623話 現実となったとき
「……最悪な夢」
帰省の同伴を終えた翌日の朝。一ノ宮耀は飛び起きた。夢の中で、だんだんと遠ざかっていく三門玲司。どれだけ待って止まってと願っても、無視して前へと進んでいく彼が、ついに見えなくなってしまった頃、ヒカリは現実に意識が戻った。
レイジが遠くに消えたのは夢の中の話。そうと理解した彼女だったが安堵することはなく、そんな夢を見たことに嫌気が差していた。
夏休みが終われば学校が再開する。クラスメイトのレイジに会う頻度が上がる。けれどもそれは、卒業までの半年間だけ。
それが嫌なら同じ大学に行けばいい。けれどもそんな簡単な話ではなくなってしまった。つい昨日、レイジのせいで。
スマホを見ると何十件もの通知が届いている。普段は一晩でこんなに溜まることはない。
読まずとも原因は分かっている。帰省中に受けた銃撃に絡む話だ。
ただでさえ夢のせいで機嫌が悪いヒカリは、メッセージを読むことさえ億劫で、一切既読をつけずにスマホを手離した。パジャマから着替えながら、傷がついた腹部をさする。
全然違和感がない。当時カーディガンを羽織っていて、パッチポケットに母から借りた指輪をしまっていたおかげで、軽傷で済んだ。その傷は触れてももう痛まない。
浅い傷で済んだから大丈夫、とはならない。襲われたこと自体が問題であり、それは偶然ではない。だからもしレイジと一緒の進路を目指すと宣言しようものなら、事件の再来を恐れた知り合いたちが引き留めにくる。親だって同じだ。
だからレイジについていくことはできないと割り切るしかない。そうなると、彼との別れは免れられない。彼がこの島に残るという風に意思を曲げない限り。
けれどもそんな気がないことは、帰省中に聞いた。故郷はレイジにとっても当たりの強い世界だ。けれどもそれは過去の話。悪夢の瞳を持っていた頃の話。夢を奪う瞳を無くした今は、復讐に燃える一部の人以外から敵意を向けられることはないようで、現に銃撃を受けた当時も、居合わせた彼は無事だった。
実際に訪れて、これなら平気だと確証を得たであろうレイジは、もう進路で迷っていないにちがいない。その証拠に、島の知り合いたちに嫌われようとしている。彼がヒカリの銃撃被害を暴露したのは、反感を買うことを目的としているのだ。
そうすることでレイジは島に居づらくなり、ヒカリは故郷へ行けなくなる。二人の進路を分かつのに最適な環境が整ってしまう。彼はそこまで見越しているのだろう、とヒカリは察する。人の気持ちを平気で踏み躙るのにこんな暗躍だけは得意な彼に、無性に腹が立つ。
その頭のキレの良さで復縁させてほしかった、と思うものの、そう願いつつ一年。今となってはどうしようもない。
「あの夢みたいに別れるんだな……」
今の関係が続けば、半年後にお別れを迎えてしまう。昨夜の夢が現実になると思うと、ヒカリは堪えられなかった。
「……そうだ、忘れてた」
レイジとの別れは昨日帰省から自宅へ戻ってきた頃にはもう勘づいていた。帰省中に“ノーツ”を復元させた彼は、島での評価が元に戻り、ヒカリと同じ階級でなくなってしまった。
それを革切りに接点が減っていく未来が怖いヒカリは後悔しないように、一緒に居られるうちに思い出を作ろうと決意した。だが実践する勇気を出せない。
そんな思いを抱えているところに耳にした嫌な話。“ノーツ”を取り戻しSランクになったレイジが同じ階級のグループチャットに復帰するために招待を依頼した相手。
なぜ彼がその相手を選んだか、それはその女子に気があるからだと噂された話だ。
その真偽を暴くという大義名分ができたヒカリは、レイジに会って話をすると決めて昨夜は眠りについた。夢のインパクトで忘れていたが、そんな経緯があったことを、今思い出したのだ。
ヒカリはスマホを持たずに家を飛び出す。レイジは人の心が読めるから、探していることなど言わなくても伝わっている。だからアポなしで家に向かえば待っていてくれるはず。あるいは向こうからも来てくれて途中で落ち合える。とにかく、会えないことはない。
そう決めつけて、ヒカリは出発した。
「おはようヒカリ」
レイジの家か、駅で合流するだろうと思っていた。だがヒカリの予想はどちらもハズレ。彼女の家の前に、彼はスタンバイしていた。
なぜ、と口に出る前に心の中で思う。不意を突かれたせいで、言いたいのに言えなかった。
「俺に会う気なのは昨日のうちから分かっていた」
だから聞かれる前にレイジ自ら告げてきた。確かに疑惑を抱いたのは昨夜の話。今決めたことではないから、彼の準備ができていても不思議ではない。
「まさか家の前に来るとは思ってなかっただろ」
それを聞いてヒカリは彼の意図が分かった。会いたい気持ちに応えるのに加え、サプライズを仕掛ける気だったのだと。だから想定していないタイミングで鉢合わせるよう狙って待っていた。
レイジらしいとは思う。悪い意味で、とヒカリは思った。彼は心が読めるのに人の心が分からない。どうすれば相手は喜ぶか、ではなく驚くか、しか考えていない節がある。
求めているものを探り、期待に応えるのでは面白味に欠ける。だから相手の想定を超えてもっと期待に応える。それを実現させたいのが彼のスタンスと聞いたが、予想ではなく期待を裏切ってくるから困る。
きっと今回も、玄関でスタンバイしてびっくりさせよう以上のことは考えていないのだろう。本題は昨夜の疑惑の件なのに、そこを納得させる準備はできていないに違いない。
そう勘繰っていると、レイジは目線を逸らす。図星なのだとヒカリは察し呆れた。かろうじて、言い訳を考えてこない潔さはあると肯定的に評価し、問い出した。
「どうして上原さんに言ったの?」
二人の同級生、上原千聖。高校二年生のとき、合併によって同級生になった生徒。クラスメイトではないが、同級生かつSランクという縛りでは、彼女の他には後一人しかいない。
けれどもこの島は他校との交流が盛んだ。特に“ノーツ”持ちの生徒とは。現にレイジには、他校に同性の友達がいる。グルチャへの招待はメッセージで依頼するわけで、他校ゆえに距離が離れていようと関係ない。
だからその人に頼む方が普通なはずなのに、どうしてセインを選んだのかをヒカリは知りたい。場合によっては許せないとさえ思っている。
「俺がSランクから抜けるって言ったとき、一番落ち込んでいたのがアイツだったから」
レイジとしては、思いやりのつもりでセインを選んでいた。彼は悪夢の瞳を失った日、能力の評価が下がると察し、ちょうどその日は文化祭だったから、同学年のSランクメンバーに挨拶をして回った。
その中で一番降格を惜しんでいたのがセインだった。後日測定して降格が現実となったときは、さらに気落ちしていた。
「……それだけ?」
「アイツにとって、俺は強い人であってほしいんだと」
他に言いにくい理由があるように思えたヒカリだったが、レイジは首を横に振る。それだけの理由でもセインにとっては大きなショックだったのは、心が読める彼にしか分からない。
「お前が理想の俺を求めているように、セインにも理想がある」
「知らないよ、そんなの」
理想に戻ってこられたことをいの一番に報告してサプライズ、という経緯だったが、ヒカリは納得しない。自分以外の誰かのために、自分は嫌な思いをさせられた。
男子を選んでいたら、嫉妬なんてしなかったのに。
「……そのついでに私の反応を楽しむつもり?」
「いや別に。お前のことなんて考えてなかったし」
嫌がらせのつもりかと尋ねた。セインの期待に応え、それを聞いたヒカリが拗ねる。そこまで予測して、それをよしとして実行したのかと疑ってかかる。
仮にそうでなくても、もしまた似たことをすればこう思うのだという牽制も兼ねて。
するとレイジは眉一つ動かさず、自然に言い放った。ヒカリがどう思うかなんて、最初から考えていなかったと告げた。
「あの女で頭がいっぱいだって言うの!?」
「いや別に」
セインを喜ばせることばかり考えていて自分のことは何も考えてくれなかったのか、とヒカリは叫ぶ。それを受けてレイジは即答した。セインに費やす頭のリソースは全体のほんの一部に過ぎない。
ならそれ以外の大半はどこに割いていたか。それは絶えず聞こえてくる有象無象の心の声だ。ヒカリの心の声なんて、群衆に掻き消されていた。
それをストレートに告げようものなら彼女は怒る。それくらいレイジにも予測がつく。だから遠回しに告げる。
彼女の思い。卒業までに思い出を作りたいという気持ちに、応える気はないという返事を暗に示して。
「……じゃあ私を無視したの?」
「いや、そういうわけじゃない」
本音で応えるならイエスだった。だがレイジがノーと答えたのは、素直に返すと後が怖いからだ。ヒカリの考えは、もし彼にとって自分の存在が小さくなりつつあるのなら、自傷行為に及んで気を惹こうとしている。それを阻止するために嘘をついた。
するとヒカリは覗き込むように顔を寄せる。レイジの目を見て真偽を確かめる。
「あ、目逸らした」
レイジと違って心を読む特別な力はないが、じっくりと見れば区別がつく。ポーカーフェイスが苦手な彼の嘘を見抜くことなど、今となっては余裕だ。
そんな駆け引きを経て、ヒカリは気づいた。気を引き続ければ、レイジにとって特別な存在でいられることに。たとえ距離が離れても、常に心の声を聞いてもらえたら、それだけで満たされそうな気がする。
その願いが叶うなら、卒業して離れ離れになっても構わない。そう割り切れた。
「……もういいよ、レイジ。じゃあね」
セイン絡みの話で聞きたいことは聞いたし、残す夏休みを一緒に過ごそうとも思わなくなった。
だからレイジは帰ってくれて構わない。ただ彼がまだ居たいというのなら、その願いは聞いてあげてもいいと思っている。
「ああ。また学校でな」
対するレイジの言葉は、もう夏休み中に会う気はないという宣告。その言葉を最後に、彼は背を向け去っていく。
こうしてヒカリは後悔を残して夏休みを終えた。
夏休み明け。レイジとヒカリは登校して、座席に着く。久しぶりに彼の顔を見て、少し安心した。
構ってほしいと心の声で訴えかけても一切連絡をくれなかったから、彼の身に何かあったのではないか心配した。けれどもそうとは限らないと、以前の経験から捉えられる節もあり、学校が始まれば会えると信じて今日を迎えた。
後ろの席にレイジがいる。振り向けば顔がよく見える。けれどもヒカリは気持ちを抑え、前も向いて静かに過ごす。
休みの日ほど自由な時間はないが、クラスメイトという繋がりのおかげでそばにいられる時間は長い。会えるのに会えない夏休み後半と比べたら、居心地が良い。寂しく過ごした日々への未練は、自ずと薄まっていった。
夏休みに一度見た悪夢をまた見ることはなく、今のうちだけは、別れの訪れを忘れていられた。
一方でセインのことは警戒しなくてはならないと、廊下で見かけたときに思った。彼女は他クラスで、レイジの教室を訪れることは滅多にない。かといって彼から目を離すとどこで接しているか分かったものではないので、なるべく彼から離れないようにすると決めたのだった。




