106話 怪しげな魔族
ヴェールフェンの入り口は、時間の侵食をまともに受けていた。
かつての大門は中央から裂けるように崩れ落ち、無数の蔦がしがみつくように絡まり、まるで街全体が何かから逃れようとしているかのような無残な姿を晒している。
遠くから、重々しい足音と、金属が擦れるような音が近づいてくる。
一行は崩れた門の大きな瓦礫の影に身を潜めた。
「……何でこんなのが必要なんだ? 手間がかかるだろうが」
鼻を鳴らした牛の魔族が、大きな角を揺らして不満をこぼす。
その横を、馬の顔を持つ魔族と、薄い緑の肌に三つの目を光らせた魔族が、角の生えたサイのような巨獣に荷車を引かせながら通り過ぎていく。荷車には重々しい布が被せられ、中身は一切見えない。
「実験に適合しやすい個体だと言われている。ロジカ様が躍起になっている理由もそれだ」
「おいおい、中身はちゃんといきてるんだよな? 死なせていたら、今度は俺らが実験の道具にされちまうぞ」
牛の魔族が怯えたように肩を震わせると、三つ目の魔族が嫌悪感を隠さずに答えた。
「こ、こえーことを言うなよ。ちゃんと息のある奴らを積み込んできたぜ。……急ぐぞ。これ以上ロジカ様を待たせたら、俺たちがどうなるか分からねえ」
魔族たちが廃墟の奥へと消えていく。その背中を見送り、ガルドが険しい表情で呟いた。
「……あいつら、こんなところで何をしているんだ?」
「さっきマスターが言っていた、『怪しい魔族』というのは間違いなくアイツらのことですね」
ショウの瞳が静かな怒りに揺れる。
「何かを運んでいたわね。追跡してみる?」
アエラが短剣の柄に手をかけると、エマがニヤリと笑った。
「そうだな……探偵エマの出番というわけじゃよ」
「いつから探偵になったんだよ……」
ショウは心の中で突っ込みを入れつつも、アリナの「レンの居場所と関係があるかもしれない」という言葉に大きく頷いた。
「慎重に行くぞ。音を立てるな」
一行は息を殺し、崩れた石畳の上に身を隠しながら、魔族たちの後を追った。
「ゴロン、ゴロン……」と響く荷車の車輪の音が、静まり返った廃墟の街に不気味に木霊する。
「……そーいえばさ」
前方を歩く魔族たちの会話が、風に乗って耳に届いた。
「研究所に入ってきた、あの3人の冒険者の人間ども。どーなったんだ?」
ショウの心臓が、跳ね上がった。
「ああ、奴らか。『予言の石』を探しているとか喚いてたな。情報を持ってそうだから、ロジカ様が倒して生け捕りにしたってよ。……用済みになったら実験の道具にされておしまいだ」
「へっ、本当にあるのかねぇ。その石とやらが。俺らも探したが、見つかりそうにねえよな」
「本当だぜ。……あの『地下の街』にな。ところで、ベサリス様はいつお戻りになるんだ?」
ショウの思考が凍りついた。
(冒険者の3人……間違いなくレンたちだ。それに、ベサリス……?)
その名を聞いた瞬間、脳裏にレテ島での忌まわしい記憶がフラッシュバックする。かつて戦った配下ナレッジが口にした大魔族の名。混血の魔族ベサリス。
ガルドが冷や汗を流しながら、ショウの耳元で小さく囁いた。
「……ショウ、ベサリスっていうのは、大魔族の一人だ。こいつらが向かっているのは、間違いなくその本人の研究所だぞ」
「それはまずいんじゃないのかい……? 相手がベサリスなら、私たちじゃ……」
アエラが青ざめた顔で周囲を見回す。圧倒的な格上の存在が近くにいるというプレッシャーが、一行の肩に重くのしかかる。
「……でも、レンたちが捕まってるんです。行かないわけにはいかない」
「分かってるよ……」
ガルドは小さく溜息をつき、自らの武器を確かめるように腰を叩いた。
「幸い、ベサリス本人はまだ来ていないらしい。ロジカとかいう奴がどんな奴かわ知らんが、アイツらを追跡してレンたちを見つけたら、即座に逃げるぞ。大魔族相手に長居は禁物だ」
仲間たちが深く頷く。ショウの背中には、レンを助け出すという揺るぎない覚悟と、大魔族という巨大な壁への緊張感が同居していた。
一行はヴェールフェンの中心に鎮座する古城の庭を抜けた。城壁の隙間から吹き込む冷たい風が、衣服を通り抜けて肌を刺す。
「城には入らねぇのか?」
ガルドの問いに、ショウは首を横に振った。魔族たちが消えていったのは、城のさらに奥、切り立った山肌にぽっかりと開いた巨大な洞窟だったからだ。
近づくにつれ、それが自然の産物ではなく、人の手で意図的に削り出されたものであることがわかった。入り口には不気味なほど左右対称に並ぶ岩の柱が立ち、異様な圧迫感を放っている。
門番として配置されていたのは、粘液を纏った湿った肌を持つ、カエルに似た魔族だった。
「ようやく帰ったか。……今回のブツはどおだ?」
牛の魔族が荷車の布を乱暴に引き剥がす。そこには、魔族軍との小競り合いで捕らえられたのであろう、傷ついた人間の兵士が縄で縛られ、泥人形のように積み重なっていた。
「へっ、上出来だ。ロジカ様がお待ちだぞ。急げ」
洞窟の中へ魔族たちが消えていくのを見届け、ガルドが低く唸る。
「……レンたちが囚われているとしたら、ここだ。あの門番を拘束して情報を吐かせるしかない」
「任せて」
アエラが音もなく影に溶け込んだ。鍛えられた冒険者の隠密術で門番の背後へと忍び寄り、一瞬の隙をついてその首筋に短剣を突きつける。
「動くな」
カエルの魔族が短く悲鳴を上げる間もなく、アエラは手慣れた手つきで門番の腕を縄で縛り上げ、物陰へと引きずり込んだ。ショウたちもすぐさま駆け寄り、アエラが弓を番えて魔族の眉間に切っ先を向ける。
「騒ぐなよ。声を上げれば、この矢が先に貴様の頭を突き抜けるぜ」
カエルの魔族は恐怖に目をぐるりと回し、震える声で叫んだ。
「な、何者だ……! 貴様ら、誰に喧嘩を売っているか分かっているのか……!」
ショウはその胸ぐらを掴み、鋭く問い詰めた。
「いいから答えろ。ここに男二人と女一人の冒険者が来なかったか?」
「けけけ……ああ、来たぞ。予言の石を探していると騒いでいた奴らだ。情報を持ってそうだったから、ロジカ様が生け捕りにした」
「どこにいる!」
「……この洞窟の奥に、地下都市がある。昔の戦争で使われていた場所だが、今は我らが主人、ベサリス様の研究施設だ。そこで奴らは囚われている……生きていればな、けけけけ!」
ガルドが顔をしかめる。
「やっぱりここか。……レンたちを見つけたらすぐにずらかるぞ」
「お前ら、こんなことをしてタダで済むと思うなよ……! ロジカ様に切り裂かれて、ベサリス様の実験台にされるのがオチだ!」
魔族が捨て台詞を吐いた瞬間、エマが杖を高く掲げ、門番の頭を鈍い音を立てて強打した。
「ふん……戯言はいい。事件は洞窟の中で起きているんじゃよ!」
「エマってたまにやることがおっかないよね...」
ショウの頭の上にいるロロがボソッと口にする。
門番の口を布で縛り、物陰に隠すと、一行は覚悟を決めて洞窟の中へと足を踏み入れた。
洞窟の内部は、外の荒れた様子とは打って変わり、驚くほど広大だった。地面はゴツゴツとしているものの、大人数が一斉に移動できるほど広く整地されており、緩やかなスロープが螺旋を描くように下へ下へと続いている。
(なんだこの洞窟……。戦争時に避難するために作られたのか?)
ショウは壁に手を当て、慎重に足を進めた。かつてここで多くの人族が逃げ惑い、あるいは戦いに備えたのだろうか。今は、魔族たちの足音と、地下から響いてくる湿った空気が、この場所がもはや避難場所ではなく、悍ましい実験場に変貌してしまったことを告げている。
(この下に、レンがいるはずだ。……生きててくれよ)
ショウは奥底へと続く闇を見つめ、祈るような気持ちで仲間たちと共に、慎重にスロープ状の道を下り始めた。




