第2話 “反対側”の気配
「待って!
──高度、再計測」
コレットの声が、わずかに鋭さを帯びた。
「……再計測、異常なし。ですが──」
記録係の言葉が、途中で止まる。
白いホロ鳥の帯が、わずかに歪んだ。
「……揺れた?」
「違う」
クラリスが呟いた。
「──“ずれた”」
その一言を境に、空気が凍りつく。
──次の瞬間。
空間が、裂けた。
遅れて、低い音が響く。
「……警戒レベル、引き上げ!」
「対象、変動! 固定できません!」
赤い光が、室内を染めた。
「警報発令──!」
空間の裂け目から、黒いものが──落ちた。
ひとつ、ふたつ。
それは重力に引かれるように落ちながら、
──形を、変えた。
「……鳥?」
いや、違う。
羽ばたきは不自然に歪み、 影のまま輪郭だけが“カラスの形”をなぞっている。
「対象、複数出現!」
ざわめきが、研究所を走る。
「気流が乱れてる……!」
「固定できません、流されます!」
白いホロ鳥の帯が、今度は明確に揺らぐ。
──いや、ねじれている。
「……この位置、まずいな」
セドリックの呟きが、重く落ちた。
「双牙の狭間、上空……不規則気流域です」
その一言で、空気が変わる。
「……閉鎖班は?」
「現在、巡回中。戻りは──」
言い切る前に、誰もが理解していた。
──間に合わない。
「時間稼ぎなら、できます!」
声が、はっきりと響いた。
「……クラリス」
セドリックの視線が、鋭く落ちる。
「閉鎖はできません。ですが──影の殲滅なら」
一拍。
「……足止めになります」
沈黙が落ちた。
「無謀だ」
即答だった。
「あの高度、あの気流。入所したての訓練生を出せる領域じゃない」
それでも、クラリスは目を逸らさない。
「……それでも、やります」
その背後で、
「俺も行く」
「一人じゃ持たないだろ」
「編成、四騎。十分だろう」
エリオットとカイル、セリウスが、短く言葉を重ねる。
セドリックは、ゆっくりと息を吐いた。
「……いいだろう」
ただし、と続ける。
「深追いするな。高度を維持しろ。気流を読むな──“乗れ”」
視線が、四人を射抜いた。
「五分だ。それ以上は許可しない」
──判断が、下された。
「はい!」
クラリスが頷く。
「……主任、許可を」
「出す。──遊撃班、行け」
「──行きます!」
四人が研究所式の礼を取り、プロテクターを装着する。
──クラリス、エリオット、カイル、セリウス。
臨時編成、遊撃班。
クラリスたちは、ドラゴンたちの元へ走る。
騎乗用の鞍を取り、プロテクターを装着する。
留め具を締める音が、やけに大きく響いた。
「高度固定、最低限でいい。気流優先」
セドリックの言葉が、背中に残る。
──行ける。
クラリスはゴーグルを装着し、顔を上げた。
「──初任務だよ。行こう、六花」
『……了解』
初めて見た時は、教室からだった。
──あのときとは、違う。
「──クラリス、六花。出ます!」
翼が、風を掴む。
次の瞬間、視界が開けた。
──空へ。
「セリウス、ルクシオン。出る」
続けて、エリオット、カイルも飛び立った。
「──隊形、崩すな! 気流に乗れ!」
セリウスの声が、空中で走った。
「オーケー!」
「例の、双牙の狭間だろ? どうする!」
エリオットが頷き、低空を行くカイルが疑問を投げる。
「──拡散を止める!」
クラリスが即答する。
「セリウス、上から押さえて! 六花、流れを固定!」
『……了解』
「いいだろう」
『御意』
風が、巻く。
水が、絡む。
乱れていた気流が、わずかに“形”を取り始めた。
「今だ、焼け!」
「がおがお!」
ヴォルカンの火が、影を舐める。
「下は任せろ!」
『任せてー!』
テラが沈み込み──
次の瞬間、地から結晶が突き上がった。
──だが。
到達する前に、気流に弾かれる。
「くそっ!」
「……やはり、分が悪い」
元々気流がおかしい場所に、荒れた風が追い打ちをかける。
「──まだまだ、やれる!」
クラリスが叫ぶ。
『……凍らせるまで』
六花の声が、静かに重なった。
──裂け目の、すぐ近く。
そこまで踏み込めば──
「セリウス、上を押さえて! 一瞬でいい!」
「……了解」
風が、わずかに“割れた”。
氷が、裂け目の縁を縫うように広がる。
影の動きが、鈍る。
「……止まった」
ひと呼吸。
──静寂。
「今だ、引け──」
そのとき。
ぞわり、と。
背筋を、なにかが撫でた。
「……っ」
クラリスが、息を止める。
──“反対側”に、
なにか、いる。
それは、こちらを──
知っているようだった。
──目が、合った気がした。
「クラリス!」
セリウスの声に、ハッと我に返る。
「そろそろ五分だ、引くぞ」
「……あ、うん」
返事が、わずかに遅れる。
「引く!」
翼を返した、そのとき。
──黒が、落ちてきた。
空を裂くように、一直線に。
「……!」
圧が、違う。
影が、ねじ伏せられる。
──黒ドラゴン。
「閉鎖班だ!」
「ガレスのアニキもいる! やっぱカッケェ!」
すれ違いざま、
一瞬だけ、視線が交差する。
言葉はない。
──だが。
あの“反対側”を、
知っている目だった。
──お兄ちゃんは、あれを“敵”だと思ってる。
昔みたいに、まっすぐ。
なのに、どこかが──違っていた。
あの背中を、ずっと追いかけていた。
そのはずなのに。
今は、
追いついたのか、
それとも——離れたのか。
──五分だ。帰還する。
クラリスは、もう一度だけ振り返った。
だが、そこにはもう、 黒の軌跡しか残っていなかった。




