86話 海賊の怒り
町へと続く道は、すでに戦火の渦中にあった。
ショウとジルは砂浜を蹴り、立ちふさがる海賊の下っ端たちを切り伏せながら、火の手が上がる港町へと急いだ。霧が晴れたことで視界は開けているが、それは同時に、敵の全貌が露わになったことを意味していた。
町の入り口では、エマとアリナが迫り来る海賊たちを相手に立ち回っていた。
「ショウ! ジルさん! 無事だったんだね! よかった!」
アリナが二人を見つけ、声を弾ませた。彼女の背後では、逃げ遅れた住民たちが怯えながら避難所へと走っていく。
「こっちは?」
「なんとか避難は進んでいるよ! でも敵が多すぎ
て……!」
「エマ! 霧の解除、助かったよ」
ショウが叫ぶと、エマは飛来する矢を障壁で弾き飛ばし、不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん、この天才プリティ魔法使い様の手にかかれば、あんな紛い物の霧なんて余裕よ!」
「……そういえば、こっちに傷を負った魔法使いが来なかったか? ひょろりと細長い、ナレッジという男だ」
ジルの問いに、アリナは首を振った。
「いいえ、見てないよ?」
「……そうか。逃げ足だけは速いな、あの男」
ジルは忌々しそうに吐き捨てると、エマに向き直った。
「エマ、ジラードの様子を魔眼で見れるか?」
「任せなさい!」
エマは静かに目を閉じた。精神を集中させ、遠方の光景を脳裏に映し出す。
「……虚空の写目」
数秒の沈黙の後、エマが口を開いた。
「……今あやつは、暗い洞窟の中にいるわね。山にある、あの部屋だわ。外の喧騒など露ほども知らぬ様子で、今も一心不乱に転移魔法陣を調整しておる。この様子だと、外の状況には全く気づいておらんわい」
「そうですか、まずは無事なんですね……」
魔法陣は確かにあの山の近くだと言っていた。ショウは安堵とともに、グラウンドエッジを握り直した。
「なんにせよ、まずは町の人たちを守らないと……!」
「まずはこの雑魚たちを掃除するか……。みんな、やれるか?」
ジルの号令に全員が頷いた、その時だった。
「おーーっと! 俺も加勢するぜぃ!」
軽薄だが聞き覚えのある声が響き、建物の影からひらりと人影が飛び出してきた。情報屋のレイヴだ。彼は手慣れた手つきでダガーを構え、不敵な笑みを浮かべる。
「俺はあくまで『情報屋』だ! 正面切っての殺し合いは柄じゃねえが、足止めくらいならしてやるぜ!」
「助かります、レイヴさん!」
ショウが前を見据え、魔力を練り上げた。
「皆さん、いきますよ!!」
「おりゃあッ!!」
「ぐはぁっ!?」
次々と襲いかかる海賊の下っ端たちを、ジルの鋭い一撃がなぎ倒していく。数で押してくる敵を蹴散らし、町の中へと進もうとしたその時、二人の男がゆらりと立ちふさがった。
一人は、以前戦ったことのある見覚えのある男――赤髭のバロスだ。彼は屈辱に顔を歪ませ、隣に立つ巨漢を指差した。
「ティーチのお頭、あいつらです! 俺たちの船を沈めたのは……!」
バロスの隣。そこには、圧倒的な威圧感を放つ男が立っていた。
黒い長い髭からは不気味な煙がもくもくと立ち上り、月光の下でその凶悪な形相を際立たせている。ブラックビアード海賊団船長、「黒髭」のティーチ。
その口調は驚くほど落ち着いていたが、そこから漏れ出す怒りと強さは、周囲の空気を物理的に重く変えるほどだった。
「……海で海賊に手を出して、生きていられると思うのか?? お前ら……」
「最初に手を出したのはそっちだろ?」
エマが怯むことなく言い返す。ティーチはその細い目を開き、エマを、そしてその隣の男を見据えた。
「んん?? ……そこの男。銀閃のジルだな……。なんだ、そんな駆け出し冒険者の子守か?」
「お前らには関係ないだろ……」
ジルが刀の柄に手をかけ、冷徹に応じる。
「それより。今すぐ町から引けば、命は助けてやるぞ?」
「俺は誰の指図も受けねーよ!!」
ティーチの重い声が空気を震わせる。バロスが獲物を構え、殺気を剥き出しにして叫んだ。
「お頭、俺はあのふざけた女魔法使いを殺しやすぜ!!」
ティーチが巨大な剣を、地面を削りながらゆっくりと構えた。
ジルもまた、それに応えるように静かに刀を引き抜く。
「交渉決裂だな……。ショウ、こいつは俺がやる。お前らは雑魚どもを頼んだ」
「……わかりました!」
ショウはグラウンドエッジを強く握り直し、迫り来る海賊たちを睨みつけた。エマも不敵な笑みを浮かべ、杖を掲げる。
「リベンジマッチか! 面白いじゃない」
燃え盛る町を背景に、運命を分かつ戦いの火蓋が今、切られた。
町は火の粉が舞い、悲鳴と怒号が渦巻く混沌の只中にあった。ショウ、アリナ、そしてレイヴの三人は、路地から溢れ出す海賊の下っ端たちを迎え撃つ。
「おりゃあッ!!」
アリナが身の丈ほどもある武器を豪快に振り回し、先行する三人をまとめて叩き伏せる。その隙を突き、ショウが魔力を練り上げた。
「削り流せ、アクアストリーム!!」
ショウの手から放たれた高圧の水流が、濁流となって石畳を駆け抜ける。逃げ場を失った下っ端たちは、なす術もなく押し流され、建物の壁へと叩きつけられた。修行の成果か、ショウの魔法は以前よりも格段に密度を増し、その威力は一撃で戦場を掃除するほどになっていた。
一方で、少し離れた広場では二つの戦いが繰り広げられていた。
「前はよくもやってくれたな……。今日こそは、その生意気な面を切り刻んで殺してやる!!」
赤髭のバロスが、憎しみに満ちた形相でエマを睨みつける。対するエマは、杖を軽く肩に担ぎ、鼻で笑ってみせた。
「今度は海の上じゃないけれど、特別にここで『海の藻屑』にしてあげるわよ!」
バロスが吠え、真っ赤な闘気を纏って突っ込む。しかし、エマの放つ魔法の弾幕が、それを寄せ付けない。
さらにその奥――。
凄まじい衝撃音と共に、火花が夜の闇を裂いた。
ガキィィィィンッ!!!
黒髭のティーチとジル。
二人の剣が交わるたび、周囲の地面がひび割れ、風圧が炎を吹き消す。ティーチは黒い髭から不気味な煙を吐き出し、怪力でねじ伏せんとするが、ジルの剣技はその遥か上を行っていた。
(……すごい。相手もあんなに強そうなのに、ジルさんが圧倒してる)
下っ端を退けながら、ショウは息を呑んだ。
ジルの動きには一切の無駄がない。銀の閃光が走るたび、ティーチの重厚な鎧に深い傷が刻まれていく。まさに「次元が違う」強さだった。
「……終わりだ」
ジルの冷徹な宣告と共に、銀閃がティーチの防御を真っ向から突き破った。
ズバーーーーンッ!!!
「ぐ、はぁっ……!?」
胸元を深く切り裂かれ、あの「黒髭」が膝をつく。同時に、エマの魔法も決着を告げた。
「アクアスパイラル!!」
「ぎゃあああーーーっ!!」
渦巻く水の槍に貫かれ、バロスもまた砂塵の中に沈んだ。
静寂が訪れる。転がる海賊たちを見下ろし、ジルが静かに刀を引いた。
「……これで幕引きだな」
(やっぱりジルさんは強い……!)
ショウが安堵の息を漏らそうとした、その時だった。
倒れた二人の背後、何もない空間からシュウウ……と白い霧が立ち上った。
その中から亡霊のように姿を現したのは、深手を負い、血を滴らせた男――ナレッジだった。
「クックック……。船長、お待たせしました。……持ってきましたよ」
ナレッジは不敵な笑みを浮かべ、懐から一つの小さな瓶を取り出した。
その瓶の中には、まるで生き物のように不気味に蠢き、怪しく脈打つ**「赤い液体」**が満たされている。
「なっ……あいつ、まだ生きて……!」
ショウの背筋に、冷たい戦慄が走った。
ナレッジが命懸けで稼いだ時間。その目的が、今まさにティーチの手に渡ろうとしていた。瓶の中の液体が放つ異様な魔力が、晴れたはずの夜空を再び重苦しく塗り替えていく。




