第4話 山岳地帯の異変
風が、いつもと違う。
岩の間を抜ける音が、低く唸っている。
その上空に、見たこともないものが出来ていた。
──まるで、空が裂けてしまったような──
その奥は、光を拒んでいるように見えた。
「なんだ、あれは……!?」
胸の奥が、嫌なざわつきで満ちる。
とにかく、良くないものだ。
本能的にそう感じて、村の医師であるテオドールは踵を返した。
「みんなに知らせた方がいい……!」
まずは、逃がさなければ。
テオドールは見なかった。
その背後で。
その“裂け目”から、じわりと──影が生まれていた。
音もなく。
空気が、わずかに痩せる。
侵食が、始まる。
「みんな……! 村長は!?」
「あ、テオせんせー!」
「どうしたの、そんなに慌てて」
いつもの、朗らかな村。
「一緒に来てくれるかな、そしてみんなのお父さんたちにも──」
ぞわり。
背筋に、嫌な感覚が落ちる。
「せんせー、なんか黒いのが飛んでるよ」
不思議そうに、指を差す。
「もう、来たのか……!?」
早すぎる。
「テオ先生! うちの畑に、黒い動物が来て……作物が……!」
「おじさん、後ろ……!」
「うぁぁぁぁ……!」
力が、抜けていく。
「キャーーー! お父さん!?」
「お父さんは、僕が助ける! みんなは、村長と避難を!」
一瞬の迷いもなく、そう言い切った。
のんびりした村が、一瞬にして恐怖に呑まれた。
『──おかしい』
「……どうした、シス」
王立研究所。
黒ドラゴンが低く唸る。
警報が鳴り響く。
ただ事ではない、音だった。
「──主任!」
観測所へ駆ける。
「霊峰ホロ鳥に変化はない。──だが、大気の流れに“裂け目”特有のノイズを観測。
規則性のない、歪んだ波形だ。
いま、出処を解析するため、風ドラゴン操者を哨戒に当たらせている」
ルイが駆け込むと、遊撃隊は既に集まっていた。
セドリックがモノクルに触れ、珍しくその場を歩きながら話を続ける。
足取りが、速い。
「今まで、霊峰周りにしか“裂け目”は出ないと思われていたが──
前提が、崩れた。
観測ポイントを増やす必要が……」
「──つまり、世界のどこに現れても不思議ではない、と」
「そうなる」
観測所内が、不安にざわめく。
誰もが、同じことを考えていた。
「それじゃ、私たちの村も……?」
「安全ではなくなった、可能性がある」
クラリスの言葉に、セドリックが頷いた。
否定は、できない。
ルイが言葉を紡ごうとした時──“裂け目”の特定を知らせる声がした。
「……出ました」
研究員の強ばった声が、続ける。
「座標を表示します」
示された位置に、空気が凍る。
「──この場所は……」
見覚えのある地形が、脳裏をよぎる。
「俺の村だ……!」
エリオットが踵を返す。
「エリオット、ヴォルカン、出る!」
「待て、エリオット!」
セドリックが肩を強く掴む。
「現地の詳細がまだだ」
「のんびりしてられるかよ!」
掴まれた手を払い除ける。
「もう襲われてるかもしれねぇんだぞ!」
「……最短で向かう。編成を組む。哨戒班の報告を聞いてから出ろ」
研究所が、一瞬静まる。
エリオットの荒い呼吸が聞こえた。
歯を食いしばる。
「哨戒班、戻りました!」
「報告を」
「現地の“裂け目”を確認。希望は中。
しかし、現在、荒天に見舞われています。
ドラゴンの飛翔は、非常に困難です!
上空の気流が、乱れています」
「……俺の故郷じゃ、よくあるやつだ」
ぽつりと、エリオットが呟く。
「なら、低空飛行だな。俺とテラの得意分野だ。先行する」
「……いや、テラおせーだろ」
「今日は速いかもだろ?」
カイルが片目を瞑り、エリオットが苦笑する。
「……それでいこう。しんがりは俺とシスで行く。……主任」
「分かった。カイルが先行、次、エリオット、セリウス、クラリス、ルイで続け。
気流を読み違えるな。現地に行くことを最優先としろ」
セドリックの言葉に、礼を取る。
「了解しました! 遊撃班、出ます!」
空気が、張りつめる。
拳を、強く握る。
「了解した。閉鎖班、ルイ。出る」
プロテクターを装着し、ゴーグルをつける。
「で、荒天てことは、ボル大丈夫なのか?」
カイルが、テラに騎乗しながら問いかける。
「ちょっと元気なくなるって言ってる」
「がお」
「ふはっ。なら丁度いいくらいか」
(──良かった、エリオットの調子が戻ってきてる……)
二人の軽口に、クラリスがほっと息を零す。
気を引き締めて、宣言する。
「──遊撃班、出撃!」
「了解! カイル、出ます!」
『オッケー! いくよ!』
宣言し、テラが翼を広げ、空気を掴み──空へと飛び立つ。
風が、ぶつかる。
次々と空へ浮かび、旋回し、山岳地帯を目指す。
しばらくは青空が広がっていたが──やがて、灰色の世界が見えてきた。
空が、沈んでいる。
「──乱気流、確認! 高度を落とす。テラ!」
『了解!』
赤灰色の岩肌に沿うように、斜め上へと進路をとる。
「突風、ならびに豪雨! 注意!」
ゴーグルをしていても、視界を奪う雨に辟易する。
手網を握る手が、雨で滑りそうだ。
「局所的なものだ、焦るな!」
後方からセリウス。
返事をするにも、雨で声が届きそうにない刹那の時間。
「──上空に、“裂け目”発見!」
前に出たものより──大きい。
その裂け目から──じわり、と滲む影が生まれて──
風の影響を受けることなく、地面に──ぼとり、と落ちる。
重さのないはずのものが。
「ぐ、っ──」
見てはいけないものを見た、感覚。
それを見た瞬間、生理的な吐き気に襲われた。
──なんだ、あれは。
(出してはいけない──!)
「前方に、村を発見! こちらは少雨、気流乱れ少ない!」
「了解!」
(ルイ先輩は、あんなモノを相手にしていたのか──何年も?)
「……あれが、影か」
セリウスが、村へと蠢く影を捉える。
「……生命力を、吸っている。のか……」
影が通過する。
作物も木も、全て灰色になっていくのが見えた。
「エリオット、ヴォルカン、降下する!」
「俺を抜くな!」
「急げよカイル!」
「落ち着いて着地場所を選べ!」
急降下しようとするエリオットを
カイルとセリウスで引き止める。
「俺は、“裂け目”に行く」
「私も行く! みんな、下はお願い!」
ルイがさらに上空へとドラゴンを導き、クラリスが続いた。
さらに高度を上げる。
裂け目が、目前に迫る。
空気が、歪む。
「──行くぞ」
その向こう側へ、手を伸ばすように──
(……止めなければ)
胸の奥で、静かに決意が灯る。
この侵食を──ここで。
裂け目の向こうは、闇に沈んでいた。




