は目を丸くし、後退りする足は震えていた。
邪魔者は消えた。怯んだセインは動けない。放り投げたナイフをキャッチすれば勝負あり、というところまで来て今のレイジが動いた。
ナイフを先にキャッチするべく、落下地点に着き跳ぶ姿勢をとっている。もう手元に武器はない。先に取られてしまったら、一気に不利になってしまう。
体格差とリーチの差が、ここで響いた。
ならば取るのは諦める。昔のレイジは目を閉じた。これでナイフの位置を追えなくなった。
すると今の彼は、自分の目で位置を確かめキャッチしなくてはならない。視線と片手が上に向いたところで、警戒が薄くなった足元を狙う。武器がなくても倒すことくらいはできる。踏ん張っていない状態なら、子どもの体でも十分な威力になる。
その思考を受けて今の彼は考え直した。武器を先に取っても勝負に負けては意味がない。浮いた足元はセインにカバーしてもらう案は、戦意喪失した今の彼女には期待できない。
ならば先に倒すことを優先する。相手も手元に武器がない今なら反撃を警戒する必要はない。そして距離も詰めている。ナイフを無視して肉弾戦に持ち込めば勝てる。
ここで突き飛ばして、ナイフから離れた場所で腕ずくで決着を着けることにした。
今のレイジが身構えたのを見て、昔の彼は一瞬足を止める。意識がナイフでなく相手に向けられている。そんな状態で突っ込んでは返り討ちにされる。そう察し、いなして相手の体を利用し跳んでナイフを取ることにした。
昔の彼の意識が膝と頭上に揺れたタイミングで、今の彼は再びプランを変える。すると今度は昔の彼が変え直す。
その繰り返しが続き、お互い向かい合って足を伸ばしたり屈んだりする奇妙な絵面が生まれた。その踊りは、ナイフが地面に刺さり金属音が響くのとともに終わりを告げた。
今度はどちらが拾うかで千日手の心理戦が始まる。お互いに心を読む“ノーツ”を持っていて、それ以外に勝負を左右する武器を持っていないがゆえに生じる泥仕合。
けれども差はある。こうなることを予測していた昔の彼と、仲間の援護に託していた今の彼。一対一になることを想定していたかいないかで、明確な違いがあった。
「考えが止まってるよ」
勝ち誇った昔のレイジは、今の彼に敗因を告げる。これから何をされるか、今気づいたが回避も受け身も間に合わない。
昔の彼の背負い投げが、綺麗に決まった。
高い所に弱い。その情報を勝負のどこかで利用する。具体的にどう活かすかは決めておかない。詳細が固まっているほど相手に情報が流れ、対策されてしまう。
だから何も考えず、その場の閃きに任せていた。そして今この瞬間、冴えた。
思いついたと読まれて逃げるのが間に合うようほど遠くない距離。体格差がそこまで影響しない、一瞬の近接格闘。相手を浮かせることで恐怖から判断力の低下を引き起こす。
背負い投げだ。そして目論み通りに地に仰向けに倒すと、ナイフを拾って跨り、喉元に刺した。
だが途中で骨に刃が弾かれた。致命傷には至らなかったが、この結果はレイジは察していた。
「……これだけ殺したいと思っていても、叶わないんだからなぁ」
昔のレイジは右目に与えられた悪夢の瞳を恨んだ。この力のせいで命は狙われるし、殺意に比例して生存本能がはたらくからいつまでも苦痛を感じ続ける。
こんな苦しみを一生背負い続けるのなら、いっそ自分の手で楽にしてやろうと思ったが、そううまくはいかなかった。
「無駄なことでナイフを痛めて必要なときにないと困るしな」
今の彼が人のために戦い、その過程でナイフを失ったことを読み取った昔の彼は、そう吐き捨てる。独り言のようだが、これは言葉を発することによって相手の意識を確認するためにやっていることであり、心の声の返事を聞くための発言だ。
「それにしてもちょっと持ち上げただけでコレとか、生きていけるのかよ」
昔のレイジは今の彼の過度な怯えっぷりを心配に思い、自分で手を下さなくても勝手に滅びるのを期待した。そうなってくれた方が自分としても気が楽であり、怯えの原因を作った身でもないので気負うこともない。
放っておいても時間を戻して完治してもらえる。昔のレイジは勝負の結果と今の彼の容態を伝えにセインの元へ寄った。
「終わったよ。仲間を呼んで、あいつを回復してやって」
「……終わった?」
放心状態だったセインは、レイジの声を聞いて我に帰り、辺りを見渡した。血に塗れたナイフ。昔の彼が指差す先を追うと、倒れて動かず赤く染まった今の彼が見えた。
「あんた強いのに心は弱い……」
言いかけていたところでセインが駆け出したので、昔のレイジは言葉を中断して去っていった。彼女が石を使って治せることに気づいてくれれば自分は居る必要がないし、わざわざ告げなくても息絶えることはないから、何も言わずに姿を消した。
「レイジ! ねえ大丈夫!?」
セインは必死にレイジに呼びかける。喉をやられているのは一目瞭然だが、どうすればいいか分からずただ彼の反応を待つ。懸命に反応を待ち、気づいてくれることを願って。
「ごめん……私が何もできなかったばかりに……」
セインは意識が逸れている間にとんでもないことになってしまったと悲しみの涙を流す。そのとき彼女にフラッシュバックが起こった。
すぐ近くにいながら何もできず、悔しい気持ちになったときのこと。その記憶が蘇り、そのときと同様、時の石を使って解決を試みる手があると気づいた。
「……でも、どうやって戻ったら」
しかし石を持っている仲間がどこにいるか分からない。だが実は彼女自身が持っている。石は二つあり、ここに来るときにワープしてきたため片方預かっていたのだが、そのことが頭から抜けている。放心状態になっていたときに立っていた場所に置き去り状態だ。
パニックになるセインに、昔のレイジは足を止めたが、石の存在にじきに気づくだろうと楽観的に捉え、歩きを再開した。
「君は、どうしてここに」
「案内する。ついてきて」
結局、昔のレイジは手を貸すことにした。セインに石を渡しにいくのではなく、自分が石を拾って仲間の元へワープしに使った。
本当にワープできたことに驚きつつも、手短に用件を伝える。
「未来の俺を助けてやって」
「……ついていっていいのか?」
仲間は昔のレイジを疑う。今の彼に預けた石をなぜ昔の彼が持っているのか。助けを求めているのも、彼の元へ向かわせようとしているのも、本心なのか怪しい。
「じゃあ自分で行きな。場所は波止場」
昔のレイジの案内が信用できないのなら、場所を伝えるからそこへ自分たちで行けばいいと思い、石を渡した。
「待って、腫れてる」
「……ありがとう」
火傷に気づいた人に時間を戻して治してもらったレイジは礼を言った。
「そんな感じで治してやって」
同じような手当てを未来の自分にやるように告げて、彼らを見送った。




