84話 黒髭
その喧騒を切り裂き、人混みの中から震える声が響き渡った。情報屋のレイヴだった。彼は水平線に見える船影の、ボロボロの赤い旗を指差しながら、顔を蒼白にして叫んだ。
「お、おい! あの旗……ブラックビアード海賊団だぞッ!!」
「ブラックビアード」。その名がビーチに響いた瞬間、時間が止まった。
陽気な音楽がぶつりと途切れ、笑い声は悲鳴へと変わった。島民たちの顔から一瞬で血の気が引き、瞳には深い絶望の色が宿る。それは、この海域に生きる者にとって、最も口にしてはならない「死の象徴」だった。
「に、逃げろ! 島の避難場所へ!」
「何で、あいつらが……!」
砂浜は一瞬にして混沌と化した。人々は酒樽をなぎ倒し、料理を撒き散らしながら、我先にと森の方へ逃げ惑う。転倒した子供を親が必死に抱え上げ、老人を若者が担いで走る。祭りの華やかさは、蜘蛛の子を散らすようなパニックによって無惨に踏みつぶされた。
そのパニックを、海からの冷酷な一撃が襲った。
ヒューーーーン――ドォォォォォンッ!!!!!!
大砲の風切り音が聞こえたかと思うと、次の瞬間、砂浜が爆発した。
つい先ほどまでショウたちが勝利を祝っていた焼き魚の屋台が、爆炎と共に木っ端微塵に吹き飛んだ。飛び散る木片と、真っ赤に焼けた砂が、逃げ惑う島民の背中に降り注ぐ。
さらに続く二弾目が、浜辺に立つ巨大な椰子の木に直撃した。椰子の木はへし折れ、轟音と共にビーチへと倒れ込み、逃げ遅れた人々の路を塞いだ。
「きゃーーー!!!」「助けて!!」
泣き叫ぶ声、怒号、爆発音。楽園は一瞬にして地獄絵図へと変貌した。
ショウは、燃え盛る砂浜の向こう、月明かりに照らされた黒い船団を見つめた。
その船団の中央、最も巨大な船の船首に、一人の男が立っていた。
黒い長い髭。その髭からは、まるで地獄の業火が燻っているかのように、煙がもくもくと立ち上り、月光を遮っている。黒い海賊帽子をかぶり、その下にある顔は、凶悪な傷跡と、全てを憎悪するような爛々とした瞳で満ちていた。彼こそが、この海の覇者、ブラックビアード。
彼は船首から、逃げ惑う島民たちを見下ろし、地鳴りのような声を響かせた。
「わしの傘下に手を出した奴が、この島にいるようだな……。殺してやる……。一人残らず、海の藻屑にしてくれるわ!!」
(……やっぱり、クリムゾンビアードを倒した仕返しに来たのか)
ショウは拳を強く握りしめた。自責の念が胸を締め付ける。自分たちが倒した海賊の報復が、この平和な島の住人たちに向けられている。
「やばいな……。島のみんなを巻き込んでしまう……」
ショウは叫んだ。恐怖に立ち竦むのではなく、行動を起こさなければならない。
「エマさん! アリナ! ジルさん! とりあえず、皆さんを避難させましょう!!」
「うむ! わかった!」
「了解だよ、ショウ!」
ジルは無言で頷き、すでに近くにいた子供を抱え上げていた。仲間たちの頼もしい反応に、ショウは少しだけ冷静さを取り戻した。
しかし、彼らが動き出そうとした、その時だった。
「……え?」
アリナが戸惑いの声を上げた。
つい先ほどまで月明かりが照らしていたビーチに、這うような速さで「霧」が立ち込め始めたのだ。
「なに、急に……霧??」
霧はまたたく間に砂浜全体を飲み込み、視界を数メートル先まで奪い去った。焚き火の光も霧に遮られ、逃げ惑う人々の姿も見えなくなる。残されたのは、霧の奥から聞こえる悲鳴と、不気味な静寂だけだった。
「……いや、ただの霧じゃないな」
ジルが鼻を鳴らし、霧の奥に潜む「殺気」を感じ取った。
「これは魔法の霧だ……」
エマが霧に触れ、その中に含まれる微かな魔力を感じ取る。
「魔力で探知されぬように、視界だけでなく気配まで乱しておる。……相手方に、腕の良い魔法使いがいると見た」
エマの言葉に、ショウの背筋に冷たいものが走った。
ブラックビアード海賊団。それは単なる力自慢の集団ではない。島を包み込んだこの魔法の霧は、彼らが用意周到に、そして確実に「獲物」を狩りに来ていることの証だった。
白い帳を割り、一人の男が悠然と姿を現した。
髑髏の装飾が施された長い杖を突き、ボロボロのローブを羽織ったその姿は、海賊というよりは墓場から這い出した魔術師のようだった。ひょろりと長い体に、深く被った海賊帽子。その下から覗く鋭い眼光と、整えられた長い黒のちょび髭が、不気味な知性を感じさせる。
「……こんばんわ。私はブラックビアード海賊団、参謀のナレッジと申します」
「貴様か……! この霧の仕業は!」
エマが杖を構え、怒りを露わにする。ナレッジは薄く笑い、優雅に一礼した。
「御名答。情報によれば、血の気の多い魔法使いがいるとのことでしたので、少々身を隠させてもらいました」
「クリムゾンビアードからの情報か……。目的は何だ? 仕返しのつもりか!」
ショウがグラウンドエッジを握りしめ、問いかける。
「仕返しだなんて、そんな感情的なものではありませんよ。単に、我らブラックビアードに海で喧嘩を売ったのです。消えてもらわねばなりません。……君たちに関わった、この島の者すべてね」
「ほほーん。貴様らも海の藻屑になりたいということじゃな!」
エマが魔力を練り始めるが、ショウがそれを制した。
「エマさん! ここは僕とジルさんに任せてください。アリナとエマさんは島の人たちの避難を優先して! ……それと、この霧、なんとかできますか?」
「……少し時間はもらうが、なんとかしよう! 頼んだぞ、ショウ!」
「任せて! ショウ、ジルさん、死なないでよ!」
二人が霧の奥へ駆け出していくのを見送り、ショウはグラウンドエッジを、ジルは愛刀を低く構えた。
「……貴様の相手は俺たちだ」
ジルが静かに告げると、ナレッジの目が細められた。
「貴様は『銀閃のジル』ですね。情報通りだ……。あなたには――」
ナレッジが言葉を終えるより早く、ジルが動いた。
爆発的な踏み込み。まさに銀の閃光。ジルの刃がナレッジの首筋を、音もなく、完璧な軌道で切り裂いた。
ズバーーーンッ!!
手応えはあった。しかし、斬られたナレッジの体は実体を失い、陽炎のように霧へと溶けて消える。
「……!? 霧化か!」
「おっと、危ない。……ですが、銀閃のジルを相手に、何の対策もしてこないわけがないでしょう?」
背後から響く冷徹な声。ジルが振り向こうとした瞬間、彼の周囲の水分が急激に膨れ上がり、巨大な水の球体へと変化した。
「ウォータープリズン!」
「くっ……!!」
ジルが球体の中から刀を振るうが、斬られた水面は即座に結合し、元の完璧な球体へと戻る。物理攻撃を無効化する流体の牢獄。最強の剣士が、その「速さ」を完全に封じ込められた。
「その中で少し待っていてください。……さて、まずはそこの坊やから片付けるとしましょうか」
ナレッジがゆっくりと、髑髏の杖をショウへと向けた。
唯一の護衛であるジルは、目の前の水の檻の中でもがいている。視界を遮る魔法の霧、そして格上の魔導士。
ショウはグラウンドエッジを構え直し、奥歯を噛み締めた。
(くる……ッ!!)
霧の奥から、ナレッジの冷たい殺気がショウの肌を突き刺した。
ナレッジは髑髏の杖を軽く回すと、その蒼白い顔に、獲物をいたぶるような不吉な笑みを浮かべた。
「……行きますよ、坊や」
その声が霧に溶けると同時に、彼の体はシュウウウ……と音を立てて白いミスト状になり、完全に姿を消した。
(また消えた……ッ! どこからくる!?)
ショウはグラウンドエッジを構え、全神経を集中させる。視界はわずか数メートル。霧の冷たさが肌に張り付き、心臓の鼓動だけが不気味に大きく鳴り響く。
その時、右斜め後方の霧が、音もなく裂けた。
「くっ……!!」
直感的に身を翻す。直後、ショウの首筋があった場所を、薄氷のように鋭い水の斬撃が、空気を切り裂く音と共に通り抜けた。避けるのが精一杯だ。
「……ほう、避けますか。ですが、見えないところからの攻撃は、怖いでしょう?」
霧の奥、特定不可能な場所から、ナレッジの嘲笑うような声が響く。それはまるで、霧そのものが喋っているかのようだった。
「では、これはどうです? ウォーターバレット!」
ドォォォォォンッ!! と空気が爆ぜるような音と共に、霧の中から無数の「水の銃弾」が撃ち出された。ただの水滴ではない。魔力で極限まで圧縮され、鋼鉄をも容易に貫く殺意の塊だ。
「ロックウォール!!」
ショウは咄嗟にグラウンドエッジを地面に突き立て、目の前に頑丈な岩の壁を作り出した。
パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッ!!!!!
凄まじい着弾音が轟く。
魔法の水の銃弾は、岩の壁に命中するたび、小さな爆発を起こした。頑丈なはずのロックウォールが、まるで蜂の巣のように細かく削り取られ、砂の粉塵となって霧の中に霧散していく。
(なんて威力だ……! まさに、銃弾そのものじゃないか……!)
崩れゆく岩の壁の向こう側。霧の向こうからは、さらに無慈悲な弾幕が、途切れることなくショウへと降り注ごうとしていた。
(くそ……ッ! こいつ、戦い慣れすぎている……!)
ジルの水の檻の中でもがく姿が一瞬、霧の隙間から見えた。エマもアリナも、今は近くにいない。この霧の中、自分を助けてくれる者は、誰もいないのだ。
(頼れる人は、いない……。俺一人で……この化け物相手に、やれるのか……?)
崩壊するロックウォールの残骸を背に、ショウは生まれて初めて、底なしの孤独と、迫り来る「死」の気配を、その肌で感じ取っていた。
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(初めて後書き書きました!)
抹茶のあずき




