第20話 見通す者
──レース当日、朝。
テラの包帯が外される。
「……問題ないな」
セドリックが翼を確認し、頷く。
『……いける』
「─はい」
テラが頷きを返し、カイルが緊張した面持ちで頷いた。
「──よし。本番…いくぞ、テラ」
カイルは、無意識に手綱を握り直した。
─ドラゴン舎から霊峰へ。大門をくぐると、爽やかな秋の風が吹いていた。
その流れを、テラだけが一瞬、目で追った。
「おはよー!カイル、テラ!
もう大丈夫そうだな?」
ずっと心配していたエリオットが、カイルとテラを交互に見ながら肩を叩く。
「おう、悪いな!心配かけた」
「ほんと良かった…!」
ニカッと笑うカイルに、クラリスもホッとした笑顔を見せる。
「……ふん。後で言い訳するなよ」
「そこ、もっと素直に心配してくれてもいいんだぞー?」
いつも通り、和やかな雰囲気の中──
始業の鐘が鳴る。
─空気が、ぴんと張り詰めた。
セドリックがドラゴンに騎乗し、前に立つ。
「……今日の気候も問題ない。
赤旗前を通過し、双牙の狭間、岩地を抜けて、湖前からこの演習場へと戻ってこい。
──いいか、レースの出来栄えは見るが、決して無理はするな。
……以前も話したが、お前たちのドラゴンはまだ幼体だ」
その視線が、一瞬だけテラに向いた。
そして生徒たちとドラゴンを見渡して、見た目に異常がないことを確認する。
テラは、静かに風を吸い込んだ。
「……では、一同前へ。
──これより、レースを開始する!」
生徒たちがドラゴンに声をかけて──
一斉に、空へと飛び立った。
──その一拍後、テラが翼を打つ。
「いくぞ、テラ……!」
スタート直後、一番高度を上げたのは──セリウスだ。
「いくぞ、ルクシオン……」
『……承知した』
「……お兄様は、やはり凄い…!」
高さに差はあるが、セリア、サラ、クラリスが順調に飛行していく。
「あの難所まで、飛ばせ!ボルーー!!」
「がおがおー!!」
赤旗を燃やさんばかりの勢いで、やや低い地点をエリオットとヴォルカンが飛ぶ。
その後ろから、風を読みながらカイルとテラが飛んでいた。
「……大丈夫か、テラ…」
『……大丈夫だよ。それより、もうすぐ─!』
赤旗を抜ければ、じきにカーブポイントになり──その先に、双牙の狭間が立ち塞がっている。
先頭を飛ぶセリウスが、気流に流されないように大きく迂回を始める。
クラリスたちも、双牙の狭間の乱気流に呑まれないように次々迂回する中
──唯一、テラだけが進んでいった。
「……っ、テラ……!」
思わずカイルが、息を飲む。
テラが翼を絞り、左岩にしっぽフック ──体が振り子のように揺れて、内側へ向き、すぐ解放する──
『……つぎ、』
右岩へ連結フック──
(前は、ここで──!)
しっぽを解放とすると同時に──風の流れに身を“通して”、前へ抜けた──
『……通れた』
テラが、速度を落とさないまま──いや、むしろ加速して、双牙の狭間を抜けていく。
「──連続フックが、成功したか…」
『……幼体め。……やるな』
霊峰に待機していたセドリックと、土ドラゴンが目を細める。
「……なっ──!」
「速い…!!」
迂回していたセリウスたちを追い抜いて──
テラが、一気に先頭へと踊り出す。
そのまま、低空飛行で岩山をかすめていった。
その背を見ながら──
……ぶるっ…!
カイルの背筋を、冷たいものが走った。
(……なんだ、今の……)
風の流れが、ほんの一瞬だけ、はっきりと“見えた”気がした。
──いや、違う。
見えたんじゃない。
テラが、そこを“通した”のだ。
「……っ、テラ……!」
その名を呼ぶ声に、先ほどまでの制止はもうない。
ただ、このまま行ってしまおうと、心のままに鼓舞した。
「……風を、読んだのではないな」
セリウスが、細く目を眇める。
「……通したのか」
迂回したぶん、差があるが──
「……ふん。思い知らせる。…いけ、ルクシオン」
『……御意』
─やがて岩肌が途切れ、視界が一気に開ける。
風は穏やかに変わり、眼下には湖が広がっていた。
水面が秋の光を返し、キラキラと揺らめいている。
─そのとき。
水際の茂みから、白い影が一斉に飛び立つ。
霊峰ホロ鳥だ。
ばさりと羽ばたき、群れが空へと散っていく。
「……しまった…!」
テラは、低空飛行のまま来てしまった。
──視界が奪われる…!
『──カイル』
テラが短く、呼ぶ。
「……っ、任せる!」
カイルは、即座に答えた。
手綱を強く引くでもなく、ただ“委ねる”。
白い羽が、視界を覆う。
だが──
テラの瞳は、揺れていなかった。
『……流れてる』
風が、鳥たちの軌道を押し広げる。
その隙間へと、身を滑り込ませるように──
『……通る』
翼が、一度だけ打たれた。
その瞬間、乱れた空気がすっと抜ける。
群れの中を裂くでもなく、ぶつかるでもなく、ただ“間”を通り抜けていく。
「……っ、すげぇ……!」
スッキリとした感覚に目を開くと、湖に反射したテラと自分が写っていた。
そして、みんなで歩いた果樹園が──景色が流れていく。
風は、もう乱れていない。
「このまま全力でいけ、テラーーー!!」
休んでいた分を取り返すように、カイルとテラは、
そのまま単独トップで──
演習場へと降り立った。
「……馬鹿な」
予測では、あの羽ばたきで失速するはずだった。
「……そこまで、“見通す”のか」
そのままセリウスが二着となり、その後、続々と生徒たちが着地した。
「……よくやった」
セドリックが、静かに頷く。
「今まで、テラには“高さ”を求めていたが──」
わずかに、目を細める。
「……違ったな」
テラとカイルに、静かに視線を向けて、続ける。
「必要だったのは、高さではなく、“見通す”か。
……良い答えを見つけたな」
セドリックが言葉を結ぶと、感極まったカイルがテラに向き直る。
「……あぁ、テラ」
一度、息を吐く。
「……すげぇな、お前」
カイルが、テラをギュッと抱きしめる。
『……当然でしょ』
ほんのわずかに、声が弾んだ。
─テラは、風を“見通した”。
晩秋の風が、霊峰から静かに吹き抜けていった。




