534話 今さら打ち明けても
「ちょっと話がある」
一ノ宮耀は放課後になると上原千聖の教室を訪れ呼び止めた。見かける度に怯えるように去っていったセインだが、三門玲司が言っていた通りそれは彼を避けているためであって、ヒカリ一人を見たときにはそのようなリアクションは取らなかった。
「レイジは帰ったから安心して」
だがセインは警戒している。ヒカリはレイジに金魚の糞のようについていくような人であり、素直に応じたら彼が待ち構えている可能性を否定できなかった。
そんな心理を予測していたレイジは予め、帰ることをヒカリに告げていた。そして彼女が明言したことで警戒を解き、荷物を持ってヒカリについていく。着いた先は昨日も遭遇した階段だ。
「昨日ここでレイジと何してたの?」
「……突き飛ばした」
「そんな嘘もう見抜いているよ」
セインはレイジに突き落とされたと呟いたが、それが彼との口裏合わせであることはヒカリはとうに気づいていた。彼女が聞きたいことは真相だ。
「監視の目を潰す最低限の炎を放ったのも、レイジと連携した結果でしょ」
セインは変身して、白い装束を纏うと炎を放てるようになる。レイジを見張らせていた虫を焼き倒すことは容易いが、校舎の壁や天井に焦げ跡を残さず全滅させることは難しい。
だがどこに虫がいるか分かるレイジと組めばそれは可能となるわけで、この現場での出来事を秘密にしようとしているのは二人の共同作業ということになる。
「自分を怪我させようとしている相手にレイジが協力するはずない」
そしてレイジは人の心が読める。セインの陰謀を見抜ける彼が、監視の目を潰すことに協力するうえに目論み通り突き落とされることなどあり得ない。だからヒカリは二人が嘘をついていると主張する。
「黙っていると可哀想なのはレイジだよ。このままだとエッチしようとして抵抗された拍子に階段を落ちたって噂が広まる」
「誰がそんな……」
セインの表情の変化から、ヒカリは揺さぶりに成功したと察した。彼女の嘘はレイジを庇うためについているように見受けられたことから、それによって名誉を傷つけるような事態が訪れるものなら抵抗してくる。その読み通りの反応が得られた。
「私だよ。目撃者だもの」
ヒカリは事後の瞬間だけはその目で見ていた。というのも、踊り場で蹲るセインと心配することなく見下ろしているレイジの姿であり、彼の供述から、突き落とされた仕返しに足払いを仕掛けたという背景も聞いている。
そこにヒカリが想像で経緯を作った。セインがレイジを落としたのは、彼に迫られ抵抗したためだと。
だがそれは言い触らすためでなく、セインから情報を聞き出すための餌であり、まだ拡散していない。
「違っ、そんなんじゃ……」
「じゃあ何? どんな?」
セインは言うべきか迷った。レイジが落下したのは事実だが故意ではない。高所恐怖症が治まったのを証明するために一段飛ばしで降りようとして、途中で怖くなりバランスを崩した結果だ。
その症状を患ったことをヒカリには内緒にしたいから、レイジは咄嗟にセインに突き落とされたことにしようとした。ここまでが口裏合わせのシナリオだ。
なお彼女だけを悪人にしないために彼は蹴り倒したのだが、そうと聞かされていない彼女は彼の奇襲でパニックになり以降彼を避けている。
「……帰ります」
セインはレイジの名誉を守るか、彼との約束を守るかの板挟みに囚われた。その末に走って逃げたが、それは真実を隠すという点で嘘と同義。話す気はないと受け取ったヒカリは、でっち上げのセクハラをSNSに投稿した。
翌朝。レイジは学校の人たちの視線が冷たいと感じていた。理由はもちろん、お分かりのように彼の前の席にいるヒカリの無慈悲な投稿だ。彼女はレイジの名前を出して、セインについては同級生の女子として詳細をボカして、襲いかかったという内容のもの。
彼の名を知る者は、その真偽を尋ねることなくヒカリの文章を間に受けてヒソヒソ声で言い合っている。対してレイジは黙って席に着き、いつも通りに振る舞う。
「残念だったね。見捨てられちゃって」
最初の会話からヒカリは煽る。レイジが白い目で見られるようになったのはセインが事実を黙っていたからで、恨むのなら彼女の決断を恨みなさいと思っているのが透けて見える。
「それともレイジが早く教えてくれていれば……あの子も責任を感じなくて済んだのに」
「まったくその通りだな」
共感する気のないレイジは心にも思っていないことをぶっきらぼうに告げる。その言動にヒカリは苛立った。真実の告白を躊躇った結果苦しい思いをしているのに、性懲りもなく隠し通そうとするレイジの学習能力の無さに。
「こんな目に遭わされて、まだ黙っているの!?」
「……ごめんな、ヒカリ」
俯いたまま、レイジは謝った。何に対する謝罪なのか、首を傾げるヒカリにその意味を知らしめるために、教室に荷物を置いてきた坂上未来が現れた。
肌を弾く高い音。名前を呼ばれ振り向いたヒカリの頬に打ちつけられた手のひら。教室に響いた一回の音で、教室は鎮まり返った。
「なんてことしたの!」
朝、登校するときは見せていなかった溜め込んでいた怒りを一気にぶつける。この事態を避けられる方法を見つけられなかったことに罪悪感を覚えるレイジは、せめてもと思い一部始終を見届けると決める。
「いってーな……」
「ごめんねレイジ。もしものときは止めて」
ミライは自分が感情的になっている自覚があり、制御しきれなくなったときは止めてもらうようレイジに頼む。そして彼がいるなら安心と割り切ったミライは、思っていることすべてをぶつけにいく。
その中にはレイジとの秘密もあるので、まだヒカリに知られたくない場合も仲裁に入ってほしいと伝えた。
「レイジも上原さんも、あなたが責任感じないように色々隠そうとしているの! そうとも知らず二人を追い詰めて……」
「責任? 知らないしそんなの」
ヒカリに思い当たる節がないのは仕方がないことだ。彼女につけられて逃げて振り切ることを選んだのはレイジの意思であり、責任は彼にある。
けれども伝え方次第ではヒカリが自分を責めてしまいかねないから、彼女に隠そうとしていたのも事実なので、ミライはその真相を告げようとする。
「あなたがしつこく付き纏うせいで……レイジは階段から飛んで怪我をした。高い所が怖くなってしまったの」
怪我と聞いてヒカリは心当たりがあった。兄に電話をするだけなのに黙って教室を出ていったレイジを尾行したとき、走って逃げられた。
彼は単純な走力勝負では勝てないから、階段を飛んで時間を短縮する度胸勝負に出た。
だがそれで怪我をしたといってもせいぜい足に強めの衝撃が走った程度で、着地に失敗したわけではない。
そもそも飛んだのはレイジの意思であり、彼が逃げない限りヒカリも走って追う気はなかった。
「それ私のせい? 大体ちょっと足痛めただけでしょ」
「体じゃなく心の傷よ。あれ以来、高い所が駄目になってしまったの」
ヒカリはミライが戯言を言っているのかと思いレイジに視線を向けたが、彼は黙って頷くもので、受け止めざるを得なかった。
「昨日、階段から落ちたのも怖くてフラついた結果なんだ」
レイジは明かす決意をした。その方がミライも訴えかけやすいと考え、いい加減話した方がセインのためにもなると思っての判断だった。
幸いヒカリも、彼が思っていたほど深刻に受け止めなかったので、レイジは結果オーライと考えた。
「何それ。自分で飛んでミスって怖くなったとか」
「そうね。でも……」
「そうだよな。俺の思い込みが間違っていた」
レイジはミライの言葉を遮って、自分が間違っていたと受け止めた。確かにヒカリの言う通り、彼自身の行動に問題があるわけで、言ってしまえば自業自得。
飛行機の墜落で命を落とした兄の存在がレイジに過度の恐怖の種となったとして、死の真相を彼に知らせたヒカリに非があると考えるようなものではない。
「昨日のは、それを知られたくなくて落とされたことにしたんだ。やり返したのは、あいつ一人を悪者にしたくなくて」
「……じゃあ本当に、変なことはしてないの?」
今さら打ち明けても、とは思ったがレイジは深く頷いた。その真相は、彼を性犯罪者に仕立て上げる前に話してほしかった。ヒカリは不満を抱きつつ、信用できず待てなかった自分を責めた。
「私……なんてことしちゃったんだろ」
「止めなかった俺が悪い。気にするな」
ヒカリは急いで昨日の投稿を削除したが、すでに不特定多数の人に読まれている。その中には知り合いも多く、学校に来てからのレイジへの周囲のリアクションからも明確だ。
取り返しのつかないことをした。後悔と罪悪感でヒカリは潰されそうになる。そんな彼女にレイジは、自分が止めていれば防げたことだと責任を肩代わりする。
ダメな行為をダメだと言って止められなかったのは管理する立場の責任であるのと同義。だから一人で抱え込まなくていいとフォローする。
「それにこの程度の噂、すぐに消える。ヒカリに友達が少なくて助かった」
心が読めるゆえに拡散の規模を掴めるレイジが、些細な噂だと言い切ることはヒカリにとって安心できる意見であり、不幸中の幸いだと若干前向きに捉えられるようになった。
「最悪、この目を使って噂は潰せるしな」
加えてレイジには見た人の夢や願いを叶わなくさせる悪夢の瞳がある。噂をきっかけに彼の悪評を広め陥れたいと企む人を読心術で炙り出し、出向いて悪夢の瞳で見てしまえば口封じは容易だ。
「私、消されちゃうの?……」
「もう殺さないから、心配しないで」
ヒカリは自分がレイジの言うターゲットに該当しているのかと不安になったが、それは杞憂だと宥める。ヒカリ含め彼の知り合いには、そんな非道な人はいない。
「見た? 昨日の一ノ宮のメッセージ」
「ああ。言ってることは嘘だけど、恐ろしい奴だ」
ヒカリの投稿は他校でも話題になっていた。ヒカリと付き合っている田浦夕雅は同級生と集まって、思い思いに話している。
「ソゾロは? あの瞬間は見てなかったのか?」
「いや、見てたが」
同級生にはヒカリが監視を依頼した虫使いの八王子漫芦がいる。彼は自分の目を複眼にして、操った虫の視界を得られるので、離れた高校にいるヒカリやレイジの動向を把握できる。
実際は虫を全部燃やされて見えなかったが、それを正直に言う必要はないと考え、あたかも見ていたように振る舞い、噂を上書きしてしまおうと考えた。
「儀式っぽいのやってるのは見えた」
「儀式? そもそも誰とだ」
「俺にも分からん」
レイジとセインが二人で会っていた理由の見当はつかないので、ソゾロは詳細はぼかした。加えてヒカリが明かしていない相手の名前を自分が公開するのも得策ではない。顔は見えたが知らない人とするのが無難と考えた。
「にしてもこんな投稿するなんて、浮気したらヤバそう」
「早く関係終わらせたら?」
ユウガは軽い気持ちで付き合ってしまったことに若干恐怖を感じ、周りには依存されないうちに別れてしまうよう忠告を受けた。
ユウガ自身も、早く関係を断って以前ようやく付き合えた相手とよりを戻したい気持ちが強く、けれどもヒカリの機嫌が悪いときに話を切り出すのも怖いので、この気持ちを察知したレイジが手を貸してくれるのを待った。




