94話 ユーリの才能
翌朝。花の香りと鳥のさえずりに包まれていた下宿屋「トトの家」の平穏は、突如として響き渡った重厚な軍靴の音によって破られた。
「ジラード様、こちらにいらっしゃることは分かっております! 都市守備隊の者です!」
ショウたちが食堂で朝食を囲んでいると、広い庭を埋め尽くすように、銀光りする鎧を纏ったアイアングローリーの騎士たちが姿を現した。その数は十人近く。ただならぬ気配に、ユーリが「ひぇっ、おじいちゃん……!」とトトの背後に隠れる。
一行が玄関へ向かうと、騎士たちの先頭に立つ男が一歩前へ出た。
「ジラード様らしき御仁を見かけたとの情報が入り、参りました。我が主、ゼノン・ドレッドノート王がお呼びです。至急、城、アイアンファングまでご同行願いたい」
ジラードはパンの欠片を口に放り込みながら、面倒そうに鼻を鳴らした。
「ふん、ゼノンの若造か……。わしは忙しいんじゃ。友人探しの真っ最中でのう、王のお遊びに付き合っている暇はないと伝えておけ」
「……王からは、こうも言付かっております。もし断るようなら、例の『昔貸した大金』の精算を始めると。今すぐ同行せねば、利息を倍に跳ね上げるとのことです」
その言葉が出た瞬間、ジラードの肩がびくりと跳ねた。
「お、おい……。あれは、あの時の研究費の残り……」
「今すぐなら、今の利息で据え置くそうです」
騎士の冷徹な宣告に、それまで余裕をかましていたジラードの顔から血の気が引いていく。それを横で聞いていたエマが、軽蔑しきったような視線を師匠に突き刺した。
「……ジラードよ、お主、ここの王にどれだけ借金しておるのだ? 大魔法使いの威厳もへったくれもないな」
「だ、黙れ……! 背に腹は代えられんのじゃ……」
ジラードが渋々と、しかし迅速に膝を屈するのを見て、騎士は満足そうに頷いた。そして、視線をその隣に立つ大剣を背負った男へと移す。
「それと、ジラード様と共にいるのを見た『銀閃のジル』殿。貴殿も王がお呼びです。どうか、ご同行を」
ジルは「……俺までか」と短く溜息をついたが、騎士たちの目が「逃がさない」という強い意志を孕んでいるのを感じ取り、観念したように肩をすくめた。
「ショウ、すまんがそういうわけじゃ。わしとジルは少し留守にする。お主らは昨日に続き、レンの情報収集を頼むぞ。……安心せい、ゼノンとは古い仲じゃ、命までは取られんわい」
「……わかりました。お二人とも、お気をつけて」
ショウは不安を覚えつつも、力強く頷いた。
ゼノン・ドレッドノート王が、なぜこのタイミングで二人を呼んだのか。単なる借金の取り立てだけではない、何か別の意図があるのではないか……。
「よし、行こう。ショウ、私たちで絶対にレンの手がかりを見つけようね!」
アリナの言葉に、エマも「まずは腹ごしらえを済ませてからだな!」と応じる。
騎士たちがジラードとジルを連れ去った後の、少し静まり返った朝食の席。エマが、スープを飲み干してふう、と息をついた。
「そーいえばショウよ。わしの魔眼だがな、少しずつ使えるようになってきたぞ。ガイスト大陸の荒い魔素にも、ようやく体が慣れてきたのじゃ」
「本当ですか!?」
ショウは身を乗り出した。「レンの姿は見えましたか? 無事なんですか?」
「うむ……。まだピントが完全ではなく、ぼんやりとではあるがな。どこか小さな街のような場所にいるのは見えた。少なくとも、命に別状はなさそうじゃな」
「よかった……」
ショウは胸を撫で下ろした。だが、同時に焦りもこみ上げる。
「無事なのは分かったけど、その街がどこなのか、手がかりがないと探しに行けない……」
「でも、大きな進展だよ! エマちゃんの魔眼をどうにか活かせたら……」
アリナが励ますように言うと、ちょうどそこへ、エプロン姿のユーリがやってきた。
「エマさん! 昨日の夜におっしゃっていた絵、完成しましたよ!」
「おお! 早いのう、さすがじゃ!」
ユーリが手渡したのは、一枚の厚手の紙だった。ショウとアリナが横から覗き込むと、そこには息を呑むような光景が描かれていた。
それは、エマが凄まじい魔法を放つ瞬間を描いたものだった。渦巻く魔力の奔流、ひるがえるローブの質感、そしてエマの瞳に宿る鋭い光。静止画であるはずの絵から、今にも爆発的なエネルギーが飛び出してきそうなほどの迫力に満ちていた。
「す、すごい……。これを昨日の夜だけで描いたんですか?」
「はい……エマ様から『わしの最高に格好いい姿を形に残せ』とご要望がありまして。ご満足いただけたでしょうか……?」
ユーリは控えめに微笑むが、その画力は明らかに常人の域を超えていた。
(……待てよ。この筆致、この再現力。これなら、もしかして……)
ショウの脳裏に、魔法都市エリシオンでの光景が鮮明に蘇った。
あの時、クレア教授は自らの「虚空の写目」を使い、ショウの意識へと直接入り込んできた。そして、魔眼が捉えているレンの姿やその周囲の景色を、まるで自分の記憶であるかのように鮮明に共有してくれたのだ。
ショウは真剣な眼差しでエマに向き直った。
「エマ、提案がある。エリシオンでクレア教授が俺に魔眼で見えている景色を共有してくれたみたいに、エマが見たレンの姿やその周りの景色を、ユーリさんの頭の中に共有できないか?」
「……!?」
エマとアリナが同時に目を見開いた。
「エマが見た断片的なイメージを、ユーリさんの圧倒的な画力で紙に描き起こすんだ。そうすれば、正確なレンの顔写真と、その街の特徴が描かれた『絵』が手に入る。それを使えば、この広いアイアングローリーでの聞き込み効率は格段に上がるはずだ!」
「おーー! ショウよ、たまには良いことを言うではないか!」
エマがポンと手を叩いた。アリナも目を輝かせる。
「それすごいよ! その絵を見たことがある人がいれば、絶対に見つかるはず!」
「エマ、できるか?」
ショウの問いに、エマは不敵に笑い、自らの瞳を指差した。
「任せろ。この天才プリティ魔法使いエマに不可能はないわ。クレア様から譲り受けたこの『虚空の写目』、使いこなしてみせようぞ!」
ユーリは状況が掴めず目を白黒させていたが、三人の熱意に押されるように深く頷いた。
「な、何がなんだか分かりませんが……私の絵で皆さんの力になれるなら、精一杯頑張ります!」
レンの居場所を突き止めるための、魔法と芸術を融合させた新たな作戦。ショウたちの瞳には、昨日までの焦りではなく、確信に満ちた希望の光が宿っていた。
ショウたちは朝食を早々に切り上げると、一階の奥にあるユーリの自室へと向かった。
部屋に入ると、壁には昨日見た通り、無数の風景画や花の絵が飾られ、部屋の隅には使い込まれたイーゼルや、色とりどりの絵具瓶、束ねられた筆が整然と並んでいる。ユーリはイーゼルの前に真新しいキャンバスをセットし、パレットを手に持つと、普段のドジな様子とは打って変わり、職人のような真剣な眼差しでショウたちを振り返った。
「準備、できました。……エマさん、お願いします」
エマはふんぞり返り、自らの片目を指差しながら自慢げに口を開いた。
「ユーリよ、よく聞け! わしのこの片目には、クレア教授から譲り受けた『虚空の写目』という稀少な魔眼が宿っておる! 一度会った者の顔と魔力を覚えておれば、たとえ地の果てにいようとも、その姿を覗き見ることができるという、恐るべき力じゃ! ……どうだ、凄かろう!」
「ええっ! すごいです、エマさん! そんな神様みたいな力があるなんて……! まるで伝説の魔法使いみたい!」
ユーリが目を輝かせて素直に称賛すると、エマはさらに調子に乗った。
「ふははは! まあな! すごいのは分かる、魔隻眼の大魔法使いエマとは、まさにわしのことよ! もっと褒めても良いぞ!」
エマの自慢話が終わりそうになかったため、ショウは苦笑しながら話を軌道修正した。
「エマ、自慢は後にして。……ユーリさん、これからエマがその魔眼の力を使って、エマが見たレンの姿と周囲の景色を、あなたの頭の中に直接共有します。そのイメージを、あなたのその素晴らしい画力を使って、キャンバスに描き起こして欲しいんです。……できますか?」
ユーリはパレットを持つ手に力を込め、小さく、しかし力強く頑張るポーズをとった。
「わ、分かりました! やってみます! 皆さんの力になれるよう、精一杯、がんばります!」
「よし、では行くぞ!!」
エマの表情が一変し、真剣な顔になった。
「虚空の写目、開眼!」
エマが唱えると、彼女の片目が怪しげな金色に輝き始め、室内の魔素が微かに鳴動した。エマはゆっくりと手を伸ばし、その小さな掌をユーリの額へとそっと乗せる。
「……!!! 視界が……見えてきました……」
ユーリの瞳が、エマの共有したイメージを映し出すかのように、一瞬だけ金色に染まった。彼女は一度深く息を吐くと、キャンバスに向き直り、迷いのない手つきで筆を動かし始めた。
「描写、し始めます……」
ユーリのその言葉を最後に、部屋の中は静寂に包まれた。
喋る者は誰もいない。ただ、キャンバスの上を「サラサラ」「カリカリ」と、リズミカルに走る筆と鉛筆の音だけが、張り詰めた空気の中に静かに響き渡っていた。ショウとアリナは息を呑み、拳を握りしめながら、少しずつ形を成していくレンの肖像画と、彼を取り巻く異郷の景色を、じっと見守り続けるのだった。




