82話 ヴィヌス・ラリー
日が沈み、レテ島の空が深い群青色に染まる頃。
一行は宿に戻り、夕食のテーブルを囲んでいた。そこへ、転移魔法の調査を終えたジラードが、少しばかり疲れた足取りで帰還した。
「ふぅ……。ショウよ、結論から言うぞ。転移魔法陣の調整には、あと二日はかかりそうじゃ」
ジラードがエールを喉に流し込みながら告げた言葉に、ショウは肩を落とした。
「あと、二日……ですか。……一刻も早くガイスト大陸へ行きたかったんですが……」
レンの顔が脳裏をよぎる。早く会いたい、無事を確かめたい。その焦燥が胸を突くが、ジラードが「慎重に」と言う以上、素人が口を挟める領域ではないことも理解していた。
「ならば! ならば、出るぞ! 明日のヴィヌス・ラリーの大会に!」
沈みかけた空気を切り裂くように、エマが身を乗り出した。紫の瞳を爛々と輝かせ、拳をテーブルに叩きつける。
「レテ島発祥の大会が明日あると、昼間に住民が言っておったな……。賞金も出るという話ではないか!」
ジラードもそれに応じるように頷いた。
「ほう、ならば丁度よい。わしが魔法陣を調べている間、お主らは自由じゃからな。これから旅がどれほど長くなるか分からん。金はあって損はせぬし、稼いでこい」
「もちろん優勝を目指すぞ! ……何を他人事のような顔をしておる、ジルよ! そなたも出るのじゃぞ!」
静かに食事をしていたジルが、ぴくりと眉を動かした。
「……俺もか?」
「当たり前じゃ! 二人一組のチーム制。つまり、我らで二チーム作れるではないか!」
ショウは心の中で激しくツッコミを入れた。
(確かに、俺、ジルさん、エマ、アリナ……って、待て、俺も数に入ってるのかよ!)
「よし、チーム分けは決まっておる! 魔法使いチーム、私とショウ! そして剣士チーム、アリナとジルじゃ!」
「いいね、いいね! エマたちには負けないよ! ね、ジルさん!」
アリナがノリノリで拳を握り、ジルの腕を軽く突く。ジルは困ったように視線を彷徨わせたが、最終的には諦めたように「……ああ」と短く応じた。
(やっぱり俺も出るのか……。しかもエマさんとペアなんて、振り回される未来しか見えない……)
ショウが内心で溜息をついていると、エマはすでに椅子を蹴って立ち上がっていた。
「おーーい! 宿主よ! ヴィヌス・ラリーのボールはあるか? 練習したいのじゃ!!」
宿の主人が慌てて奥から木の蔓を編んだボールを持ってくると、エマはそれをひったくるように受け取った。
「えーー、勘弁してくださいよ! 今日はもう休ませてくれ……」
「何を言うかショウ! 勝負はすでに始まっておる! 今日はたっぷり特訓じゃ!!」
「うむ。お主らは賞金を稼ぎ、わしは魔法陣を直す。……明日の大会、期待しておるぞ」
ジラードが追い打ちをかけるようにニヤリと笑う。
夜の帳が下りた砂浜。
魔法の灯りで照らされた白い砂の上で、エマの「さあ、レシーブの練習じゃ!」という怒号が響き渡る。
波音に混じって、ショウの悲鳴のような溜息がレテ島の夜風に消えていった。
翌朝、会場となる砂浜は、昨夜の静寂が嘘のような爆発的な熱気に包まれていた。
視界に飛び込んできたのは、極彩色の旗が海風にたなびき、島独特の打楽器や弦楽器が陽気なリズムを刻む、まさに「祭典」の光景であった。
砂浜のあちこちにはヤシの葉で屋根を葺いた屋台が並び、香ばしく焼かれた貝や、凍らせた果実を削った甘い香りが、潮風に乗って鼻腔をくすぐる。
「……あ、暑い。それに、体が痛い……」
一方、ショウは死んだ魚のような目で、昇ったばかりの太陽を恨めしそうに見上げていた。
昨夜、エマによる「魔力操作レシーブ特訓」という名のしごきを深夜まで受けたせいだ。全身の筋肉が悲鳴を上げ、寝不足で頭がぼんやりとする。
そんなショウのコンディションなどお構いなしに、会場からは歓声が上がった。
「あ、昨日の冒険者さんたち! 本当に出場してくれたんですね!」
人混みの向こうから、昨日ビーチで共にボールを追った島の青年たちが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「おはようございます……。ええ、なんとか……」
「はっはっは! 嬉しいですよ! ぜひ一緒にこの大会を盛り上げましょう! 応援してますからね!」
島民たちの屈託のない笑顔と激励に、ショウは少しだけ毒気を抜かれた。この島において、自分たちはすでに「見知らぬ余所者」ではなく、共に汗を流した「競技者」として受け入れられているのだ。
だが、ショウの隣に立つ二人の女性は、すでに戦闘態勢に入っていた。
「ふん、応援感謝するぞ! じゃが、優勝するのはこの私とショウの『大魔法使いチーム』に決まっておるからな! 他の奴らに勝ち目など万に一つもないわい!」
エマが不敵な笑みを浮かべ、腰に手を当てて宣言する。その自信満々な態度に、隣にいたアリナが珍しく負けず嫌いな瞳で応じた。
「そーはいかないよ、エマ! 優勝するのは、私とジルさんの『最強剣士チーム』なんだから! ショウ、悪いけど手加減はしないよ?」
「……いいね、受けて立とうではないか、アリナ!」
紫の瞳と翠の瞳が至近距離でぶつかり合う。二人はそのまま、ガシリと力強く互いの右手を握り締めた。
「お互い、戦うまで負けるではないぞ。決勝の砂の上で、どちらが真に強いか白黒つけようではないか!」
「望むところだよ、エマ! 準決勝で落ちたりしないでね!」
昨夜まで笑い合っていた二人の間に、心地よい緊張感の火花が散る。その握手は、ライバルとしての宣戦布告であり、戦友としての固い約束でもあった。
「さあ! 今年も始まります! レテ島恒例、ヴィヌス・ラリー大会! 砂上の英雄たちよ、その魂をボールに込めろッ!」
会場の中心に設置された特設ステージから、運営の魔導拡声機を通した咆哮が響き渡った。
「今回も素晴らしい賞金、そしてこの島でしか手に入らぬ希少な景品を山積みに用意しております! 出場する諸君の健闘を祈る! それでは……ヴィヌス・ラリー大会、スタートだ!!」
ドォォォォン! という爆竹の音と共に、会場のボルテージは最高潮に達した。
「行くぞショウ! 私たちの初陣じゃ!」
「ああ、ジルさん。……行こうか」
エマに襟首を掴まれるようにして引きずられていくショウと、静かに闘志を燃やすジルを伴って第一コートへ向かうアリナ。
二つのチームは、それぞれの戦地へと分かれていった。背後に残る祭囃子と観客の声援が、これから始まる激闘の序曲のように、ショウの耳に鳴り響いていた。
さあ、第一コート! 島の海の守り手、漁師名人ペア対……謎の若手、大魔法使いペアだッ!」
実況の咆哮と共に、ショウたちの前に二人の巨漢が立ちはだかった。
日焼けして岩のように盛り上がった筋肉、潮風にさらされて刻まれた深い皺。彼らが手にするボールが、まるで小さな玩具のように見えるほどの威圧感だ。
「おう! 兄ちゃんに嬢ちゃん、よろしくな! 俺らはこの島で網を引いて三〇年、ヴィヌス・ラリーでも負け知らずの漁師コンビだ!」
「観光客か冒険者か知らねえが、砂の上じゃ容赦しねえぜ!」
豪快に笑う漁師たちに、エマは不敵に口角を上げた。
「無論! 私たちも本気で行くぞ。その分厚い胸板、貫いてくれるわ!」
(エマって、本当どこに行っても物怖じしないよな……)
ショウは感心しつつも、周囲の陽気なノリに気圧されないよう、熱を帯びた砂を足の指で掴み、深く腰を落とした。
「いくぜぇッ! 撒き餌サーブだッ!!」
ドォォォン! と空気が爆ぜるような音と共に、ボールが弾弾のように飛んできた。重い。プロの漁師が全身のバネを使って放つ一撃は、まさに砲弾だった。
「まかせろ!」
エマが鋭い反応で食らいつき、ボールを高く打ち上げる。滞空時間の長いチャンスボール。ショウは昨夜の特訓を思い出し、砂を蹴って高く跳躍した。
「はぁぁぁっ!!」
渾身の力で相手コートの隅を狙って叩きつける。決まった、と思った。
しかし、漁師たちは軽々とそれを拾い上げ、あざ笑うかのような完璧な連携でボールを返してきた。
「甘いぜ兄ちゃん! 海の男を舐めるなよ!」
ずしん、とショウの背後にボールが落ちる。一回戦目から、信じられないほどのハイレベルな攻防。ショウの額に冷や汗が流れた。
「くそ……なかなかやるな、さすがはこの島の住人。ショウ、気を引き締めていくぞ!」
再び飛んできたボールをショウが必死にレシーブし、エマがトスを上げる。
だが、その時だった。
(……ん?)
エマの手がボールに触れた瞬間、微かな風の渦が巻いたのをショウは見逃さなかった。
エマは風魔法を足場にするようにして、通常ではありえない高度まで一気に跳ね上がった。
「喰らえ! 爆裂アタックじゃぁぁぁ!!」
ズドォォォォォンッ!!!
目にも止まらぬ速さで加速したボールが、漁師たちのど真ん中、砂を大きく抉りながら突き刺さった。審判も観客も、一瞬何が起きたのか分からず静まり返る。
「す、すげえ……! 嬢ちゃん、今のはなんだ!? 飛んだっていうより、浮いたみたいだったぞ!」
「がっはっは! そーだろそーだろ、もっと崇めるがよい!」
(……いや、魔法は反則だろ……!)
ショウの心のツッコミを他所に、試合はさらに白熱していった。魔法を「隠し味」程度に混ぜるエマと、それを卓越した反射神経で拾い続ける漁師たち。一進一退の激しいラリーが続き、一ポイントごとに観客から割れんばかりの喝采が飛ぶ。
そして、最後はショウが砂に飛び込みながら上げたボールを、エマが再び(今度は風で軌道を曲げて)叩き込み、辛くも勝利を収めた。
「いやぁー! 完敗だ! 兄ちゃん、嬢ちゃん、あんたたち強えな!」
漁師たちは清々しく笑い、ショウとエマの肩を叩いた。
「俺らに勝った褒美だ。大会が終わったら、最高に美味い魚料理をご馳走してやるよ!」
「いい戦いだった! 魚料理、楽しみにしているぞ。私たちは優勝するまで止まらんからな!」
エマは誇らしげだが、ショウはすでに膝をつき、肩で息をしていた。
(……疲れた……まだ一回戦だぞ、これ……)
ふと隣のコートに目をやると、そこには一切の乱れもなく相手を圧倒し、涼しい顔で勝利を決めたアリナとジルの姿があった。
「ショウ、お疲れ様! 私たちも勝ったよ!」
「……ああ。おめでとう……」
二つのチームは、それぞれの勝利を携え、さらなる強敵が待ち構える次なるコートへと歩みを進めるのだった。




