532話 裁きを
「元凶はあなたなのに、よくもそんなこと言えるわね!」
一ノ宮耀が上原千聖に向けて言った要望に対する返答がこれだった。
ヒカリが告げたのは、三門玲司に娯楽の誘惑をするのをやめてほしいという内容だ。レイジは今朝、駅のホームの線路沿いに近づくと足が震えるようになったと呟いていた。彼は原因について、受験に対する不安が、物理的に落ちることに過敏になり、段差に近づくことを無意識のうちに避けていると言っていた。
レイジ自身は大学受験に不安はないと自負しており、ヒカリも心配要らないと彼のことを信じている。
だが彼が不安を抱えているのなら、邪魔するようなことをしないでほしい。そんな思いが、セインと話してから頭に浮かびすぐ口にした。
「元凶? 私が?」
セインは普段、厨二病ゆえに難解で本来の意味とは相違さえある言葉を連発してくる。しかし感情が昂ぶると思ったことをストレートに言い放つ。めったに聞かないセインの本音にヒカリは思わずたじろいだが、彼女の言葉に疑問を抱いて聞き返した。
「別れたのに付き纏って、ストレスかけさせている……迷惑って分からない!?」
それに対する返答はこれだ。セインはヒカリの指摘に対し、自分を棚に上げて言っている事実に腹が立った。
セインは確かに、昨日はレイジとネトゲをやっていた。だが誘ってきたのは彼の方で、本来の目的である打ち合わせをバレないようにするためのアリバイ作りという明確な目的を持っていた。
ヒカリが思っているような、勉強に焦っている彼に無理を言って娯楽に引き摺り込んだものでは断じてない。
打ち合わせを隠すためなら、そのように誤解されても我慢する。だがヒカリの言い方は、まるで自分はレイジに迷惑をかけていないように聞こえるもので、セインにとっては聞き捨てならないものだった。だから我慢ならず、言い返してしまったのだ。
ヒカリとレイジは別れて、もう恋仲ではない。だが彼女は彼の動向を、人の手を借りて細かく追っている。ゲームをすることになったのも、彼女の監視をごまかすためだ。
ストーキングをやめてくれたら、わざわざごまかす必要もない。元を辿ればヒカリに非がある。それがセインの言い分だ。
「……迷惑じゃない。レイジは今も私が好き。そう言ってた」
執着している事実に対し、ヒカリは周りにどう見られようと引き下がる気はないと確たる意思をぶつける。
ヒカリはレイジにとっての一番ではない。それが別れの原因だが、それでも彼は今も彼女のことが好きでいる。
本命の相手はいる。だがその人には好意を寄せている異性がいる。それを彼は本当に好きな相手を選ばない理由として挙げていた。
だが生憎、そう告げられたのはヒカリが別の相手と付き合い始めてからのことだった。ヒカリは別れた後に他の交際相手を漁ったのではない。未練を断ち切るために軽い気持ちで言い寄ってきた相手の気持ちに答えた結果だ。
その相手はヒカリに好意を抱いていたわけではなく、レイジとの復縁を阻止するために、交際をトラウマにさせてでもヒカリの気持ちを矯正するのが狙いだった。
そうと知らないヒカリはその相手と関係を続けつつ、レイジが自分を取り返しにきてくれるのを待っている。本当に好きならそれくらいできるはずだからと、彼のことを試しているわけだ。
「でも全然態度に出ないから、見張ってないといけないの」
だがセインにとっては、ヒカリの境遇も決意もどうでもいいものだった。どんな理由でも嫌だと突き返してくるのなら、拒絶できないレイジに代わって自分が相手になる。そんな決意を宿した。
「それにあなたには関係ないでしょう?」
ヒカリの行為をもしもレイジが迷惑に感じているとして、それをセインに咎められる義理はない。そうヒカリは言い放つ。付き纏っているとか監視しているとか、それらはセインの解釈だ。当事者であるレイジからは何も文句を聞いていないから、彼以外の意見は信用に値しない。
心の読めるレイジはこの会話が聞こえているだろうから、どちらの味方をするかはそのうち分かる。動きを探るためにも、ヒカリはあえて対立を招くような発言を連発する。
「それとも? もしかしてレイジのこと狙っていた?」
ヒカリは追撃を止めない。今までは高校が同じなだけでろくに交流がなかったセインが、このタイミングでレイジと関わりを増やしてきた裏には、そんな心理が働いたのではないか、そう思えた。
「違う、でも彼には強いままでいてほしい」
セインがレイジに抱く感情。それは恋愛ではなく憧れ。心を読めたり見た人の夢を叶わなくさせるだけの非攻撃的な“ノーツ”でありながら、大胆不敵に強敵に挑む心の強さは、同じSランクの土俵に上がってからひしひしと伝わってきた。
そんなレイジの強みが、高所恐怖症の発現によって失われてしまったことが、セインにとってはショックだった。だからこれ以上、彼に強さを失ってしまうことがないように、彼のために動きたいと思った。
レイジに止められていなければ、ヒカリに追いかけられ階段から飛び降りた痛みが発現のきっかけであることを告白してやるつもりであった。
「その強さを奪う者は、裁きを下したいところだ」
そして己の手でレイジに代わって報復をしたい気持ちを、彼の意思を尊重して抑えている。レイジは恐怖症のことはヒカリに黙っていてほしいと言っており、自力で克服して何事もなかったことにしたがっている。
だが未だに治らないことから、レイジの目論見通りにはならない予感がしていた。
そうとは梅雨知らず、あまつさえ他人のせいだと思い込んでいるヒカリに罰を与えたい思いが口から漏れた。
「戦わないと気が済まないんだね?」
「……約束を破るわけにはいかない」
倒したい本音を読み取られたセインは、レイジとの約束を思い出し、これ以上心を揺さぶられないためにヒカリに背を向けて教室へと戻っていく。クラスが違うのでヒカリは追いかけることができない。
だが去り際に聞こえた約束という言葉に、それはレイジと作ったもので、それを自分は知らないという事実から、ヒカリはイラッときた。
「私も約束があるから、ここで見逃してあげる」
反撃のために嘘をついて、ヒカリはセインと逆方向へ歩き出した。
放課後。ヒカリはレイジの反応を窺う。セインとのやり取りは聞こえているのは確か。彼女から告げ口を受けている可能性だってある。けれども今に至るまで、すぐ話せる距離にいながら一度も話に触れてこない。
サクッと片付く話ではないから、言葉でも拳でもじっくり語れる放課後を待っていた。ヒカリはそう捉えている。
だが期待と裏腹に、レイジは無言で帰宅しようと席を立った。
「聞いてたよね、上原さんとのお話」
レイジは足を止めず、ヒカリを残して教室の扉を閉める。完全に閉まる前に彼女が手を差し出してきたので、挟まないようブレーキをかける。
「このままだと私たち、決闘になるよ。そして私は負けるでしょうね」
“ノーツ”の使用をありにすれば、勝負になるとセインが圧倒的に有利だ。ヒカリの“ノーツ”も戦闘向きではない。一度起こった事象を繰り返す力は、力比べでは意味をなさない。
対してセインはハンマーや槍などを創造したり、炎と雷を使い分けたりと攻撃性に特化した力に目覚めている。
メンタルは一般的な女の子なので、一人で歩いているところを奇襲すれば反撃させず仕留めることができる可能性はあるが、今のセインは戦う準備ができている。
その状態でかち合えば、ヒカリが惨敗することは彼女自身も自覚している。レイジもそう思っているだろうと読んで、止めてもらおうとアピールしている。
ここまで露骨に引き留めてもらおうとしているのに無視してくるのは、セインの味方につこうとしているようにも思えてしまう。
「レイジは向こうにつくの?」
「違うから。ちょっと一人にしてくれ」
レイジは想定以上に膨張してしまった争いを止めるために、急遽、恐怖症を克服しに動いた。
それができたら、セインが取り戻してほしい力が返ってくることを証明してヒカリへの敵意も薄まる。
だがそれをやっている姿をヒカリに知られたら余計に問題が発生するので、一人になろうとしている。
ヒカリは追いかけないが、監視を依頼している人に声を掛けて、虫に尾行をさせた。
だがじきに尾行は失敗した。追わせた虫が炎に焼かれ、視覚を得ることができなくなったのだ。
「一段飛ばしで降りられたら、認めてくれ」
レイジはセインの見ている前で、階段の中央を大股で降ろうとする。普段は手すりか壁に体重を預けて一段ずつでないと降りられないから、真ん中を手を握ってもらわずに、それも二段ずつ降りることができたら、恐怖症は改善したと認めてほしい。それが彼の願いだ。
そして達成できた暁には、ヒカリのことを責めないでほしい。勝負に発展しないでほしいという思いがある。
覚悟は決めているが、一度もできた試しはない。だが追い詰められている今だからこそ勇気を出せるかもしれないという考え方もあり、というよりむしろこれは最後の手段だ。
そして決行した。
足は出た。体が宙に浮く感覚が走る。そのときレイジの頭に兄の姿が過った。自作飛行機の試運転で墜落し、命を落とした兄の姿が。
事故のことは覚えていない。レイジ自身も大きな怪我を負って入院した。兄も怪我で済んだと思っていたが、数ヶ月前になって、実は亡くなったと知った。
どんな落ち方をしたのか、知らないがゆえに色々な想像が頭に浮かぶ。心が読めるせいで、飛び降りで命を落とす人の最後の思考が聞こえたことがある。だからより鮮明にその様が想像される。
戻りたい、体の動きと相反する迷いに襲われたレイジはバランスを崩して、転倒した。
「大丈夫!?」
まさか転ぶとは思っていなかったセインは慌てて駆け下り容態を確かめる。幸い意識はあり、痛みに悶える様子もないから彼女は安堵した。
「俺は大丈夫だ。だからヒカリを止めにいってくれ」
レイジは大事に至らなかったことを実感すると、セインには手当てでなく足止めを依頼した。物音を聞いたヒカリがこちらへ向かっている。倒れている様を見られないために、時間稼ぎをしてもらおうとしたのだ。
「認知してもらうべきよ」
「お前に突き落とされたって疑うかもしれないし」
セインはレイジに、これ以上危険行為に出る前に諦めて現実と向き合うよう忠告した。だが彼は彼女のためにも嘘を貫き通そうとする。
きっとセインがどれだけ真実を伝えようとしても、ヒカリは彼女を悪人に仕立て上げて周りに言い触らすだろう。監視の目を潰したのも、その疑惑に一役買ってしまう結果となってしまった。
「……孤独な世界には慣れている」
しかしセインは、汚名を着せられることから逃げない。かといって真実を伝えられる保証もないが、それでもいいと言い切った。
誰の理解も得られない、味方がいない現実には慣れているという、寂しい根拠に基づいた決意だった。
「それでいいなら止めないよ」
「ありがとう」
レイジはセインの願いを聞き入れ、油断したところに足払いを仕掛けた。
不意を突かれて体勢を崩したセインは、咄嗟に腕を伸ばして受け身を取ろうとする。そのとき突き出した手が階段に当たり、体重が乗って痛みが走った。
その様子が、ちょうどヒカリに目撃された。
「……何、これ」
「突き落とされたから、やり返した」
レイジは恐怖症から意識を逸らすため、セインを怪我させた。芝居とバレないように、本気で彼女に恐怖を植えつけた。
何をされたか分かっていない彼女は放心状態で、立ち上がることも顔を上げることもなく、すべてがレイジの思惑通りになった。




