81話 目の保養
一行は、港から続く大通りを抜け、島一番の活気を見せるマーケットへと足を踏み入れた。
そこは、木材を組み上げて作られた無数の屋台がひしめき合う、色彩と香りの迷宮だった。
「いらっしゃい! 獲れたての銀鱗魚の串焼きだよ!」
威勢のいい声と共に、炭火で焼かれた魚介の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。隣の屋台では、見たこともないほど巨大な肉の塊がじっくりと炙られ、滴る脂が火に落ちて食欲をそそる音を立てていた。
食材だけではない。極彩色の南国フルーツが山積みにされ、その瑞々しい甘い香りが潮風に混じって漂ってくる。さらに進むと、波に洗われ丸くなった色とりどりの貴石や、貝殻を細工した繊細な装飾品が並ぶ店が軒を連ねていた。歩いているだけで、この島の豊かさが肌に伝わってくるようだった。
賑やかな市場を通り抜けた先に現れたのは、砂浜にせり出すように建てられた、圧倒的な開放感を放つおしゃれな木造の宿であった。
「……ここ、ですか?」
ショウは思わず足を止め、その佇まいに息を呑んだ。
精緻な彫刻が施された太い柱が、何重にも重なる萱葺き風の屋根を支えている。ロビーは壁がなく、吹き抜ける海風が白いカーテンを優雅に揺らしていた。その向こうには、前世で一度は写真で見たことがあるような、完璧な「オーシャンビュー」が広がっている。異世界に来て、まさかこんなリゾートホテルさながらの宿に泊まれるとは思ってもみなかった。
「……こんな高そうなところに? ジラード様、俺たちお金ないですよ! 贅沢すぎませんか?」
ショウの至極真っ当な困惑に対し、ジラードは悠然と杖を突き、自慢げに髭を撫でた。
「がっはっは! 心配するな。ここの主はわしの古い馴染みでな。特別料金で泊めてくれるわい。それにショウよ、お主の『一刻も早くガイスト大陸へ行ってレンに会いたい』という焦りもわかるが、魔導師たるもの、慎重さを欠いてはならん」
「……わかっています。でも、一刻も早く行きたいんです……」
ショウが食い下がるように言うと、ジラードの瞳が、ふと真面目な魔導師のそれへと変わった。
「気持ちはわかる。じゃが、ここの転移魔法陣は、わしが長年使っておらぬものじゃ。すぐに使えるかもわからんし、魔力の回路が錆びついておるやもしれぬ。調整もせずに飛んでみろ、座標がズレて訳のわからん場所かか、どこぞの魔物の寝所にでも放り出されるのがオチじゃぞ。わしがこれから見てきて判断する。慎重に調整が必要なのじゃ」
「……訳のわからないところに転送されるのは、勘弁ですね。ジラード様がそこまで言うなら……わかりました。お願いします」
ショウは納得せざるを得なかった。ジラードがここまで慎重になるということは、それだけ高度で繊細な術式なのだろう。一刻も早く行きたい気持ちを抑え、まずはこの状況を受け入れることにした。
「うむ。分かったなら、まずはこの楽園を堪能せい。果報は寝て待てというじゃろ?」
一行は、磨き上げられた床が心地よいロビーへと足を踏み入れた。ウェルカムドリンクとして差し出された、透き通るような青い果実水からは、魔法で冷やされた清涼な冷気が立ち上っている。
ショウは手元の冷たいグラスを見つめ、少しだけ肩の力を抜いた。レンとの再会を胸に秘めながらも、今は束の間の休息を受け入れ、明日への鋭気を養うことに決めたのであった。
宿のロビーに足を踏み入れると、日焼けした初老の宿主が、信じられないものを見たという顔でジラードを凝視した。
「……ま、まさか、ジラード様ですか!?おおお... 以前はありがとうございました……!」
「がっはっは! まだ生きておったか。相変わらずの男前じゃな」
ジラードは豪快に笑い、旧知の仲であることをうかがわせる挨拶を交わした。宿主は感極まった様子で、最高の部屋を用意すると約束する。ジラードは「そんなに長くは泊まらんと思うが、よろしく頼む」と告げ、各自の手続きを終えて部屋へと向かった。
しばらくして、ショウが荷物を解いていると、ドアを叩く音がした。入ってきたのはジラードだ。
「ショウよ。さっき言った通り、わしはこれから山の近くにある転移魔法陣の様子を見てくる。お主らは夕食の時間まで自由にしておれ。ただし、あまり羽目を外しすぎるなよ」
「わかりました。ジラード様もお気をつけて」
ジラードが部屋を後にし、ショウは独り、テラスの窓際に立った。
窓の外には、見渡す限りの紺碧の海と、白銀に輝く砂浜が広がっている。高い椰子の木が風に揺れ、波打ち際では島の人々だろうか、木の蔓を編んで作ったようなボールを素手で打ち合う、ビーチバレーに似たスポーツに興じているのが見えた。
(……綺麗だな。前世では沖縄にすら行ったことがなかったのに、まさか異世界でこんな絶景を見ることになるなんて……)
あまりの美しさに、ショウの胸の奥が少しだけ疼いた。この感動を分かち合いたい相手が、今は隣にいない。
(レン……お前は今、どこで何をしているんだ。サクラも、無事でいてくれ……)
切ない想いに耽り、遠く水平線を眺めていた、その時だった。
バダン!!!
「ショウよ! ぐずぐずするな、海へ行くぞ!!」
鼓膜が破れるかと思うほどの勢いでドアが開き、嵐のような声が部屋に響き渡った。
そこに立っていたのは、あまりにも刺激の強い二人の姿だった。
「……え、二人とも、その格好……」
ショウは絶句した。
アリナは、自慢の桜色の長い髪を高い位置で一つに束ね、瑞々しいポニーテールにしていた。身に纏っているのは、澄み渡る海のような水色の水着だ。布地越しでもはっきりと分かる、その豊満で立派な胸のラインが強調され、ショウの視線は吸い寄せられるように固定されてしまう。
対するエマは、明るい紫色の髪を可愛らしくお団子にまとめ、快活なオレンジ色の水着を着こなしていた。健康的な肌の色にはよく似合っているが、……悲しいかな、その胸元は清々しいほどに平坦であった。
ショウの視線が、無意識のうちにアリナの「山」と、エマの「平原」を往復してしまう。
「ショウよ。……お主、今、何を比べた?」
「い、いえ。何も……」
エマの声が低くなり、目が据わった。
言い訳をする間もなかった。
ドシュッ!!
「ぐっ……ふぅっ……!!」
容赦のない拳がショウの腹部にめり込んだ。さすがは魔女、魔法なしでもなかなかの威力である。
「そんなことより、海に行こーよ! せっかく来たんだし、楽しまなきゃ損だよ!」
悶絶するショウを気にも留めず、アリナが満面の笑みで腕を引く。
「……そーですね、……行きましょう……。あ、ジルさんも誘いませんか?」
「うむ、名案じゃ! では次はジルの部屋を爆撃しに行くぞ!」
ショウは腹を抱えたまま、元気すぎる女性陣に引きずられるようにして部屋を出た。
結局、静かに刀の手入れをしていたジルも強引に巻き込み、一行は眩い午後の光が降り注ぐビーチへと繰り出すのだった。
ショウとジルも水着に着替え、一行は陽光が降り注ぐ真っ白な砂浜へと繰り出した。
「きゃーー! エマ、つめたいっ!」
「はっはっは! それ、お返しじゃ! アリナ、覚悟せよ!」
波打ち際では、水着姿のアリナとエマが子供のように声を上げ、互いに水を掛け合ってはしゃいでいた。桜色のポニーテールを揺らしながら太陽の下で弾けるアリナと、お団子ヘアで活発に動き回るエマ。ショウはその光景を少し離れた場所から眺め、静かに息を吐いた。
(……いい眺めだ。前世の苦労が報われるような気がするな……)
まさに眼福、という言葉が相応しい。ふと隣を見ると、ジルは日陰に腰を下ろし、静かに海を見つめて仲間たちを見守っていた。褐色の肌に無駄のない筋肉が浮き上がり、ただ座っているだけで絵になる。
「最高ですね、ジルさん」
「……ああ。たまには、こういう静かな時間も悪くない」
そんな穏やかな時間を破るように、コロコロと足元に何かが転がってきた。木の蔓を精巧に編み込んで作られた、中が空洞のボールだ。
「すみませーん! そのボール、取ってくれませんか?」
砂浜の先で、同じように水着姿の島の住人たちが手を振っていた。アリナが反射的にボールを拾い上げ、綺麗なフォームで投げ返す。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうございます! ……お、いい肩してるね。よければ皆さんも一緒にやりませんか?」
住人の一人が快活に笑いながら、砂浜に立てられたネットを指差した。
「これは【ヴィヌス・ラリー】っていうこの島の名物競技なんです。このネットを挟んで、手や足を使ってボールを落とさず、相手のエリアに叩き込む。単純だけど熱いですよ!」
「面白そうではないか! ショウ、ジル、やるぞ!」
エマが身を乗り出し、乗り気な声を上げた。住人たちは四人組だったため、ちょうど四対四の対戦ができるという。アリナがショウとジルの手を強引に掴み、コートへと引っ張っていった。
「やりましょ! せっかく来たんだから!」
「ヴィヌス・ラリー」のルールを聞きながら、ショウは確信した。これは前世でいうところのバレーボールに近い。
試合が始まると、当初は戸惑っていた一行だったが、そこは修羅場を潜り抜けてきた冒険者たちだ。ショウが前世の知識を活かしてフォーメーションを指示し、アリナたちが超人的な身体能力でそれに応える。
ジルが重戦車のような跳躍から放つ強烈なスパイクは、砂を巻き上げ、島民たちを驚愕させた。エマは魔法を使いたい衝動を必死に抑えながらも、魔力操作の要領でボールの芯を捉え、トリッキーな場所へ落としていく。アリナも修行の成果か、どんな低いボールも執念で拾い上げた。
試合は初めてとは思えないほどの接戦となり、最後は一行の勝利で幕を閉じた。
「……はぁ、はぁ。……君たち、本当に初めてか!? 腕利きの冒険者とお見受けしたよ、すごいな!」
島民たちは肩で息をしながらも、清々しい表情で拍手を送ってきた。
「どうかな。実は明日、この島のチームが勢揃いするヴィヌス・ラリーの大会があるんだ! 明日の本戦は二人一組の大会だけど、よければ出てみないか? 賞金も出るし、何より楽しいぜ!」
「おおお! 賞金とな!? 楽しそうではないか!」
エマが目を輝かせ、ショウの肩を叩いた。
「出ようぞ、ショウ! わしの実力を見せつけてやるわい!」
「……エマさん、落ち着いてください。転移魔法陣の状態にもよりますよ。ジラード様の報告を聞いてからにしましょう」
ショウが冷静に釘を刺すと、アリナも「そうですね。都合がよければ、ぜひ参加させてください!」と笑顔で応じた。
「そうか! 期待してるぜ。またあんたたちと戦えるのを楽しみにしてるからな!」
島民たちは爽やかに去っていった。
西に傾き始めた太陽が、黄金色の光を砂浜に投げかけている。
(二人一組の大会、か……)
もし出場することになったら、誰と誰が組むことになるのか。ショウは少しだけ、明日への期待と不安を抱きながら、穏やかな潮騒の音に耳を傾けるのだった。




