第9話 孵化
─翌朝、いつもの食堂のテーブルを、四人で囲んでいる。
「……なんか今日、落ち着かねぇ」
「あら、寝不足ですの?」
(確かに、いつもよりエリ男の勢いが足りないようですわ…)
それはないだろうなと思いながらも、「風邪ですか?」と問いかけようとしたとき─バン!と、勢いよく食堂の扉が開いた。
「新入生エリオット!ドラゴン舎にて“孵化前兆”を確認!」
入学の時に案内してくれた衛兵が、告げる。
「っ…!!マジか…!」
「は!?俺のテラは?」
「いよいよですのね…!」
全員が浮き足だったところで、衛兵が咳払いをして静止する。
「…驚かせて申し訳ない。…まだ猶予はあるから、食べ終わったらドラゴン舎へと来るように」
言葉の途中でエリオットが勢いよく残りの朝食をかき込む。
喉に詰まらせそうになると、水を飲んで立ち上がる。
「はい!食べ終わった!行きます!」
ガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。クラリスたちも食事を終えて、エリオットの後に続く。
「ヴォルカンーー!!待ってろ…!」
いつも朗らかに歩いていたドラゴン舎への道を、全力で走る。
「…おい、もうちょいゆっくり走れよ…!」
「食後によく、そんなに走れますわね…!」
「ほんとに速い…!」
バタバタと立ち去る生徒たちを見送る衛兵が、眩しそうに目を細めた。
「例年のこととはいえ、やはり微笑ましいものがある…」
─ドラゴン舎へたどり着くと、中から熱気が吹いてきた。
「蒸しあつ…!」
─空気そのものが揺れている。
上級生たちのドラゴンも、孵化の前兆に落ち着かない様子を見せている。
ドラゴンたちの前を突っ切って、エリオットは鉄柵を開けようとする。
「うぉ、あっつ…!!」
一瞬びっくりしたが、耐えられない熱ではなかった。
そのまま鉄柵を勢いよく開け放ち、卵のそばに膝をつく。
「がんばれ、ボル…!」
声をかけた瞬間、一気に熱が爆発するように弾け飛んだ。
─炎が、踊っている。
「きゃぁっ…!」
追いついたクラリスが悲鳴を上げるなか、火ドラゴンが熱に揺らぐ身体を見せる。
─炎は荒れず、ただ力強く揺れていた。
「がるる…」
開いた口から、小さい炎の吐息を漏らす火ドラゴン。膝をついたエリオットと、同じくらいの大きさだった。
「ヴォルカン…!!」
思わずヴォルカンを抱きしめる。
「あっつ…!…いや、うーん、ぬくい…?」
「つーか、めっちゃ派手。目がパチパチしてんだけど…」
みんなで誕生の瞬間を見られたのは良かったが、想像以上のことに驚いた。
「見事な誕生でしたわね…!」
「火っていうより、なんか“炎”っぽいね…」
それはただの火ではなく、確かな“意志”を持った炎だった。
─まだ残っていた熱が、ふっと流れた。
次の瞬間、別の流れが生まれる。
「…!来ますわ…!」
サラが自分のドラゴン舎の鉄柵を開ける。卵の表面に、淡い紋様が浮かび上がっていた。
それが、ゆっくりと回り始めた。
渦を描いた風が、ヴォルカンの誕生で残っていた熱を、やさしく攫っていく。
炎の揺らぎが、次第に整えられていった。
卵の殻は割れず、風にほどけるように剥がれていく。触れていないのに、静かに、確かに。
─中心がふっとほどけ、風を纏った小さな姿が現れた。
「……ゼフィラ」
風が、やわらかく応えるように揺れて、サラの頬を撫でる。そっと近づいて、サラもゼフィラの頬を撫でた。
「うぉ…っ!ボルが出した熱、すっかり消えたぞ…」
「…すげぇな…」
「…きれい」
─それは“孵る”というより、風の中から“現れた”ようだった。
「ズズズ」
「おっ…?テラ、いま動いたか?」
数日ですっかり聞きなれた音を感じると、カイルが慣れた様子で踵を返す。
─ゴソッ……ボロッ……
表面が、自らの重みに耐えきれないように崩れ落ちていく。岩のような殻が、少しずつ削れる。
足元の地面が、わずかに軋んだ。
まだ孵化している途中にも関わらず、卵は「もぞ」と動いて、カイルの方へ寄ってくる。
「テラ…」
エリオットと同じように、カイルも膝をついた。
─そして最後に、大きな塊がゴトッと落ちる。
そこにいたのは、ずっしりとした存在感を持つ、小さな塊だった。
「テラ…!」
土ドラゴンが、カイルに寄り添うように、ぐいっと体を押しつけてきた。
「うおっ、重っ…!ふは、どつくなって!」
生まれたてから擦り寄る姿に、見ていた面々はほっと息を漏らす。
「なんか…、すげぇホッコリした」
「ちょっと痛そうですけど、嬉しそうなので良いですわね」
「すごいね、生まれたてなのにしっかりしてる…」
─それは、最初からそこに“在った”かのような誕生だった。
まだ、ドラゴン舎の中には笑い声が残っていた。
ふと─
指先に、冷たいものが触れた。
(……六花)
クラリスは、静かにその場を離れた。
「…クラリス?」
サラが気づき振り返ると、クラリスはすでに背向けていた。
一歩進むごとに、空気が澄んでいく。
─音が、遠のいた。
あの時と同じ。
そこにあると、分かっていた。
「…六花…」
ドラゴン舎の床が、うっすらと霜に覆われている。
鉄柵を開けて、ゆっくりと中へと入った。
「…えっ、さむ…!」
サラに手招きされてついてきたエリオットが、思わず身震いする。
─雪の結晶が、音もなく舞っている。
その中心にある卵が、まるで花開くように氷のヴェールを解いていく。
「…六花…」
クラリスも膝をつくと、花開く様子を見守り─やがて、ひんやりとした滑らかな姿が見えた。
「…おはよう、六花」
『……それが、我が名か』
「そうだよ…よろしくね、六花」
クラリスと水ドラゴンの様子を見て、エリオットが首を傾げた。
「えっ。なんか…話してんの?」
「そのようですわね…」
「マジで?」
三人でそっと様子を伺う。
─水ドラゴンの瞳は、静かにクラリスだけを見ていた。
誕生の余韻を踏み荒らすように、足音が響いた。
「…なぜだ。─なぜ、貴様らのドラゴンが、先に孵化している」
悔しげに声を上げたのは、セリウスだった。
「…順番じゃないって、先生が言ってたよ」
六花のそばから立ち上がると、クラリスはセリウスに向き合った。
「わたくしたちは、“選ばれる”のですからね」
サラも頷いた。
『……騒がしい』
クラリス以外にその声は届いていなかったが、その場の空気が、ひやりと凍りついた。
─クラリスは、思わず小さく苦笑した。
「……何を笑っている!」
セリウスは、苛立ちのままに足を踏み鳴らした。
「お兄様、落ち着いてください…!」
後ろに控えていたセリアが、セリウスの右腕にそっと触れる。
「…所詮、ただの偶然だ」
セリウスは、踵を返した。
「ごめんなさい…!」
セリアは軽く頭を下げて、踵を返すとセリウスの後ろに続いて去っていく。
─冷えた空気だけが、静かに残った。
続く




