96話 取引
夕闇がアイアングローリーの街を包み込む頃、ショウとアリナは重い足取りで下宿屋「トトの家」へと戻った。
リビングの扉を開けるなり、アリナが力尽きたようにソファーへ倒れ込む。
「今日もダメだったー……」
「絵という確かな手がかりがあるのに、これほど何も掴めないなんてな……。自分ではいい考えだと思ったんだけど」
ショウも隣に腰を下ろし、深く溜息をついた。
「そ、そうでしたか……。私の絵、あまりお役に立てませんでしたか……?」
ちょうど居合わせたユーリが、申し訳なさそうに眉を下げて二人を覗き込む。
「そんなことないよ、ユーリさん! まだ絵を使った情報収集は初日だし、これからだよ!」
アリナがソファーから顔を上げてフォローを入れると、二階から賑やかな足音が響いた。
「おうおうおう! その様子だと、今日もしょっぱい結果だったみたいだのう!」
階段を降りてきたのは、すっかり元気を取り戻したエマだった。
「あ、エマ! もう体は大丈夫なの?」
「おうとも! この通りピンピンじゃ! あの程度の術、一晩寝ればお釣りがくるわい」
エマが胸を張ったその時、玄関の重厚な扉が開く音がした。戻ってきたのは、城へ向かっていたジラードとジルだった。
「あ、ジラード様、ジルさんも。お疲れ様です」
ショウが声をかけるが、二人の表情はどこか険しい。
「はぁー……長かったわい。ゼノンの若造め、年寄りをこき使いおって……」
ジラードが腰を叩きながら椅子に座る。
「……王は、一体なんの用だったんですか?」
ショウの問いに、ジラードとジルは一瞬、顔を見合わせた。
「その件なんじゃが……。わしとジルは、明日から三日ほど留守にすることになった」
「ええーっ!? なんでじゃ、じじい!」
エマが真っ先に声を上げ、ショウも驚きを隠せない。
「今、このアイアングローリーは魔族との小競り合いに兵を割かれすぎておる。その隙を突くように、街道でオークの軍勢が不穏な動きを見せているらしいのじゃが、調査に回せる精鋭が足りんのだ。……昔の貸しの件を持ち出されてのう。流石に断りきれんかったわい」
ジラードの言葉に、場に緊張が走った。オークの軍団――ガイスト大陸の魔物たちが組織的に動いているとなれば、単なる獣の暴走では済まない。
「……そうですか。分かりました。俺たちは今日、ユーリさんに描いてもらった絵を使って捜索を始めました。収穫はまだありませんが、明日からもこの方法で続けてみます」
ジラードはショウの言葉に頷き、しかし今までになく真剣な眼差しでショウを見つめた。
「分かった。じゃが、約束せい。わしとジルが戻るまでは、たとえレンの居場所を突き止めたとしても、絶対にお前たちだけで行動はするな。何があっても、わしらが帰るのを待つんじゃ。いいな?」
その気迫に押されるように、ショウ、アリナ、エマの三人は「……はい、約束します」と深く頷いた。
「あと……今日、街の路地裏で気になることがありました」
ショウは、魔族の少女・ルシュと、彼女の父親だという人族の男について詳しく説明した。
「人間の子供にいじめられていたのを助けたんですが……あの少女は魔族でした。でも、お父さんは間違いなく人族で……。この大陸では、そういう家族は普通なんですか?」
ジラードは難しそうな顔をして髭を弄った。
「うむ……。魔族と人族が共に暮らし、家庭を持つこと自体は、この大陸では決して珍しいことではない。……ないのじゃがな……」
ジラードは何かが喉に引っかかったような、拭いきれない懸念を滲ませたが、最後には無理やり笑ってみせた。
「まあ、大丈夫じゃろ。変な奴らに絡まれんように気をつけることじゃ」
ショウはジラードとの約束を心に刻み、その日は眠りについた。
翌朝。ジラードとジルは、オークたちの偵察任務のため、朝靄の中をアイアングローリーの外へと出発していった。
残されたショウ、アリナ、エマの三人は、不安を抱えながらも、レンに繋がる唯一の糸口――ユーリの描いた絵を抱え、再び喧騒の街へと繰り出す。
「見つかっても、二人が戻るまでは手を出さない」
その約束を胸に刻み、彼ら情報収集が始まった。
ユーリの心配そうな見送りを受け、ショウ、アリナ、エマの三人は、再びアイアングローリーの冒険者ギルドへと足を踏み入れた。
絵を使っての探索二日目。
ギルドは今日も、朝から依頼を求める冒険者たちの熱気と怒号で満ち溢れていた。ショウは昨日と同じように、ユーリが描いたレンの肖像画を片手に、酒場スペースで酒をあおる男たちに声をかけ続けた。
しかし、返ってくるのは相変わらず無関心な一瞥と、横に振られる首ばかりだった。
(今日もダメか……。あんなに鮮明な絵があるのに、誰も知らないなんて……)
ショウが諦めかけ、絵を鞄にしまおうとした、その時だった。
「――そいつなら、見かけたぜ」
背後からかけられた、少し低めの、しかしよく通る声。
ショウが弾かれたように振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
30代前半。陽に焼けた肌に、無造作に短く刈り込まれた金髪。その奥にある切れ長の鋭い瞳が、ショウの手にある絵をじっと見つめていた。その佇まいからは、修羅場をいくつも潜り抜けてきた熟練の冒険者だけが持つ、独特の圧力を感じる。
「ん??? ……今、見かけたって言いましたか!?」
ショウは身を乗り出した。
「ああ、そいつ探してるのか?」
金髪の男は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「はい、友人で……! どこで見たんですか!? 教えてください!」
「おおっと、にいちゃん。……タダで教えるとは言ってねーぜ」
男はショウの言葉を制するように手を平手で前に出し、金貨を指先で弾く仕草をした。
「……お金、ですか?」
ショウが眉をひそめる。ガイスト大陸での情報は、金で買うのが常識なのだろうか。
「あいにく、金には困ってねーんだ」
男は肩をすくめ、酒場の奥を顎でしゃくった。
「見るところ、にいちゃんと、あそこにいる二人のねぇちゃん達は仲間か?」
視線の先には、エマとアリナが心配そうにこちらを見ていた。
「はい、仲間です」
ショウが答えると、男は改めてショウの全身を観察するように視線を走らせた。
「見るところ、冒険者か? 随分と、腕の良さそうなパーティじゃねーか」
「冒険者……みたいなもんですよ」
「そうか……。なら、取引だ!!」
男の言葉に、ショウはエマとアリナを呼び寄せた。金髪の男に誘導され、三人はギルドの端にある、ひときわ大きな円卓へと通された。
そこには、既に二人の先客が座っていた。
一人は、座っていても分かるほどの巨漢。樽のような胴体に、丸太のような腕。しかし、その強面な体格とは裏腹に、こちらを見る瞳は酷く穏やかで、クマさんのような優しい顔をしていた。
もう一人は、燃えるような赤髪をポニーテールにした、気の強そうな若い女。ショウたちを一瞥するなり、フンと鼻を鳴らし、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた。
「紹介するぜ。このでかいのは、ゴードンだ。体が丈夫でな、ウチのタンク(壁役)をしてる」
ゴードンは、照れくさそうに大きな手を上げた。
「この赤髪のは、アエラだ。弓使いで、腕は確かだが……ちょっと気が強い」
アエラは、睨みつけるような視線を男に向けた。
「誰だい、ガルド? 誰だか知らない子供たちを、ウチの卓に座らせないでくれる?」
アエラが、吐き捨てるように言う。
「まあ待てよ、アエラ。……ほら、これを見てみな」
ガルドと呼ばれた金髪の男は、ショウからユーリの絵をひったくると、それをアエラの前に広げた。
「……!!! ああ、こいつら……」
絵の中のレンと、その同行者たちを見た瞬間、アエラの表情が、驚きと、どこか憎悪を含んだような険しいものへと変わった。
「そいつを、どこで見たか知りたいんだとよ」
ガルドは椅子に深く腰掛け、鋭い瞳をショウに向けた。
「それで……取引ってわけだ」
「まさか……。ガルド、本気なのかい?」
アエラが、声を荒らげた。
「こいつらに……協力してもらうっていうのかい!?
……あの赤龍の討伐を!?」
(赤龍????)
ショウの心臓が、ドクンと音を立てた。
「そうだ」
ガルドの表情から、先ほどまでの陽気さが消え、仲間の仇を討ちたいという、執念にも似た真剣な色が宿った。
「お前達には、赤龍の討伐を手伝って欲しい。それが、情報の代償だ」
「……赤龍の討伐を手伝えば、この写真の……レンの居場所を教えてくれるんですか?」
ショウは、少し強い口調で聞いた
「ああ。絵の後ろに見える塔……そいつがいた場所、間違いない」
ガルドは断言した。
「赤龍か! おお!!! 龍! 伝説の龍! 見たいの! 倒したいの!」
エマが目を輝かせ、テーブルをバンバンと叩いた。
「エマ、落ち着いて……! 私たち、赤龍と戦闘経験なんてないんだよ!? 大丈夫なの……?」
アリナが焦ってエマを制止する。
ショウも、アリナの意見に賛成だった。
(ジラード様にも、聞き取りだけと言われている。龍との戦闘なんて、自殺行為だ……!)
ショウが断ろうとした、その時。ガルドが重い口を開いた。
「……ウチのパーティは、一度、その赤龍と戦って……パーティメンバーを一人、殺されている」
「!?」
「魔法使いだったんだ。……それ以来、ウチは魔法使いが不在でな。龍に挑むには、どうしても強力な魔法使いが必要だった。そこに、運良く……お前さん達を見つけたってわけだ」
「俺らは……その赤龍に、仲間の仇をとりたい。俺らと、お前らなら……絶対に、いける!」
巨漢のゴードンも、アエラも、ガルドの言葉に静かに拳を握りしめた。彼らの目は、死んだ仲間のために、命をかける覚悟を決めていた。
「もちろん、討伐報酬も山分けでいい。……頼む!」
ガルドが、テーブルに頭を下げた。仲間思いのガルドが、プライドを捨てて、頭を下げている。
ショウは激しい葛藤に襲われた。
(赤龍との戦闘経験は、こいつらがある。……俺らと合わせて六人。……本当に、いけるのか?)
ジラードとの約束。レンへの焦り。そして、目の前の冒険者たちの執念。
「ショウ! これはチャンスじゃ!」
エマが、ショウの腕を掴んだ。
「ささっと赤龍なんぞ倒して、レンの居場所を聞こうではないか! モタモタしていると、レンも移動するだろ。……天才プリティ魔法使いエマがおれば、龍など敵ではないわい!」
エマは龍と戦いたいだけだ、とショウは思った。だが、彼女の言う通り、レンが移動してしまう可能性は高い。このチャンスを逃せば、次はいつ手がかりが掴めるか分からない。
「……分かりました」
ショウは、覚悟を決めた。
「赤龍討伐、手伝います。……その代わり、終わったら必ず、レンを見た場所を教えてください」
「ああ! もちろんだ! 約束する!」
ガルドが顔を上げ、ショウと熱い握手を交わした。その瞳には、子供を騙すような色はなく、確かな信頼が宿っていた。
「……フン、決まりだね。改めてアエラだ。弓使い。足手まといになったら、置いていくからね」
赤髪のアエラが、不機嫌そうに、しかしどこか期待を含んだ目で言った。
「俺はゴードン! ……よろしくな、守りは俺に任せてくれ」
巨漢のゴードンが、優しい顔で微笑んだ。
「私はアリナです! よろしくお願いします!」
「天才プリティー魔法使いのエマだ! おお!!! 龍討伐! 滾るのう!」
「ショウです。……よろしくお願いします」
「ガルドだ! ――よし、野郎ども! 暫定パーティ『赤龍討伐隊』の結成だ! よろしくな!」
ガルドの力強い声が、ギルドの喧騒を切り裂いた。ショウたちは、ジラードの忠告を背負いつつも、レンのために、未知なる強敵・赤龍へと挑むための一歩を踏み出した。




