93話 トトとユーリの下宿屋
アイアングローリーの冒険者ギルドに併設された酒場は、戦いから戻った兵士や、これから稼ぎに出ようとする荒くれ者たちの熱気で溢れかえっていた。ショウたちは隅のテーブルを囲み、初日の収穫のなさに肩を落としていた。
「今日はここまでじゃのう。有力な情報はなし、か……」
ジラードがジョッキの泡を眺めながら溜息をつく。エマは眉間に皺を寄せ、何度も瞬きを繰り返していた。
「むむむむ……やはりこの大陸の魔素は厄介じゃ。魔眼のピントが合わぬ。微調整にまだ時間がかかりそうじゃのう」
「人も多いし、そう簡単には見つかりませんよね……」
ショウも同意しつつ、現実的な懸念を口にする。
「ところで皆さん、宿はどうしますか? 捜索が長引くことを考えると、稼いだお金や賞金も計画的に使わないといけませんよね」
「そうだよね。ヴィヌスラリーの賞金があるとはいえ、ガイスト大陸の物価もわからないし……」
アリナが心配そうに財布を覗き込むと、隣で武器の手入れをしていたジルが、短く「足りなくなれば魔物討伐で稼ぐまでだ」と付け加えた。
そんな、少し重苦しい空気の流れるテーブルに、一人の少女が近づいてきた。
「お待たせしましたー! こちら、サービスのおつまみで……うわわっ!?」
ドタン!!! バッシャーン!
「わあああああっ!?」
突如、派手なスライディングの音とともに、ショウたちの目の前で世界がひっくり返った。
少女は自分の足をもつれさせ、見事なまでの勢いで床に伏せったのだ。彼女の手から放たれたジョッキが宙を舞い、中身の飲み物がショウたちの座るテーブルへと豪快にぶちまけられる。
「わわ、わわわわ! ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 皆さん、濡れてないですか!?」
「おい! ユーリ!! またやったかこのドジっ娘!」
厨房の奥から店主の怒鳴り声が飛んでくる。「ひぃっ、すみません!」と震えながら、その少女——ユーリは、必死になって布巾でテーブルを拭き始めた。
明るい新緑色の髪を左右で結び、丸いメガネの奥にある瞳を潤ませている。少し抜けたところがありそうだが、一生懸命に動くたびに、ギルドの制服のスカートが揺れ、その下からは健康的な脚が覗いていた。さらに、ジラードが思わず目を細めるほど、制服の上からでもわかる立派な胸の持ち主でもあった。
「すみません、本当に……皆さん、大丈夫ですか?」
ユーリは顔を真っ赤にしながら、何度も頭を下げる。エマが「気にするな、お主のスライディング、なかなか筋が良かったぞ!」と笑い飛ばし、アリナも「大丈夫だよ、一緒に拭くから」と優しく手を貸した。
一通り片付けが終わり、ユーリは申し訳なさそうに、小声で切り出した。
「あの……さっき、宿に困ってるってお話が聞こえてしまって。もしよろしければ、私のおじいちゃんがやってる『下宿屋』に来ませんか?」
「下宿屋……?」
ショウはその言葉に、思わず目を見開いた。
「はい! ここから近くて、格安なんです。長期滞在されるなら、普通の宿屋よりずっと安く済みますし、ご飯も美味しいですよ!」
ショウは胸の奥が温かくなるのを感じた。王都に残してきた自分の店、「下宿屋サクラソウ」。店主として客を迎え入れる側の自分が、今度は異郷の地で「下宿屋」に迎え入れられようとしている。
(……下宿屋か。王都の自分の店といい、なんだか、この商売には縁があるんだな……)
ドジで一生懸命なユーリの姿に、どこか自分と似た「店を守る者の必死さ」を感じたショウは、ふっと表情を緩めた。この殺伐とした要塞都市の中で、その提案は今の彼らにとって、何よりも魅力的な救いの手に思えた。
「あはは……。私、もう少しで上がりなので、少し待っててください!」
ユーリは申し訳なさそうに、でもどこか期待に満ちた笑顔でそう言い残すと、厨房の方へ振り返った。ショウは仲間たちに視線で相談を投げかける。ジラードがニヤリと笑い、アリナやジルも無言で頷いた。
「わかりました。じゃあ、ここで待たせてもらいますね。よろしくお願いします」
「はい! すぐに戻りますから!」
ユーリが元気よく頭を下げた瞬間、再び厨房の奥から怒声が飛んできた。
「おい、ユーリ!! 突っ立ってないで、このジョッキを運べ! さっさと動け、このドジ!」
「ひぇっ! は、はい! 今行きますよぉーー!」
彼女は慌てて布巾をエプロンのポケットにねじ込み、ドタバタと忙しそうに厨房へと消えていった。
それから数分後。
ユーリはギルドの制服から、動きやすそうな、でもどこか可愛らしい街着に着替えて戻ってきた。丸メガネの奥の瞳は、少し潤んでいるように見える。
「お待たせしました……。では、ご案内しますね」
一行は賑わう酒場を後にし、要塞都市アイアングローリーの螺旋状の坂道を下り始めた。上層の城付近とは違い、下層に行くにつれて生活臭が濃くなり、庶民的な活気が路地に満ちていく。
歩き始めて間もなく、ユーリが突然、小さな肩を震わせ始めた。
「シクシクシク……。」
「ど、どうしたの?」
アリナが心配そうに顔を覗き込む。
「私……またバイト、クビになってしまいましたぁ……」
「ありゃりゃ。さっきの、ジョッキを割っちゃったから?」
「そーなんですよぉ……。店長に『お前はジョッキを割るために生まれてきたのか!』って怒られて……。とほほほ。今日だけで、10個も割ってしまったんです。10個も……」
ユーリの衝撃の告白に、隣を歩いていたジルが「10個……。よく今までクビにならなかったな」と呆れ顔で呟く。エマはニヤニヤしながら、アリナの肩を突っついた。
「ふむ、ドタバタしているところは、意外とアリナに少し似ているもんな!」
「ちょっと、エマ! 私はジョッキなんて割ってないもん!」
アリナが真っ赤になって反論し、女子たちの賑やかな会話が坂道に響く。
ショウはそんなやり取りを微笑ましく見守りながらも、異郷の地での生活の拠点となる場所への期待を高めていた。
やがて一行は、一番下の層、商店が立ち並ぶ大通りから一本奥に入った、静かな路地の突き当たりに到着した。
「着きました! ここが、私のおじいちゃんがやっている『下宿屋』です!」
ユーリが弾んだ声で指差した先には、要塞都市アイアングローリーの殺伐とした無機質な街並みとは、明らかに異なる空気を纏った建物が佇んでいた。
・温かみのある外観: 建物は全体が明るい色調の木造で築かれており、鉄と石ばかりのこの街において、そこだけ陽だまりのような温かさを放っている。二階建てのどっしりとした造りで、年季こそ感じさせるものの、壁板は白く磨かれ、大切に守られてきたことが一目でわかる。
• 荒れているが、愛された庭: 玄関へと続くアプローチの両脇には、広大な庭が広がっていた。四季折々の花や木々が植えられているが、ユーリの言葉通り、少し枝が伸び、雑草も顔を覗かせている。しかし、それは決して放置されているわけではない。花壇の縁は手入れされ、伸びた枝もまた、自然の力強さを感じさせる、愛情の感じられる「庭」だった。
• ベランダを彩る花々: 見上げれば、二階の各部屋の窓辺には、色とりどりの花が植えられたプランターが並んでいる。無骨な要塞都市の中で、そこだけ異世界のような優しさと、洗練されたおしゃれさを演出していた。
「建物自体は古いですが、見ての通りそれなりに大きいので、部屋数も多いですよ!」
ユーリは誇らしげに胸を張り、少し照れくさそうに庭を見渡す。
「庭は、空いている時には手入れしているのですが、私とおじいちゃんの二人でやっているので、どうしても手が回らなくて……。さあ! どうぞ中へ!」
ユーリが古びた木の扉を開けると、中からは懐かしいスープの匂いと、少し埃っぽい、でもどこか落ち着く、温かい空気が溢れ出してきた。
玄関をくぐると、正面には中央で左右に分かれる木造の大階段が、二階へと続いていた。階段を上った先には、左右それぞれに無数に並ぶ部屋の扉が見える。
(上が部屋か……。左右に4つずつ、計8部屋はあるな。王都の『サクラソウ』と同じくらいの大きさだ。
サクラソウの店主であるショウは、同業者としてのプロの目線で、つい建物の構造や動線をチェックしてしまう。王都の自分の店とは違う、骨太な職人気質の下宿屋の雰囲気に、彼は胸が高鳴るのを禁じ得なかった。
「おじいちゃーん! お客さん連れてきたよ!」
ユーリが奥に向かって声を上げると、一階の部屋から、小柄な老人がゆっくりと姿を現した。
「おお、ユーリ、帰ったか……。お客さんとは、珍しいのう」
老人は穏やかな笑みを浮かべ、腰をかがめて一同を迎える。
「いらっしゃいませ。この下宿屋の主人のトトと申します……。おお、こんなにたくさん。ささ、部屋を案内してあげなさい、ユーリ」
「はい、おじいちゃん! 部屋は二階だよ!」
ユーリは元気よく階段を駆け上がり、一行を誘導する。
「右の階段を上がると男の人用で、左は女の人用だよ!」
案内された部屋には、ベッドと小さなテーブル、椅子が置かれていた。必要最低限ではあるが、掃除は行き届いており、居心地は悪くない。
「それと、下には私とおじいちゃんの部屋と、奥には食堂、それと、男女別のお風呂があります! 何か困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね」
エマが好奇心に負けて声を上げた。
「ほほん! ユーリの部屋に侵入じゃ!」
「わわわわ! ちょっと待って! 掃除が……!」
慌てるユーリを余所に、一行は彼女の部屋へと足を踏み入れた。そこでショウたちが目にしたのは、ドジっ子な彼女の普段の姿からは想像もつかない光景だった。
壁という壁に、いくつもの風景画や色鮮やかな花の絵が飾られていた。
「へぇー! 綺麗な絵だね。これ、全部ユーリちゃんが描いたの?」
アリナが感嘆の声を上げると、ユーリは真っ赤になった顔を両手で隠しながら、消え入りそうな声で答えた。
「は、はい……。私、絵を描くのが好きで……」
「うまいな!! すごいぞ、これは才能だ!」
エマが素直に絶賛し、ショウもその繊細な筆致に見惚れてしまった。一方でジラードが「綺麗なお姉さんの絵も描けるかのう?」と下心を覗かせ、エマに「キモいぞ」と一蹴される場面もあったが、そのおかげで場の緊張感はすっかり解けた。
滞在費も、トトとユーリの厚意により非常に安く設定された。一行の所持金でも三週間は余裕を持って滞在できる。
「友人を見つけるまで、ゆっくりしていくといい」
トトの優しい言葉に甘え、ショウたちはこの下宿屋を拠点に、ガイスト大陸での本格的な捜索を開始することを決めた。
読んでいただきありがとうございます!
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(ここ2ヶ月くらい変化なくて寂しい)
ぜひ読み終わったら評価よろしくお願いします⭐︎⭐︎⭐︎




