107話 ベリサスの研究所
螺旋状のスロープを降りきった一行の目の前に、信じがたい光景が広がっていた。
「……驚いたぜ。街の地下に、別の街があるなんてな」
ガルドの言葉が、ひんやりと冷えた地下空気に小さく吸い込まれていく。
そこは、かつて大昔の時代に使われていたであろう、石造りの建造物が密集する広大な地下都市だった。ショウは思わず呼吸を止める。かつてエリシオンへと向かう途中で目にした『グリム・ハイン』の威容に酷似している。それよりも小規模ではあるが、当時の静寂がここにも濃縮されていた。
あちらこちらで崩落した建物が沈黙を守る中、アエラが細い指先で遠くを指差した。
「みんな、あれを見て……」
遠くの大きな石造りの建物の前で、荷車が止まっていた。先ほど追跡していた魔族たちが、布に包まれた「人間の兵士たち」を荒っぽく引きずり下ろし、建物の中へと引きずり込んでいく。
「あそこが……ベリサスの研究所か」
一行は互いに目配せをし、崩れた街並みの影を縫うようにして接近した。アリナが周囲を注意深く見渡すが、不気味なほど気配がない。
「……敵の姿が見当たらないね。本当にこんな場所に?」
「ああ。だが、だからこそ警戒が必要だ。油断するなよ」
建物の入り口まで辿り着くと、そこには巨大な両開きの石扉があった。入り口には、荷車を引いていたサイのような魔物が、主人の帰りを待つかのようにうずくまり、いびきをかいて眠りこけている。
ショウたちは、その巨獣を刺激しないよう、気配を殺して扉の隙間に手をかけた。
石と石が擦れ合う、神経を逆なでするような音が、狭い地下都市に響き渡る。
「ギィーーーーッ……」
重苦しい音を立てて扉が開いた瞬間、一行は息を呑んだ。
流れ込んできたのは、腐敗した死臭と混ざり合う、鼻をつくような薬品の刺激臭。そして、金属が錆びつくような血の臭いだ。
(くっ……なんだこの匂いは……。こんなところで、一体何をしているんだ……)
ショウは奥歯を噛み締め、怒りで震える拳を隠すように歩を進めた。
扉の先には、果てしなく続く長廊下が伸びており、左右には無数の鉄扉が並んでいる。上空の頭上で、ロロが恐怖に震えながら小さく呟いた。
「シ、ショウ……なんだかここ、やばいよ。……空気が『死んでる』んだ」
「ああ、同感だ」
ガルドが武器を構え直す。
「長居はしたくない。一刻も早くお前の友人を見つけて、ここを出るぞ」
一行は細心の注意を払いながら、一つ一つの部屋を覗き込み、奥へ進んだ。
中には、水槽の中に魔物の肉片や眼球が浮かんでいる部屋。どす黒い赤い液体が大量に瓶詰めされた棚。そして、力尽きて事切れた魔物たちが折り重なるように捨てられた檻……。
足を進めるごとに、一行の表情は険しくなっていく。
さらに進んだ先、左右に並ぶ檻の中には、鎖で繋がれた人間たちの姿があった。だが、その瞳にはすでに光がなかった。
「……ひ、ひどい……」
アリナが絶句し、エマもまた、杖を握る手を白くさせながら吐き捨てる。
「全くだな……。これほど残虐な連中がいるとは」
その時、前方の突き当たりにある部屋に、ぼんやりと明かりが灯った。
中には、先ほど尾行していた馬、牛、三つ目の魔族の姿があった。そして彼らの前には、山羊のような顔をした冷徹そうな魔族が立っている。
「おい! お前ら、予定より遅かったな。ロジカ様がお怒りだったぞ!」
「す、すまねぇ……。人間の兵士たちと戦闘になってな」
三つ目の魔族が言い訳をしながら中身を床に下ろした。
山羊の魔族は冷ややかにそれを見下ろす。
「ロジカ様は捉えた3人の冒険者が予言の石のある場所を吐いた。さっき、上の方の街の城へ向かった。……まさか上にあったとはな。奴らも用済みだ」
「じゃあ、奴らも実験のサンプルか?」
「ああ。だがまずはこの兵士からだ。ロジカ様の指示通りに実験を続けろ」
三つ目の魔族が手際よく動き出す。兵士の口をこじ開け、毒々しい赤い液体を無理やり流し込んだ。
「ところで、その冒険者たちは?」
「ああ、奥の牢だ。死にそうになっていたから治癒魔法で無理やり繋ぎ止めてある。死なれたら実験にならんからな。鎖で縛っているから身動き一つ取れんよ」
その瞬間だった。
赤い液体を流し込まれた兵士たちが、人間とは思えない悲鳴を上げ始めた。
「ぎゃああああああっ!! やめてくれええぇぇッ!!」
ぴくりとも動かなかったはずの兵士たちが、骨が軋むような音を立てて身をよじり、繋がれた鎖をギシギシと引きちぎらんばかりにもがき始めた。その光景は、もはや人間としての尊厳を奪い去られた悪夢そのものだった。
ショウは青ざめる一行を見渡し、震える声で告げる。
(こいつら、やばい……。早くレンを見つけないと、取り返しのつかないことになる……!)
ガルドが青ざめた顔で、ショウたちにだけ聞こえるよう囁く。
「おい、奥の牢だ。今、ロジカという奴は上の街にいる。ベサリスもまだ来ていない……今のうちに見つけて、逃げるぞ!」
「でも、この兵士たちが……」
アリナの言葉に、アエラが痛ましげに目を伏せて首を振る。
「気持ちは痛いほど分かる。だが、私たちが今できる最善は、生き延びて『アイアングローリー』の兵士たちにこの事実を報告することだ」
ゴードンが頷き、一行が奥へ足を踏み出そうとした、その時――。
ドガーーーーンッ!!!!
廊下の奥から、建物が揺れるほどの凄まじい爆発音が響き渡った。
廊下の奥で響いた爆発音に、研究所の空気が一瞬で凍りついた。
「な、なんだ……!? 今の爆発は!」
「奥の部屋からだ……! さっきの冒険者たちのいる部屋だぞ!」
山羊の魔族の叫びに、三つ目の魔族たちが武装を整え、血相を変えて部屋を飛び出していく。しかし、運悪く部屋を出た直後の廊下で、ショウたちの潜む物陰と鉢合わせた。
「き、貴様らッ!! なぜここに人間がいるッ!!」
牛の魔族が雄叫びを上げ、巨大な斧を振り上げる。
ショウは絶句した。完全にタイミングが悪かった。隠密など無意味と化し、戦いは不可避の状況へと突入した。
「チッ……バレちまったか!」
ガルドが舌打ちし、愛用の2つの剣を構える。
「ショウ、エマ、アリナ! お前らは友人のところへ迎え!」
「で、でも……!」
ショウが迷いを顔に出すと、ガルドは背中でそれを受け止めるように、力強く言い放った。
「ちんたらすんな! お前の友人はもうすぐそこにいるんだ! 俺たちもすぐ合流するッ!」
ゴードンとアエラも武器を構え、ガルドの隣に並んだ。その背中は、ショウたちが今まで見たどの冒険者よりも頼もしく、揺るぎない覚悟を宿していた。
「ショウ、行くぞ! ここは彼らに任せるのじゃ。おそらくさっきの爆発はレンたちが牢を破壊したんだろう……わしの『魔眼』でレン達を追いかけるぞ!」
エマが杖を構え、その瞳に妖しく光を宿す。
ガルドは振り返りもせず、迫り来る魔族の軍勢へと一歩踏み出した。
「ガルドさん! 必ず来てくださいよ……!」
ショウの叫びに、ガルドは豪快に笑ってみせた。
「あったりめーだ! そんなことより、レンをしっかり捕まえてこい。すぐに片付けて追いかけてやるからなッ!」
ガルドの剣が宙を斬り、魔族の鎧を砕く音が響く。
仲間との再会を信じ、ショウは背中越しに響く激闘の音を振り切るように、爆発のあった奥の牢へと駆け出した。
迷いは消えた。ガルドたちが自分のために命を懸けて道を切り開いてくれている。その重みを受け取り、ショウはレンの気配を追って、闇の中を走った。
地下施設を揺るがす轟音と、背後で重なり合う激しい金属音。そのすべてが、レンとの再会へ向けたカウントダウンのように感じられた。




