第9話 “向こう側”の声
「……遅い」
二人が、まだ戻らない。
「……」
松明にした木も、燃え尽きようとしていた。
「クラリス!」
「──お兄ちゃん!」
遠くから呼ぶ声。
振り向くと、黒ドラゴンを先頭にした閉鎖班が飛翔してきた。
「──状況は」
「村の中に、エリオットとカイルが行ってくれたんだけど、まだ──」
「……そうか」
「──コレットを見なかった!?」
「マーセル先輩! コレット先輩が──」
手短に状況を共有する。
「そんな──コレット……!」
「落ち着け、マーセル」
「ガレス……! でも、」
「俺なら、多少吸われても構わん。降りる」
「ガレス……!」
一瞬、風が止まった。
「……なるほど。ガレス、俺も降りる」
「お兄ちゃん……!?」
「そうか。助かる」
ガレスの火ドラゴンと共に、ルイの黒ドラゴンも降り立つ。
ガレスが、コレットに触れる。
わずかに、顔を歪める。
「──コレット、しっかりしろ……!」
「……呼吸が浅い。体温も低い……」
上空でハラハラしていたクラリスとマーセルが、ほっと息をつく。
マーセルも着陸し、担架の用意を始める。
『……あの御方は、“影”の影響も吸えるのか』
「……六花」
それ以上、言わせない。
コレットが、瞼を開いた。
「……さ、け……」
それは、掠れているのに──
どこか、二重に響いた。
「コレット……! 無理に話さないで……」
マーセルが、コレットの手を握る。
「──っ……!」
「マーセル」
すぐに、ガレスがその手を掴んだ。
わずかに、指先が強張っている。
「……ごめんなさい、ガレス」
「そこは、“ありがとう”だろ?」
「ふふ。そうね」
ルイは、何も言わない。
「ガレス、ついでに運ぶのを手伝ってくれる?」
「任せておけ」
軽くはない、責任。
「私のドラゴンじゃ、マーセルしか運べないけど……」
「充分だ。原因を取り除けば、今以上の悪化は防げる」
「──任せたわ、ルイ」
「ガレス」
短く、名を呼ぶ。
「──分かった。残り二人は、俺が運ぼう」
「俺も行く」
ルイとガレスの間に、セリウスが降り立った。
無駄のない動きで、担架を用意する。
「その方が速い」
「いいだろう、任せた!」
ガレスが頷き、哨戒班の三人がドラゴンに固定される。
「じゃあね、ルイ」
「気張れよ!」
「……いつもと変わらん」
軽口を叩き合う。
──空気を掴み、夜空へ上がる。
「──空が、白んで来たか──」
ふと、セリウスが東の空を見た。
「──なんだ、」
──あれは。
あんなもの──
見覚えが、ない。
「セリウス!」
声を出す前に、ガレスに呼ばれる。
「──振り向くなよ」
低く、押し殺した声。
「──了解した」
ドラゴンたちは力強く羽ばたき、その場を後にする。
背後の気配は、消えない。
「──クラリス」
「はい。お兄ちゃん」
「前に、“向こう側の声”が聞こえると、言っていたな」
研究所で、確かに報告した。
「うん──」
「“あれ”に、耳を貸すな。
──世界から、色を無くしたくなければな」
“色”を──
「……色って、」
昔、見た景色がよぎる。
花畑。
焼き菓子の甘い匂い。
笑い声。
──ルイに、渡した花冠。
「……やだ」
ぽつりと、こぼれた。
「その気持ちを、しっかり持っておけ。──行くぞ」
踵を返し、黒ドラゴンに騎乗する。
「うん──お兄ちゃん」
胸の奥で、何かが揺れる。
懐かしいような、
でも、知らないような。
二頭のドラゴンが、空に浮かぶ。
「──なに、あれ……」
「“向こう側”の、影だ」
「あれが──?」
“裂け目”から、ぼとぼと落ちる、影。
それはもう、見たことがある。
問題は──
「白い、ドラゴン……?」
“裂け目”から、腕を伸ばしているのは──
ドラゴンに、見えた。
白すぎる。
“色”という概念ごと、削がれている。
──まるで、“色”が
抜け落ちた、ような──
腕の、関節が、合っていない。
見てはいけない、と分かる。
名前が、出てこない。
認識が、こわれ──
「クラリス。周りの“影”を頼む」
「はい!」
意識が引き戻される。
「俺は“あれ”と対峙する」
迷いは、ない。
ルイとネメシスが、高度を上げる。
“何か”が、ゆっくりと、向く。
『──きれいな、せかい』
音が、直接頭に落ちる。
「六花!?」
違う、とすぐに分かった。
『我ではない』
氷の結晶が煌めく。
『絶対零度』
影が、輪郭を曖昧にして──薄れゆく。
それでも、安心できない。
『数が多い──』
「確かに、この前より酷い……」
『そこに、いきたい──』
直接響く声。
耳ではない。
内側から、鳴る。
「っ……!」
思わず手綱を離し、耳を塞ぐ。
高度が、わずかに落ちる。
『クラリス?』
「……六花……!」
『……一度、離脱することを勧める』
「でも……!」
「……いきたい……」
無意識に、零れそうになる。
「……違う」
『──戦線を離脱する』
「六花……!」
急な方向転換に、思わずしがみつく。
身体が、振り回される。
「お。交代? おっけー!」
「待たせたな!」
「カイル! エリオット!!」
見知った顔が、すれ違う。
一瞬だけ、目が合う。
「悪い! クラリスの母ちゃん、いま、屋根!!」
──屋根?
聞き返す前に、距離が離れていく。
落ちたら、終わるんじゃ──
『──丁度いい。向かう』
「分かった」
手綱を握り直し、方向を変える。
指先に、力が戻る。
「お母さんを助けたあと、お兄ちゃんの方にいく」
『……大丈夫か』
低く、問う。
「たぶん、直接確かめた方がいい」
逃げない。
『……承知』
「……お母さん……!」
「クラリス……!」
久しぶりの再会。
だが、喜んでいる時間はなかった。
「なんで、こんなことに……」
「よく分からないんだけど、“危ない”! って言われて、ここに」
『地面の汚染は消えている、降ろす』
「分かった」
母親と、他に屋根に上げられていた人たちを下ろした。
足元は、まだ色が戻りきっていない。
「──もう、行くの?」
一歩、踏み出しかける。
「うん。……お母さん、また後でね!」
「……気をつけてね」
──行かないで、とは、言えなかった。




