嵐の前触れ -04
それからしばらくして、侍女のライラが困り顔でバレッタの部屋を申し訳なさそうにのぞく。
「バレッタ様、少々よろしいでしょうか。実は…行商人が訪ねてきておりまして。」
「行商人?」
「はい。どうしてもバレッタ様にお会いしたいと。」
「…珍しいわね。」
通常、月に数度の懇意にしている行商人以外、押しかけの商人が公爵家の屋敷を訪ねてくることなどほとんどない。
「いかがされますか?何やら熱心に見せたいものがあると言っていまして…しかも王家から発行された認証をお持ちだとか。」
「…ええ、通してちょうだい。」
ラウドが仕事などで出払っている間、この家の決定権はバレッタにある。
王家にも通う行商人であれば、昨今の噂も相まって対応しない訳には行かないだろう。
小さくため息をつきつつ、軽く身だしなみを整えて来客用の応接室に向かう。すでに部屋に通されていた行商人は、どこか掴みどころのない風貌の男だった。色の抜けたブルネットの髪を後ろできれいに一つにまとめ、貴石のいくつもついた豪奢な衣服を身にまとっているが年齢は不詳だ。
「これはこれは、噂通り愛らしいお方だ。」
目だけがやけに鋭く、恭しく礼をしながらも上げられた瞳はバレッタを値踏みするように見つめる。
「なにか、御用でしょうか?今日は旦那様は外出されていますが…。」
「いえいえ!お話しに上がったのはバレッタ様へです。実は…最近、とても興味深いものが手に入りましてな。」
ゴソゴソと手持ちのケースを漁る男に、普段、宝石やアクセサリーにほとんど興味のないバレッタは慌てて断る。
「私、すでにあるもので十分なんです。それに先日ラウド様から素敵なものをいただいたばかりですし。」
「あぁ、お噂はお聞きしておりますよ。公爵家のご婦人でありながらほとんど着飾らず流行の一つも知らない──おっと、控えめな素敵なお方だと。」
思わず口を滑らせたというように取り繕うが、言ったのはわざとだろう。大げさに口元を抑え、にやりと笑った行商人はことりと机に一つの瓶を置く。
「何でも一つ、望みを叶えられる薬でございます。手に入れるのに苦労したんですよ。」
「いりません。」
男がゆっくり続けようとしたのをバレッタは遮るように応える。男は驚いた様子もなく、にこりと笑った。
「そうですか。…しかし、何かお困り事があるんではないですか?」
「いいえ。」
こちらが何か口を滑らさないかと思っているのだろうか、ラウドの記憶喪失のことは他の家には話していないはずなのに男は何かを知っているように嘯く。
「それはよかった。いえ、風の噂でトラッド家のご夫妻のご関係にトラブルがあるのではというのを耳にしましてね。」
「…ラウド様と私は良い関係を築いています。」
「そうでしたか。噂というのは当てになりませんなあ。…気が変わったらいつでも。」
頑なな姿勢のバレッタに対し、男は長居することもなく、静かに立ち上がり何事もなかったように去っていった。
ライラは気になるようでちらちらと立ち去った男が消えた先を見つめて小さく尋ねる。
「よろしかったのですか?」
「ええ。」
バレッタは静かに答えた。あんな怪しい男が持ってくるものなんてどう考えても変なものに決まっている。
敢えてバレッタの心を揺さぶって購入させようとしたようだが、ここ最近の自身への評価を直接耳にする機会が増えているだけに、対して心を抉られることはなかった。
それでも、男が目の前で揺らした小さな瓶が頭から離れない。
(帰ったら、ラウド様に報告しなきゃ。)
突如家に訪れた不穏な来訪者のことをラウドに報告しなくてはと、バレッタは手のひらをぎゅっと握りこんだ。




