第5話 裂け目の向こう側
「テオ! ……テオドール……!」
……どこからか、兄さんの声が聞こえる。
兄さんは、いつもやんちゃで……
村じゅう走り回って、転んで、いつもどこかを怪我してる──
まるで、火の玉みたいな人だった。
「わりーな、テオ! また怪我しちまった!」
「……聞いたよ。他の子がハチに刺されそうになってたからって、松明振り回して。
──転んだんでしょ」
「おう! 誰も刺されなくて良かった!」
「……もう。兄さんてば……」
僕は、そんな兄さんが、大好きだ。
ずっと。
「──聞こえたか、今の」
「兄さん?」
まさか、兄さんが──“ドラゴン”に、選ばれるなんて、思ってもみなかった。
「──行くんだね、兄さん」
「おう。立派になったら帰ってくるからな」
「……そんなの、一生ないんじゃない?」
「ひどくね?」
僕は、くすくす笑った。
「じゃあ僕は、立派なお医者さんになるよ」
「テオなら、きっとなれるな!」
兄さんが、陽だまりみたいに笑った。
──兄さん──
記憶が、途切れる。
「……テオ……! テオドール、どこだ!!」
「にいさ……ん……?」
ぼやける視界に、見覚えのある赤い髪。そう、火の玉みたいな──
間違えるはずがない。
「テオ!!」
「がお!」
「……ドラゴン……」
身体の力が入らない。おじさんを助けられたけど、僕もまた影に触れてしまった。
壁に背を預けていたが、それで精一杯だった。膝が、崩れる。
「安全なところに連れていく! ボル、縄つけるぞ」
「がおがお!」
「……ふ。……」
兄さん──
あまりにも微笑ましくて、そのまま意識を手放した。
もう、大丈夫だと思った。
「カイル──」
「こっちは気にすんな、村の人たちを頼む!」
「そういうことだ」
エリオットが告げる前に、カイルとセリウスが背中を押す。
「さんきゅ!」
わずかに、肩の力が抜ける。
ヴォルカンが村人たちを背負い、避難所になっている村長の家へと急ぐ。
「“影”って、なんか生きてるみたいだな……」
「“そう見える”だけだろうが、な……」
セリウスが、空を見上げる。
目を細めて、それを見る。
“裂け目”を閉じなければ、影の発生が止まらない。
(何故、あの“黒ドラゴン”だけが可能なのか──)
(“黒ドラゴン”は──本当に、“ドラゴン”なのか?)
その定義すら、揺らぐ。
「クラリス! 湧いた瞬間のものを処理してくれ」
「了解、お兄ちゃん!」
“裂け目”は目視出来るが、現象まで到達するには上空を行かなければならない。
滲み出る影を狙って、六花が氷の礫を放つ。
穴だらけになった影が、存在を薄くしていく。
「もう少し近づけば、シスが“干渉”出来る──」
黒ドラゴンだけが、唯一“裂け目”を閉じられる──
「──お兄ちゃん!」
「どうした、クラリス!」
気圧で耳がおかしくなりそうだ。
それでも──クラリスは、さらに上昇し、問いかける。
「──“裂け目”って、なんなの?」
急に出来る、異物。
落ちる影は、重さがあり、ドラゴンなら干渉できる。
ふと、セドリックの言葉が過ぎった。
(ドラゴンとは──現象である)
(“裂け目”も、現象……なの?)
(何のための?)
思わず問いかける。
だが──その答えを、聞いてはいけない気がした。
『“裂け目”とは、世界のシステム』
ふと、頭に直接声がした。
音ではない。
「──六花?」
『我ではない』
「今のは、俺のドラゴン──ネメシスだ。
本人が、『チャンネルが繋がった』と言っているが……」
軽い調子なのに、背筋が冷える。
『世界の均衡を守る──』
そこで、途切れた。
「閉鎖班、ルイ! ならびにネメシス、これより“実行”に移る!
遊撃班、クラリスは補佐を!」
「──はい!」
ネメシスが、さらに高度を上げる。
六花では、あの高さには届かない。
『ここで“影”を撃つ。──いいな、クラリス』
「お願い。六花」
六花の周囲に、氷の結晶が舞う。
大気中の水分が、パキパキと音を立てて固まっていく。
『絶対零度』
『干渉開始』
能力に、違う声が混ざる──ネメシスだ。
上を見ると、“裂け目”に到達したネメシスが、黒い身体を沿わせていた。
境界が、溶ける。
──ズズ──
ぞわりと、鳥肌が立つ。
(ネメシスの中に──“裂け目”が、吸い込まれていく──)
抗う様子すらなく。
(あんなに“裂け目”の近くに行って、お兄ちゃんは平気なの?)
手が届きようもない距離なのに、胃が逆流するような不快感に見舞われる。
近づいてはいけない、と本能が告げる。
『──この空域は支配した。下がるか? クラリス』
「ううん──大丈夫。ありがとう、六花」
六花の頭をポンと撫でて、また上を見る。
『こっちは、もう少しかかるけど』
「あ、お構いなく……」
また、ネメシスと接続されたらしい。
頭の違和感が酷い。
「……今のうちに、聞いてもいいですか……」
『なに?』
「世界のシステムって──」
『本当に、聞くの?』
感情のない確認。
その言葉に、ビクッと身体を震わせる。
逃げたい、と思った。
──本当に、聞いてしまってもいいの?
(聞いたら、後戻り出来ない──?)
それでも──
「私──前にね、その“裂け目”の、向こう側が見えた気がしたの。
だから──」
だから?
言葉が、喉に引っかかる。
「知りたい」
逃げずに、そう言った。




