『おれい。』
全ての物事に理由がある訳じゃない。
それは多分、酷く当たり前の話で。日々の暮らしの中で巡り合う経験や、抱いた感情の全部が劇的な何かを持っているなんて事はない。それは勿論、わかっている。
けれど、時に。どうしたって覆らない、確固たる理由のある事柄に出会す事がある。理由を言葉にしたいと強く願ってしまう出会いがある。
私にとってのそれが、雨伏敬吾という人だった。
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「…………それで、お弁当を渡した、と」
「うん」
「名乗りもせず?」
「うん」
「挙句、弁当箱を置いてその場を去った、と」
「うん」
「…………」
「…………もしかして、あんまり良くなかった?」
「そー……だね。正直、大分ヤバ目の奴と思われた可能性は高い、かもしれない」
言葉に友人……陽柘かさねが暗く沈んだ表情を浮かべる。尤も、浮かべるとはあくまでも表現としてであり、実際には徹頭徹尾無表情のままではあったのだけど。
「しかしまー、いきなり思い切ったもんだねー……そこまで惚れ込んでるとは思わなかったわ」
「…………」
「え、なんで沈黙?」
「……その」
「ほう」
「……惚れ込んでる、のか。どうなのか」
「冗談でしょ」
恋に恋する、だなんてタイプでもあるまいに。まさかそんな、前提条件の確認からしなければならないとは、正直思っていなかった。
「それじゃあなにさ。好きかどうかもわかんない相手にわざわざ弁当こしらえて、碌々会話もせずに押し付けてくるだけ押し付けてきたって事?」
「内容が重複しているかと」
「何遍も確認しないと信じ難い程やべーって話をしてるの」
「……ぬぅ」
ほんの細やかな、表情の機微。
中学からの付き合いがあればこそ、辛うじて察する事の出来る程度の微細な変化。彼女は確かに、落ち込んでいた。
馬鹿にするつもりなんて当然、全くなくて。それでも、少し、おかしくなって笑ってしまう。
飛び抜けて突飛な行動を敢行しておきながら、その結果については驚く程臆病に困惑している。その健気な姿がなんとも可愛らしくて、おかしくて。
「……なにやら失礼な気配を感じる」
「それは勿論、気のせいよ」
誤魔化し笑いながら、しかし実際、その落胆の正体ですら正しく理解が出来ているのだろうかと……今度こそ内心でのみ苦笑した。
「そんなにやばかったかな」
「ん?んー……まぁ、どうかな」
答えは分かりきっている。けれどそんな正論よりも今は、目の前の不器用極まる友人……その心の曇りを少しでも取り除きたいと思った。
「……相手次第、かなぁ」
だから何か上手い事が言える、と言うわけでもないのだけど。
——————
と。
「陽柘ー、お客さんー」
教室の入口から、一人の男子生徒の声が。
かさねと二人、声の方へと視線を飛ばす。そこに、見慣れぬ一人の少年が立っていた。
少年の目線がこちら……というよりも、かさねへと向けられる。その瞬間、ピンと来た。
——この人だ。
少年がせかせかと歩み寄ってくる。
見ればその手には、弁当箱が携えられていた。
やがて、少年が立ち止まる。
「ようやっと見つけたわ。荷物置いてくんなら、せめて名乗って行ってくれ」
「あら、これは失礼」
とん、と。机の上に弁当箱が置かれる。その音に、かさねの目がほんの少しだけ見開かれたのを見逃さなかったのは、本当にただの偶然だった。
軽い、空っぽの音。
「まさか学校の昼飯で二食分回鍋飯食うとは思わなかったぜ。一体全体どう言う話だってんだ、ったく」
「わんぱくはお嫌いだった?」
「そう言う話はしてねーんだよなぁ……第一アンタは一体何食ったんだよ」
「食べてない」
「は」
「少食なもので」
「え、全然わかんない。怖っ」
これは怖いだろうなぁ。
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「…………」
しかし。
なんと言うか、普通の男の子だ。
かさね自体が変わり者だから、相手が一体どんな人なのか非常に興味があった訳だが、本当に、ただただ普通だ。
……まぁ、矢継ぎ早に放たれる、かさねの奇怪な言動に付き合ってあげてるだけ、同世代の中では相当に器が大きいのは確かなのだろうけど。
「中身は洗ってあるから」
「気遣い」
「普通のマナーだって……」
言いつつ、そそくさとその場を後にしようとする少年。特段それを引き留めるでもない、かさねの姿を見て……好きかどうかも分からないという自己分析はあながち的外れでもないのだろうか、などとぼんやり考える。
出会いのきっかけを詳しく聞いたわけでもないけど。良くも悪くも、かさねと真っ向から会話ができる同世代というのは恐らくそれほど多くない。そんな物珍しさと好意を取り違えているというのは、あり得なくもなさそうな話に思えた。
「え、なになに?手作り弁当」
不意に掛けられた言葉に少年が足を止める。
先程入口で少年を取り継いだ、同じクラスの男子生徒。お呼びでもない癖に、どうも目敏く弁当箱の受け渡しを目撃していたらしい。
配慮も何もない、無駄にデカいばかりのその声に、周囲の何人かの男子生徒がわらわらと虫の様に集まってくる。
「なになに」
「隣のクラスの……雨伏だっけ?アイツが陽柘から弁当作って貰ったらしいぜ」
「え、付き合ってんのあそこの二人」
煩わしい事この上無い、稚拙で幼稚な馬鹿騒ぎ。流石ついこの間まで中学生やってた連中は言動がガキ臭くて敵わない。……いや、私もそうなんだけど。
「いや、そんなんじゃねーんだけど……」
眉を顰め、少年が気怠げに否定する。
ふと見やれば、かさねは微かに顔を伏せていた。
悲しいのか、気恥ずかしいのか。表情の淡いその顔から、感情は読み取れない。
だが、馬鹿騒ぎは止まらない。
挙句タチの悪い事に、幾人かの女子生徒までもがこのくだらない下世話話に首を突っ込んでくる始末であった。
「陽柘さんと雨伏君?だって」
「へー、やる事やってるんだ」
「ねー」
かさねの本心——本当の所が心のどこにあるかはわからない。
それでも。悪意を悪意とも思わず。彼女の決死を、面白半分の笑い話として消費しようとする、不愉快な言葉の数々に、血管がぶち切れると思った。
耳障りなそれらにいよいよ辛抱堪らなくなって声を挙げようとした、その時。
「——忘れてた」
少年——雨伏が踵を返し、かさねの目の前に歩み寄った。
私も、周囲の馬鹿な野次馬どもも……そして、かさね自身ですら、彼の突然の行動に思わず押し黙る。
そんな一瞬の静けさ。多くの不躾な視線が突き刺さる、その中で。僅かに張った、はっきりと通るその声で、
「弁当。本当に、すげー美味かった。ありがとな、陽柘」
短く。けれどはっきりと。周り全部に聞こえるように、たった一人……かさねに向けて、そう告げた。
「じゃ、行くわ」
それだけ言って、雨伏は教室を出て行った。
余りにもはっきりと——子供じみた憶測の言葉を許さぬほどに強い響きを持ったその声と言葉に気圧されたのか、野次馬共もまた、蜘蛛の子を散らした様にその場を離れていった。
「——なんだよ、いい男じゃんか」
思わず呟いてから、かさねへと目を向ける。
向けた先——伏せられたままのその表情を目の当たりにして、今度こそ私は吹き出してしまった。
好きかどうかも分からない、なんて。
そんな顔をして、全く。
一体、どの口で言っていたのやら。




