104話 石の街グラントール
焚き火の残灰から立ち上る白煙が、朝の冷たい空気に溶けていく。
薄暗い空の下、ショウは肩を揺さぶる感触に意識を浮上させた。
「……ショウ、ショウ!」
視界が晴れると、そこには驚くほど青ざめたエマの顔があった。隣では、ロロがどんぐりのお面をずらし、無防備に寝息を立てている。
「エマ……? どうしたんだ、そんな顔をして」
ショウが体を起こそうとした瞬間、エマが震える手でショウの肩を掴んだ。彼女は周囲で眠るガルドたちに視線をやり、声を殺して告げた。
「……ショウ。お主の友人……レンと言ったか。今、血を流して倒れておる」
「……は?」
ショウの思考が停止した。
エマは深い呼吸を整え、意を決したようにショウの額へ掌をかざす。彼女の黄金色に瞳が輝く
「視せよ、『虚空の写目』……」
瞬間、ショウの脳裏に、この場にはない光景が強制的に流れ込んできた。
そこは、太陽の光が届かない深い地下か、暗い洞窟のような場所だった。重苦しい石造りの壁が並ぶ、冷たい暗闇。
そこに、三人の影が倒れているのが見えた。
中央で倒れ伏すレンの背中から、どす黒い血液が溢れ出している。レンの仲間もまた、壁際で力なくうなだれていた。
「レン! おい、レン!!」
ショウは思わず叫んだが、その声は映像の中のレンには届かない。
次の瞬間、視界は激しいノイズと共に弾け飛び、元の景色に引き戻された。
「ぐっ……!」
エマがよろめき、その場に膝をついた。
「すまぬ……今の私のコントロールでは、あれが限界じゃ。場所までは特定できんかった……」
「エマ……! 無茶をするな!」
ショウはエマを支えながら、荒い息を吐いた。
頭の中で、先ほどの光景が何度もフラッシュバックする。あの石造りの質感、湿った場所は...
(レンが、やばい……。さっきの場所はどこだ? 建物の中か?)
異変を察知し、仲間たちが次々と目を覚ます。
「……ん? どうしたんだい? 朝から騒がしいね」
アエラが目をこすりながら起き上がり、ゴードンが重い体を起こして周囲を見回す。
「ショウ、顔色が悪いぞ。……何かあったのか?」
ガルドも鋭い視線でショウを射抜いた。火を囲んでいた空気が、一瞬にして緊張へと塗り替えられる。
ショウは拳を握り締め、震える声で告げた。
「……レンが、危ない...今、俺たちの知らないどこかで、血を流して倒れているんだ!」
「何だと……!?」
ガルドの怒号が響く。戦場に花を咲かせたばかりの安穏は、霧のように消え去った。
ショウの胸中には、レンを思う焦りが渦巻いていた。
(くっ……。みんなの疲労を考えると、俺一人で行くのが一番だろう……。レンの容態は一刻を争う)
ショウは拳を強く握り、決意を固めて皆に向き直った。
「みんな、聞いてください。俺はここからグラントールへ向かう。レンたちの情報を集め、彼らを見つけ出す。……一刻を争う事態なんだ」
ショウは一息つき、仲間たちを見回した。
「みんなは一度、アイアングローリーへ戻ってください。エマ、アリナ。ジラード様とジルさんが戻ってきたら、事情を説明して、そのあとでグラントールまで来てくれないか。……ガルドさん、地図を貸してもらえるかな」
ショウが絞り出すように伝えると、ガルドは呆れたように大きなため息をついた。
「はぁ……。ショウ、お前は俺たちを何だと思ってるんだ。共に赤龍を討伐した仲間じゃねーか。……俺らがついていくに決まってるだろ!」
ガルドの言葉に、ゴードンとアエラが力強く頷く。ショウが「で、でも……」と皆の体を気遣って言葉に詰まると、アエラが前に出た。
「ショウ! 私たちを舐めるんじゃないよ。ロロのおかげで体はもう万全さ。何年このガイスト大陸で冒険者をやってると思ってるんだい?」
「それに、人数が多い方が人探しも捗るはずだ」
ゴードンが重厚な声で追い打ちをかけると、アリナが屈託のない笑顔を見せた。
「ショウ、手伝ってもらおうよ! 怒られる時はみんなで怒られればいいじゃない!」
エマもニヤリと口角を上げる。
「そうじゃ。緊急事態じゃ、仕方がない! ジラードなんて、とびきりの酒でも土産に渡せば、小言の一つでガミガミ言うのも止まるじゃろうて」
仲間たちの温かい言葉に、ショウの目頭が熱くなる。
「みんな……ありがとう。じゃあ、力を貸してくれ。よろしくお願いします!」
「おうッ!」
全員の力強い返事が響く。
ガルドが地図を広げ、指先で目的地を叩いた。
「じゃあまずはグラントールへ向かって情報収集だな。状況が状況だ、急ぐぜ!」
沈んでいた朝の空気は一変し、一行はグラントールを目指して足早に大地を駆け出した。空には少しずつ朝日が昇り、彼らの急ぐ背中を力強く照らしていた。
赤龍との死闘の場となった森は、まだ焦げ臭い煙と湿った土の匂いに支配されていた。
一行は、戦いの爪痕が残る森を抜けるため、早足でグラントールへと向かっていた。
「……んで、お前はいつまでくっついているつもりなんだ?」
ショウが歩くたび、頭の上で「カラン、コロン」と軽やかな音が鳴る。ロロはショウの髪を掴み、特等席に収まったまま、得意げに胸を張った。
「僕? もう少し君たちの冒険を手伝ってあげるよ! 僕がいないと、君たちダメみたいだしねぇ」
「そーだね! ロロがいてくれると心強いよ。魔法も一級品だもん!」
アリナが屈託なく笑うと、ロロはどんぐりのお面を大きく揺らして、嬉しそうに飛び跳ねた。
「アリナは分かってるねー! まぁ、ショウのことももっと知りたいし……やっぱりヴェンクスに似てるんだよな、見ていて放っておけないよ」
「……そうかよ。じゃあ、しばらく頼むよ。相棒」
ショウは苦笑しながら、頭の上の小さな友人を気遣った。
「あ、そうだ。ロロ、帰る時はどうするんだ? もしもの時に帰れなくなったら困るからな」
「帰る時はね、僕が持っている『戻り笛の葉』を使うのさ。これは故郷の森の特別な葉で、僕たちコロンボ族しか使えない魔法の道具なんだよ」
ロロは自分のカバンをパタパタと叩いて見せた。
「君に前に渡した『呼び笛の葉』は、友情の証。だから君は僕をいつでも呼べるし、僕はいつでも飛んでこれる。……もし、やばい状況になったら、僕はこの戻り笛の葉で『ばいちゃ』するからね!」
ロロはそう言って、ショウの頭の上で満足げに寝そべった。
一行が焦土の森を抜け、開けた丘に出ると、丘を越えた先に現れたのは、歴史の重みを肌で感じる古都だった。
「……これが、グラントールか」
ショウは足を止め、その落ち着いた佇まいに見入った。緩やかな丘の斜面に沿って、何世紀もの時をかけて積み重ねられてきた、人の営みの歴史そのもののような街だ。
街の入り口へと続くのは、幅の広い緩やかな石階段だ。職人の手によって一つひとつ丁寧に角が取られ、長い年月をかけて人々が踏みしめてきたことで、角には丸みを帯びている。
その階段の頂上、街の入り口として鎮座しているのは、巨大な石材を組み上げた角張った門だ。門の柱には、この街の繁栄を祈るかのような蔦のレリーフが彫り込まれており、長年、多くの旅人を穏やかに迎え入れてきた風格がある。
門をくぐると、そこは暖かみのある灰色の世界だった。
街の家々は、近隣の採石場から切り出された良質な石で造られている。家ごとに色合いがわずかに異なり、それがモザイク画のように美しい景観を作り出していた。それぞれの家には可愛らしい木の窓枠がはめ込まれ、街路には所々に花が植えられた石鉢が置かれている。
街を歩く人々の喧騒は穏やかで、石造りの街並みが音を優しく吸い込み、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
街の中心にある広場に出た瞬間、ショウは足を止めた。
広場の真ん中には、この街の象徴である巨大な岩が鎮座していた。家々の屋根を越えるほどの大きさだが、どこか優しげな丸みを帯びている。そして、その岩には極太のしめ縄が巻かれ、古式ゆかしい護符が風に揺れていた。街の人々が通りがかりに軽く一礼をしていく様子から、この街にとって欠かせない守り神のような存在であることが伝わってくる。
(……ここで、ガルドさんたちはレンを見かけたんだな)
「さあ行くぜ、ショウ。お前の友人がいた酒場は、もう少し先だ」
ガルドが穏やかな街並みに不釣り合いなほど、力強い声で前を促した。
「この街は遺物探しや情報屋の溜まり場でもあってな。俺ら以外にも、あの三人組を見たやつが必ずいるはずだ。どこに行ったかも、誰と会ったかも……全部ここで聞き出せる。さあ、情報収集といこうじゃねぇか!」
ガルドの言葉に、ショウの心に再び火が灯る。
この古都の穏やかな空気の中に、レンの行方を示す断片が必ず隠されているはずだ。ショウは中央の岩に一礼すると、頼もしい仲間たちの背中を追い、活気ある酒場街へと歩みを進めた。




