621話 離れた存在
「ただいま」
一ノ宮耀は三門玲司の帰省の同行を終え、自宅に到着した。そこで待っていたのは母親と、ヒカリを演じて島に残っていた茗荷谷翼だ。レイジとは駅で別れ、彼も自宅へ向かっている。
「返すね」
ヒカリは母親に指輪を返した。レイジとの帰省、それが最後の時間になると想定していた彼女は、最後のお願いということで貸してもらった。
「無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」
「うん」
ヒカリが渡した指輪は、銃弾が当たった衝撃で僅かに削れている。弾いてくれたおかげで軽傷で済んだともいえるが、無事というわけではなかった。
「ありがとね」
「どうも」
怪我をすることはヒカリは読めていた。レイジの故郷は夢に執着した街で、悪夢の瞳を持つ頃の彼は命を狙われていた。
だがなかなか死なないから、精神的な苦痛に舵を切って、彼と付き合っているとされるヒカリも標的にされた。もうだいぶ前に別れているものの、彼女の犠牲は彼にとって心にくるのは変わらない。
そんなヒカリが帰省に同行すると言えば、知り合いは反対する。だからバレずに行くために、ツバサを彼女に変装させ、ヒカリはレイジの母親に変装して往復したのだ。
だから今は、本物の母親と母親の姿をした娘、娘の姿をした赤の他人が揃っている。
「私もこれ、返すね」
ツバサはヒカリに預かっていたスマホを渡した。ヒカリ宛てに来た連絡に出ないと怪しまれる。ツバサは帰省中の二日間は外出しなかったが、ヒカリの知り合いから連絡を受けていた。そして疑われないように、彼女らしさを表現して返信、通話していた。
「それと、麻布さんがお話したいって」
その中で一件、重要な用件があった。それは麻布麻李杏から、先月の文化祭の事件で話があるというものだった。
「……それだけ?」
「う、うん」
ヒカリとしては、別人が自分を丸一日演じていて全然素性がバレていないことが不気味だった。マリアの話は変装とも帰省とも無関係で、裏を返せば帰省の件は誰にも疑われていないことが、通知の少なさから見てとれる。
「人のフリするのうまいのね」
「……まあ」
それだけツバサの演技の精度が良かったことであり、それはヒカリとしても好都合。だが成り代わっても気づかれにくいと、悪用されると怖いと思った。
対してツバサは、人を演じるのは初めてではなく、それと比べたら同い年の同性を演じることは造作もなかった。彼女の“ノーツ”は見た物をスケッチした通りに描き変えるもの。
鏡に映った自分を見てヒカリをキャンバスに描けば、そっくりさんに変われる。
その力で、もっと長い間、別人を演じてきた。
「ねえ、そのままレイジに会ってみない?」
「レイジに?」
ヒカリは考えた。レイジは本物の自分に気づいてくれるのかを。だからツバサは変装をそのままに自分だけ解いて、彼に会いに行こうと提案した。
「あの人に変装は関係ないよ。心が読めるのだもの」
「ああ、そうか」
どれだけ容姿や仕草を真似ても、心は本人のまま。だから心の声を聞く“ノーツ”を持つレイジは、すぐに見分けをつけられる。クイズにならない。
「……でもリアクションは気になるかも」
けれどもヒカリが二人並んだのを見せれば、レイジは面白い反応をするかもしれないとも思えた。本物当てではなく反応を試すのを目的としてみるのはいいかもしれないと考えた。
「……やめよ。レイジ、徹夜して疲れているし」
だが今から彼に会いにいくのは迷惑だとヒカリは考えた。彼は入院した彼女が睡眠中に襲われないよう警戒していて、まともに眠れていない。帰りの飛行機も熟睡していた。
そんな彼を遊び心で起こしにはいけない。ヒカリは彼を気遣い、決行を中止した。
「徹夜……一ノ宮さんは平気なの?」
なお状況を知らないツバサは、なぜレイジが一晩中起きていたかを知らない。だからヒカリも一緒に起きていたのではないかと勘繰ってしまった。
「最初は痛くて眠かったけど」
「痛……そっか……」
ヒカリも被弾したことを話そうとはせず、昨晩の状況を語る。恐怖で眠れないなんてことはなく、すっかり回復していた。
という事実を素直に話さないせいで、ツバサは二人が愛の行為に及んだのだと誤解した。だが自分が口を挟むようなことではなく、潔く受け入れる。
「じゃあ私、帰るね。お邪魔しました」
ツバサは変装を解いて家を出た。ヒカリは母親の姿のまま見送ると、被っていたウィッグを外した。
自室に戻ったヒカリは、マリアから送られたメッセージを読み返す。残り二週間の夏休みのどこかで、会えないか相談されている。
ツバサは、友達に予定を聞くから返事を一日待ってほしいと返信して保たせていた。
何も考えず、いつでもいいと送信した。
するとインターホンが鳴った。その直後、マリアから返信が来る。
今、着いたとの連絡だった。
「いらっしゃい」
「お邪魔するわ」
玄関に向かうと確かにマリアがいた。話をしたいと聞いているので、部屋へと招く。
「早いね」
「ワープしてきたから」
階段を上りながらヒカリは呟く。いつでもいいと答えたがあまりにも到着が早い。すぐ来られるような距離ではないはずだが、そのからくりは、物理的な距離を無視する力だ。
マリアの同級生に、その力を持つ人がいる。その人に頼んで、ヒカリの家の前までひとっ飛びというわけだ。
「教えたっけ? 私の家」
「住所は教えてもらったわ」
けれども腑に落ちないのは、どうやってここにワープして来られたかだ。ヒカリはマリアに自宅を教えた覚えがない。
その記憶は正しく、マリアは彼女以外から自宅の情報を入手していた。
「三門君から、前に会ったときに」
レイジがマリアと会っていたという話は、先週電話で聞いた。その件を彼に問い詰めなくてはならない。
「……は?」
そして今、新たに気になる言葉が聞こえた。レイジが勝手に自分の家の場所を人に教えたことだ。
「そういうこと人に聞く?」
「聞いてない。向こうから教えてくれたわ」
いくらサプライズといえど個人情報を知りたいのなら本人に聞くべきだと思うヒカリは、なぜ赤の他人に聞いたのかと苛立ちをぶつける。
それを受けてのマリアの言い分は、知りたいと思っていたらレイジの方から話してくれたというもの。つまり聞くのは未遂に終わっており、先に彼が話したから知ってしまったのだと弁明する。悪いのは自分ではなく彼だというわけだ。
「後で文句言っておこ」
「今でもいいわよ」
「今は寝てるから」
マリアとしては急ぎの用件ではないので、熱が上がっているうちにぶつけてしまってかまわなかった。だが今は連絡がつかないので後でいいとヒカリは話す。
寝ていることを知っているのが気になったが、深く考えないことにした。
「まずはごめんなさい。この前の文化祭、協力するフリをして裏切ったの」
「裏切った? じゃあ私が襲われたのは」
本題に入り、マリアはヒカリを陥れたことを謝罪した。言われてヒカリは思い当たる節がある。その日自分が命を狙われることは予告されていたから、マリアに扮して敵の目を欺こうと図った。
だがなぜか見破られてしまい、襲われたり追いかけたりされた。それからは溜池彼方の護衛のおかげで生き延び、レイジの“ノーツ”悪夢の瞳の喪失をもって襲撃は終わりを迎えた。
「……私が話したから。私の体の中にいるって」
マリアはヒカリの数少ない味方。そう思っていた彼女だったが、今の話を聞いて、襲われた謎の正体が彼女だったと知り、一気に評価が逆転した。
けれども自ずと怒りは湧いてこない。ヒカリは真相を知ってもなお、あまり感情は揺らがなかった。帰省中に起こった命の危機であまり緊迫感を覚えなかったのは、そこで一度味わっていたからだと思うと、むしろ良い経験だったとさえ思っている。
「だから色々考えたの。どうしたら許してもらえるか」
「……それでレイジと会っていたんだ」
「いや、それは別」
それは違うとマリアは答える。レイジと出掛けたのは彼が悪夢の瞳を失って“ノーツ”の評価がBランクに下がり、同じ階級になったから、ガイダンスという名目で奢ってもらうためだ。
「私たちと同じBランクになったでしょ、彼。だから先輩として指導してあげたの」
「ふーん。まあもう、違うけど」
「違う?」
文化祭の事件でレイジは“ノーツ”を失った。それによって生まれた共通点を餌にした交流だと分かったが、それはもう二度とないとヒカリは告げる。
レイジは帰省にて再び瞳に力を宿した。測定を受ければ、元のSランクに戻ることになる。そうと分かっているヒカリは、じきに彼がBランク仲間から抜けることを読んでいた。
だからマリアとの共通点はなくなる。自分との共通点は、数あるうちの一つが消える程度だと割り切り、ヒカリはレイジのBランク脱退を気に留めていない。
ヒカリへの償いのために、マリアはカナタたちに相談した。彼がどんな思いで彼女を守ろうとしたかを理解すれば、答えが見つかると考えて。
その結果、人の真似をするのでは駄目だと理解した。誰の真似をすればベストかを求めるのではなく、自分がどうしたいか。最善ではないが最大限の気持ちを込める。
その準備ができたからマリアはヒカリに予定を聞き、そして家を訪れたのだ。
「気が済むまで殴っていいわ」
「えっ!?」
そんなマリアが見つけた自分らしい謝罪の気持ち。それはヒカリの怒りをその身に受けるというものだった。
まさかそんな言葉が飛び出してくると思わなかったヒカリは戸惑い、手を出そうとはしない。
「戒めとして、お願い」
いきなり言われて抵抗があるのは分かる。だが引き下がる気はないと、マリアは強めにお願いする。
「いいよ、もう」
「でも……」
「むしろ良かったし」
今となって振り返ると、文化祭で命を狙われたことが精神的に自分を強くさせてくれた、とヒカリは思う。それが後の出来事に効果的で、以来、多少のことでは怯えなくなった自覚がある。
「良かったって」
「危ない目に遭っても動じなくなったっていうか……昨日もあの人たちに狙われたけど平気だし。あ」
ヒカリは口を塞いだ。帰省したことをうっかり喋ってしまったからだ。
「……じゃあ許す代わりに、内緒にして。私がレイジの帰省についていったこと」
ヒカリは焦ったが、マリアに黙っててもらうための交渉材料があることに気づく。そして頼まれた彼女は、納得できる償いを知り、頷く。
「分かった。誰にも言わない」
「ありがとう」
ヒカリはお礼を言ったが、安心はできなかった。たまたま話した相手がマリアだったからよかったものの、今のままでは気を抜くと人に暴露してしまいそうだと自覚した。
彼女に秘密にしてもらっても、自分から他の人に明かしてしまっては意味がない。
「じゃあ私は帰るわね」
「うん」
肩の重荷が外れたマリアはヒカリの家を後にする。電話をかけてワープの人に連絡し、来たときに作った出口の場所に入口を作ってもらった。
「またね」
ゲートを潜り、マリアの姿が消える。残ったヒカリは物思いに耽った。彼女との会話で触れた、レイジがBランクから抜ける件。彼との接点が一つ消えてしまった。
少し前までがピークだったのではないかと考える。半年後には卒業をするから、クラスメイトでなくなる。大人になれば中二病を卒業する。
時が経つにつれて、どんどん離れた存在になってしまうのか、そんな寂しい予感を紛らわせるように、静かに部屋に戻っていった。




